Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 君が見せる表情 

 第4話 


「……暗闇だ」
 そう呟いたエルの瞳には、ぐったりと横たわったままのシアの姿があった。
 片袖だけかろうじて絡みついた上着を除けば、シアはほどんど全裸に近い姿だった。その白い肌は、埃と血液と精液に汚されていた。開かれたままの白い内腿を見るまでもなく、何があったのかなんてすぐ判るだろう。
 先程まで繰り広げられた惨状を思い出し、エルは小さく首を振った。そうして、何かを否定するように、口元にくす、と笑みを浮かべてみせた。
「暗闇だよ、シア。……深くなるんだ、何処までも」
「――違う」
 間髪入れず返されたその声に、エルは瞳を見開いた。その瞳の中で、床に流れていた白い髪が揺れた。そうして、空を見つめていたシアの瞳が、エルへと向けられた。

 シアが、エルを視(み)た。
 その時だった。

 ばん、という大きな音が響いた。
 ライの姿が、そこにあった。

「遅かったね、ライ」
 ふうっ、と大きく1つ息を吐いて、エルはそう声にした。そうして、口元に笑みを浮かべてみせて、ライを見上げた。大きく目を見開いたライの姿が、エルの瞳に映る。
「…………お前、何を、した?」
 やっと出たライの声は震えていた。
「何だ、見て判らないの?」
 そんなライの様子を見上げたまま、エルはもう一度くすり、と笑った。
 そうして、
「輪姦したんだよ。シアを」
 エルは事も無げにそう言い放った。
「――エルッ!!」
 その声とともに、エルの身体は吹き飛んだ。

「……乱暴だな、ライ」
 床に膝をつき、頬に手を当てて、エルはそう呟いた。そうして、シアの元へと駆け寄るライの姿を見ながら立ち上がると、エルは踵を返した。
「…………待て、エル」
 背を向けたままのライの声が、エルの動きを止める。
「他人(ひと)を傷つけて、何故笑う?」
「笑う? ……楽しいからさ」
 そう答えて、エルはもう一度くす、と笑った。
「嘘吐け」
 そう告げるライの言葉に追い詰められるような気がして、エルは眉を顰めた。
「痛いんだろう?」
 エルを振り返り、ライは胸元を押さえた。そのライの視線を追い掛けてみて、エルは自分の指が胸元を押さえていることに気付いた。
 つきん、何かがエルの胸を突き上げてくる。
「……僕には判らないな」
 何とかそう声に出来て、エルはふうっと息を吐いた。
 判らない。そう、判らないはずなのだ。
「いい加減、気付けよ、エル」
 ライの声が、エルに詰め寄る。
 その言葉を打ち消すように高らかに笑うと、エルはその場から姿を消した。



 どうやって部屋に帰ってきたかもよく判らないまま、エルは寝布の中で手足を小さく丸めた。夕陽が落ちた部屋は、どんどん暗さを増していく。そうして、真っ暗になったその部屋で、エルはようやく安堵の吐息を漏らした。
 このまま、2度と光が射さないことを強く願いながら、それでいて心の何処かで何かを求めている。それには気付かないふりをしながら、エルは息を堪えた。そうして、ざわざわと落ち着かない身体を何とかしようと、エルは小さく丸めた手足をさらに引き寄せた。

 耳の奥には、シアの悲鳴が残っていた。
 瞳を閉ざすと、シアの涙が見えた。

 つきん、とまた何かがエルの胸に込み上げて来る。それに耐えるように、エルは両手で胸元を握り締めた。
「……痛い、のか……?」
 誰に問うわけでもなく、エルはそう呟いた。そして、その全てを否定しようと、エルは胸元を握り締めた指先に力を込めた。

 『つらいなら、泣けばいい』
 何度も頭の中で繰り返されるのは、あの日のセイの言葉だった。

「つらい……? 泣く?」
 関節が白くなるほど握り締めたエルの指が、カタカタと小さく震え始める。その震えが、次第に身体中に拡がっていくのを感じ、エルは無理矢理笑い声を上げてみた。
「はは……は、」
 だが、何とか笑ってみたものの、その声すらも震えてしまい、エルは唇を噛み締めた。泣いたら楽になるかもしれない、ふとそんな考えがエルの中を過る。

 だが、泣き方なんて、判らなかった。

 寝布に包まったまま、両手で震え続ける身体を抱き寄せて、エルはただ息を殺した。


 誰かが、エルの背中をとんとん、と叩いた。微かな子守唄がエルの耳に届いた。
 セイの声だった。

 いつの間にか、震えは収まっていた。
 代わりに、閉ざしたエルの灰色の瞳から涙が零れた。



 全てを包み込むように、時は流れた。
 半年ほど掛かったが、シアは微笑みを取り戻した。それがライの尽力だということはエルにもよく判った。だが、もう2度とシアを傷つけたいとは思わなかった。

