Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 小説 

 Spirit Stones 

 第3章 Earth Stone−大地の精霊石− 
第4話 Earth Stone−大地の精霊石−


 ジークを残し奥の扉を開いた後、ロイは地下へと続く長い階段を駆け下りた。しばらくして広い空間に辿り着く。身を隠しながら瞳を凝らし、ロイは薄暗いその空間を観察した。
 中央に何か文字らしきものが刻まれた巨大な石柱がそそり立っている。視線を下ろすと、石柱の根元に後ろ手に縛られた人間の姿があった。そしてぼんやりと浮かぶ黄色い球体――。
「……叔父、上……、」
 その姿に在りし日の覇気はなかった。ダンの生命力が急速に失われていくのがロイにも判った。
「叔父上、」
 次の瞬間、ほとんど無意識にロイは駆け出していた。ダンの傍に膝を落とし、呼吸を確認するかのようにその顔を覗き込む。
「……ロイ、」
 そう告げられ、ロイは動きを止めた。ロイの目の前でダンの瞳がゆっくりと開かれる。
「……本当に、ロイ、なのか……?」
 褐色の瞳がロイの姿を映し、大きく見開かれた。そして、
「逃げろ、ロイ!」
 ダンが叫んだ。その直後、ロイの足元に暗黒呪文が浮かび上がる。それは石柱を中心に描かれた巨大な魔法陣だった。
「うっ、く……っ、」
 両腕で頭を抱えるようにしながら、ロイがその場に崩れる。
 そのロイの耳に、遠い昔に聞いた甲高い女の笑い声が響いた。
「ふふふ……。一段と綺麗になったわね、ロイ。ホント憎らしいこと……」
 苦痛に歪む青灰色の双眸を見開き、ロイは声の主を確認した。その瞳に映し出されたのは、禍々しい妖艶さを纏った1人の女性――。アルフが義母(はは)と呼ぶことを拒絶し続けた、ダンの後妻メディナだった。
 メディナは長いプラチナブロンドを片手で掻き上げ、薄い赤褐色の瞳を細めてロイを見下ろしていた。その姿は、ロイの記憶にある5年前と寸分変わってはいない。
「お気に召したかしら? この神殿はもともとお前のために作ったものですもの。5年前、お前はここで精霊石を手にし、力の制御も出来ないままその精霊石を失うはずだった……」
 禍々しい笑みを浮かべたまま、メディナは身体を折るようにしてロイが苦しむ表情を楽しむ。そして、乱暴な動作でロイの黒髪を掴み上げると、上を向かせて口元を歪ませた。
「本当に憎らしいわ。お前が周囲を欺いて姿を眩ませたせいで5年も待たされたもの」
 長い爪をロイの白い頬に埋めるように突き刺していく。一瞬瞳を細めた後、ロイは綺麗な青灰色の瞳にメディナの姿をしっかりと捉えた。きついその眼差しがメディナを射抜く。
「まずはその生意気な瞳を抉ってやろうかしら?」
 そう告げ、メディナは指を動かした。一瞬早くロイが身体を反転させる。その瞬間、突き刺さっていたメディナの爪が頬に食い込み、ロイの陶磁のような白い頬に一条の紅い傷跡を作り上げた。だがそれには全く構うことなく、ロイは片膝をついた態勢で真っ直ぐに弓を構えていた。背筋を伸ばしたきつい青灰色の瞳と鋭い矢の先は、寸分違わずメディナの眉間を見据えている。
「……あら、そんな余裕があるの? ロイ」
 少しも狼狽することなくメディナが言い放つ。だがその言葉どおり、ロイには余裕など全くなかった。その証拠に片膝をついて背を伸ばしメディナを狙う矢の先が震えないようにするのが、今のロイに出来る精一杯の行動であった。それでも尚、瞳だけは真っ直ぐにメディナを見据える。
 身体の奥で精霊石が解放を求めているのをロイは感じ取っていた。だが同時にそれがメディナの目的だということも理解していた。
(いつまで抑え込むことが出来るだろうか……)
 握り締めるロイの掌にじっとり汗が浮かぶ。
(もし精霊石を解放してしまったら――)
 その結果をロイの本能がロイに教えていた。
 この空間を取り囲む深淵の暗闇に何かが潜んでいる。そしてその気配は確実に大きさを増し始めていた。
(――何だ……?)
 禍々しいその気配に、ロイはぞくりと背筋を震わせた。阻止しなければならないと本能がそう告げる。
「……くっ、」
 震える指でロイは弓を引いた。メディナが身を翻す一瞬の隙を突き、床を転がるようにしてダンの背後に回る。
「叔父上、石を……、納めて下さい」
