Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 小説 

 Spirit Stones 

 第2章 Fire Stone−炎の精霊石− 
第2話 Silver Gray−銀髪の青年−


 夕陽が世界を赤く染めていた。
 次第に大きくなる、見慣れた街の外門がジークの漆黒の瞳に映し出される。
 水の都エトゥス――。
 時折痛む脇腹を押さえながら、ジークはエトゥスに辿り着いた。

「親父ッ」
 そう叫び、ジークは荒々しく扉を開いた。
 『雪解け水のせせらぎ』亭。エトゥスでのジークとロイの常宿である。
 カウンターの中で準備をしていた親父が、瞳を丸くしながらジークを出迎える。
「……ロイは? 帰って来ただろう?」
 カウンターに駆け寄り、ジークは親父の顔を覗き込んだ。
 答えを待つジークの意志の強い漆黒の瞳が揺れる。
 一瞬の沈黙。そして、
「……昨日の朝だ。その後、何処に行ったかは判らん」
 静かな店内に親父の低い声が響いた。

 部屋は綺麗に片付けられていた。少し前までジークがロイと共に過ごした部屋である。
 手掛かりを求めて部屋中探してみたが、その何処にもロイの痕跡は見つけられなかった。
 まるで初めから存在していなかったとでもいうかのように――。
 ジークの中で、焦燥感が大きさを増していく。
「……ちっ」
 乱暴に舌打ちすると、ジークは傍にあった椅子を蹴った。静か過ぎるその部屋に、椅子が倒れる音だけがやけに大きく響く。そのことが余計にジークの焦燥感を掻き立てた。
(ロイ……。お前、何処に行ったんだ?)
 もう1つの椅子にどかっと腰掛け、ジークはもう一度部屋を見渡した。
(お前、どんな気持ちでこの部屋を片付け、出て行ったんだ……)
 無理矢理息を吐き、ジークは瞳を伏せた。閉ざした瞳の奥に、ロイの青灰色の瞳が浮かぶ。
 いつも何かを告げたがっていた綺麗な瞳。
「……畜生」
 呟いたその声が、静か過ぎる部屋に吸い込まれていく。
 やけに赤い夕陽が、閑散とした部屋に射し込んでいた。

