Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 小説 

 Spirit Stones 

 第2章 Fire Stone−炎の精霊石− 
第3話 Red Lake−紅の湖−


『またお会いしましょう、ロイフィールド……』
 激しい雨音に混じって、先程の銀髪の青年の声が頭の中に響いた。
 その瞬間、背中を駆け上がるぞくりとした恐怖感に身体を支配されてしまう。
 夕方から降り出した雨に濡れた服を着替え、宿屋の2階でロイは眠れずにいた。
(一体、何者なんだ……? 何故、俺の名を知っている?)
 記憶を探るが、思い当たる姿はない。
 薄い布に包まるようにして、ロイは瞳を伏せた。

 どのくらい経っただろうか。ふと、雨音に混じる足音に気付き、ロイは瞳を開いた。燭台の明かりを消し、ロイは窓から外を見下ろす。
 黒い外套を羽織った男たちが十数人、宿屋を取り囲むようにして近付いてくる。連中の手にしているランタンがちらちらと男たちの顔を照らし出していた。薄暗がりの中ではっきりとはしないが、中に数人見知った顔を見かけ、ロイは小さく舌打ちした。
「……昼間の奴ら、か」
 今に始まったことではないが、どうも自分は変な連中に好かれる性質らしい。
 そう思いながら、ロイは1つ溜め息を落とした。
「さて、どうしたものか……。別件、という都合の良い話はないだろうな……」
 このままでは宿屋に迷惑を掛けてしまうだろうし、かといって大人しくついて行く気にもなれなかった。
 昔の自分なら、面倒を避けるためにいとも簡単に身体を差し出しただろうが……。
 ふとそう考え、ロイは声を立てずに苦笑した。
 いつからだろうか。こんな汚れた身体でも大事にしてやってもいいと思うようになったのは……。
「変わった、か……」
 以前フォードが嬉しそうに口にした台詞を思い出し、もう一度ロイは苦笑した。
 その時、扉の向うに人の気配を感じ、ロイは荷物を掴んだ。レイピアを握り締めて、足音を立てずに扉に近付く。
「兄さん、兄さん。起きてるかい?」
 扉の向こう側から抑えた囁き声が届く。その声には聞き覚えがあった。少しだけ扉を開けてロイは声の主を確認した。
「俺だよ、俺。夕方、店で言ったこと覚えているかい?」

 夕方、ずぶ濡れになったロイは一軒の宿屋に辿り着いた。
「宿を頼みたいのだが…。それと、『紅の湖』について知りたい」
 そう言って濡れた外套を脱ごうとして、親父の後ろにいたこの青年に止められた。
「兄さん、その綺麗な顔は隠したままこっちに来な」
 青年はロイを奥に案内して、数ヶ月前からこの村に起こっていることを説明した。
 かつての美しい湖が、紅く燃え盛る炎の湖に変化してしまったこと。
 その奥に神殿があり、人でないものが出入りしているらしいこと。
 そして、近隣の美しい娘たちが次々に行方不明になっていること。
 最後に、どうやらこれらの事件に村の富豪たちが関与しているらしいこと。
「悪いことは言わない。兄さん、あんた、綺麗すぎる。今日はもう暮れたが、明日の朝早々にでも村を出て行った方がいい」

「兄さん、奴らが来た。今、親父が足止めしてる。今のうちに裏から出な」
 青年がそう促す。
「もうこれ以上、犠牲は出したくないんだ。村のことは俺たちで何とかする。逃げてくれ」
 一瞬躊躇したロイだが、青年の強い眼差しに小さく頷いて裏口へと駆け出した。
 音を立てず扉を開け、建物の影から周囲を伺う。
 表に十数人。裏通りには2人。
「……2人、か」
 2人とも黒い外套を深く被り、その表情は読めない。
 幸いまだロイの存在に気付いていないようであり、隙を突くことは可能に思われた。背にしていた弓を取り、素早く矢を番えると、ロイは狙いを定めた。
 この距離なら外しはしない。
 小さく息を吸って矢を射る。続け様にもう1本。
 2人の男が倒れるのと殆ど同時に、ロイは駆け出していた。
 だが次の瞬間、倒れた男の横を擦り抜けようとしていたロイが動きを止める。強い力で足首を掴まれたのだ。
「……えっ?」
 視線を落としたロイの瞳に男の姿が映った。
 外套の中身は深い闇であった。ただ真っ赤な双眸だけがロイを見上げる。
(――幽鬼(レイス)!?)
 その瞬間、ロイの身体を恐怖が支配した。反応が遅れたその一瞬を逃さず、幽鬼が掴んだロイの足首を掴み上げる。水溜りの中に倒され、ロイは小さく首を振った。
 ともすれば震えそうになる身体を鞭打ち、レイピアを構える。
 だが、圧倒的に不利な状況であった。
(……この武器は効かない……。隙を見て逃げ出すしかない……)
 緊張が流れる。その時、
「逃げろっ!」
 青年の声が飛び込んできた。幽鬼たちの視線が一斉に青年へと向けられる。
 一瞬の隙。
 だが駆け出そうとしてロイは足を止めた。その瞳には取り押さえられた親父と青年の姿が映っていた。
「……判った。何処へでも連れて行け」
 溜め息とともにレイピアを落とすと、ロイは涼しい声でそう告げた。



