Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 小説 

 Spirit Stones 

 第3章 Earth Stone−大地の精霊石− 
第2話 White snow−白雪−


「……他に道はねぇのかよ」
 激しい雪が全身に吹き付ける。白く霞む視界の中、前を行くロイを見失わないよう追い掛けながら、ジークはその背中に向かってそう悪態づいた。
 ジークが言うところの道とは、他ならぬセレン王国への道のことである。
 セレンは閉ざされた国と言われている。どういう経緯でその王国が閉ざされることになったかはジークには判らなかったが、いずれにせよロイの説明によると今歩いている険しい山道だけがセレン王国へ続く唯一の道らしい。優秀なレンジャーでさえ案内人なしには辿り着けない、地理的にも閉ざされた国なのである。
「セレンは、四方を山に囲まれた小さな谷間にある……」
 美しい国だ、と説明し、ロイは真っ白な雪原を見つめた。
 その視線の先にセレン王国がある。
(……ロイの生まれた国、か)
 何か大きな気配が動き始めていることは、ジークにも何となく感じ取れた。ロイは否応なしにそれに巻き込まれていくのだろう。
(……見届けてやるさ)
 ロイが選ぶ道が何であれ、二度とその姿を見失わないことをジークは心の中で固く決意した。
 不意にロイが歩を止める。
「どうした、ロイ?」
 振り返り、雪道に慣れた華麗な動作でジークに近づくと、ロイはそっと手を伸ばした。その手を取り、ジークがロイの顔を覗き込む。ほんの少しやわらかい笑顔がそこにあった。
「ジーク」
 いつもより少しだけ高い声で、ロイはジークの名を呼んだ。
「聞け。一度しか言わない」
 澄んだ青灰色の瞳がジークの姿を映す。
 そして、
「俺は、お前に出会えたことを心から感謝している」
 はっきりとそう言葉にして、ロイはくるりと踵を返した。
「俺もだぜ?」
 答えたジークの言葉に、ロイは白い頬を少しだけ赤く染めた。

 それからどのくらい歩いただろうか。大地を覆う雪が深さを増し、道のりは更に困難なものになっていた。
「……セレンは1年のほとんどが雪で覆われた国だ。だがこの時期は緑萌の儀を終え、大地に緑が溢れているはず……」
 歩を止め足元に荷物を置くと、ロイはぽつりとそう呟いた。
「どうも普通じゃねぇよな。俺には精霊の声を聞くことは出来ねぇけど」
 そう答え、ジークも前方に視線をやる。
「ジーク、セレンの入口だ……」
 ジークの瞳には見えない何かがあるのか、そう告げてロイは1つ息を吸い込んで慎重に前方へと手を伸ばした。
 一瞬、ぴしり、と空気が震える。その瞬間伸ばしたロイの指先が何かを越えたことをジークも肌で感じ取った。
「――やはりな。結界が消えている……」
 そう呟き、ロイは片手で荷物を持ち上げた。
「セレンの周りには王が張り巡らせた結界がある。その結界が消えている。緑萌の儀も行われていない。何より大地の力が失われている……。叔父上に何があった?」
 叔父とは大地の精霊石の所有者であり、セレン現国王であるダンフィールド。6年前、ロイの父である前国王を暗殺し、ロイを北の塔に幽閉した男である。
 そして――。
 蘇る忌まわしい夜の記憶に、ロイは小さく頭を振った。
「……行こう、ジーク」
 そう告げて、ロイは前方を真っ直ぐに見据えた。ふとその白い視界の中に淡い光が見え隠れしていることに気付く。瞳を凝らすと白い建築物らしいものが確認できた。
「……神殿?」
 ジークが呟き、ロイを見る。
 ロイは、綺麗な青灰色の瞳を見開いてその神殿を見つめていた。