 ダンの戒めを解き、ロイはダンにそう告げた。ダンの生命力が限界に近付いているのはロイにも見て取れた。だがあまり猶予はなかった。ダンの精霊石を吸い取った何かが近付いてくる。これ以上精霊石の力を奪われるわけにはいかなかった。
「これしきの魔法陣に屈するあなたではないでしょう! 叔父上! 石を御して下さい!」
 ロイの叱咤にダンが苦笑を浮かべる。そして重い片手を精霊石に向けると、ダンはゆっくりとその石を呼び寄せた。
「……私に従え、」
 呟くその声に、精霊石がダンの手の中に戻っていく。その直後、ダンは崩れるように床に倒れ込んだ。
 暗闇に潜む気配の増大が止まるのを感じ取り、ロイは短い息を吐いた。だが次の瞬間、右肩に激痛を感じてよろめく。
「――うっ、」
 視線を上げたロイの視界に、真っ赤な鞭を握り締めたメディナの姿が映った。その鞭はまるで生き物のように蠢いている。
「……本当ならアルフとの感動の再会をさせてあげたかったけど。もう待つのには飽きたわ。要は石さえ揃えばいいのよね。だからお前はここで引き裂いてあげる。あの時あの子を置き去りにしたお前ですもの、今更未練はないわね?」
「いいえ、……アルフには会わせてもらいますよ」
 苦しい息の下、きっぱりとそう告げるロイにメディナが驚いたように目を見開いた。
「……変わったわね、ロイ」
「ええ、……大切な人がいるこの世界を守る力を授けてくれた運命に今は感謝できる。俺のすべてを賭けて貴女たちに抗ってみせるさ」
 青灰色の瞳が光を宿す。その瞳でメディナを見据え、ロイは弦を引いた。
「……そう」
 短くそう答え、メディナが鞭を撓らせる。
「血に染めてあげる」
 そう宣言すると、メディナは鋭い音とともに鞭を躍らせた。
 鞭に切り千切られたロイの髪が風に舞う。衣服が裂かれ、白い肌に血が滲んだ。それでもロイは微動だにせずただ真っ直ぐに弓を構えていた。
「メディナ!」
 突然、意識を取り戻したダンの声が響いた。その眼光だけは鋭い。
 薄暗い空間に一瞬何かが光った。それはダンが投げたロイの短剣だった。その短剣がメディナの手を貫く。
 その瞬間、ロイが矢を放った。
「何ですって……っ、」
 風を切るその音をメディナが耳にした時には既にその矢はメディナの左胸に深々と突き刺さっていた。
「よくも……っ!!」
 怒りを纏った甲高い声が響く。同時にメディナの美しい顔貌が崩れ落ちていくのがロイの瞳に映った。
 それを片手で抑えながら、メディナはもう一方の手を高く掲げた。暗黒呪文の詠唱が始まる。
 メディナの頭上でどす黒い塊が槍の形を成していく。
(――避けられないっ!)
 一瞬で状況を判断し、ロイは息を呑んだ。
 だが、
「きゃああぁ……っ」
 悲鳴とともにメディナがその場に崩れ落ちた。その胸元から大剣が突き出ている。
「……ジーク、」
「無事か? ロイ」
 メディナの背後にジークの姿を確認し、ロイは安堵の息を吐いた。
 次の瞬間、
「ロイっ!」
 見開いたジークの瞳に、黒槍がロイ目掛けて放たれるのが映った。
 だがそれは、ロイの身体を貫くことはなかった。
「……叔父上」
 頑強だった身体がロイを抱き締めていた。ロイを守るように両腕に包み込み、その背中にメディナの槍を受けたのは、ダンだった。
 黒い闇がダンを蝕んでいく。次第に色を無くしていくその顔を、ダンの腕の中でロイは見上げた。
「全てを手に入れたかった……。セレンが闇に呑まれる前に、全てを手に入れて……、」
 低く掠れる声が告げる。
「……守りたかった」
 アルフとよく似た褐色の瞳が、ロイの姿を映した。
 世界を覆い尽くしていく闇の気配――。幼い頃からロイも漠然とした不安を抱いていた。
(……あなたも、感じていたのか……)
 ダンの姿を瞳に焼き付け、ロイは小さく首を振った。
「……あなたを……許すことは出来ない」
 そう告げて青灰色の瞳を閉ざす。だが、
「……それでも、憎むことも出来なかった」
 絞り出すようにそう声にして、ロイは瞳を開いた。ダンの姿を映し、遠い昔のやわらかい笑顔を浮かべる。
「……ロイ、」
 ロイを抱き締める腕に力を込め、ダンは慈しむようにその名を呼んだ。
「――悪いが、連れて行かせるわけには行かねぇぜ?」
 ジークが静かに近付き、深い漆黒の瞳でダンを見つめる。
 ダンの背中を突き刺した黒槍が、大きな闇となってダンを飲み込もうとしていた。
 ダンが、少しだけ口元に笑みを浮かべる。そしてロイの身体をジークに預けると、ダンは膝から崩れ落ちた。
 闇が次第に大きくなっていく。