「ジーク、入るぜ?」
 突然扉が開かれ、聞き慣れた声がジークの耳に飛び込んでくる。
「……フォード、か」
 初めてエトゥスに来た時からの付き合いでもあり、良き理解者でもある親友の名を呼び、ジークは視線を上げた。いつもの人懐っこい笑顔が現れる。
「お前、ロイの手を離さねぇんじゃなかったのかよ?」
 静かな声に怒りが混じってるのを感じる。
 普段のおどけた声からは想像できないようなフォードの声。
 この男がこんな声を出すのは非常に珍しいことであった。ジークたちを心配している想いがよく伝わってくる。
「……俺は、あいつの手を離したつもりはねぇ」
 そう答え、ジークは座ったままフォードを見上げた。その瞳に、短く刈った栗色のくせ毛をくしゃくしゃと掻き上げるフォードの姿が映る。
「……だろうな」
 ジークの視線を受け止め、フォードは口端を持ち上げた。見つめ返すその視線に何かの意図が含まれているような感じを覚え、ジークがかたんっと立ち上がる。
「――フォード、お前、何を知っている?」
 フォードの実家は冒険者たちが集まる飲み屋である。普段のフォードは父親の手伝いをして暮らしている。だがフォードにはもう1つの生業があった。
 情報屋である。
 いつもの人懐こい笑顔で笑いながら、フォードが両手を上げ首を傾げる。
「さあな。ま、折角1人で行ってくれたんだ。ここいらが潮時じゃねぇの?」
 少し目線が高いジークを見上げてそう答えると、フォードはふうっと息を吐いた。柔らかそうなくせ毛が揺れる。次の瞬間、胸倉を乱暴に掴み上げられ、フォードは瞳を細めた。
「知ってること、洗いざらいしゃべりやがれっ!」
 険しい表情でフォードを見下ろし、ジークは怒鳴った。
 至近距離で互いの視線がぶつかる。だが、口元に笑みを浮かべたままのフォードの瞳は笑ってはいなかった。その瞳にフォードがどれほどロイのことを心配していたかを思い出し、ジークは吐息を落とした。
「……すまない、フォード。教えてくれ。もう、あいつを1人にしたくないんだ」
 窓から射し込む夕陽が、2人の横顔を静かに照らした。街人たちの賑やかな声が遠くから聞こえてくる。
「――あいつの本当の名は……、ロイフィールド=ディア=ラ=セレン」
 静かな声で、フォードはそう告げた。
「……セレン……」
 聞き覚えのあるその名を口にし、ジークはフォードを凝視した。
 伝説の国の名である。その名を姓に持つということが何を意味するのか。
「ああ、間違いねぇ。……あいつはセレン王家の正統なる後継者だ」
 そう告げられ、ジークは1つ息を呑んだ。そのまま一歩下がり、椅子にがたんと腰を落とす。
 ロイの手の中で蒼く光った球体。それに呼応するように輝きを増した翠色の欠片。
「……あれが、精霊石、か」
 自らの考えを確認するかのようにそう呟いて、ジークは床を見据えた。
 セレン王国は、北の果てに存在する小さな国である。
 だが、ただの王国とは訳が違う。英雄ディーンが建国した国なのである。
 英雄ディーンの伝説なら子供でも知っている。かつてこの世界が闇に閉ざされた時、魔獣を倒し闇を払い、この世界に光を取り戻した英雄、それがディーンである。その時ディーンが手にしていたとされるのが、4つの精霊石。セレン王国は、正にその精霊石を守り続けている国なのだ。
 そして今なお、他国とは必要最小限の交流しか許していない。雪山の向こうの閉ざされた国である。
「あの国は一風変わった国だから、その内情はほとんど知られてねぇんだけど……」
 そう前置きして、フォードは倒れていた椅子を起こし腰掛けた。
 内情どころか、実際にはセレン王国という国が実在するかどうかもあまり知られてはいない。大半の人間は、伝説の国としか認識していないだろう。
「6年前、国王が急逝している。で、その後王位を継いだのが国王の弟らしいんだがな、その後前国王の忘れ形見である王子が姿を消している。……その王子ってぇのが、」
「――ロイか」
 フォードの台詞を継いでそう呟くと、ジークは天を仰いだ。
「……重いな」
 両手で頭を抱え、長い吐息とともに吐き出す。
「そうだな」
 ジークの呟きに答え、フォードは窓の外に視線を移した。
 夕陽が落ち、夕闇が訪れる。街のざわめきが遠のいていき、何とも言えない物寂しさを運んできた。まるで世界から取り残されていくかのように――。
 閉ざしたジークの瞳に、夕陽を見つめるロイの後ろ姿が浮かんだ。いつも表情1つ変えないロイが、その時だけはいつも泣き出しそうに思えて胸が軋んだ。
 ロイと出会ってから4年、誰より傍でロイを見続けてきたのである。
 何かが癒えることを恐れるように、ロイはいつも傷つきたがっていた。
(祖国に残してきた者への罪悪感か……)
 それでもロイは生きることに拘っていた。何かから逃げ続けていた。それはまるで生きることで何かを必死に守っているように思えた。
 そのロイが動いた。
(……時が来た、というわけか)
 ロイが1人で旅立った理由なんて判っていた。
「行く」
 決意を言葉に変え、ジークはフォードに視線を戻した。
「何だって構わない。ロイはロイだ。俺はあいつを1人にはしたくねぇ」
 本音だった。
 この友にだけは嘘偽りのない想いを告げておきたかった。
「上等だ」
 そう答え、フォードがにっと笑う。その笑顔に応え、ジークも口端に笑みを浮かべた。
「……ところでジーク、1つだけ訊いておきたいんだが、」
 その言葉に、ジークは表情を曇らせた。
 フォードの言わんとすることは何となく判っていた。
「お前、探し人のことはいいのか?」
 予想どおりの台詞に、ジークは床に視線を落とした。  ジークはある人物を追って旅をしている。エトゥスに入った時も、そのことは街一番の情報屋であるフォードに依頼を持ちかけていた。ロイを追い掛けるということは、ロイの背負っているものを背負い込むことを意味し、そのことはジークにとって自分の目的を破棄することにも繋がる。
「……あいつは、望まないだろうな」
 全てを捨てることでロイを幸せに出来るのなら、とっくにしている。ジークにもその自覚はあった。それほどまでにジークの中でロイという存在が大きな位置を占めていた。だが、ロイはそんなことを決して望まない。それどころか何かを捨ててロイを取るということはロイにとって枷にしかならないだろう。
 ジークが小さく息を吐く。
 だが次の台詞は、扉を叩く音に遮られた。
「ジークさん、いらっしゃいますか? フィーンです」
 扉の向うから少し高い少年の声が届けられる。その声にフォードが立ち上がり、扉を開いた。
 姿を見せたのは、肩で切り揃えられた柔らかい銀髪の少年だった。薄緑色の神官衣に提げられた若葉の首飾りは、彼が大地母神アマリーラに仕える者であることを表していた。
「アスティから聞きました。お怪我なさっているとのこと。僕でお役に立てることがあればと思い、ここに参りました」
 静かにそう告げると、柔らかい笑顔を浮かべてフィーンは一礼した。
「……そりゃあ助かるが、勝手にそんなことをしちゃ神殿に小言くらうんじゃねぇ?」
 フィーンの顔を覗き込みながら、フォードが心配そうにそう問い掛ける。
 だが、フォードの言葉ににっこりと笑顔を返すと、対照的な意思の強い声でフィーンはきっぱりと答えた。 「でも、大地母神のお教えに背くものではないと思います」
 その返事にフォードが笑みを零す。その笑顔にもう一度笑みを返すと、フィーンはジークの足元に膝をついた。左脇腹に手を当て、透き通るような響きで癒しの言葉を綴っていく。そして、仄かな光に包まれながら、ジークの傷は癒えていった。
「見習いの僕が出来るのはここまでです。くれぐれも無茶はしないで下さいね」
 そう念を押し、フィーンがジークを見上げる。だが当のジークはといえば何処か上の空で何かを見つめていた。
 その視線の先は、切り揃えられた綺麗な銀髪。
「……僕の髪が何か?」
 フィーンの声に我を取り戻したようにジークは視線を向けた。
「いや、……少し昔を思い出してた」
「昔?」
 小首を傾げるフィーンに小さく首を振って答えると、ジークはフィーンの頭をぽんっと叩いて礼を言った。
「助かった。いい神官になれよ、フィーン」
「……なれるでしょうか?」
 ジークを見上げる幼い瞳が揺らめく。
「……遠い昔闇に堕ちた神官が見事な銀髪だったとか……。不吉な髪だと言われています。だから親に捨てられたのだと、そう聞きました。こんな僕が……、」
「――なれる」
 そう言って、ジークはフィーンの銀髪に触れた。
 少し冷たい風が、流れ込んでいた。


