Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 小説 

 Spirit Stones 

 第4章 Air Stone−風の精霊石− 
第4話 Air Stone−風の精霊石−


 ジークは騒然とする城内を駆けていた。
 突如出現した魔獣の恐るべき姿に、人々はただなす術もなく、あるいは泣き叫び、あるいは立ち竦み、そして逃げ惑っていた。
 その人々の視線の先に、魔獣ザィアの姿があった。
 まだ完全なる復活ではないのだろう。闇を凝集したかのような黒い巨体は所々崩れかけており、背中の真っ黒な翼も飛ぶには不十分な様子であった。思うように動かない身体に苛立ちを覚えているのか、ザィアが一際大きく吼える。
 その咆哮に空気が戦慄した。窓という窓がびりびり音を立てて割れ落ちていく。
 人々の悲鳴が響き渡った。
 その人垣を掻き分けるようにして、ジークがザィアの前に踊り出る。
「……好き勝手はさせねぇぜ」
 唸るように呟き、ジークはザィアを見据えた。瞳のない真っ黒な眼窩が自分を見下ろしているような錯覚に、ジークの背中に冷たい汗が流れ落ちる。
 次の瞬間、ザィアが大きく口を開いた。その口の中にはちらちらと燃え上がる炎が見える。
「……ちっ、」
 舌打ちしてジークが身を翻した直後、辺りは火の海へと変化した。その炎を潜り抜けるようにして、ジークはザィアの足に大剣突き立てた。苦痛の呻き声を上げるザィアに投げ飛ばされる。かろうじて受け身をしてジークは息を吐いた。その視界に、幾つもの矢が飛来するのが見えた。その幾つかがザィアの黒い巨体に突き刺さった。
 視線を送ると、この国の騎士隊長だろうか、制服に身を包みエストックを提げた初老の男性と青年が、的確な指示を出している姿が眼に入った。その姿に遠い父の姿が重なり、ジークの口元に笑みが浮かぶ。大剣を構え直し、ジークは再びザィアに斬りかかった。素早く身を翻してザィアの攻撃を交わし、一方でその巨体に傷をつける。その直後、傷を負ったザィアがおぞましい唸り声を上げ、千切れかけた翼を羽ばたかせて空へ舞った。
「……くそっ、」
 ジークが小さく舌打ちして城外へと駆け出すと、騎士や兵士たちも後を追って城外に姿を現した。
「何処へ向かう?」
 小さくなる魔獣の姿を確認しながら1人呟き、ジークは眼を細めた。
「おそらくは、聖なる場所。ディーン王の墓地だろう」
 答える声に振り返ると、立派な馬に跨った初老の男性が立っていた。後ろにもう1頭、見事な駿馬を連れている。
「この馬を使うといい。」
 その馬の手綱をジークに手渡しながら初老の男性が告げる。少し驚いた表情を浮かべて、そしてジークはその男性を真っ直ぐに見上げた。
「澄んだ、良い眼だ」
 一言そう告げると、その男性は馬を走らせその場を去っていく。馬の首元をぽんと一つ叩いて飛び乗り、ジークも見事な馬術で後を追い駆けた。


 魔獣ザィアの通った後は、すぐ判った。雪に閉ざされた街は炎で焦がされ、無残な残骸を晒していた。
 陽が落ち、世界が闇に包まれていく。その闇の中に人ならざる気配が混じっていることに気付き、ジークは舌打ちした。

 4000年前、魔獣ザィアが魔界の扉を解き放ち、この世界は闇に覆われた――。

 ジークの脳裏に、古の伝説が浮かんだ。
 今、まさに、その闇が訪れようとしているのだ。
 ザィアが完全に復活すれば、暗闇と絶望がこの世界を支配することになるだろう。

