Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 小説 

 Spirit Stones 

 第3章 Earth Stone−大地の精霊石− 
第1話 Confession−告白−


 次第に激しくなる雨音だけが、狭い小屋を支配していた。
 雨に濡れて艶を帯びた黒髪から雫が流れ落ちる。
 背筋を伸ばしたまま静かに佇むロイのその姿に、ジークは言いようのない不安を感じていた。ジークの脳裏で出会った頃のロイの姿が重なる。
「……ロイ」
 不安を追いやるように、ジークはロイの横顔に声を掛けた。返事はない。
「……ロイ、怪我はないか?」
 もう一度低い静かな声でそう尋ね、ジークはロイを見つめた。

 あの後、一向に動こうとしないロイを無理矢理引き摺るようにして、ジークは崩れていく神殿を後にした。深い森を抜ける頃には、夜というには遅すぎる時間になっていた。もっともその頃には、ロイはしっかり自分の足で歩いてはいたが。
 この辺りの独特の気候なのであろう。突然降り始めた激しい雨に舌打ちして、この小さな小屋に入ったのはつい先程のこと。
 その間、ロイの形の良い唇は開かれることはなかった。
 もっともその口から助けに来たことに対する感謝の言葉を期待するほど、ロイとの付き合いは浅くないのだが――。
 いつもの憎たらしい言葉すら聞かれることはなく、先程口走ってしまった名のことを尋ねてくる様子も見られない。ただじっと何かを考え込んでいる。

