Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 切り札 

 第2話 もう少しだけ、恋人でいたい


 いつの間にか気を失っていたらしい。

 ――情けない。

 このところあまり眠れていなかったからかも知れない。

 視界を巡らせると、既に研究に没頭している後ろ姿が見えた。
 邪魔しないように衣服を整え、そっと部屋から抜け出す。

 何故だろう。
 涙が、零れそうになった。



「ティン?」
 廊下に出たところで、声を掛けられた。
 兄上だ。
 心臓が不気味に跳ね上がる。
「リールに何か用だったのか?」

 『リール』

 兄上だけが呼ぶ、その名前。
 俺が知らない、あいつのもう1つの名前。

「どうした?」
 兄上の意志の強そうな空色の瞳が覗き込んでくる。

 兄上は、他人に対して無頓着なところがある。親友と弟の関係など疑ったこともないだろう。
 あいつが俺を抱いていることを知ったら、さすがの兄上でも親友の裏切りには心を痛めたりするのだろうか。
 そうなったらあいつは、俺と兄上のどちらを取るのだろう。

 一瞬過った考えに、足元から崩れそうになる。
「……何でも、ない、」
 俯いたまま、そう声にするのが精一杯だった。

「おい、ティン!」
 駆け出した背中を、兄上の声が追い掛けてくる。

 振り向くことなど出来なかった。



 兄上は、あいつのことを、『リール』と呼ぶ。
 それがあいつの本名なのか。そんなことさえ、俺は知らない。
 俺が知っているのは、『フィア』という学院内で使われていた呼び名だけ。

 あいつは、何1つ教えてくれない。
 俺はというと、情けないことに訊くことさえ恐れている。


 あいつと出会ったのは、閉ざされた魔法学院の中だった。
 2歳年上のあいつは、兄上のルームメイトだった。

 学院に数ある戒律の中で、第1の塔のそれはもっとも厳しい。
 互いの素姓も卒後の行く先さえも知らせてはならない。戒律を破った瞬間、学院から追放される。
 魔法使いという存在の危険性を考えれば、止むを得ないのかも知れない。
 でも、その中で生きる俺たちにとって、それは耐え難いほど重い制約だった。

 きっと、あの日の俺は、どうかしていた。
 卒業という2文字が、どうしようもなく恐ろしかった。

 どんな形でもいい。
 あいつを繋ぎ止めたかった。

 馬鹿なことをした。
 後悔しても、もう遅い――。

 胸の奥が、軋んだ音を立てる。
 それでも、あいつを失いたくない。


 もう少しだけ、
 “恋人”でいたい――。




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