 突然、幼い少女の悲鳴が聞こえ、ジークが馬を急停止させる。
「何処だっ!?」
 視線を巡らせると、闇の中から魔物が少女を捕らえようとしているのが見えた。1つ息を吸ってその方向へ駆け出す。その瞬間、剣が閃き、その少女を救い出した。舞うような、それでいて力強い剣が、魔物を倒していく。
(……ロイ?)
 その剣筋に、一瞬ロイが剣を振るう姿がジークの脳裏を掠めた。
(いや、どちらかと言えば、あいつ、か)
 先程交わした、アルフの力強い剣筋を思い出す。
「助太刀するぜ」
 一言そう告げると、ジークは剣を構えた。お互いに背中を預けながら、魔物を薙ぎ倒していく。魔界との扉もまだ十分開かれてはいないのだろう、顔を出してくる魔物はいずれも小物で、2人の実力の敵ではなかった。程なくしてそれらを一掃する。
「……終わりか」
 大きく息を吐き、ジークは剣を納めた。ちらりと視線を送ると、ジークより幾らか年上であろう、その青年が頭を下げていた。
「ありがとうございました」
「いや、それより、あんた……」
「……無礼は百も承知ですが、私の名を告げるとあなたにご迷惑が掛かります」
 短くそう告げると、青年は身を翻して自らの馬に跨った。駆け出す先に小高い丘が眼に入った。

 ジークがその丘の上に辿り着いた時、そこには既に魔獣ザィアが降り立っていた。
 先回りしたのか、少数の騎士たちがディーンの墓碑らしきものを守り戦っている。しかしながら傷つき倒れている者の方が圧倒的に多く、かろうじて立ち上がり応戦している者も満身創痍の状態であった。
 墓碑の向こうから紅い光が立ち上っているのがジークにも見えた。その光の中に炎のように輝く2つの眼球が確認できる。
 ザィアが歓喜の咆哮を上げながら、その真っ赤な眼球を手にしようとしている。
 本来あるべき位置に、その不気味に輝く双眸を納めようと――。
「……させるかよっ!!」
 一言叫び、ジークは弓を手に取って真っ直ぐに構えた。ゆらゆらと浮かぶ紅い眼球に狙いを定める。
「行くぜ、ロイ」
 息を止め片目を伏せて、ジークはぴたりと照準を定めた。
 一瞬の静寂に、ジークの矢の風切り音が響く。その矢は孤を描いて飛び、違うことなく紅い眼球の一つに突き刺さった。
 ザィアがおぞましい呻き声を上げ、残された眼球を手にする。
「ちぃっ」
 舌打ちしてもう一度矢を射るが、今度は眼球には当たらず、矢はザィアの左肩に突き刺さった。その一瞬、ザィアが怯んだのを見逃さず、騎士たちが次々を矢を放つ。ジークも剣を構え、ザィア目掛けて駆け出した。
「止めてやる!」
 崩れる巨体に取り付き、その黒い身体を駆け上がる。
「守ってみせるぜ!」  一際大きな気合の声を上げ、ジークは大剣をザィアの右の眼窩に突き刺した。
 ザィアの苦痛の咆哮が丘の上に木霊する。苦痛に大きく身体を捩って、ザィアがジークを振り落とした。全身を強く打ったジークが苦しい息を吐く。
 そして残された左の眼窩に、かろうじて手にした紅い眼球をはめ込んだザィアが、その不気味な紅い眼でジークの姿を捉えた。
 大きく開かれた口から炎が溢れ出るのを確認し、ジークが息を呑む。漆黒の双眸に噴き出される灼熱の炎が映った。次の瞬間、ジークを庇うように目の前に現われたのは、先程出会ったアルフの剣に良く似た剣さばきの青年であった。
「アスランっ!?」
 初老の騎士隊長の声が響く。
 そして――、
 突然、ジークの視界は真っ白になった。
 灼熱の炎に焼かれる代わりに、眩いばかりの光の渦がザィアを包み込むのが見えた。


 その少し前、ロイは、真っ直ぐに弓を構えていた。
 汗ばんだ黒髪が頬に張り付き、行為に上気した白い肌を更に際立たせる。そして少し潤んで見える青灰色の眼差しを細めて、ロイは真っ直ぐにヴァイラスを見据えていた。
「……さすがに、美しいですね。我がものにしたいという皆の気持ちも良く判りますよ」
 眉間に狙いを定められ、尚も楽しげにヴァイラスは笑った。
「組み伏し思うままに陵辱し、更に美しくなるあなたを手元に置いて愛でていたいものです」
「断る」
「いいえ、あなたは我が君のもの。時が満ちれば、必ず我が君のもとに召されるでしょう」
 そう告げると、ヴァイラスは両眼を細めた。
 その時、突然、眩い光がロイとアルフを包み込んだ。
「……何……っ」
「おや、呼ばれているようですね……」
 光に攫われるようにしてロイとアルフが姿を消した後、ヴァイラスの笑い声だけが響いた。