「……ロイ」
 表情を変えないその横顔を見つめたまま、ジークは再度そう声を掛けた。このまま消えてしまいそうな錯覚に襲われて、どうしても声を掛けずにはいられなかった。
 雨に濡れたロイの姿が、霧雨の中佇んでいたロイを思い起こさせる。綺麗なその瞳に世界を映すことを拒絶していたあの頃のロイに――。
「……ジーク、」
 ロイの唇から小さな声が零れた。それは感情を読み取らせない静かな声だった。
 ジークの瞳の中、ゆっくりとした動作で雨に濡れた外套を脱ぎ、ロイはジークを振り返った。青灰色の瞳が真っ直ぐにジークの姿を捉える。ロイの瞳の中しっかりと結ばれたその像にジークはひとまず胸を撫で下ろした。だがそれは一瞬のことで、更なる不安が込み上げてくる。ロイの瞳に宿る暗い光をジークが見逃すはずもなかった。
「どうした? ロイ、」
 その問いに答えることなく、ロイはつかつかとジークの許まで歩を進めた。軽く首を振って雨を含んだ艶やかな黒髪から雫を落とす。そしてジークの首に腕を回すと、ロイは至近距離で微笑んでみせた。
 美しく弧を描く眉の下、伏せがちな青灰色の瞳を長い睫毛が覆う。整った鼻梁を辿ると、形の良い薄い唇が僅かに開かれ、熱い吐息を落としていた。
(……誘ってやがるのか、)
 そう直感して、ジークはロイの腕を掴んだ。
「おい、ロイ……、」
 言い掛けた台詞を唇で阻止され、ジークは眉を顰めた。ロイの身体を引き剥がし、その表情を覗き込む。
「……抱け、ジーク」
 視線を落とし、ロイが短くそう告げる。そして滑るような動作で釦を外し始めた。上着を投げ捨て妖艶に微笑む。
 艶やかな黒髪と対照的な透き通るような白い肌が、ランタンの灯に浮かんだ。細身だが決して華奢ではない、筋肉をのせた白い肌――。そして陶磁器のようなその肌には幾つもの情事の跡が刻まれていた。
 仕草の1つ1つに壮絶な色香を纏う。その姿が堪らなく雄を刺激していく。
(……くそっ、判っててやってやがる……)
 その性質の悪さを認識しながら、ジークは小さく舌打ちした。
「とっとと抱いて……、忘れろ」
 瞳を伏せたまま、ロイがそう呟く。
「……らしくねぇぜ、ロイ」
(本音が見え隠れしてやがる……)
 いつものロイなら決して見せることはない。適当な理由を見繕って冷静にジークを追い払おうとするだろう。
(それ程までに……、追い詰められているのか、お前)
「ロイ、」
 ロイの腕を掴んで引き寄せると、ジークは体勢を入れ換えた。そのままロイの両肩を掴み、壁に抑えつける。そうして深い漆黒の瞳にロイの姿を納め、ジークは長い吐息を落とした。
「――お前、俺を巻き込みたくないんだろ」
 低い声でそう告げ、ジークは見上げるロイの薄い唇に唇を重ねた。時に優しく時に貪るように何度も唇を重ねる。
「……はぁっ……、」
 口付けの合間にロイの吐息が苦しそうに漏れた。
 どのくらい経ったのだろう。
 やっとのことで唇を解放してもらうと、ロイは膝から崩れた。そのロイの身体を支えながら、ジークがゆっくりと床に腰を降ろす。
「……冗談じゃねぇぜ。ロイ」
 そう吐き捨て、ジークは鍛えられた逞しい右腕でロイの頭を抱えるように自らの胸の中に抱き寄せた。もう片方の手で白い肌に上着を掛けてやる。
「なあ、ロイ、よく聞けよ」
 抱き締める腕に力を込め、ジークは1つ息を吸い込んだ。それからゆっくりと言葉を紡いだ。
「俺は、俺の意志でここにいる。他の誰の意志でもねぇ。お前のためでもねぇ。俺のためにここにいるんだ。いいか、ロイ。他人の人生まで変えられると奢るなよ。お前が変えられるのはお前の人生だけだ。自分に正直に生きたっていいんだぜ? ロイ」
 雨が一段と激しくなり、叩きつけるようなその雨音が狭い小屋に響き渡った。だが静かに語るその声は不思議なほどロイの心に届けられていく。
「俺は、俺の人生の中でお前に出会えたことを幸運だと、そう思っている」
 そう告げて、ジークは俯いたままのロイの黒髪を優しく撫でた。ジークの黒い瞳に小さく震える細い肩が映る。その肩に圧し掛かる不安ごと受け止めるように、ジークはもう一度ロイを強く抱き締めた。
「みんな自分の人生を歩んでいるんだ。俺は俺の、お前はお前の、そして――、」
 一旦言葉を止め、小さく息を落とす。そしてジークはずっと封印してきたその名前を口にした。
「――アルフは、アルフの」
 ジークの腕の中でロイがびくっと反応を見せる。その肩を強く抱き寄せジークはもう一度繰り返した。
「そうだ、ロイ。アルフだって自分の人生を歩いているんだ」
 意地っ張りなロイがその心の痛みを吐露できるように、そしてその苦しみが少しでも和らぐようにとそう願いながら、ジークは長い吐息を落とした。
「…………そうだろうか」
 消え入るような声が零れる。
「……あの時、俺には他に選択肢が思いつけなかった。ただどうしてもアルフを失いたくなかった。アルフのいない世界では生きていけないから……、傲慢なその想いを満たすためだけに俺はあいつを置き去りにした。……だが、俺の選んだ道は正しかったか? ……判らない。」
 震える指先がジークの胸元をきつく握り締めた。ロイがゆっくりと視線を上げる。震えるその指に手を添えながら、ジークは静かにその視線を受け止めた。
「――俺が捨てた祖国の名は、セレン」
 雨音を打ち消すような、はっきりとした声だった。
「俺の名は、ロイフィールド=ディア=ラ=セレン」
 ジークの瞳を見つめたまま、ロイはそう告げた。
「6年前、父が急逝して叔父が王位を継承した。その日から俺は幽閉された」
 ジークの衣服を握るロイの指に力が込められる。だが震え続ける指先とは裏腹に、ロイは静かに言葉を紡いでいった。
「あの悪夢のような日々の中で、俺は何か大きな闇の気配を感じていた。セレン建国以来初めて揃う4つの精霊石――。それがどういう意味を持つのか。……それでも俺の頭にあったのは、どうすればアルフを失わなくてすむか、ただそれだけだった」
 堰を切ったかのように押し隠してきた想いを声にする。
「あの馬鹿は命を懸けて俺を守ろうとする……。俺の存在はアルフの命を脅かす……。だから俺は精霊石を手にして祖国を捨てた。精霊石が何かの意味を持つのなら、これがアルフの命を繋ぐ切り札にもなる。そのためだけに精霊石を所有し続け、逃げ続けてきたんだ……」
 一気にそう言葉にして、ロイはジークの胸元にこつんと頭を預けた。
「呆れてくれていい……。それでも俺は、」
「――間違っちゃいねぇよ」
 口元に笑みを浮かべ、ジークがふうっと息を吐く。
「何も間違っちゃいない」
 もう一度そう告げて、ジークはロイの黒髪をくしゃくしゃと撫でた。
 窓を叩きつける雨に視線をやり、黒い瞳を細める。
「雨は嫌いだ」
 舌打ちとともにそう吐き捨て、ジークはロイに視線を戻した。
「俺が祖国を捨てた日もこんな雨が降っていた。俺の名は、ジークディード=フォン=アウエンバッハ。聡いお前のことだ、とっくに気付いているとは思うが、ラストアの騎士隊に所属していたこともある。ま、今じゃあこっちの家業の方が長いけどな」
 ロイを見つめたまま、ジークは初めて自分の素姓を語った。
 そのことが何を意味するのか考えながら、それでもロイは見つめてくるジークの視線を受け止め、その告白に耳を傾け続けた。
「で、お察しのとおり俺の探し人はあいつ、ヴァイラスだ」
 その瞬間、ロイはびくっと身体を強張らせた。背筋を駆け抜ける恐怖に震える指先を握り締める。
 その姿を瞳に納め、ジークは心の中で1つ舌打ちをした。
 ロイが何をされたのかは明らかだった。
 細い身体を抱き寄せて言葉を続ける。
「あいつは俺の幼馴染みで……、といっても神殿に閉じ込められて育ったあいつのところに俺が押し掛けてたようなもんだが、……大地母神アマリーラの司祭だったんだ。だが7年前、神殿から姿を消した。恨みと呪いの言葉を残して――。俺の姉貴が死んだ夜のことだ」
 深い漆黒の双眸で真っ直ぐ前を見据え、ジークはそう説明した。
 銀髪は不吉なものとして忌み嫌われる。その銀髪と類稀な魔法能力を持って生まれたヴァイラスは、「この世界を滅ぼす者」と予言され、王都ラストアにあるアマリーラ神殿内に封印されて育った。アマリーラに仕える者の証である若草色の神官衣を「似合わない衣装」と自嘲していたその姿を思い出して、ジークは黒い瞳を細めた。
「『間違っちゃいない』……。あの頃の俺に師匠がくれた言葉だ。国と役目を放り出してあいつを追い掛けようかと悩んでいた俺に、自分の気持ちに精一杯応えてやることは間違いじゃないと教えてくれた」
「……いい師匠だな」
 ジークの胸元に頭を預け、ロイが口元に笑みを浮かべる。
「ああ? 無茶苦茶ばっかしやがるとんでもねぇじいさんだったぜ? ……お前と気が合うかもな」
 そう答え、ジークはくすくすっと笑みを零した。
「……どういう意味だ?」
「想像に任せるよ」
 見上げてくるロイの青灰色の瞳に笑顔を返し、ジークが声を立てて笑う。そして、
「いつか会わせてやる」
 笑い声とともにジークはそう付け足した。
 いつの間にか雨は止んでいた。風が虫の音を運んでくる。やわらかいその風と音色に身体を預けるようにして、ロイもまたふふっと小さく笑った。


