Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 君が見せる表情 

 第3話 


 掠れた声で、セイは何かを伝えようとしていた。

 聞きたくない。
 聞きたくなかった。

 だから、出来るだけひどいやり方で、セイを犯した。
 その口から悲鳴と嗚咽しか上がらなくなることを願いながら。

 それでも、セイは何かを声にしようとした。

 聞きたくないのに――。

 そして気が付けば、いつの間にか
「黙って……」
 そう懇願していた。

 ガラス玉のような瞳を一瞬見開いて、そうして、セイは口を閉ざした。

 それから、セイの声を聞くことはなくなった。
 そしてやっと胸を撫で下ろすことが出来た。



「うわっ、」
 そう叫んだのは、ライだった。
 いや、思わず声を上げたのは、他にも何人かいたかも知れない。
 教室にいたほとんどの生徒が、驚きの光景に目を丸くしていた。
「……あいつ、喋れたんだ……」
「セイの声、初めて聞いたよ……」

 それは、セイが編入してから、2年近い月日が経った日のことだった。
 初めての実技試験だ。
 言葉を話せないセイがどうするのか、回ってきた順番に一同は固唾を呑んでいた。
 そうして、皆が見守る中、セイはさらさらと呪文を唱え、見事に魔法を発動させた。

「でもまあ、良かったな。呪文を声に出来なくて、どうやって魔法使いになるのかと心配してたぜ」
 どよめく教室で、ライはふうっと安堵の息を落とした。音以外にも魔法を発動させる手段はある。実際、大昔には声を失くした魔法使いも存在していたらしい。だがそれは途方もなく困難な道であった。安堵の息を落とすライの表情は、真剣にセイを心配し、無事呪文を唱えられたことを心底喜んでいる様子が窺えた。

 ライらしい、そう思いながら、エルは胸の奥に何かが渦巻いていくのを感じていた。

「……最初から喋れるよ、あいつ」
 幾分低いトーンで、エルはそう声にした。
「そうか、お前、同室だよな。何だ、セイの奴、部屋では喋るのか。人前で話すのが苦手なだけなのか?」
 そう答えるライの顔は、とても嬉しそうだった。

 実は、『エル』がセイと話していたということの方が、ライの心を弾ませていた。セイのことももちろん心配だったが、ライにとっては、いつも何処か危ういエルの方が何倍も気掛かりだった。だが、この2年は以前と比べるとあまりエルに構っていなかったのも事実であった。ソイが第1の塔を去ったためか、何やら影で行っていた悪い遊びも止めたようだし、表面上ライの目には、エルは落ち着いたように見えていた。そうして、その変化がセイという無口で無表情な同室者によってもたらされていたのだとそう理解して、ライは心を弾ませていた。
 だが実際は、自傷癖の激しい新しい同室者シアに気を取られ、この2年、ライはエルの本当の変化に全く気付いていなかった。
 そうして、後になって、そのことを厭というほど思い知らされることになる。


「……喋れたよ、最初は。おしゃべりなくらいに。……セイが言葉を話さなくなったのは、僕がセイを壊したからだ」
 かたん、と席を立ち、教室を後にして、エルは独り小さな声でそう呟いた。

 そう、僕が壊した――。
 ひどいやり方で、セイを犯した。
 あの日から、セイは言葉を失くした。

「ふふふ……。何だ、声、出せるんだ……」
 2年ぶりに聞いたセイの声は、以前よりずっと低い声になっていた。それでいてあの時と同じ、抑揚が少ないくせによく響く声だった。この2年で、セイの身長もぐんと伸びた。痩せこけた小さな少年は、すらりとした長身へと姿を変えていた。
 それなのに、あの夜の小さなセイの姿が、エルの瞳から消えることはなかった。
「もっと、壊さなきゃ、ね……」
 ふふ、とそう声にして、エルは笑顔を浮かべようとした。
 だが、笑顔になりきらないうちに、ふうっと意識が遠のいていった。


「エル!」
 床に崩れるエルを抱き止めたのは、ライの腕だった。
「お前、どうした?」
 心配そうに覗き込んでくるライに、エルはぼんやりと視線を送った。
「……ははは。馬鹿みたいだ」
 くすくすくす、とエルが笑みを零す。その様子を見つめるライの表情が、険しいものへと変化した。
「エル、」
「ふふふ、心配ないよ」
「……それが心配ないって表情(かお)か」
 ふうっと大きな溜め息を落として、ライは腕に力を込めた。

 何……? どういう意味だ?
 表情(かお)……?
 僕は今、どんな顔をしている?
 笑っている。笑っている、はずだ。

「悪いけど、俺の荷物頼むわ。こいつ、送ってくから」
 エルを抱え上げながら、ライは背後にそう声を掛けた。
「――判った」
 そこには、シアの姿があった。ライの荷物を肩に掛けて、シアは静かに頷いた。
「……シア?」
 ライの肩越しに見えたシアの姿に、エルは瞳を大きく見開いた。

 シアは、やわらかく微笑んでいた。
 瞳を細め、口元を綻ばせて、静かに笑っていた。
 それは、エルが知っているシアの姿ではなかった。

「何故……、」
 言い掛けて、エルは口を閉ざした。

 同じ暗闇を持っている――。そう感じていた。
 それなのに、今のシアには光が射し込んでいるかのように思えた。

「そんなの、認めない……」
 認めてなんかやらない。
 ライに支えられながら、エルはぽつりとそう呟いた。
「え? 何か言ったか?」
 ライの問いに、エルは首を左右に振って答えた。
 そうして、口元にだけ微かに笑みを浮かべた。



