Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 小説 

 Spirit Stones 

 第3章 Earth Stone−大地の精霊石− 
第3話 Skew Shrine−歪んだ神殿−


「……ロイ、」
「判っている」
 互いにそう声を掛けるのと同時に、2人は左右の岩陰に身を隠した。そのまま吹き付ける雪で霞む視界に目を細める。
 その視線の先には真っ白な神殿――、そしてその周囲に蠢く数体の影があった。

「ロイ。知り合いか?」
「まさか。……屍人形(ゾンビ)に知り合いはいない、はずだが」
 端正な顔を顰めながらロイがそう呟く。慎重に神殿に近付き、ジークもその言葉の意味を理解した。
 神殿を出入りしている影――、そのどれもが腐敗した屍であった。瞳に暗い光を宿らせながら、何かに憑かれたように動いている。
「……こんなことが出来る暗黒魔法の使い手に心当たりがあるな」
 大きく1つ深呼吸してジークは腰の大剣に手を掛けた。隣でロイが弓を構える。
「俺を射抜くなよ」
「……誰に向かって言ってる」
 睨みつけてくる綺麗な青灰色の双眸に笑みを1つ返して、ジークはとんっと雪の大地を蹴った。一瞬で間合いを詰め、重い大剣を軽々と扱う。
「悪く思うなよ。アマリーラ神の元に送ってやる」
 飛び込んできたジークに気付き、屍人形の1体がジークに襲い掛かる。その胴をジークの大剣が左右に薙ぎ払った。そしてその屍人形が崩れるのを目の端で確認しながら、ジークは左側から襲い掛かるもう1体の胸を突き刺した。
 ジークがその胸から剣を抜くのと同時に風切り音が響く。寸分違わず額と喉を射抜かれ、屍人形が動きを止めていく。
「上等!」
 そう叫び、ジークが身体を反転させた。そのまま大剣を振り下ろすと最後の1体が雪の上に崩れ落ちた。

「……どうだ? ジーク」
 神殿の入り口からそっと中を伺うジークの背に、追いついたロイが静かに問う。
「あの奥だな」
 前方から視線を外さないままそう答え、ジークは小さく奥の扉を指差した。
 祭壇の奥に小さな扉が見えた。それを守るかのように数多くの屍人形たちが蠢いている。
 そっと覗き込んだロイの瞳が一瞬大きく見開かれる。ロイの瞳には助けを請う大地の精霊たちの姿が見えていた。同時にその先にある精霊石の存在を感じ取り、ロイは胸元を握り締めた。
 大地の精霊石――、叔父ダンフィールドである。
「――行くぜ、ロイ」
 問い詰めることはせず、ジークが短くロイに告げる。ジークに視線を戻し、ロイはしっかりと頷いた。
 一瞬の間を置いて2人ほぼ同時に神殿に踏み込む。その直後、全ての屍人形たちが動きを止め、ゆっくりと侵入者の姿を捉えた。
「通させてもらうぜ」
 にやっと笑みを浮かべ、ジークが大剣を振るう。鍛えられたばねのような筋肉が豪快に大剣を振り上げた。洗練された無駄のない動きで屍人形を斬り倒していく。同時にロイが放った矢が次々と屍人形の数を減らしていった。
 圧倒的な数にさずがのジークも多少息が乱れたが、その頃には無数に蠢いていた屍人形たちの殆どは崩れ去り、残り数体を残すのみとなっていた。
「ちっ。まだいやがるのか」
 新手を視界に映し、ジークがそうぼやく。
「ジークっ。左っ」
 ロイの声に身体を反転させ、襲い掛かる屍人形に大剣を突き刺した。その大剣を掴みなおも襲い掛かる屍人形に舌打ちして、ジークは剣を離して蹴り倒した。右手で腰に提げたもう一本の剣を抜き、左手に袖から滑らせた小剣を握る。振り返ることなく投げられたその剣は、ジークの背後から襲いかかろうとしていた屍人形の身体に突き刺さった。
「……ったく」
 ぼやき声とともに投げた剣を回収して右前方の屍人形に向ける。だがその屍人形はジークの瞳の中でゆっくりと崩れ落ちた。屍人形の項にはロイのレイピアが突き刺さっていた。
「今のが最後か?」
 大きく息を吐きながら、ジークが先程蹴り倒した屍人形から愛剣を奪い返す。力を入れたところで左脇腹にずきんと痛みが走り、ジークはほんの少しだけ顔を顰めた。
「ジーク?」
 一瞬の変化を見逃さず、ロイが動きを止める。次の瞬間、何かに思い当たったかのようにロイはジークの傍へと駆け寄った。
「見せてみろ。ジーク」
 左脇腹を抑えるジークの手が赤く染まっているのを確認し、ロイは乱暴にジークの上着を剥ぎ取った。
「あの時の傷か……」
「心配するなって。神官坊やが治してくれたんだぜ。もう掠り傷だ」
「――馬鹿言え」
 笑顔で答えるジークを瞳に映し、ロイは表情を険しくした。確かに治癒のルーンである程度は癒されているものの、掠り傷でない。
「涼しい顔をして……」
 咎めるような口調でぼやくと、ロイは袋から薬草を数枚出してきて口に含んだ。いくらか噛んで柔らかくした薬草をジークの傷口に当て布を巻いていく。
「――今更、置いて行くなんて言うなよ?」
 漆黒の真っ直ぐな視線がロイを見つめた。それに答えずロイが作業を終える。
「……ここで待て、ジーク。この扉の先を確認したら必ず戻ってくるから」
 同じくらい真っ直ぐな視線でジークを見つめ返し、ロイはそう告げた。
 沈黙が流れる。
 不意にジークがぴくりと反応を見せた。怪訝そうにロイがジークの表情を覗き込む。