 明るい光が差し込んでくる。同時に風が運んできた冷たい空気に、ロイはうっすらと綺麗な双眸を開いた。すぐ傍でジークが寝息を立てている。
 不思議なくらいに胸の奥が暖かく感じられ、ロイは口元を綻ばせた。突き刺さっていた、いや自ら突き刺してきた無数の氷の刃がゆっくりと溶けていくのを感じる。
 それは、心の痛みを告白できたことによるものか。それとも――。
 ジークの寝顔をそっと盗み見て、ロイはもう一度小さく微笑んだ。ロイのまわりを舞う風たちが笑いながらジークの濃い褐色の髪を揺らす。その様子を青灰色の瞳に映し楽しんだ後、ロイは静かに身支度を整えた。
 光が零れる扉を開いて、息を呑む。
「……馬鹿な」
 ロイの目前に、一面の銀世界が広がっていた。この時期に雪が降ることはありえない。1年のほとんどが雪で閉ざされるセレン王国でさえ緑萌の儀を迎え、短い夏が訪れている季節だ。
「……何故、」
「おい、待てよ、ロイ」
 背後からそう声を掛けられ、ロイはゆっくりと振り返った。その瞳に、慌てた様子で外套を掴み、駆けてくるジークの姿が映る。
「……待つさ。付いてくるんだろう?」
 そう答え、ロイはくすっと小さく笑った。そしてそのままくるりと背を向けた。
 だが、ジークには眩しい朝陽の中、ロイがくすくす笑っているような気がした。




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