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いつの間にか気を失っていたらしい。
――情けない。
このところあまり眠れていなかったからかも知れない。
視界を巡らせると、既に研究に没頭している後ろ姿が見えた。
邪魔しないように衣服を整え、そっと部屋から抜け出す。
何故だろう。
涙が、零れそうになった。
「ティン?」
廊下に出たところで、声を掛けられた。
兄上だ。
心臓が不気味に跳ね上がる。
「リールに何か用だったのか?」
『リール』
兄上だけが呼ぶ、その名前。
俺が知らない、あいつのもう1つの名前。
「どうした?」
兄上の意志の強そうな空色の瞳が覗き込んでくる。
兄上は、他人に対して無頓着なところがある。親友と弟の関係など疑ったこともないだろう。
あいつが俺を抱いていることを知ったら、さすがの兄上でも親友の裏切りには心を痛めたりするのだろうか。
そうなったらあいつは、俺と兄上のどちらを取るのだろう。
一瞬過った考えに、足元から崩れそうになる。
「……何でも、ない、」
俯いたまま、そう声にするのが精一杯だった。
「おい、ティン!」
駆け出した背中を、兄上の声が追い掛けてくる。
振り向くことなど出来なかった。
兄上は、あいつのことを、『リール』と呼ぶ。
それがあいつの本名なのか。そんなことさえ、俺は知らない。
俺が知っているのは、『フィア』という学院内で使われていた呼び名だけ。
あいつは、何1つ教えてくれない。
俺はというと、情けないことに訊くことさえ恐れている。
あいつと出会ったのは、閉ざされた魔法学院の中だった。
2歳年上のあいつは、兄上のルームメイトだった。
学院に数ある戒律の中で、第1の塔のそれはもっとも厳しい。
互いの素姓も卒後の行く先さえも知らせてはならない。戒律を破った瞬間、学院から追放される。
魔法使いという存在の危険性を考えれば、止むを得ないのかも知れない。
でも、その中で生きる俺たちにとって、それは耐え難いほど重い制約だった。
きっと、あの日の俺は、どうかしていた。
卒業という2文字が、どうしようもなく恐ろしかった。
どんな形でもいい。
あいつを繋ぎ止めたかった。
馬鹿なことをした。
後悔しても、もう遅い――。
胸の奥が、軋んだ音を立てる。
それでも、あいつを失いたくない。
もう少しだけ、
“恋人”でいたい――。