Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 小説 

 Spirit Stones 

 第4章 Air Stone−風の精霊石− 
第2話 Memories−想い出−


 夕焼けが、美しいセレンの空を赤く染めていた。少し大きい窓から冷たい風が吹き込んでくる。
 その窓を背に、真っ赤な夕陽の色を纏ってアルフは立っていた。意志の強い赤褐色の瞳が、ロイの姿を捉える。
「……アルフ」
 かろうじて声を絞り出し、ロイはアルフの名を呼んだ。アルフの視線を受け止めようと青灰色の視線を上げ、そして再び瞳を伏せる。

 会いたい――。
 いつもロイはそう想い続けていた。だが同時に会うことを恐れていた。
 会えない状況に苦しみながら、会えないことに胸を撫で下ろしていた。

 アルフはいつも真っ直ぐな想いをロイにぶつけてきた。ロイはその想いを受け止めるのが怖かった。自分の中にあるアルフへの想いに気付いてしまってからも、答えを出すことを躊躇った。アルフの言葉に耳を塞ぎ続けた。
 全てを壊したくなかった。
 だが、そんなロイの抵抗を嘲笑うかのように、運命は突然やって来た。
 目の前で父が暗殺されたあの日、ロイは叔父の手で北の塔に幽閉され、無理矢理身体を開かされた。身体と心を思うままに蹂躙していく叔父の行為を受け入れながら、時はもう戻らないことを知った。それでもなお真っ直ぐに向けられてくるアルフの想いが、ロイには何よりも辛かった。そして愛されていることに安堵し、それに縋って生きている自分が許せなかった。
 全てを終わりにしてしまおうと考えたこともあった。だが、ロイにはどうしても出来なかった。
 精霊石を巡る闇の気配に気付いてしまったから。そして、アルフに生きていて欲しいという願いを捨てることが出来なかったから――。
 幾度となく叔父に抱かれながら、ロイは浅ましく生き続けた。
 そして、唯一の機会を得てロイは国を捨てた。精一杯の冷たい仮面を被ってアルフを裏切った。
 残していくアルフに忘れてもらいたかったから。こんな自分を愛し続けて苦しんで欲しくなかったから。

