Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 小説 

 Spirit Stones 

 第4章 Air Stone−風の精霊石− 
第1話 SELEN−セレン王国−


『ロイ? 入っていいか?』
 声を掛け、そっと部屋の中を覗き込む。部屋の主はただ静かに本を読んでいた。まるでそこだけ時が止まったかのように思える。
『何か用か? アルフ』
 本に視線を置いたまま、静かな声が答える。大きめの窓から差し込む午後の日差しが、ロイの黒髪に反射してきらきら輝いていた。
『用じゃないんだけど。ロイの傍にいたいんだ』
 素直な気持ちを真っ直ぐな声でそう告げた。
『……そうか』
 否定も肯定もしない静かな声で、ロイはそう呟いた。

 でも、本当はとっくに気付いていた。
 素直な気持ちをぶつける時、静かに答えるロイの本は決して捲られることがない。見つめ返してくる青灰色の瞳が困ったように揺れ惑う。
 判っていて、それでも何度も口にした。
『ロイが好きなんだ……。ダメか? ロイ』
 ロイが拒絶しないことを知っていたから――。

 青灰色の瞳が揺れる。
 それでもロイは、いつものように微笑んでくれた。


「ロイ……」
 想い出が詰まったその机にそっと触れ、アルフはその名前を呟いた。伏せた瞳に想い出が次々と溢れてくる。
 懐かしい幼い日々――。
 2歳違いの従兄弟同士は1日のほとんどの時間を共に過ごした。物心ついてからのアルフの記憶には全てにロイがいた。いなくなったのは、――6年前のあの日からだ。
 ミルフィールド王の突然の崩御。そしてロイの幽閉。
(俺は何1つ守れなかった……)
 何度思い出しても後悔の念だけが蘇る。
(だからロイは……)
 1人で行くことを選んだロイの気持ちだけは痛いほど判った。
 だからこそ、ロイが消えたあの日、アルフはロイが大切にしたこの場所を守って生きることを決意した。
「それなのに……、」

『すべて真実ですよ。彼は幾人もの男たちに抱かれ続けた。そして今も想い人を伴ってここに向かっている』

 ヴァイラスの笑い声が、アルフの頭の中に木霊する。

「……ロイは、もういない……。俺が大切にしてきたロイは……、もういないんだ……」
 アルフの胸に刺さった小さな疑惑が次第に形を変え、暗い欲望だけがアルフを支配していく。
「……ちくしょうっ!!」
 固く握り締めた両拳で、アルフはロイがいつも向かっていた机を何度も叩きつけた。その机の上に涙がぽたぽたと音を立てて零れ落ちていく。その雫が一粒落ちるごとに、アルフの心は闇に閉ざされていった。
「……来るなよ、ロイ。俺の前に姿を現すな。でないと――、」
(俺はお前に何をするか判らない……)
 握り締めた両手を見つめ、アルフは唇を噛み締めた。窓から射し込む夕陽がその姿を紅く染めた。やわらかい薄茶色の短髪がまるで燃え上がる炎のように変化する。触れるもの全てを焼き尽くしてしまうかのようなそんな姿だった。ただ窓から流れてくる風だけが悲しげにその髪を揺らしていた。
 不意にぴくんっとアルフが身体を強張らせる。
「……親父?」
 予感というより、確信だった。
 父が――、ダンがこの世から消えたという。
 静かな表情で、アルフはその事実を受け止めた。ただ、握り締めた両拳だけが小さく震えていた。


 一方、ロイたちは崩壊していく地下の通路にいた。
「おい、待てよ、ロイ!」
 ジークがロイの腕を掴み、強引に引き寄せる。その途端非難の色を露わにする青灰色のきつい眼差しを真っ直ぐに受け止め、ジークはふうっと息を吐いた。
「ロイ、この状況が把握出来ないお前じゃねぇだろう?」
 指を立て、前方を指し示す。先に続く長い通路は次々と崩壊し、闇に呑み込まれている。誰の目にもこれ以上行くのは不可能であった。
「はっきり言う。これ以上は無理だ」
「……無理だって?」
 ロイらしからぬ焦った声が答える。
「ああ、何度でも言ってやる。これ以上進むのは、頭に血が上って冷静に物事を判断出来ねぇ愚か者の行為だ」
 そう吐き捨て、ジークはロイを見据えた。反論を許さない漆黒の瞳がロイを引き留めようとする。その視線を受け止め、唇を固く閉ざした後、ロイは観念したかのように視線を伏せた。
「……判った。……引き返す」
 吐息とともに、ロイは小さな声でそう答えた。平静を装おうとするその声が僅かに震えていることに気付き、ジークは黙ったままロイの手を握り締めた。