 眩い光に、ロイはかろうじて眼を開いた。そこは魔獣ザィアのすぐ傍だった。そして、眩い光の球体の中にロイとアルフはいた。
 視界に映るのは、無残に破壊された城下。傷つき倒れる騎士たち。
 そして、傷だらけになりながら自分を見上げるジークの漆黒の瞳がそこにあった。
 精霊石の気配を感じて、ザィアが歓喜の咆哮を上げる。
「……アルフ。石をよこせ」
 隣で膝をついているアルフに、ロイはそう声を掛けた。
「何を言っている。どういうつもりだ、ロイ」
 赤褐色のきつい双眸がロイを見つめた。
「決着をつけるために俺はここに来たんだ」
 その言葉にロイの意図を読み取り、アルフがロイの腕を強く掴む。
「嫌だ、ロイ。俺も行く」
「だめだ」
 優しい口調できっぱりと告げ、ロイはやわらかく微笑んだ。そしてアルフを抱き締めながら、アルフの手の中にある紅い精霊石を握り締めた。そのままアルフの身体を光の中から突き飛ばす。
「嫌だ、嫌だっ! ロイっ!」
 光から弾かれ、芝の上に倒れ込みながら、アルフは叫んだ。何度もロイの名を呼び続ける。
 その姿を瞳に焼き付けた後、ロイはほんの少し笑みを浮かべて青灰色の瞳を閉じた。
「……ロイ」
 低くよく通るジークの声がロイの許に届く。
 ロイの凍て付いた心を溶かし、暖かい光を灯し続けていたジークの声――。その声が今、ロイの心を締め付けていた。
「……ジーク」
 瞳を閉じたままありったけの想いを込めて、ロイはジークの名を口にした。
 そして、ロイはザィアを正面から見据えた。その手の中には、光る3つの球体と1つの欠片。
 ロイの身体を包む光が明るさを増していく。
「水の乙女、炎の使者、大地の守護者、風の騎士。そして全ての生きとし生けるものよ。偉大なるディーンよ、我が祖先よ。我が血に力を。今、我の全てを捧げよう。守らせて欲しい。愛しいこの世界を」
 透き通るような声で、ロイは心からそう願った。
 自分の力はディーンには到底及ばないかも知れない。ディーンが4つの精霊石を用い、命を削って封印した魔獣を、欠けた精霊石で封じ込めることは不可能かも知れない。
(それでも、この想いだけは決して負けない。――守りたい!)
 ロイを包む光の色が次第に変化していく。ロイの意図に気付いた魔獣ザィアがそれを阻止しようと、ロイに向かって手を伸ばした。
「邪魔させはしねぇ」
 ジークが息を吐き、短剣を投げつける。寸分違わずザィアの左眼に突き刺さると、ザィアが恐ろしい悲鳴を上げた。同時に光の渦に飲み込まれていく。
「……ロイ、帰って来い。必ずだ。……待っているから」
 光の渦を見上げ、ジークは静かな声でそう呟いた。
 光に包まれていくロイの姿を、漆黒の双眸に焼き付けながら――。

 そして光が消失した後には、静寂だけが残された。
 小高い丘の上には、魔獣ザィアの姿も、ロイの姿もなかった。

「ふふふ……」
 静まり返る空気の中、楽しげな笑い声が響き渡る。
「……ヴァイラス」
 振り返り、ジークはロイの残した弓を構えた。その矢が差す先にヴァイラスが姿を現す。
「お前の大事な君はもう帰しませんよ。闇の世界から」
 もう一度、ヴァイラスが高らかに笑う。そしてすぅっと双眸を細めると、ヴァイラスはジークを見つめた。
「お前に私が射れるのか? ジークディード」
「射る」
 短く言い放ち、ジークが思い切り引いた弓を解き放つ。矢は孤を描いてヴァイラスの頬を掠めた。
 ヴァイラスが満足げに笑みを浮かべる。
「楽しみにしているよ、ジークディード」
 そう告げると、笑い声を残してヴァイラスは空へと姿を消した。


 朝陽の淡い光が、世界を染めていく。

 ロイの愛した、やわらかい風が、ジークの傍を、吹き抜けていった。




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