TOP | ご案内 | 更新履歴 | 小説 | 設定集 | 頂き物 | 日記 | リンク |
「……知らない」
もう何度めになるだろう。
他に答えなどないのに、その質問は幾度となく繰り返された。
剥き出しの巨大な岩に囲まれた狭い地下牢。
つい先ほどまで存在すら知らなかったその場所で、壁に打ち付けられた手枷に片手を拘束された。その枷には、ご丁寧に魔法力を封じる術が施されている。そんなことしなくても、俺の魔法力がジュトに敵うはずなどないのに――。
いや、それ以前に、俺はもう完全に抵抗する気力すらなかった。
「もう一度お尋ねします。フィアの行方をご存知ですね?」
「…………知らない」
そう答えると、ジュトは深い溜め息を響かせた。
だが、どんなに尋ねられようとも答えようがない。
俺はあいつの本当の名前さえ知らないのだから。
「ご存知ないはずはないでしょう? 殿下とフィアがどういうご関係だったか、いくら私でも察しておりますよ?」
身体中、見える見えないに関わらず、あらゆる場所に昨夜の跡が残されている。堅物のジュトとはいえ、何があったか察するのは容易いのだろう。
俺の交友関係などたかが知れている。言い訳したところで何にもならない。
だがそんなことさえ、もうどうでもよかった。
視線を落したままの俺に、ジュトがもう一度溜め息を落とす。
「――付け加えるなら、“第2王子”である殿下のご境遇についても存じております」
そう告げるジュトの言わんとすることは判った。
俺は、王太子である兄上の予備に過ぎない。
幼少期は、王室から遠ざけられた郊外の館で育った。兄上に劣ることのないよう、勝ることのないよう、そう叩き込まれ、学院に預けられた。そして10年間、必死に学んだ結果、卒業時に全ての魔法力を封じられた――。
継承争いは王家の信頼を失墜させる。つまり、そういうことだ。
俺という存在は、兄上に何か起こらない限り不要なもので、王国にとってはむしろ危険を招く。
そんなこと、百も承知している。今更不服を唱えるつもりはない。
それなのに――。
「殿下がフィアに要請を? それとも殿下のご境遇を憂えたフィアから話を持ち掛けられましたか?」
もっともらしい推論が展開されていく。
真実は全く違うところにあるのに――。
「……違う。フィアは、関係ない」
そう言い張る俺の証言も嘘だ。
そんなこと、俺が誰より判っていた。
だが、現実よりずっとマシなような気がした。
この期に及んで、まだ何かを信じていたい自分がいる。
「――いいえ、無関係ではありません。お気づきではないようですが、」
そう前置きしてジュトが杖を構える。程なくしてその唇から小さな音が零れた。
音の響きからして炎を操る攻撃呪文だろう。まともに食らえばタダでは済まない。
来るであろう衝撃を理解し、瞳を伏せた。
だが――。
「……?」
ぱん、という小さな音と同時に、熱源が消失する。
驚いて開いた俺の瞳に、一瞬だけ見事に編まれた守護呪文の渦が見えた。
流れるような美しいその筆跡を、俺が見間違えるはずがない。
「これほど見事な施術、フィア以外には不可能でしょう?」
俺の考えを見透かしたようにそう答え、ジュトは改めて俺に視線を投げて寄越した。
「……どういう、ことだ……?」
「殿下をお守りするため、としか思えませんが?」
「何の、ために……?」
判らない。
どういうことだ?
あいつは俺を憎んでいる。
単なる死では贖えないほどに。
だから俺に兄上たちを毒殺させた。
肉親を殺めるという途方もなく深い罪を俺に犯させるために。
親友である兄上さえも裏切って――。
その俺を守る……?
もしかして――、この一連の出来事には何か別の意味があるのか?
停止していた思考を蘇らせようとした、その時だった。
扉の向こうで、兵士たちの悲鳴が響いた。
「ジュトさま……ッ!」
叫び声とともに見張り兵が姿を見せる。だがその直後、続く台詞を口にすることなく、胸から鮮血を溢れさせて崩れ落ちていく。
一瞬で状況を判断し、ジュトの唇が小さな音を発した。続いて鈴の音が響く。
ジュトの魔法を見るのは初めてではなかった。だが、何度も見たそれが一度たりとも本気ではなかったのだと、俺はこの時初めて知った。
速い――!
ジュトの呪文は唇から発せられるだけではない。指に結んだ鈴の音が呪文を奏でる。しかもそれぞれの指が違う呪文を編み、同時に魔法を発動させていく。
恐ろしいまでの速さだ。
飛来していく石礫が、炎を塊と化して前方に飛んだ。砂塵とともに熱風が空間を駆け抜ける。
そして、一瞬置いて衝撃音を響かせた後、霧が晴れるように視界が戻った。
――そこには、1人の男が立っていた。
その男は、王国最速を誇るジュトの魔法を片手で難なく受け止め、口元に笑みを浮かべていた。
「……くっ、くっ、くっ、」
静まり返った空間に、低い笑い声が響く。
「たわいもない」
姿を見せたその男を人と呼ぶのは幾分語弊があるかも知れない。
黒衣に身を包んだその男は、一見人間のようにも見えるが、額にもう1つ瞳を持っていた。真紅のその瞳が別の意識を持つかのように、きょろきょろと動いている。その一方で、細められた薄茶色の双眸はまっすぐに俺を見つめていた。
――目的は、俺、か……?
「……邪魔だな」
ぼそりと呟いたその声に答えるように、真紅の瞳が光を放つ。
その言葉の意味を理解したのは、その直後だった。
俺を庇うように立っていたジュトの身体が吹き飛んでいく。
一瞬の出来事だった。遥か前方で倒れるジュトはもはやぴくりとも動かなかった。
恐怖が足元から駆け上がり、全身を縛っていく。
見開いたままの俺の瞳に、音もなく近付いてきた真紅の瞳が映った。
だがそれよりも何よりも、俺は、細められた薄茶色の双眸から視線を外すことが出来なかった。
その瞳が、否応なしに誰かを思い起こさせる――。
「お初に御目に掛かる。――“切り札”の王子よ」
抑揚のない低い声がそう告げた。
――“切り札”
その言葉の意味を、俺はよく知っている。
父上と兄上が亡くなられた今、“あれ”の封印を解けるのは俺だけなのだ。
――あいつの目的が判ったような気がした。