 2人が神殿から飛び出した直後、その神殿は崩壊した。再び真っ白な雪の世界が広がる。だがそれに構うことなくロイは駆け出した。ジークもその後を追う。そして幾らか走ったところで、深い森が視界に入ってきた。
 その森は、大地の祝福を浴びているかのように豊かな緑に包まれていた。森の周囲は季節外れの雪で覆われているというのに――。
 見事な大樹の隙間から、光の精霊と共に木漏れ陽がきらきらと射し込んでいる。
 その尋常ならざる光景に、ジークは胸騒ぎを抑えることは出来なかった。
 ジークの研ぎ澄まされた感覚が確信する。
ここは、『彼ら』の領域である――と。
「……なあ、ロイ、一つ聞きたいんだが……」
「止めるな、ジーク。この道が一番早い」
 一言だけ答えると、ロイはすたすたと森の奥に向かって歩みを進めていった。
 その直後、反射的にジークが大剣に手を掛けるのとほぼ同時に、2人の足元に矢が突き刺さった。頭上から無数の殺気を感じる。
(だから言わんこっちゃねぇ……)
 心の中でそうぼやいて、ジークは大剣から手を離した。前に立つロイに視線を送る。ロイはというと、真っ直ぐに背筋を伸ばして大樹を見上げていた。
「危害を加えるつもりはない。急いでいる。セレンへの『道』を通してくれ」
 凛とした声が森の中に吸い込まれていく。
「……もう一度言う。『道』を開けてくれ」
 青灰色の双眸に1本の大樹を映し、ロイは静かにそう告げた。
 木々がざわざわと音を立てる。それはまるで囁き合っているかのようにも思えた。
 しばらくして辺りに光が溢れた。そして、ロイの前に『道』が開かれた。
「……礼を言う」
 丁寧に一礼して、ロイがその道に足を踏み入れる。
 その時、
『……ロイフィールド=ディア=ラ=セレン……』
 音楽を奏でているような不思議な声が響いた。
『聞いて、ロイフィールド。あの子の心が見えないの。あの子を助けて。あの子は闇に捕われるような子ではない。捕われてはいけない』
 木々の間から、若草色の衣装を纏った金の髪の少女が見え隠れする。
 透き通るような白い肌に、しなやかに伸びる手足。長い金糸の髪に、淡い碧の瞳。
 そして、長く尖った耳が彼女の所属する種族を表していた。
「……判っているさ。リーゼンディア」
 青灰色の瞳を向け、ロイは静かにそう答えた。
 セレン王国の国境に存在する『古代の森』――。その森の王の名はラフィリアスという。セレン王国初代王ディーンの妃となったセレニエル姫のたった1人の弟である。古代エルフ王の子であった彼は、セレン王国建国時、生まれ育った森を離れ、雪で閉ざされたこの地までやって来た。精霊石とそれを守る子孫たちを見守るためだといわれている。
 リーゼンディアは、そのラフィリアスの娘である。
『お願い……、ロイフィールド……』
 遠ざかっていくリーゼンディアの声にこくりと頷き、ロイはその道を急いだ。

 光の道を抜けると、そこは白を基調とした洗練された回廊だった。
 セレン城内である。
 ゆっくりと視線を巡らし、ロイは片手で胸元を抑えるようにして1つ息を吸い込んだ。そんなロイの様子をジークの漆黒の瞳が見つめる。風が舞った。それはまるでロイの黒髪と戯れているように見えた。
「……随分と待たせた……」
 自分の周りを舞い続ける風に答えるようにそう呟くと、ロイはジークを振り返った。
「――俺が生まれ育った場所だ」
 そう説明し、瞳を伏せる。
「いい場所だな。お宝がありそうだ」
 多すぎる想い出に堪えるロイの肩に手を置くと、ジークは口元に笑みを浮かべた。
「後で案内してやる」
 その声にロイも小さな笑みを零した。
「それじゃあ、さくっと片付けるか。どうだ、ロイ、奴の気配は?」
 ロイが意識を集中させる。だが、城内に魔獣の気配は感じられなかった。地下神殿で見た魔獣は所々崩れかけていた。何処かで力を蓄えているのだろうか。
「……ないな」
「他に奴が行きそうな場所は?」
 魔獣の目的は精霊石のはずである。
「――眼かも知れない」
 ふと昔調べた伝説を思い出し、ロイはそう呟いた。
 セレン王国の何処かに魔獣の両眼が封印されているという記述を見たことがあった。
「奴には……、眼がなかった……」
 その姿を回想し、ロイが駆け出す。だが、少し走ったところでロイは足を止めた。
 ロイの瞳に、開かれたままの扉が映った。
 その扉の向こうに、アルフの姿があった。




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