 その頃、北への街道を1人ロイは歩いていた。
 祖国セレン――。遠く霞む山脈の更に向こうに存在する懐かしい、そして同時に忌まわしい記憶がつまった国。
 黒い外套と頭巾を深く被り、ただひたすらにロイは歩を進めた。
 馬の蹄と車輪の音が後ろから近づいてくる。振り向いたロイの視界に数台の馬車が近づいてくるのが映った。ロイは小さく息を吐いて歩を止め、街道の端に避けた。だが、そのまま通り過ぎるかと思えたその馬車は減速してロイの目の前に止まった。
「道を確認したいのだが……」
 商人らしい風体の中年男性がロイに声を掛けた。そして頭巾を被ったままのロイの顔を覗き込み、男はそのまま息を呑んだ。
「……美しい。お前、いくらだ?」
 男の不躾なその問いにロイは眉を顰めた。苛立ちがロイの中に込み上げてくる。
 いつもならさして気に止めないだろう。だが、どうしても苛立ちを抑えることは出来なかった。
 レイピアを握る手に力を込め、ロイは男を睨み据えた。
「そいつを逃がすな」
 男がそう命令すると、馬に乗った男たちがロイを取り囲む。また他の男たちも馬車から降り立りて来てロイを囲んだ。
「馬鹿な奴だ。大人しく言うことを聞いていれば可愛がってやったものを……」
 男がにやにや笑いながらロイの許に近づく。美しい青灰色の瞳にその姿を収め、ロイはくすっと小さく笑った。
「そちらこそ大人しく退いていれば怪我をせずにすんだものを、な」
 その直後、ロイが身体を翻す。男が瞳を見開いた時には、ロイを捕らえようとしていた左右の男たちは剣を落として倒れていた。地面に蹲る男たちの腕から鮮血が流れている。
「悪いが手加減出来そうにない。――次、」
 静かにそう告げ、ロイは別の男を見据えた。小さく息を吸い込んだ直後、一気に踏み込み間合いを詰める。男が声を上げた時にはもう決着は着いていた。右肩に鋭い一撃を受け、男は悲鳴とともに地面に崩れた。
 あまりの出来事に、残る男たちがざわめきとともに数歩後退る。
「――次は誰だ?」
 静かに告げるその声に、男たちは互いの顔を見合わせ、息を呑んだ。
 そのときだった。
「……もう、決着は着いているでしょう?」
 不意に背後から声を掛けられ、ロイの身体が硬直する。背筋を冷たい汗が流れ落ちた。
 ロイにとって初めてのことだった。
 全く気配を感じさせることなく、完全に背後を取られたのだ。
 振り向くことも出来ないまま、ロイは1つ息を嚥下した。 「さあさあ、これ以上恥をかかないうちに退いておいた方が、あなた方のためですよ?」
 ロイの背後からにこやかな声がそう告げる。だがそれは同時に拒否を許さない命令のようにも思えた。
 立ち尽くすロイの前で、男たちが慌てて馬車に乗り込んでいく。そして逃げるように男たちはその場から去って行った。
「あなたも物騒なものはおしまいなさい」
 すっと耳元に声が近付き、ロイの身体がびくっと反応する。同時に冷たい指先が頬に触れようとしてくる気配を感じた。
(……動けっ)
 竦む身体を叱咤し、ロイは身を翻した。だがそのまま膝から崩れるように大地へたり込んでしまう。
 突風が巻き上げ、ロイを守るようにロイの周りを舞う。
 その風の向こうに、ロイは微笑を張りつかせた青年の姿を確認した。真っ白な神官衣に腰まで届く銀糸の髪が靡く。
「……紅の湖に行ってごらんなさい。あなたの想い人がお待ちしていますよ。またお会いしましょう、ロイフィールド」
 冷たく凍てついた瞳にロイの姿を映してそう告げると、その青年はふわりと姿を消した。
 青年が消えたその場所を凝視したまま、ロイは長く苦しい息を落とした。




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