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―試験4―
「カイには言っておくからな」
ライの声に顔を上げる。片手で涙をぐいっと拭ってみたものの、一度溢れ出した涙は止まらなくて、すぐに視界が滲んだ。
「いや。言わないで」
何とかそう声にすると、ライの溜め息が聞こえた。
「カイにも責任がある。知っておいてもらわないといけないだろ?」
どうやらライは退くつもりはないらしい。
でも、
「カイは悪くない。知らなくていい」
こっちも退くつもりはなかった。
これ以上、カイのお荷物にはなりたくはない――。
カイは多忙だ。
寮長を引き継いだので、その分忙しくなるのは当然だけど、どうやらそれだけではなさそうだ。
特にこの1週間は、ほとんど寝ていないんじゃないかとさえ思う。
深夜に部屋を抜け出す。明け方やっと帰ってきたと思えばまたすぐに部屋を出て行ってしまう。
何処で何をしているのか、それは判らないけど……。
ただ、これだけは確かだ。
卒業試験を控えたこの大切な時期、僕のことで、これ以上カイを煩わせたくはない。
「強くなったね、リュイ」
シアの声が静かにそう告げた。何故だろう、シアの声は、とても優しく響いて聞こえる。
「そして、綺麗になった」
シアの指が伸びてくる。そうして涙が零れる瞳を拭いながら、シアは微笑んだ。
「でも、そうさせたのがカイなら、カイにも責任がある。僕もそう思う。……それに、」
言い掛けて、シアはライへと視線を向けた。
……何?
シアに促されて、ライの手が伸びてくる。大きなその手が、近付いてくる。
どくん。
鼓動が跳ねた。
「いやっ!」
気が付けば、触れる寸前のライの手を、思いきり跳ね除けていた。
どうして……?
怖い。
ライが……?
違う。
手だ。この手が、怖い。
自分を抑え付けていた手と、重なる――。
全身が、恐怖に粟立った。
「……やはり、ね」
シアの溜め息が聞こえる。見上げると、綺麗に弧を描く眉が辛そうに顰められているのが見えた。
「僕にも、経験あるからね……」
そう言って、シアは微かな笑みを浮かべた。
「でも、きっと大丈夫。僕にライがいてくれたように、君にもカイがいる。……ほら」
シアの灰色の瞳が、天を仰ぐ。つられるように視線を向けるが、そこには何もなかった。
シアの瞳はほとんど光を映さないらしい。その代わりに、遠く離れたものや近い未来を視ることが出来る、そう訊いたことがあった。シアにしか視えない何かがあるのかも知れない。
少しして、シアが見つめるその先で、空間が変化し始めた。
「リュイ!」
その中から、カイの声が聞こえた。ほぼ同時に、カイが姿を現すのが見えた。
「良かった、ここにいたのか……」
安堵の息が聞こえる。そうして、次の瞬間、いつもならトン、と床に降り立つカイが、崩れ落ちた。
「カイ!!」
慌てて駆け寄る。
ひどい汗だった。肩で大きく呼吸している。
こんなカイを見るのは初めてだった。
もともと潜在能力が高いのだろう。カイの魔法力には目を見張るものがある。これまで、実習でどんな高度な魔法を使っても、カイが息を乱すのは見たことがなかった。
「カイ! カイ!!」
不安が高まる。ほとんど叫ぶようにそう何度も名前を呼んだ。
「心配するな。少し疲れただけだから」
カイが顔を上げる。視線が合う。
「リュイ、お前は?」
こんな時でさえ僕を心配してくれる空色の瞳が、真っ直ぐこっちを覗き込んでくる。
「俺を、呼んだろ?」
カイは勘が鋭い。考えてみると、小さい頃からそうだった。泣いていると、必ずといって良いほど、姿を現した。そうして、いつもあやすように頭を撫でてくれた。
カイの手が、伸ばされてくる。
どくん。
何故だろう? 鼓動が跳ねた。
いつものどきどきじゃない。
背中に冷たい汗が流れる。
男らしいその手から視線を外すことができない。
――――怖い!!
