TOP | ご案内 | 更新履歴 | 小説 | 設定集 | 頂き物 | 日記 | リンク |
―試験1―
「はあぁ……」
これで何度目になるだろう。
口を開くと溜め息ばかり零れてしまう。
溜め息は、カイの専門なのに……。
その原因の大半が自分にあることは判っていたが、それはこの際無視する。
今、カイがこの場にいないのが悪い。
僕を、抱かないのが悪い。
だから、質問にも答えようがない……。
「なあ、教えろよ、リュイ。どんな顔してカイに抱かれてんの?」
図書館で本を探していたら、突然声を掛けられた。
驚いて顔を上げたら、本棚へと押し付けられた。
不幸なことに、専門書が並ぶそのコーナーの近くには、他に人影はなかった。
何処かで見たことのある顔だ。ずっと昔、第1の塔にいたような気がする。
しつこいくらいに問い掛けられる。
その度に溜め息を落とすしか出来ない。
だって、僕は知らない。
カイは、僕を抱かない。
『星祭の集い』の夜、カイに「好きだ」と告げた。カイは頷いて、キスしてくれた。
学院中が知っている。
カイと僕は、恋人になった。
時間が流れるのは早い。
あれから1年近くの時間が経った。僕たちは最高学年になった。来週からは卒業試験も始まる。
抱くということがどういうことかも、僕なりに勉強した。正確ではないかも知れないが、今では多少なりの知識もある。
でも、カイは僕を抱かない。
何故かなんて、そんなこと知らない。
――――訊ける訳がない。
「何、リュイ苛めてんの? ソイ」
もう一度溜め息を落としたところで、別の声が割って入ってきた。エルだ。
エルが告げたことで、さっきから絡んでいた人のことも思い出した。
そう、ソイだ。
明るい金髪に茶色の吊り目。間違いない。
もっとも記憶にあるソイは、少年の姿で、苛めっ子のままだったけど。
いつの間にこんなに大きくなったのだろう。
だが別に不思議なことではない。僕だって次の誕生日を迎えると17歳になる。
華奢な自分と違って、ソイは手足も大きく、肩幅も随分と大きくて、とても同じ歳とは思えなかったけど。
「何だ、エルか」
ソイの声に顔を上げる。
助かった、そう素直に喜べないのは、エルという人物を良く知っているからである。
見た目は美人だが、その性格はかなり破綻している。何を考えているのかよく判らない。
エルは第1の塔の同期生の中で一番関わり合いたくない相手であった。カイにも「近付くなよ」と念を押されたばかりである。
「……ふうん、ソイはリュイを抱きたいってわけか」
上から下まで舐めるように見つめた後、エルはアッシュブロンドの長髪を掻き上げてそう言った。
そうして、
「趣味悪いね、ソイ」
溜め息とともにそう付け足す。
何だか悪い予感がする。
早くこの場を離れた方がいいような気がした。
そう考えて、口の中で小さく呪文の詠唱を始めた。
「あれ、察しがいいね。いつもぼーっとしてるお人形さんにしては」
エルが笑う。次の瞬間、薄い灰色の瞳と視線がぶつかった。
その瞳が、薄紅色を帯びていく。
しまった。
そう思ったときには、既に手遅れだった。
発動しかけた呪文が消失するのを感じ、嫌な汗が噴き出した。
エルの空間に、囚われていることを認識する。
「リュイは知ってるよね。僕の得意魔法。いや特異体質、といった方がいいかな?」
知っている。
エルの作り出す空間は、全ての魔法を無効化する。
かなり厄介な代物だ。
「さあ、イイコトしようか」
くすくすと笑うその声に、ぞくり、と恐怖を感じた。
―試験2―
夕暮れ時の図書館には、少なからずの人がいた。
それでも、誰も気付かない。こちらの声は届かない。
それが、エルの作り出す空間――。
その噂は聞いたことがあった。でも、囚われるのは、初めてのことだった。
後退ろうとしたところを、エルに右手首を掴まれる。抵抗しようと力を込めてみるが、その手首は難なく背中へと捩じ上げられた。
「……痛いっ!」
そうして、だんっという鈍い音とともに、本棚に身体の前面を押し付けられた。
怖い……っ!
身体中に恐怖が走る。
「何を、するつもり?」
カチャっという金属音に、背後から伸びてきたエルの手が、ベルトを外しに掛かっていることに気付いた。
「何って、抱くって言わなかったっけ?」
耳の後ろから、エルの笑い声が聞こえる。
抱く……?
ここで?
僕を……?
「こ、恋人同士がすることだろう?」
足が竦む。声が震える。
それでも、かろうじて自由がきく左手で本を掴み、投げつけようと試みた。
だが、その手首は、もう一つの大きな手によって抑え付けられ、抵抗は失敗に終わった。
「恋人同士じゃなくでも出来るぜ?」
ソイの舌が、項を這う。
「ひ、あ……っ!」
ざらりとしたその感覚に、思わず声が漏れた。
怖い、怖い……!
本で読んだ。
肌で愛を確かめ合う、そして身体を繋ぐ行為。
未だよく理解できないこともあったけど、カイの肌に触れたい、そう思った。
カイに触れて欲しい、とそう思った。
でも、これは、違う!
