Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 切り札 

 第4話 俺たちは恋人なんかじゃない


 頭の中は混乱し続けているのに、身体は正直なものだ。
 気が付けば、俺はその扉の前にいた。

 でも俺は、ここに来て、どうしたいのだろう。

 兄上を諌めることは、あいつにだって難しい。
 それは俺にも判っていた。

 でも、相談したかった。

 俺が立太子することになれば、今までどおりの関係ではいられなくなる。
 俺を失うかもしれないその可能性に、あいつはどんな表情を見せるのか。

 一瞬でもいい。

 困惑してほしい。
 悩んでほしい。



「どうぞ」
 その声に、心臓がどきんと跳ね上がった。
 どうやら俺が来たことに気付いたらしい。俺の目の前で、扉が音もなく開かれる。
 視線を上げると、幾筋もの蒸気の向こうに、あいつの姿が見えた。

「どうなさいました? 殿下」
 しばらくして紅茶が差し出される。俺は、震える膝をごまかしながら、傍にあった椅子に腰を下ろした。紅茶を受け取り、視線を上げる。
 研究の途中だったのだろう。彼は、長衣を腕まくりし、少し伸びた赤茶色の髪を無造作に纏め上げた格好だった。眼鏡の向こうにある薄茶色の瞳と視線がぶつかり、慌てて視線を戻した。1つ息を吸い込んでから、手にした紅茶を口に運ぶ。
 正直言うと、この部屋で何かを口に入れるのはとても勇気が要る。
 でもそんなことは、口に出して言えなかった。

 こくりと紅茶を嚥下すると、眼鏡の奥の瞳がくすっと笑ったような気がした。

「落ち着かれましたか?」
 その言葉に、ここに来た本来の目的を思い出した。
「……兄上が、」
 彼を前にそう言い掛け、突然心に迷いが生じる。

 俺の中で誰かが警告していた。

 この先は言ってはだめだ。
 言ったら、きっと後悔する。

 ――だって、知りたくないだろう?

「……あ、……な、何でもない」
 情けない。
 相談することすら出来ない。

 落した視線の先で、紅茶が小さく揺れていた。
 手が震えているからだと気付くと、無性に悲しかった。

 そう、俺は知りたくない。
 こいつの本当の気持ちなんて、気付きたくない。

 なのに――。


「……王位継承権を放棄するとでもおっしゃいましたか」
 頭上から落とされたその台詞に、心臓が止まるかと思った。
 驚きも隠せないまま、俺は彼を見上げた。
「し、知、っていたのか、」
 俺の視線の先にあるのは、俺の“恋人”の顔。
 それなのに、まるで他人事のように穏やかな表情を浮かべている。
 そして、
「ええ、3日前、直接相談を受けましたから」
 その事実は、当然のように突き付けられた。


 3日前というと、この部屋の前で兄上に出会った日だ。
 あの日、兄上はこいつに相談を持ち掛けたのか。  おそらく、誰よりも先に――。
 考えてみると、当たり前なのかも知れない。
 こいつと兄上は、塔の学院の最高峰である第1の塔の同期生、少年時代の10年間をともに過ごしたルームメイトだ。今でも互いに信頼し合っている。


「……相談を受けて、兄上を、止めようとは、思わなかったのか、」
 だめだ。
 声が震える。視界が滲む。
「止めて聞くような方ですか」
 ぼやくその言葉はもっともだけど。

 でも――。

「あ、兄上が、王位継承権を放棄なさったら――、」
「あなたが次期国王ですね」
 見開いた俺の目の前で、よろしくお願いしますとでも言うかのように、彼は僅かに頭を下げた。

 何かが音を立てて崩れていく。

「で、でも、俺には……、」

 だめだ。止まらない。
 知りたくないのに。
 知ってはいけないのに。

「俺には、お前が……」
「私が何か?」
 彼が小首を傾げて微笑んでいる。

 もう決定的だ。
 俺が王位を継ぐことを、こいつは何とも思っていない。
 こいつにとって、俺はそんな存在なのだ。

 俺たちは――、

「お前の本名だって、知らない……」

 ――“恋人”なんかじゃない。

「お知りになりたいのですか?」

 笑顔とともに告げられたその言葉には、小さく首を振って答えるしかできなかった。


 俺たちは、“恋人”なんかじゃない。

 そう、最初からずっと――。




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