「シア、ちょっといいかな?」
 1人になったところを見計らって、エルはシアにそう声を掛けた。
 この計画を立ててから気が付いたことがあった。ライは、べったりといってもいいほどシアの傍にいた。それは、まるで監視しているかのように思えるほどだった。
 そのライが教授に呼び出された。成績の良くないライのことである。先だっての試験のことだ。それはエルにも容易に推測出来た。

 いずれにせよ、これはチャンスだった。

「……エル?」
 振り返ったシアの瞳は、何処か空を見ていた。何不自由なく生活しているようだが、実際ほとんど見えていないのだろう。その証拠に、エルの隣で気配を殺しているソイの存在には気付いていないようだった。
「話したいことがあるんだけど」
 そう告げて、エルはシアの腕を取った。
「…………判った」
 少し考えて、シアはそう答えた。
 その答えに、エルは心の中でだけ、ふふ、と笑みを零した。


 とん、とシアの背中を押して、図書館の中に押し入れると、エルは後ろ手で扉を閉ざした。
「エル?」
 少し高めのシアの声が、静かな図書館に響く。その声に微かに動揺の色が混じったのを感じて、エルはくすくす、と笑った。
「話って……? ソイ、も?」
「何だ、気付いてたのか」
 シアの口から出たその名前に、ソイは黙っていた口を開いた。そうして、エルの背後から一歩前に進み出て、ソイはシアの耳元に顔を近付けた。
「気付いててついて来たんだ? シアってば綺麗な顔して好きモノなんだな」
 シアの髪を手に取り、その感触を楽しみながら、ソイは楽しげに笑みを零した。
「なあ、ライとはもうヤッた?」
 下品なその問いに、シアが眉を顰める。その様子を見て、ソイはもう一度声を出して笑った。
「その反応だと、意味は知ってるようだな。……じゃ、ヤらせてもらおうか」
 その笑い声が、増えていく。
 1人や2人ではない人数の笑う声が、図書館に響いた。
 その笑い声とともに、本棚に潜んでいた少年たちが姿を見せた。

「これはまた……。噂以上だな」
「すげぇ上玉じゃん」
 シアの姿を見て、感嘆の声が上がる。その様子を見つめながら、エルは事も無げに集まった人数を数えた。
「……6、7。……結構集まったな」
「何たって、『シア』だからな。白髪美人のシアってな有名だぜ? ま、『シン』先輩連れて来てくれりゃ、2桁は集めてやるけどな」
 そう言って笑い、ソイはエルをじいっと見つめた。
「で、何の心境の変化? 遊びには厭きたんじゃなかったのか?」
「別に」
 短く答えて、エルはつまらなそうに椅子を引いた。そうして、背もたれの上に腕を置き、シアの方へと視線を向けた。
 薄紅色を帯びていくエルの瞳に、抑え付けられ衣服を剥がれていくシアの姿が映った。

 そうして、それは、ほんの一瞬の出来事だった。
 空間が閉ざされる直前、互いの心が、互いの心の奥を掠めた。


 大きな男たちに手足を抑えられ、連れ去られる少年の姿が見えた。
 シアによく似た少年だ。
 何処だろう、狭くて暗い場所から、その姿を見送っている。
 扉を押さえる両手ががくがくと震えていた。
『兄さん――!』
 泣き声を殺して心の中でそう叫んでいるのは、シアだ。

 場面が変わる。

 無数の手に抑え付けられる。
 両脚を大きく開かれ、後ろから抱えられるようにして男に嬲られていく。
 次々と繰り返される行為。
 饗宴の中心にいるのは、エルだった。


「あ、ああ……ッ、嫌だ、……いやぁ――ッ!」
 突然、エルの意識の中に、シアの声が飛び込んで来た。
 見開いたエルの瞳に、図書館の光景が映った。

 どっと冷たい汗が噴き出してくる。
 組んだ両手を爪が食い込むほど握り締めて、エルはそれに耐えた。


 シアの白い脚ががくがくと震えていた。
 机の端に仰向けに寝かされ、両手足をそれぞれ抑え付けられて、シアは犯されていた。
「……きっつ、……初モノだぜ」
 一番乗りをせしめた先輩が、何処か嬉しそうに声を零した。
 確か第2の塔の寮長だったと記憶しているその表情は、いつか見たすました顔ではなくて、欲望を顕にしたものだった。

「い、痛、い……ッ、やぁ……ああ、」
 シアの涙声が、その欲情を誘う。
「は、あ、……いいぜ、……お前、」
 狭いシアの中に押し入って、締め付けてくるその感覚に僅かな痛みと想像以上の快楽を覚えて、先輩の声が上ずった。苦痛に耐えるシアの背が弓なりになり、全身ががくがくと震えた。大きく見開いた綺麗な瞳から涙が止め処なく溢れてくる。
「あ、ああ、いや……ぁ、……もう、やめ……、あ、」
 そんなシアの懇願の声すら欲情を煽り、手足を押さえていた少年たちが喉を鳴らした。誰かの指が、白い肌を滑り始めた。反らされた胸の突起を誰かの舌が触れた。
「あ、いや、だ……、あ……ッ」
「いい、すげぇ」
 動きが激しさを増していく。
 高く上げられた白い脚が、びくんびくん、と揺れていた。


「シア。暗闇を思い出しなよ」
 爪が食い込んだエルの腕から、赤い血が滲んだ。
 それでも、エルはくすくす、と笑みを浮かべていた。

 ただ、エルの動きに合わせて、時折、椅子がきぃきぃ、と哀しそうに音を立てた。




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