 この5年間、いっそのこと憎んでいて欲しいとそう願っていたつもりだった。
(……だが、心の何処かでは期待していたのだろうか。……アルフの笑顔を……)
 アルフの視線を恐れている自分に苦笑し、ロイは小さく息を吐いた。そして意を決して顔を上げた。
 ロイの瞳に映し出されたのは、暗く冷たい瞳だった。それはロイが知っているアルフのどの瞳とも異なっていた。
「アルフ、」
「……こっちに来いよ、ロイ」
 感情が読み取れない低い声がそう告げる。その声色にロイの鼓動がどくんと跳ねた。
 動こうとしないロイに苛立ち交じりの溜め息を落とし、アルフが歩を進める。そしてロイよりほんの少し高い位置からアルフはじっくりと舐めるようにロイを見下ろした。
 アルフの瞳にロイの姿が映し出されていく。
 黒い外套の下、所々引き裂かれた衣服に痛々しい鞭の跡が見えた。艶やかな蒼い黒髪は乱れ、陶磁器のような頬にはくっきりと傷跡が残されている。そして片手で隠そうとする白い肌には明らかな情事の跡が点在していた。
   赤褐色の双眸を細めながら、アルフの指がロイの左頬の傷にそっと触れる。そして次の瞬間、アルフは乱暴にロイの顎を掴み自分の方を向かせた。
 ロイの青灰色の瞳が揺れる。
「――抱かせろよ、ロイ」
 告げられたその言葉に、ロイは瞳を見開いた。
「何度でも言ってやる。抱かせろよ、ロイ」
 拒絶することを許さない冷たい声がロイの上に落とされる。
 ロイの黒髪を乱暴に掴み、動揺を隠そうとするその表情を確認しながらアルフはなおも言葉を続けた。
「一度でいい。俺に抱かれろと言ってるんだ、ロイ。それで全部帳消しにしてやる。俺の想いもロイがしてきたことも……。それから好きな男と何処へでも行っちまえばいい」
 ロイから視線を外し、アルフは壁を背に立つジークにきつい赤褐色の視線を投げた。
 ジークは、ただ静かに2人のやり取りを見つめていた。深い漆黒の双眸で、アルフの視線を真っ直ぐに受け止める。
「そこのお前もそれで妥協しろよ。いいだろう?」
 アルフの暗い視線を見据えながら、1つ息を吐いてジークが重い口を開く。
「ロイが決めることだ。お前が決めることじゃない」
 低く響くその声にアルフは表情を険しくした。
「……他の男には平気で抱かせるくせに?」
 口元を歪めてアルフが笑う。そしてアルフは冷ややかな氷のような視線でロイを見た。
「……何人もの男に抱かれたんだろう? ロイ」
 ロイの青灰色の瞳が大きく見開かれる。
「何とか言えよ、ロイ。お前がそのつもりなら俺がこの手で壊してやる」
 答えないロイの腕を乱暴に引っ張り、アルフは奥の寝台に投げるように押し倒した。
「おい。勝手は許さねぇぜ?」
 ロイに圧し掛かろうとするアルフの肩に、鞘に入ったままのジークの大剣が押し付けられる。次の瞬間、アルフは素早い身のこなしで立ち上がり、傍に置いてあった長剣を手にした。華麗な動作で長剣を抜くと、ジークの喉元へと突きつける。その剣を鞘のままで受け止め、ジークは漆黒の双眸を細めた。
「……お前も知っているんだろう? ロイがどうやって男に抱かれるのか、どのくらいその身体を汚したのか……。言えよ」
「あいつに、ヴァイラスに何を吹き込まれたのか知らねぇが、」
 アルフの鋭い剣先を交わしながら、ジークが溜め息を落とす。
「ロイのことすら信じられないお前に、俺の言葉を伝えるだけ無駄だろうな。ロイがどれだけお前を大切にしているか、気付いていないわけじゃねぇんだろう?」
 そう告げて、ジークはロイに視線を送った。ロイは白い肌を更に蒼白にさせ、唇を僅かに震わせていた。
 ジークが知っているロイは、いつも憎らしい程自分自身に執着を示さない。何人もの男に身体を差し出していた時でさえ、他人事のように平気な顔をして受け流していた。そのロイが今、アルフの言葉1つに動揺を隠せないでいる。
(こいつのたった一言で、ロイは本当に壊れてしまうかも知れない……)
 1つ息を飲み、ジークはアルフに視線を戻した。
「心の闇に囚われるなよ。お前がロイを見失ってどうするんだ」
 深い漆黒の双眸でアルフを見つめ、ジークはそう願った。
「……アルフ」
 ロイの声がアルフを呼ぶ。その声にアルフはゆっくりと振り返った。青灰色の視線を受け止め、小さく首を振る。