 美しい王国は完全に雪で閉ざされようとしていた。大地の力が失われていく。
 凍て付くようなその寒さの中、アルフは背筋を真っ直ぐに伸ばして城下を見下ろしていた。
「……親父、何処へ行った?」
 意志の強い赤褐色の双眸に、真っ白な街の姿が映る。
 現国王であり、大地の精霊石の所有者でもあるダンフィールドが忽然と姿を消してから、3日が経とうとしていた。内密に捜索を行っているものの、ダンフィールドの姿も同時に行方をくらませたメディナの姿も掴めずにいた。
「……あの、女狐め」
 長いプラチナブロンドと色素の薄い赤褐色の瞳を思い出し、アルフは忌々しげに舌打ちをした。
 ダンフィールドの後妻として城に来てから、少しも変わることのない姿と妖艶な笑み――。
 5年前に告げられたあの言葉は今でも忘れることはできない。
『――もうすぐロイの誕生日ね、アルフ。ダンはあの子に随分とご執心のようだけど、私はあの子が大嫌いなの。あの子の精霊石を奪った後は、八つ裂きにしてやるわ。お前もロイを抱きたいなら、ダンのように今のうちに抱いておくことね』
 あの日、楽しそうにその双眸を細めてメディナはそう告げた。
 世界が暗転した。それでも、どうしてもロイを守りたかった。
 だから、
『そうね、お前の精霊石を渡すと約束するなら、ロイは殺さないであげる』
 アルフはその条件を呑んだ。
 結果としては、ロイは誕生日の『前日』に風の精霊石を手にして姿を消し、アルフはその1年後に炎の精霊石を手にした。そして今もその精霊石はそれぞれの手の中にある。
 この5年間、メディナは不気味なほど沈黙を守っていた。

 だが、1つだけ腑に落ちないことがあった。
 メディナの正体が何であれ、ダン程の人物が簡単に屈するとは思えなかった。
 憎んでも憎みきれない父ではあるものの、頭脳、剣、精霊石の所有者としての力、どれをとってもずば抜けた才能の持ち主であることだけは認めていた。
 アルフの本能が警告する。
(何かもっと大きな力が、この国を、世界を覆い尽くそうとしている……)
「……ロイ」
 頬に風を感じながら、アルフは縋るようにその名を呼んだ。
 傍にいてほしいと痛切にそう願う。
 だが、
「来るなよ……。そのままどっかに行っちまえ」
 深い雪に閉ざされていく城下を瞳に映し、アルフはそう声にした。