「――待て、カイ」
割って入ったライの声に安堵した。同時にその場にぺたんと座り込んでしまう。
怖い。
どうしよう。
カイの手が、怖い。
カイが、怖い。
身体中の震えが、止まらなかった。
「……リュイ?」
カイの声が聞こえた。でも、視線を上げるのも、怖かった。
「……………………エルか」
ぼそり、とカイがそう呟く。聡明なカイの頭は、1つの答えを導き出したようだ。
「許せねぇ……」
怒りがカイを包み込んでいくのが判った。
そうさせてしまったのは、――僕だ。
「カイッ!」
思い切って顔を上げ、カイに手を伸ばす。
それなのに、その手すらがたがたと震えてしまう。
涙で視界が滲んだ。
その僕の目の前で、カイが膝から崩れ落ちた。
―試験5―
「そんな顔しなくても、大丈夫だよ。リュイ」
カイを部屋まで運び、ライがそう説明を加えてくれた。
それでも不安に変わりはない。
「魔法力が尽きたんだね。しばらく休むと戻るよ」
寝台の上のカイを不安げに見つめていたら、シアがそう付け足してくれた。
「でも、珍しいね。カイの魔法力は底なしだと思ってたけど……」
シアの言葉どおりだった。
もしかして、初めてじゃないだろうか。
「俺はしょっちゅうだけどな」
ライが笑う。
不安を少しでも和らげようとしてくれているのがよく判った。
それなのに、笑顔を返そうと思ったけれど、上手く出来なかった。
カイが何をしてここまで疲弊したのか、そのことも心配だった。
でも、それよりも――。
寝台の上、寝息を立てるカイに視線を向ける。
僕より一回り大きいその手から視線を外せなかった。
大好きな手だ。
なのに、僕はどうして……?
どうしよう……。
カイが……、怖い。
「今日は、僕のところに泊まる?」
シアの申し出は有難かった。でも、
「ううん。カイの傍にいたいから」
そう答えると、シアは綺麗に微笑んでくれた。
結局、何かあればすぐに呼ぶことを約束して、2人にはそれぞれの部屋に帰ってもらった。
椅子を引っ張ってきて、カイの枕元に座った。覗き込むと、カイの額に汗が浮かんでいるのが見えた。その汗を布で拭うと、カイの黒髪がほんの少し揺れた。
間近で見ても端正なその顔は、この1年で随分と男らしさを増したような気がする。そして、それは決して外見に限ったことではなかった。
好き――。
どんどんカイに惹かれていく。
「……ん、」
カイの唇から、小さな吐息が漏れた。
胸がとくん、と高鳴る。
カイが好き。こんなにも好き。
どきどきと騒々しい音を立てる心臓に手を添えた。
カイを想うとき、こんなにもあったかい気持ちになる。
「大丈夫。大丈夫だよね……?」
自分に言い聞かせるように何度かそう呟く。そうして、1つ息を飲み込んでから、カイの手が置かれている場所へと視線をずらした。大きなその手にそっと手を添えようと試みる。
「大丈夫……」
そう思いたかった。
なのに、触れる瞬間、ざわりと何かが湧き上がってくる。
「いや……っ」
知らず小さな悲鳴が上がった。気が付けば、一歩下がってへたり込んでいた。椅子が転がり、乾いた音を立てる。
好きなのに。こんなにも好きで堪らないのに。
どうして……、カイが怖い。
「……どうしよう。どうしよう……」
呟いた声は、自分でも情けなくなるくらい震えていた。
太陽が地平線の下に隠れたのだろう。窓から差し込んでいた夕陽の光は、だんだんと姿を消していった。同時に急速に暗闇が迫ってくる。答えも見つけられないまま、どんどんと暗くなっていく部屋は、怖いくらいに不安を掻き立てた。
涙が描いた地図も、暗くてもう見えなかった。
「……っ、カイ……っ、カイ、」
床に座り込んだまま、まるで縋るかのようにその名を声にする。
「……リュイ?」
返された声に驚いて顔を上げた。寝台の上、横になったままのカイがこちらを見ていた。
「カイ? 大丈夫?」
涙をぐいっと拭って、その場からカイにそう問い掛ける。
立ち上がる勇気はなかった。近付けば、またカイを拒絶してしまうかも知れない。それが怖かった。
カイが上半身を起こす。まだだるいのだろう。1つ大きな息を落とし、右手は身体を支えたままだ。
「リュイ」
カイの声が、僕の名前を呼んだ。
「……おいで」
カイの手が、僕に伸ばされる。
――怖い!