「だめだ……、だめなんだ、ロイ。感情が、抑えきれないんだ……。いやだ……、俺は……、ロイッ!」
 悲痛な叫び声を上げながら、アルフは長剣を握り直した。その意図を察し止めようとするジークの腕が宙を切る。
「避けろ、ロイ!」
 そう叫ぶジークの瞳に、アルフの長剣が閃くのが映った。
 ロイは微動だにしなかった。そのロイの顔の横、アルフの長剣が深々と寝台に突き刺さっていた。ロイの黒髪が一束ぱさりと床に落ちる。
「……はあっ、はあっ、……はあっ、」
 ロイに跨る格好で、アルフは大きく息をした。
「アルフ、」
 見上げるロイが静かにアルフの名を呼ぶ。そのロイの顔に、アルフの涙がぽたぽた落ちた。
「……ロイ……っ、」
 ロイはそっと両手を伸ばしてアルフの涙を拭き、その柔らかい薄茶色の髪を撫でた。
「アルフ、すまなかった」
 泣き崩れるアルフの頭を抱き締めながら、ロイが何度も愛しい存在の名を呼ぶ。その向こうで見守るジークが小さく頷くのがロイにも見て取れた。そのジークの漆黒の瞳に心の奥が暖かくなるのを感じて、ロイはほんの少しだけ微笑んだ。
 その直後、ジークの双眸が険しくなる。大剣に手を掛け、ジークは空を見据えた。
「面白くありませんねぇ……、炎の君」
 くすくす笑う声とともにヴァイラスが姿を現す。踏み込むジークの剣をさらりと交わして、ヴァイラスは寝台のロイとアルフに近付いた。
「あなたの役目を果たして下さらないと……」
 笑いながらヴァイラスがアルフの頭を掴む。
「ヴァイラスっ!」
「お前はそこで見ているがいい、ジークディード」
 駆け寄るジークに向けて、ヴァイラスが手を差し出す。その直後、ジークの身体が吹き飛んだ。壁に身体をぶつけ、ジークが呻き声を上げる。それでもすぐさま立ち上がり、ジークは駆け寄ろうとした。だが、見えない障壁に阻まれる。
「さあ、炎の君。内なる闇の炎を解放なさるがいい……」
「――嫌だっ!」
 そう叫びながら、アルフはロイの両肩を抑え付けた。赤褐色の瞳がロイを見下ろす。
「アルフ、」
 片手でアルフの胸を押し戻しながら、ロイは小さく首を振った。
「……ロイっ。俺……、俺……っ、」
 震えながら抵抗するロイの手首を掴み、アルフはその首元に顔を埋めた。ロイの耳元でアルフの荒い呼吸が聞こえる。と同時に全身から力が抜け落ちていくのをロイは感じた。
 薄笑を浮かべたヴァイラスが2人の許へと近づいてくる。そして寝台に腰を掛け、ヴァイラスはロイに手を伸ばし、肌蹴た衣服から覗く白い肌に指を滑らせた。
「……こんなことをして……何になる、」
 ロイのきつい双眸に楽しそうに微笑むヴァイラスの姿が映った。
 次の瞬間、ロイが大きく瞳を見開く。同時に遠くから魔獣の咆哮が聞こえた。
「おや、目覚めたようですね……。ではいいことを教えて差し上げましょう。『彼』の狙いは封印された両眼……。両眼を取り戻し完全な身体を手にしてから、あなた方の持つ残りの精霊石を奪いに来るつもりですよ。そうなればあなた方に勝ち目はありませんね……」
 くすくすくす、とヴァイラスが笑い声を立てる。
「……ジークッ!!」
 全ての状況を楽しむようなそのヴァイラスの笑い声を遮ったのはロイの声だった。ロイの声にジークが反射的に立ち上がる。だがそのジークの行く手を遮るかのように突如真っ黒な雲が現れ、ジークに襲い掛かる。
「……お前を行かせるとでも? ジークディード」
 ヴァイラスが手を翳すと、その黒雲がまるで生き物のように形を変えてジークを飲み込んでいく。だが次の瞬間、黒雲の中で大剣が閃いた。闇を切り裂いてジークが姿を現す。その様子を満足げに見つめ、ヴァイラスはもう一度手を翳す。それを阻んだのはロイの腕であった。
「行け、ジーク」
 ジークがロイを振り返る。そこには真っ直ぐ見つめ返す青灰色の瞳があった。
「俺は大丈夫。簡単に壊れやしない」
 視線を外さないままロイの想いを汲み取り、ジークはこくっと小さく頷いた。踵を返して駆け出していく。
 ジークが部屋を後にするのを確認し、ロイは寝台の上に崩れ落ちた。
「……頼む、ジーク……」
 願いを込めるかのようにそう言葉にする。そしてロイはしっかりと瞳を開くと、暗い光を宿すアルフの瞳と楽しげなヴァイラスの視線を受け止めた。




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