 至近距離に深い漆黒の瞳があった。その瞳にロイの姿が映し出される。

 どちらから手を伸ばしたのか――。
 互いを確認するかのように2人は唇を重ねた。瞳を伏せ、触れるだけの優しい口付けを繰り返す。
 そして再び瞳を開いて見つめ合った。

「……判った」
 真っ直ぐな視線でロイを見つめたまま、ジークがそう呟く。
「だが1つだけ約束していけ、ロイ。命を粗末にするなよ? お前を必要としている人間がここにいるってことを覚えておけ」
「――判った」
 そう答え、ロイは弓とレイピアを手に取った。ジークに向けて1つ微笑んで見せてから奥の扉へと視線を移す。そしてゆっくりと立ち上がると、ロイはその扉に向かって駆け出した。


 ロイの背中を見送った後、ジークは長い吐息を落とした。視線を上げ、宙を睨み据える。
「……出て来いよ、ヴァイラス」
 何処か凄みのある声でそう告げると、ジークの見つめる先の空間に歪みが生まれた。
「さすがだな。ジークディード」
 くすくすと笑う声が響く。そして何もなかったはずの空間からヴァイラスが姿を現した。
「ヴァイラス、お前、何を考えてやがる……」
 漆黒のきつい双眸が真っ直ぐにヴァイラスを射抜く。
「7年ぶりか。その生意気な瞳は昔のままだ」
 その視線を受け止め、ヴァイラスは口元を歪ませた。
「お前は変わった。俺の知っているお前は、若草色の神官衣が良く似合っていた」
 何処か苦しそうにそう言葉にするジークの姿を見下ろし、ヴァイラスがくくっと声を立てて笑う。
「そんな頃もあったな……。だが、そのアマリーラが何をしてくれた? あの時、何もしてくれはしなかったじゃないか……。だから私は誓った。私からライカを奪ったこの世界を葬り去る。――ライカを守れなかったお前も、私も」
「違う! 姉貴はそんなこと望んじゃいねぇ!」
「お前に何が判るっ!」
 ヴァイラスの表情から笑みが消える。凍りつくような蒼い瞳がジークを見据えた。
 沈黙が流れた。互いの視線をぶつけ合う。
「――ロイフィールド=ディア=ラ=セレン、」
 小さくそう呟いて、ヴァイラスは僅かに口元を緩めた。その名前にジークがぴくりと眉を反応させる。
「よほど大切にしたいらしいな……」
 ジークの反応を確認するように瞳を細め、それからヴァイラスは薄笑を浮かべた。
「事も無げに男たちを受け入れてきたその身体、どんな味がしたと思う?」
 楽しそうに告げられるその台詞を聞きながら、ジークは小さく歯軋りをした。雨が降り続ける小さな小屋の中で見た、ロイの白い肌――。そこには幾つもの跡が刻まれていた。
「17の時に叔父であるダンフィールドによって陵辱を受け、その後1年近く彼はその行為に堪えてきた。だがやっとの思いで逃げ出したその後も、群がってくる男たちにいとも容易く身体を委ねていく。どれ程の淫乱かと思えば……」