恐怖が、全身を支配した。
身体が震える。呼吸が聞こえる。世界が豹変していく。
「リュイ、よく見ろ」
カイの声が聞こえた。カイの手から視線を移す。
故郷の夏を思わせる空色の瞳がそこにあった。
「お前の前にいる男は誰だ?」
じっと見つめてくる空色の瞳は、全てを吸い込んでくれるように僕をじっと見つめていた。
「……カイ」
「そう、カイだ。お前の傍にいると、そう誓ったカイだ」
約束は守る、そう付け足して、カイはもう一度手を伸ばしてきた。
「うん。僕の、大好きなカイ」
その手を見つめながら、そう答える。
「ほら」
カイの声に促される。
その声に勇気を貰って、おずおずと手を伸ばした。
指先が、触れる。
指を絡めて、しっかりと握り合う。
何かが、すとん、と落ちたような気がした。
「カイ」
そう名前を呼ぶと、カイが大好きな笑顔をくれた。
「好き」
そう告げると、カイの元へぐいっと引き寄せられた。
カイの腕の中にすっぽり納まると、何だか頬が熱くなった。その頬にカイがキスを落としてくる。
2度、3度、頬に触れるだけのキス。
何だかくすぐったくて、今度は自分から唇を寄せた。すると、その唇がカイの唇と触れた。
「好き」
もう一度声にして、カイの首に腕を絡める。そうして今度はもっと深く口付け合った。
「その自覚の無さが、恐ろしいってんだ……」
耳元でカイがそうぼやく声が聞こえた。
「なあに?」
「んな顔されたら、最後までやっちまいそうになる……」
最後まで……?
少し考えを巡らせてみる。
「……もしかして、抱くってこと?」
そう尋ねると、カイが苦笑を浮かべた。
「さっきね、エルに言われたんだ。恋人同士じゃなくてもできるって。でもね、僕はカイがいい。カイじゃなきゃやだ……」
昼間の出来事を思い出すと、また恐怖に身体を支配されそうになる。
「カイが好き。……僕を抱いて、カイ」
ぎゅっと抱きつくと、カイが動きを止め、一瞬、空気がしん、と静まり返った。
―試験6―
静まり返る空気にとてつもなく不安になる。
僕、変なこと、言ったかな……?
次の瞬間、カイの手が、肩を掴んだ。そう理解するや否や、世界が流れた。何かが背中に当たる。すぐ目の前に、カイの顔がある。そして、その向こうに天井を見つけ、寝台の上に押し倒されたことを理解した。
「……何、するの?」
問い掛けると、一瞬息を止めて、そうして、カイは一際大きな溜め息を吐いた。
カイの溜め息は、久しぶりに見たような気がする。
「結局、判っちゃいねぇのな」
呆れたようにそう告げられると、何だか腹が立った。
「判ってるよ」
殆ど反射的にそう言い返す。
「じゃ、言ってみろ。抱かれるってどんなことをするのか」
さっきまで優しかった空色の瞳は、既に苛めっ子のそれに変化していた。
悔しい。絶対に答えてやる。
僕だって、勉強したんだから。
「知ってるよ。恋人同士が、愛を確かめ合う行動だろ?」
そう本に書いてあった。
「ふうん」
カイが鼻で笑う。ここで退くわけにはいかない。
「あれ? でも、恋人じゃなくても出来るって、エルが言ってたっけ……?」
ふと疑問が湧いた。
口をついて出たその台詞にカイの表情が険しくなる。
「……何されたんだよ。え?」
怒ってる。
ものすごく怒ってる……。
「あ、でも抱かれていないよ、……たぶん」
情けない話だが、自分の答えに今ひとつ自信がない。
だって、どれが『抱かれる』という行為になるのか、よく判らない。
「たぶんって何だ、たぶんって……。ったく」
不機嫌そうにそう言い放ち、カイが釦を外していく。
「えっと……」
「見せろよ」
何かを確認していくかのような慎重さで、空色の瞳が肌蹴た胸元をじっと見つめた。
「触られた?」
「あ、うん……」
カイの表情が一段と険しくなる。
触られたんだ……。
強い力で、本棚に抑えつけられ、胸を、お腹を……。
「こ、怖かったんだ……。すごい力で、振り解けなくて……、僕……、僕、」
「判った。もういいから、リュイ」
そう言われ、唇を塞がれた。
あたたかい感触に包まれていく。
堰を切った涙は抑えることが出来なくて、カイの腕の中で声を上げて泣いた。
「なぁ、リュイ」
どのくらい泣いていただろう?
