Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 君が見せる表情 

 第2話 


「よう、随分と遅いお出ましだな。午前の授業、終わったぜ?」
 教室に入ったエルを出迎えたのは、ライの笑顔だった。
 世話好きな性格なのか、心配性なのか、事あるごとにエルにも声を掛けてくる、それがライという人間だった。屈託のないその笑顔に内心苛立ちを覚えながら、エルはその隣の椅子を引いた。

(いっそ、次のお遊びの標的にしてやろうか)

 ふと、そんな考えがエルの中に湧き上がる。
 これまでエルがどれだけひどい台詞を吐いてみても、平然と声を掛けてくるのがライだ。

(その笑顔が気に入らない。本当のお前を見せてみろよ)

 そう思い、それを知りたがっている自分に気付いて、エルは苦笑した。
 だが実際は、ライを標的にすることは困難だろう。全ての魔法を無効化させる空間を作り出して、そこにライを閉じ込めたとしても、ライの能力を封印することには繋がらない。第1の塔に所属しているにも関らず、ライの魔法能力はあまり高くない。そうして、その剣術は卓越しているのだ。


「……誰?」
 椅子に腰を下ろして初めて、エルは教室に見慣れない人間が混じっていることに気付き、そう声にした。
 第1の塔においては、これまで減ることはあっても、同期生が増えたという話は聞いたことがなかった。それなのに、教室に2人も知らない少年がいた。
「ああ、俺も驚いた。編入生だってよ」
 怪訝そうに首を傾げるエルに、ライがそう説明を加えた。

 1人は見たこともない容姿をしていた。シアと呼ばれたその少年は、長い白髪に透き通るような白い肌、そうして空を見つめる灰色の瞳を持っていた。説明によると、その瞳は殆ど見えていないとのことだった。物音1つ立てない、静か過ぎる動作は、容姿と相まって湖に張る薄氷のような印象を与えた。
 心に深い闇がある――。
 そう感じ取って、エルはくすり、と笑った。

 もう1人も何処か異質な空気を纏っていた。そもそも第1の塔に編入すること自体がかなり特殊なことなので、普通の少年ではないのだろう。だが、セイと呼ばれたその少年は、少し小柄で痩せこけた印象を与える他には、シアのような特別変わった外見を持つわけではなかった。

「……ふうん」
 そう呟きながら、エルは退屈そうにセイを観察した。

 だが、次の瞬間、エルは身動き1つ出来なくなった。

 じいっと見つめるエルの視線に気付いて、セイが振り返った。

 視線が合った。
 ガラス玉のような、栗色の瞳が、エルの中を、覗き込んだ。
 その瞬間、エルの意識は、過去へと攫われた。

 抵抗することすら、出来なかった。



 無数の手が、薄衣の中に入ってくる感覚。
 生温かいそれに、身体中を撫で回された。
 あの時、僕は何かを叫んでいたような気がする。
 嫌だ、とそう思ったような気もする。
 それすらよく判らない。

 誰かが足首を持ち上げた。拡げられた内腿の間に誰かがいた。
 一瞬、恐怖を感じたような気もする。
 次の瞬間、何かが身体の中に捻じ込まれた。
 身体を引き裂かれるような激痛に、僕は悲鳴を上げたか?
 それとも、意識を失くしたのか?

 判らない。覚えていない。

 痛い。痛い。痛い。
 そうして、笑い声だ。
 何となく、それだけは覚えている。

 夜ごと繰り返される饗宴の中心で、
 僕は何を考えていた?


 だが、あまりに突然、光の中に引き摺り出された。

 『こんな幼子に、なんてひどいことを』
 『おぞましいことだ』

 与えられたのは、憐れみと、嘲りだった。

 あの日、僕は、それまでの自分の全てを、否定された。



「――――ッ!」
 がたん、と大きな音を立て、エルは立ち上がった。だが次の瞬間、全身から汗が噴き出し、血の気が急速に足元に落ちていく感覚に、エルはその場に崩れ落ちた。
「エル!?」
 ライの声がそう叫んだ直後、エルは意識を手放した。


 ずきん、激しい頭痛とともに、エルは瞳を開いた。歪む視界の中、そこが自分の部屋だと気付き、エルはひとまず安堵の息を吐いた。窓から夕陽が射している。いつの間にか夕刻になっていた。