 次から次へと男たちに抱かれる。ヴァイラスに言われるまでもなく、ジークもそのことはよく知っていた。そんなロイを誰よりも傍で見てきたのだ。
 だが同時に、誘うように抱かれてみせながら本当はそんなこと望んではいないことにも気付いていた。自分を貶めることでしか保てない危うい均衡の中で、ロイが必死に生きてきたことも知っている。
 そして、
「震えながら必死に抵抗しようとなさるとは……」
 笑いながら告げられたその言葉に、ジークは握り締めた拳で壁を叩き付けた。
「随分とご無沙汰だったようだ。だが固い蕾を抉じ開けてやると、その中は堪らなく熱く、まるで吸い付いてくるかのように求めて……」
「――よせ」
 やっとそう声にして、ジークはきつい眼差しでヴァイラスを睨み据えた。
「お前はロイのことをまるで判っちゃいねぇ」
「――判っていますよ」
 そう答え、ヴァイラスが含み笑いを浮かべる。
「彼は、魔獣ザィアを封印せしめたセレン初代王ディーンの直系にして風の精霊石の所有者。我が君が降臨なさるに相応しい器の持ち主。お前と出会わなければ、とっくに心を手放し我が君を迎え入れる準備が整っていたはずだ」
「……我が君? 降臨、だと? お前、ロイをどうするつもりだ!」
「取り戻したその心を、最も大切にしてきた者に踏み砕いてもらうつもりだ。だがおそらく贄の君は、完全に心を手放したりはしないだろうな……」
 狂気を孕んだその声がジークの許に届けられる。その瞳の奥に言い知れない闇を感じ取り、ジークは1つ薄気味悪い息を吸い込んだ。
「綺麗な心のまま、我が君を受け入れ、闇の焦土と化したこの世界に君臨していただく。それを彼の天命にする……。お前はそれを見届けるがいい」
 ヴァイラスの高笑いが響く。
「ヴァイラスッ!」
 そう叫び、ジークは握り締めた拳を振り上げた。だがそれは軽く開いたヴァイラスの手によって阻まれる。
 盾のような円を描く障壁の向こうで、ヴァイラスは涼しげな笑みを浮かべた。
「いいのか、ジークディード。贄の君を1人で行かせて……。この先には女狐が罠を張っている。私の警告を無視して贄の君を引き裂くつもりらしい。大事な贄の君に傷がつく前にとっとと女狐を始末して来い」
 そう告げてヴァイラスは宙へ飛んだ。消える直前、ジークを瞳に納めてくすっと笑う。
「そうそう。私に犯されながら贄の君はお前の名を呼んでいた。何度も何度も、ジーク、ジーク、とな」
 その言葉と高らかな笑い声を残して、ヴァイラスは忽然と姿を消した。
「――くそっ、」
 ヴァイラスが消えた空間を睨み、ジークは小さくそう呟いた。そのまま奥に向かって駆け出そうとしてふと足を止める。
「……あいつ、」
 左脇腹に手を当て、傷が癒えていることに気が付く。
「……ちっ、」
 小さく舌打ちし、ジークはロイの後を追った。




Back      Index      Next