 外套の雪を手で払い、城内に戻る。そしてある一室の前でアルフは足を止めた。
 幼い頃、何度も駆け込んだ部屋。
 そして、6年前からは主を失くした部屋。
 想い出が、走馬灯のようにアルフの中を駆け巡る。
 風に靡く蒼みがかった黒髪と何処までも澄んだ青灰色の瞳、そして少し意地悪そうに笑うその笑顔――。
 こんなにも鮮やかに蘇るその姿がどれもが遠いものに思えて、痛む胸を押さえてアルフは息を堪えた。意志の強い赤褐色の瞳に涙が込み上げる。それを片手でぐいっと拭い、アルフは部屋の扉を開いた。
 部屋に一歩踏み込んだ瞬間、動きを止める。
「……誰だ?」
 確かに人の気配などなかった。だが、そこには1人の青年の姿があった。
「……どうやって、入った?」
 ごくりと息を嚥下して、アルフは腰に提げた剣に手を伸ばした。腰まで届く見事な銀髪がアルフの瞳に映る。そしてゆっくりと振り返った長身の青年は、冷たい微笑を浮かべてアルフを見つめた。
 青年が纏う気配に、アルフの背筋を冷たいものが流れ落ちる。その気配には覚えがあった。
「あの湖にいた奴か? 答えろ。親父を連れ去ったのはお前なのか?」
 湧き上がる恐怖を抑え付け、アルフはきつい眼差しで青年を睨んだ。
「……まさか。私はただ贄の君が育った場所を見に来ただけですよ」
 冷たい声がそう答える。
「贄の君?」
「ええ、あなたの従兄殿のことですよ、アルフィールド様」
「――どういうことだ?」
「そのままの意味ですよ。彼は、我が君の器になるためにこの世に生を受けたのですから。内に秘めたその力、類稀なその容姿……。そして、美しく乱れる姿も」
 何かを思い出したかのようにふふっと笑うヴァイラスに、アルフはぴくりと反応して表情を険しくした。
「お前、まさか、ロイを……」
「ああ、そういえば、あなたはまだ彼を抱いたことはなかったのですね……」
 くすくすと笑い、ヴァイラスはアルフに手を伸ばした。だが触れる寸前でアルフの手がその手を弾く。
「ふふふ……。一度抱いてみられるといい。何も自分を抑える必要はありませんよ」
「黙れ!」
「ご存じでしょう? あなたのお父上もそうやって彼を手に入れた。彼は幾度となくお父上を受け入れたはず……」
「やめろっ!」
 そう叫び、アルフは傍にあった机をどんっと叩いた。置いたままだった本が音を立てて崩れ落ちる。
 ロイは読書が好きだった。そのロイの傍に座っているだけで、アルフは不思議なくらい幸せを感じた。
 その全てが壊されたのは6年前のことだ。それから1年余りロイは北の塔に幽閉されていた。そこで行われていたことを知った時、何もかもが逆流してしまうような感覚がアルフを支配した。あの感覚が蘇ってくる。
「よせっ! あれは……、あれは……っ!」
 同意の上だとそう言い切ったロイの姿がアルフの脳裏を過る。何度も消そうとして消えなかった姿――。
「違う、違う違う! ロイはそんなこと……っ! ロイの意思じゃないっ!」
 自分に言い聞かせるようにそう断言し、アルフはヴァイラスに掴み掛った。
「出て行けっ!」
 赤褐色のきつい眼差しがヴァイラスを射抜く。至近距離で視線がぶつかった瞬間、ヴァイラスがすうっとその瞳を細めた。
(……捕まる、)
 そう直感して、アルフは視線を外そうと試みた。だが既に遅かった。
「――5年前、あなたを捨ててこの国を出た彼は、見知らぬ男たちに次々とその身を委ねた。数え切れないほどの行為を受け入れてあれほど美しく成長された……」
 その映像が、ヴァイラスの瞳の中に映し出される。
 見知らぬ男たちが次々とロイを抱いていった。ロイは表情1つ変えずにその行為を受け入れていく。
 乱れる黒髪、熱を帯びた瞳、上がる吐息――。
「……嫌、だ……。嘘だ……、」
 目を背けることも耳を塞ぐことも出来ずにその現実を突き付けられ、アルフはただ必死に否定の言葉を繰り返した。
「すべて真実ですよ。あなたが苦しんでいる間も彼は幾人もの男たちに抱かれ続けた。そして今も想い人を伴ってここに向かっている。本人に直接聞いてみるといい……」
 アルフの瞳にロイの姿が映った。
 褐色の髪の男がロイを抱き締める。その腕の中で安堵したかのようにロイが微笑を浮かべる。
 その瞬間、アルフの中で必死に張り詰めていた何かが切れた。
「さあ、心を解き放ちなさい。炎の精霊石の所有者アルフィールド」
 ヴァイラスの冷たい声が、アルフの頭の中に直接響いてくる。
「……やめ、ろ。俺は、」
「その激しいご気性のままに……」
「……ち、がう、ちがう」
 眼を反らせないまま、アルフは小刻みに首を振った。
「いいえ、彼もそう望んでいますよ。もうずっと前から……」
 くすくすと笑い声をだけを響かせ、ヴァイラスは姿を消した。
 戒めが解けたかのように、アルフが膝から崩れる。握り締めた両拳にはじっとりと汗をかいていた。
「……ロイ……、」
 主のいない部屋に、アルフの呟きが響いた。


 真っ白な雪が、街を覆い尽くそうとしていた。迫りくる寒気に、人々が不安の声を上げる。
 その街の中、雪に溶け込むような真っ白な神官衣を纏った青年が歩いていた。彼の動きに合わせて見事な銀髪が揺れる。人々は息を潜めて彼を凝視した。その美しい銀の髪と冷たい微笑を――。
「さあ、まずは美しいこの国に滅んでもらいましょう」
 そう呟いて、ヴァイラスは楽しそうに双眸を細めた。
「贄の君。一度は取り戻した心を再び引き裂かれた時、あなたはどんなに美しく壊れるのでしょうね」
 抑揚のない冷たい声色が、雪の街に吸い込まれていく。
「――そしてジークディード、」
 妖しく揺らめく瞳に残虐と絶望の色を乗せて、
「お前がいつまで綺麗事を言えるか、この私が見届けてやる。いつまでも真っ直ぐなお前がどんな風に変わるのか……。大切にしてきた者を失う辛さを味わうがいい……」
 狂気を孕んだその声は、何処か哀しげに響いた。




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