 教室にいたはずだ。
 倒れた身体をライが受け止めてくれたのを覚えている。
「……ライが、運んだのか……?」
 何故倒れたのだろう。
 そう思い巡らせ、エルは身体を強張らせた。
 冷たい汗が、エルの背中を流れ落ちた。

 視界が歪んだ。
 涙が溢れた。
「知りたく、なかった……」
 そう呟いて、エルは両手で顔を覆った。

 あの饗宴の中心で、僕は何も思わなかった。
 『可哀想』で、『酷く』て、『おぞましい』、そう言われたあの行為に、僕は何も感じていなかった。
 本当に、何にも考えていなかった。
 悪いことだと、そう思わなくてはならない。傷つけられたのだと、そう感じなくてはならない。
 それなのに――。
 そう感じることさえ出来なかった。

 僕は、狂っている。
 傷つくことも、傷つけることも、判らない。

 これから僕はどうなるのだろう?
 そう理解したとき、初めて、怖い、そう思った。

 暗闇に還りたい。
 いっそ、灰になって、消えたい。


 声を上げそうになったその時だった。
「……!?」
 微かな物音に、エルは瞳を見開いた。
 同室者がいないはずの部屋に、誰かがいた。
 涙を拭いながら、エルはそのシルエットを凝視した。

 一番、会いたくない人物が、そこにいた。


 薄灰色の瞳にセイの姿を映して、エルの鼓動は早鐘のように鳴った。それを抑え込むように1つ息を吐いて、エルはゆっくりと身体を起こした。
「……もしかして、僕と同室?」
 エルの問いに、セイがこくり、と頷く。
「気の毒だね。僕の噂、聞いただろ?」
 くすくす、と笑ってみせて、エルはそう声にした。
「初めまして。僕はエル。――それ以上の自己紹介は要らないよね、覗き屋さん」
 くすくすくす、エルの笑い声だけが、狭い部屋に響く。
 そんなエルの様子を見つめるセイの瞳が微かに揺らめいた。

「何故、笑う?」
 初めて聞いたセイの声に、エルの表情から一瞬だけ笑顔が消えた。
「……何故笑う? それは僕が聞きたいね」
 そう答えて、エルは一度瞳を伏せた。
「……後悔させてあげる」
 再び開いたその瞳が、淡紅色を帯びていく。
 閉ざされていく空間を見つめながら、エルはふふ、ともう一度笑った。
 そうして、セイの腕を掴んで、寝台へと引き摺り込んだ。

 寝台の上、セイのガラス玉のような瞳がエルを見上げた。
「何故、笑う? つらいなら、泣けばいい」
「つらい? 僕が?」
「――泣いていた」
 無表情なセイの顔が、少しだけ哀しげに曇る。ガラス玉のような栗色の瞳が、エルの真実を映し取ろうとする。
「幼いお前は、」
「――黙れ」
「泣いていた」
「黙れ、黙れよ!」
 両手でセイの口を塞ぎ、エルはセイを見下ろした。肩で大きく息をすると、なおも見つめてくる栗色の瞳と視線がぶつかった。

 セイが何を言いたいのか、判らなかった。聞きたくなかった。

 泣いていた、だと?
 泣いてなんかいない。僕は何にも感じていなかった。
 そのことを判らせたのは、お前だ。

 慰めるつもりか?
 つらかっただろう、泣いてもいいんだ。
 そう言いたいのか?


「お前も視ただろ? 僕は何も感じなかった」
 言葉にすると、不思議な安堵感がエルを襲った。
「そう。何にも感じなかったんだよ」
 くすくすくす、と笑顔がエルに戻ってくる。
「同じ目に合わせてやるよ」
 そう宣言して、エルはセイのベルトに手を掛けた。
「そうして、笑ってやる」
 痩せたその身体を抑え込んで内腿を曝させると、セイは一瞬身体を強張らせた。
 ズボンが絡まる両脚を開く。その間に身体を滑り込ませ、エルはその細い腰を掴まえた。
「人を傷つけても、平気なんだ」
 そのまま一気に押し入ると、セイは声にならない悲鳴を上げた。

 くすくすくす……。
 途切れる悲鳴の中に、エルの笑い声が響く。
 ただ、セイの上に落ちた透明な雫だけが、エルの真実を告げていた。

 この日、エルは初めて、自分で他人を犯した。
 傷つける痛みなど、理解したくはなかった。




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