「……いや、死ぬのは、嫌。……私は、美しくなくては……っ、そうでないと、お義父さまに捨てられる……っ、いやっ、いやぁ……。美しく、美しく……」
 ダンの褐色の瞳に、メディナの姿が映る。醜く崩れ始めた顔を必死に両手で抑え、メディナはぶつぶつと呟き続けていた。

 ダンがメディナに出会ったのはもう10年以上前のことになる。その頃のダンは、妻が残した最期の言葉の意味を探していた。
『遠い国で、誰かが闇の瞳を蘇らせようとしている……。この世界に闇が訪れる――』
 セレンの王族は国を出てはならない。それは精霊石を守るための当然の掟だった。だがダンは兄ミルフィールドの反対を押し切って国外に出た。湧き上がる不安を確認せずにはいられなかったのだ。
 そして1人の少女に出会った。それがメディナである。
 少女というのは語弊があるかも知れない。9歳だと言い張るその姿はどこからどう見ても大人の女性だった。プラチナブロンドの髪に赤褐色の瞳を持つメディナは不吉な子と言われ、養父と名乗る男にひどい扱いを受けていた。
 そんなメディナに手を差し伸べたのは、単にダンの気紛れだったのかも知れない。だが触れたその瞬間、互いに何かを感じた。

「……精霊石を、手に入れるの……。そうすれば、ザイラール様が永遠の若さを、美しさを……。いやぁ……」
「メディナ……。悪夢はもう終わりにしてやる」
 ダンの声が静かにそう告げる。そのままそっとメディナを抱き締め、ダンはゆっくりと歩を進めた。
 深淵の闇を、褐色の瞳に映し出す。
「一緒に逝ってやる」
 口元に笑みを乗せ、ダンはメディナとともに闇に身体を投下した。 「ロイ、……アルフを頼む」
 最期にそう告げて、ダンは僅かな光を放つ球体をロイに向かって投げてよこした。
 そして、
「叔父上っ!」
 ロイが見つめる先、2人の身体は暗闇に消えた。

「……叔父上……」
 ロイの手に残ったのは、消えかけた大地の精霊石だった。
 この持ち主はもういない。全身の感覚がロイにそう告げていた。
「こら、ロイ。お前、『扉の先を確認したら必ず帰ってくる』んじゃあ、なかったのかよ?」
 ロイの隣で溜め息を零し、ジークが漆黒の視線を向けてくる。
 ジークらしいその物言いに、ロイはくすりと笑った。それがジークの優しさなのは十分承知していた。
「予定は変わることもあるさ」
 涼しげに答えて、青灰色の瞳を細める。
「……男前を上げやがって……」
 引き裂かれた衣服と傷だらけの身体をジークの瞳が静かに見つめる。そして左の頬に深く残る傷跡にそっと触れ、ジークは深い溜め息を落とした。
 その時だった。
「――――ッ!」
 一瞬早く反応したジークがロイの身体を引き寄せる。そしてほとんど反射的に後退った。
 その直後、―それ―は、姿を現した。

 全ての闇を凝集したかのような黒い巨体は崩れ掛けており、より一層の恐怖を掻き立てた。その背中にある真っ黒な2枚の翼が動く度に恐ろしい音が響いた。
 額から伸びた氷の角が凄まじい冷気を放ち、紅い炎をちらつかせる大きな口から熱気を噴き出す。
 その眼窩には瞳はなく、ただ深い闇だけがそこにあった。

 4000年前、闇より召喚されし魔獣ザィア――。
 この世を闇に変え、魔界との扉を解き放ち、全ての種族を震撼せしめた魔獣の本来の姿である。

 恐ろしい咆哮を1つ上げて、闇の瞳が周囲を見渡す。
 ロイを背にやりながら、ジークは息を呑んだ。精霊石をその身に納めてロイが息を殺す。全身から汗が噴き出した。一瞬がものすごく長く感じられる。
 魔獣の咆哮が響き渡った。
 そして、もう一度咆哮を轟かせると、魔獣は崩れかけた翼を羽ばたかせながら奥の通路に姿を消した。
 息を吐き、崩れるようにジークとロイが座り込む。
「……俺たちに、気付かなかったのか……?」
 ジークが低く呟いた。魔獣の咆哮に奥の通路が崩れ始めているのが視界に入る。慌てて振り返り、自分たちが降りてきた後ろの階段の無事を確認してジークはふうっと息を吐いた。
「おい、ロイ。いったん出るぜ?」
 崩れる奥の通路を見つめたままのロイに声を掛ける。
「……アルフっ!!」
 突然駆け出そうとするロイの腕をジークが捕まえる。だがそのジークの手を乱暴に引き剥がしてロイは駆け出した。
「どういうことだっ。ロイ、おい、説明しろっ」
 ロイを追い掛けながら、ジークはその背中に向かってそう怒鳴った。
「……俺の予想が正しければ、この空間は城に繋がっている。この先には――、」
 崩れる通路の危険な状態が目に入らないのか、ただひたすらにロイが駆けて行く。
 その背中に向かって舌打ちして、ジークも後を追った。




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