 相変わらず、セイが笑うことはなかった。呪文以外の言葉を口にすることもなかった。
 ただ時折、ガラス玉のような栗色の瞳で、セイはじっとエルを見つめた。

 エルはといえは、相変わらずくすくす、と笑みだけを零していた。


 そしていつしか最高学年になった。
 卒業、という言葉があちこちで囁かれ始めた。


「卒業、か……」
 張り出されたその紙を見上げながら、エルはそう呟いた。その紙には、卒業を許された者たちの名前が記されていた。リュイの名前を筆頭に現在第1の塔の最高学年に所属している10名全ての名前があった。
 その紙をじっと見つめるエルの視線は、3番目に書かれた『セイ』の名前から動くことはなかった。

 あと何ヶ月もしたら、確実に離れ離れになる。
 そのことは、エルの心を軽くするはずだった。

 セイの表情が、セイの言葉が怖くて、セイを犯した。セイを壊した。
 表情を失くさせた。言葉を失わせたのだ。

 それでもまだ、心の何処かで怯えていた。
 その日々がもうすぐ終わるのだ。

 それなのに、何故だろう。
 奇妙な感覚が、エルの中を支配していた。
 それは、焦燥と呼ぶに近い、不思議な感覚だった。


 部屋に帰り着き、エルはもう一度小さな溜め息を零した。そうして、後ろ手に扉を閉ざしながら、部屋の中を見渡し、驚きの表情を浮かべた。
「――え?」
 セイがいた。だが、いつもの定位置ではなく、寝台の上、しかも寝息を立てている。
 珍しい光景だった。
 大抵、セイは夜遅く、朝早い。感情を見せないその表情と合わせると、それはエルとの間に見えない境界線を引いているように思えた。そしてそのことは、エルを幾らか安堵させていた。だから、初めて見る無防備なセイの姿に、エルは心の中で激しく動揺した。
 開いたままの窓から、冷たい風が入ってくる。少しくせのある黒髪が、閉ざしたセイの目蓋の上で揺れていた。微かに開いた唇から浅い吐息が零れていた。その姿を瞳に映し、どくん、と鼓動が跳ねるのを感じて、エルは思わず息を呑んだ。

 一瞬、何を考えていたのだろう。

 触れたい。そう思った。

 エルの視界に、セイに向かって伸ばしたままの指先が映った。慌てて、エルはその指先を握り締めた。

 声が、聞きたい。
 笑顔が、見たい。

 そのどちらも拒んだのは、エル自身だというのに。

「僕は、何を、考えている……?」
 握り締めた指先を見つめながら、エルはそう呟いた。そうして、ゆっくりと時間を掛けて、セイの髪に触れた。たったそれだけのことで、どくん、どくん、と鼓動が早鐘のように鳴った。
「セイ……、」
 一言だけそう声にして、エルは唇をぎゅっと噛み締めた。そうして、逃げ出すように部屋を後にした。



「受けます」
 もう一度足を踏み入れた学院長室で、エルはそう答えた。
 それは、昼間告げられた提案に対する、エルの答えだった。
「個人的には、まだお前をここから出したくない。お前の力がどうこうというわけではなくね」
 去り際に学院長にそう告げられ、その奥に隠された意味に気付いて、エルは少し驚いた。
 だが、決意を翻すつもりはなかった。

 何が何でも、一日でも早くここから出て行きたかった。
 そうして、全てを終わりにしたかった。

 そのために、リュイを利用する。カイが姿を消したことでリュイは不安になるだろう。そこに付け込み、リュイをたぶらかし、リュイの心を奪う。それが出来たら、この学院から解放してもらえるというのだ。ありがたい条件だ。この機会を逃すことはない。だが、そのことによって、リュイは永久にカイと会えなくなる。
 つきん、とまた何かが胸に突き上げるのを感じて、エルは苦笑した。