「何で……、こんな、こと、するの?」
上着を剥がれる。露にされた肩を舌が這う。滑り込んできた指先が胸の突起を掴む。
「あぅ……っ!」
膝が震えた。力が抜け、崩れ落ちるところを、脇から回されたソイの腕に支えられた。
そのまま本棚に縋りつくような格好で、膝立ちにさせられる。
ズボンが引き摺り下ろされる。
「綺麗なお人形さん、ねぇ、強姦って言葉、知ってる?」
耳朶を甘噛みして、エルがそう告げた。
「教えてあげるね」
くすくすと笑う声が聞こえる。
「いやぁ――あっ!!」
「そこまでだ、エル、ソイ」
少し高めの綺麗な声が、そう告げたような気がした。
「理由は何にしろ、これ以上は、冗談じゃ済ませられないぜ?」
もう1つ、低い声が聞こえた。
エルの声でも、ソイの声でもない。
そして、カイの声でもなかった。
ふわり、と上着を掛けられる。
同時に、エルとソイから引き離すように、その腕に引っ張られた。
見上げると、怒りを露にしたライの姿があった。その隣で静かに佇む美形はシアであった。
自分の手首に視線を送る。
一回り大きな手に掴まれた手首――。
「いやっ! 嫌! 離して! 離して!!」
「お、おい、リュイ!?」
怖かった。
何もかもが。
無我夢中で、ライの腕を振り解く。
掴まれた手首が自由になり、安堵すると膝から力が抜けた。
その場にぺたんと座り込んでしまう。
床に付いた両手が、かたかたと震えている。
その震えを止めることは出来なかった。
―試験3―
初めてカイに会った日のことは、今でも忘れられない。
故郷の空と同じ色をしたその瞳は、何処か寂しそうに見えて、
『寂しいの?』
気が付けば、その黒髪を抱き締めていた。
驚いたように僕の手を掴んで、そうして、カイは笑った。
あの笑顔は、今でも覚えている――。
カイが、好き。
ずっと、ずっと、一緒にいたい――。
「おい、リュイ?」
ライの声に現実へと引き戻された。
視界にライの手が見えた。自分より一回り大きなその手が伸ばされてくる。
――怖い。
ライの手だ。自分に危害を加えることはない。頭ではそう理解しているのに、身体の震えが大きくなる。呼吸が激しくなる。頭の中が真っ白になる。
「下がれ、ライ」
シアの声が聞こえた。
ぼやける視界に、ライを押し退けて、シアが少し距離を取ってしゃがみ込むのが見えた。
長い白金の髪が、さらさらと床に落ちてくる。
「大丈夫、大丈夫だから、リュイ。大きく、ゆっくり息をして。そう、大丈夫だ」
優しいその声色が、遠のく世界の中に響いた。
とくん、とくん……。
鼓動が落ち着いてくるのが判る。
1つ息を吸い込んで見上げると、微かな光しか映さないらしいシアの灰色のその瞳が、心配そうにじっと見つめてくれていた。
……うん、大丈夫。
こくりと頷いて、シアに手を伸ばしてみる。
「触れてもいい?」
そう確認した後、シアはその手を取って、ふわりと抱き締めてくれた。
「さっすが、経験者は違うね、シア」
エルの含み笑いが聞こえる。
その言葉に、抱き締めるシアの手が、ぴくりと微かに震えた。
シア……?
チャッ、という金属音が響く。
見上げると、ライが剣を構えていた。
「それ以上言ってみろ。お前の魔法が発動する前に、その目玉抉り取ってやるぜ? エル」
もともとライは剣士の家柄なのかも知れない。ライの剣術は、学院の中でも抜きん出ている。
緊迫した空気が、その場を支配した。
ソイが息を呑んで後退る。エルはというと、口元に笑みを浮かべたまま、自分に向けられた剣先をじっと見つめていた。
しばらくして、静まり返った空気を割るように、エルは高笑う声を響かせた。
「おっかないの。それじゃ、ま、大人しく退散するとするか」
ひとしきり笑い声を上げた後、そう告げてエルがソイの首根っこを掴む。
そのまま何歩か歩き、エルは何かを思い出したかのように足を止めた。
何だろう……?
「……ねぇ、リュイ?」
恐る恐る見上げると、薄灰色の瞳が見下ろしていた。背筋がぞくり、と震える。
「どうせ卒業できないんだったら、シン先輩を真似して自分から退学してみせれば?」
瞳を細め、エルがくすくすと笑った。
「自分でできないっていうのなら、いつでも堕としてあげるよ。お人形さんの壊れていく姿は、さぞ綺麗だろうしね」
そう告げると、楽しそうな笑い声だけを響かせながら、エルはその場を後にした。
卒業、できない……?
エルが残した言葉には、十分心当たりがあった。
さっきの騒ぎで床にばら撒かれてしまった紙に視線を移す。
その紙に記されているのは、卒業試験の日程だ。
その中にある、『飛行』という文字に視線が釘付けになる。
……飛べる、だろうか……?
飛行の呪文なら、全部覚えている。何度も何度も覚えた。単純なものからかなり高度な呪文まで、全て正確に記すことが出来ると思う。
でも、瞳を閉じると、鮮やかに浮かぶ光景がある。
燃え盛る建物。その一番上の窓から落下ししていく。そして地面に激突する直前、誰かに抱き止められる。
それが自分の最も古い記憶である。
飛ぶことを想像しただけで、どっと冷や汗が流れ落ちる。
……飛べない、かも知れない。
ならばいっそのこと、退学してしまおうか。
全てを捨てて、魔法使いへの道を諦めて……。
そうすれば、カイと一緒にいられるかも知れない。
実際、シン先輩はそうした。
タウ寮長と共に生きるため、卒業を目前にして学院を後にした。
魔法使いとしての力を、全て失って……。
でも僕は――、
魔法使いになりたい。
どうしても、叶えたい夢がある。
どうしたらいい……?
「……カイ」
そう名前を呼ぶと、涙がぼろぼろと零れ落ちた。