 うっすらと開いたロイの瞳に、点々と灯る赤い光が映った。薄暗い闇に徐々に目が慣れ、青灰色の瞳に像を結ぶ。
 ロイは大きな白い寝台の上で、1人横たわっていた。閉ざされた部屋の壁には、所々に赤い炎がちらちらと燃えている。そして炎に照らされた壁には、何処かで見たような紋章が浮かび上がっていた。
「……ここ、は……、ッ!」
 起き上がろうとして身体中が悲鳴を上げ、ロイは崩れるように白い薄布の上に倒れた。
「まだ、起きない方がよろしいでしょう」
 全く人の気配がない背後の闇の中から声が響く。
 巡らせたロイの視界に、薄笑を浮かべた銀髪の青年の姿が目に映った。細められた蒼い瞳が何処か楽しげにロイの身体を辿っていく。その視線を追うように自分の身体を見つめ、ロイはごくりと息を呑んだ。
 美しい刺繍が施された真っ白な夜着。そして大きく肌蹴た内腿に点在するたくさんの紅い痣がロイの瞳に映し出されていた。何の跡なのかは明白だった。
「……あ……、」
 ロイの脳裏に、記憶が蘇ってくる――。

 あの夜、幽鬼たちに導かれるようにしてロイはこの神殿まで連れて来られた。美しく着飾られ、何が行われるのかを推測しながら、逃げ出す機会を探っていた。
 そして――、

(この男に抱かれた……)  ぞくり、と背筋を駆け上がる恐怖に、ロイは両腕で自分の身体を抱き締めた。

 炎が揺らめくこの神殿の中で幾夜過ごしたかも定かではない。ただ、何かを確認するかのように何度も犯されたことだけは朧げに覚えていた。
   ロイにとって生まれて初めて感じた恐怖だった。男に抱かれたのは何も初めてのことではない。無理矢理身体を開かされた経験もロイにはあった。だが、初めて身体を開かされたあの悪夢の夜でさえ感じたことのない恐怖がそこにはあった。
 銀髪の青年に犯されながら、ロイは声を上げることも指一本動かすことさえ出来なかった。
「ロイフィールド……、我が贄の君……、」
 滑るような口調でロイの名を呼び、青年がロイに手を伸ばす。その指先から視線を外すことも出来ず、ロイは声を喉に張り付かせた。その時だった。
「ヴァイラス様」
 閉ざされた扉の向うから割って入った声に、青年の手は動きを止めた。そのまま立ち上がり扉の方を振り返る。その後ろ姿を見つめながら、安堵とともにロイはその場に両腕をついた。
「お入りなさい」
 扉に向かい、ヴァイラスと呼ばれた銀髪の青年がそう答える。しばらくして、恭しく頭を垂れながら1人の男が入ってきた。
 見覚えのある顔だった。昼間、ロイを買おうとした商人である。
「ヴァイラス様。先日は大変失礼を致しました。よもやこの者が……」
 寝台の上のロイに視線を送り、男はごくりと唾を飲んだ。
 男の瞳の中、赤く揺らめく炎がロイの姿を妖艶に彩って見せていた。
「……これほど美しい者はそういないでしょう。我が君もきっとお喜びになられます」
 男が見せる欲情にくすっと笑みを零し、ヴァイラスは抑揚のない静かな声でそう告げた。
(……我が君?)
 ロイの瞳が、炎に揺らめく紋章を捉える。
「……邪神、ザイラールの紋……。馬鹿な、」
 呟くロイの声にゆっくりと振り向くと、ヴァイラスは楽しそうに瞳を細めた。紅い炎に照らされた真っ白な神官衣がロイの瞳に映し出される。それはまさにザイラールに仕える者であることを表していた。
 大地母神アマリーラの弟神にして、死を司る邪神ザイラール。
 囚われし者は冥界に住まう亡者に成り果てる。
(それで、幽鬼がいたわけか……)
「そのとおりよ。ザイラール様は我らに不死の身体を与えて下さるのだ」
 言葉を震わせるロイに、恍惚とした表情で商人の男がそう答えた。
「馬鹿、な。闇に囚われ、亡者に成り果てるだけだ!」
 そう叫ぶロイの声はその男には届かないようであった。ただヴァイラスだけが冷たい瞳で微笑んでいる。
「……何を、企んでいる?」
 この銀髪の男が、それくらいのことを理解していないとはロイには思えなかった。
 1つ息を吸い込んで視線を上げる。そしてロイは意を決した瞳でヴァイラスを見据えた。だがそんなロイの視線を受け流すと、ヴァイラスは男に向かってゆっくりと口を開いた。
「……偉大なる古代の遺物、あれの様子は如何ですか?」
「はい。順調に力をつけております。後は四大精霊の力を注げば見事蘇り、ザイラール様の下僕としてその力を発揮できるでしょう」
 やはり恍惚とした様子で男は興奮気味に答えた。
「……四大精霊だって? まさか……」
「そのまさかですよ、贄の君。月が満ちるのを待ち儀式を行いましょう。ふふふ……、月光に照らされる貴方のお姿はさぞや美しいことでしょうね……」
 そう告げて、ヴァイラスはくすくすと笑った。左手を固く握り締め、ロイは静かに息を吐いた。




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