「――エル、」
 学院長室の扉を閉じたところで、そう声を掛けられ、エルはびくり、と身体を震わせた。そうして、口元に笑みを乗せて、声の主を振り返った。
「何? シア。卒業前にもう一度痛めつけてほしいの?」
 そう告げて、エルはくすくす、と笑った。
「……伝言を、頼みたい」
 少しだけ表情を曇らせて、シアは言葉を紡いだ。
 静かな声だった。
 その言葉は搾り出されるように、一言一言、しっかりと告げられた。
「『やらなきゃいけないことがある。それが片付いたら、何処にいても、世界の果てまででも、見つけてみせる』 ……そう、伝えて欲しい」
 そう告げるシアの言葉を一声も逃さず聞き遂げて、エルはふうっと息を吐いた。
「それ、僕がライに伝えるとでも?」
 くすくす、と笑いながら、エルはシアを見つめた。だいたい何故自分に伝言を頼むのか、エルには全く理解できなかった。自分ほど不適任な人間はいないだろう、そう思うのはエルだけではないはずだ。
 だが、そのエルの瞳の中、シアはふわりと微笑んだ。そうして、何かを決意するようにきゅっと唇を噛み締めると、シアはその場から姿を消した。
「待て、シア」
 思わず伸ばしたエルの手が、空を切る。
「……伝えてくれるよ、君は」
 そう告げるシアの声だけを残して、その日、シアは学院からいなくなった。

 その日、学院から姿を消したのは、シアの他にもう1人いた。
 カイである。

 そうして、エルは、優しくリュイを陥落していった。


「大丈夫? リュイ」
 優しくそう声を掛けると、リュイは大きなその瞳からぽろぽろと涙を流した。
「……怖いんだ」
 そう呟くリュイの瞳から、また涙が零れた。
 不思議そうにその涙を見つめて、エルはリュイにそっと口付けた。
 つきん、つきん、と何かがエルの胸を突き上げる。その全てを否定するように小さく首を振ると、エルはリュイの身体を寝台の上に押し倒した。
 出来うる限り優しく、リュイの衣服を肌蹴ていく。17歳になったというのに幼すぎるリュイの身体は、エルの下で僅かに震えていた。その瞳が戸惑いに揺れているのは、エルにも見て取れた。
「考えないで」
 そう命令して、エルはリュイの肌にそっと触れた。

 そう。何も考えることはない。
 このままリュイを抱いてしまえば、目的は終わりだ。
 この学院から出て行く。
 そうして、2度とセイには会わない。

 早くしなくてはならない。
 セイを傷つけてしまう前に。
 自分が何かに気付いてしまう前に。

 なのに、何故だろう。リュイの肌を犯していく指先が震えてしまうのに気付いて、エルは心の中で苦笑した。

「ごめ、ん、……エル」
 エルの下で、リュイがそう告げた。
「僕、カイが、好き……」
 そう付け足して、リュイは震える両手でエルの胸を押し返した。
「……僕には関係ないと言ったら?」
 エルの言葉に、リュイの瞳に怯えの色が浮かんだ。
「出来れば無理強いはしたくなかったんだけどね」
 そう言葉にして、エルはくすくす、と笑った。そうして、灰色の瞳に薄紅色を帯びさせると、エルはその場を閉ざした。その瞬間、心の奥底に触れられた、そう感じて、エルは瞳を細めた。
 別に初めてのことではなかった。
 セイに会ったときには、一瞬で心のずっと奥まで覗き込まれた。シアも何かに触れてきた。

「……何、視たの? リュイ」
 くすくす、と笑いながら、エルはリュイを見下ろした。だが次の瞬間、一瞬言葉を失った。
 リュイは泣いていた。
 春の陽だまりのようなその瞳から、大きな涙をぽろぽろと零れさせていた。
「これ、きっと、エルの涙だ……」
 泣きじゃくりながら、リュイはそう告げた。
「痛いよ……。セイを傷つけた痛みだよ。痛いって、そう言ってるよ。……判って」
 リュイがそう説明を加えていく。
「大丈夫。傷つけることしか出来ない人なんていないもの」
 最後にそう言葉にして、リュイはエルをぎゅっと抱き締めた。

 何……?
 何を言っているんだ?

 リュイの腕に抱き寄せられながら、エルは小さく首を振った。寝布に置いたままの指先がまた震え始める。その指先をぎゅっと握り締めて、エルは笑い声を上げた。そうして、リュイの脚に手を掛けた。リュイの身体がびくん、と反応する。
「嫌っ!!」
 リュイが思わずそう叫んだ。くすり、と1つ笑みを零して、エルは片手で難なくリュイの膝を抉じ開けた。

 簡単なことだ。
 あと少しで、全て終わる。

 次の瞬間、ぱぁん、という衝撃音とともに、エルの空間が破られた。
 だが、それがリュイの最後の抵抗だった。


 くすくすくす、とエルの笑い声が響いた。瞳を細めて、エルはリュイを見下ろした。
 ただ、指先だけはまだ小さく震えていた。

 その時だった。
 ガツン、という音が響いた。それは、扉が叩き壊された音だった。

 セイが、そこにいた。




Back      Index      Next