カイは黙ったままずっと付き合ってくれた。
カイの指が、時折優しく髪を撫でていく。
「夢があるんだろ?」
カイの声が、問いかけてくる。
覚えてくれてたんだ……。
昔、カイに話したことがある。
どうしても叶えたい夢がある。だから、魔法使いになりたい。
「お前の夢が何なのかは知らねぇ。知ることも出来ねぇ」
迂闊に話すと、誓約環を破る結果になるかも知れないから。
互いにそれ以上話したことはなかった。
「でもな、お前が一生懸命なのは誰よりも知っている。だから、お前の夢を叶えたいと、そう思う」
何故、今、カイがそんなことを言い出したのか、何となく判った。
「……飛べよ、リュイ」
予想通りの言葉を、投げ掛けられる。
「飛んで、卒業して、魔法使いになる。俺もお前も、だ」
その言葉に、ずきんと胸が痛んだ。
だって、僕たちにとって卒業はきっと別れを意味する。
「でもって、それからもずっと一緒にいる。俺は何一つ譲るつもりはねぇからな」
意志の強い声がそう告げた。
何故だろう。
そんなこと不可能だと判っている筈なのに、カイが言うと叶うような気がしてくる。
信じたい、とそう思った。
だから、
「うん。飛ぶよ」
今、自分に出来る精一杯をしようとそう決意した。
「よし。じゃあ、ちゃんと、手ぇ握っててやっからな」
そう告げるカイの声が、とても嬉しかった。
―試験7―
卒業試験が始まった。
それにしても、初日が『飛行術』だなんて、本当についていない。
「やあ、リュイ。満点だって?」
笑顔でそう問い掛けてきたのは、ハルだった。
昨日行われた飛行術の『筆記試験』のことを言っているのだろう。
まだ発表されていないその成績を何故ハルが知っているのか、ふと疑問が湧いたが、ケン先輩の卒後は学院の不思議人間の座を不動のものにしているハルのことだ、何があっても不思議ではない。
「どうしたの? 浮かない顔だね、リュイ」
浮かない顔になるのは仕方がない。
今日行われるのは、飛行術の『実技試験』で、今上っている階段は試験会場である屋上へと続いているのだ。
飛びたい。
でも、飛べるだろうか。
不安が胸を支配する。
「ふうん……」
ふと気付くと、ハルにじろじろと見つめられていた。
「……何?」
「いや、こんだけ可愛いのに、何でまだ処女なんだろうな、と思ってね」
処女……!?
確かまだ性行為をしていない女の子のことだ。
「何でって、僕は男だよ?」
そう答えると、ハルはぷっと吹き出した。
「カイの苦労が偲ばれるねぇ……」
随分と楽しそうに笑う。
何が何だか。
「ま、卒業までにロストヴァージンすることを期待してるよ。リュイの喘ぎ声を聞いておきたいしね」
「……喘ぎ声?」
「シン先輩の声は最高だったねぇ。今は、うん、シアの声が1番だな。……さて、リュイは感じるとどんな声を上げてくれるのかな?」
「……感じる?」
1つ1つの反応を楽しまれているような気がする。狭くなっていく階段に、ハルの楽しそうな声が響いた。
「朝っぱらから、何て会話してるんだ……。リュイ、お前、警戒心なさすぎ」
後ろからぽかりと頭を叩かれる。
見上げると、ライの呆れ顔が見えた。その隣でシアが苦笑している。
「やあ、シア。昨夜も素敵な声だったね」
「…………ありがとう」
何故だろう、そう答えるシアの笑顔は、少し引き攣っているように見えた。
そうこうしているうちに、屋上に辿り着いた。途端、ぞくり、と恐怖が沸き起こった。膝から力が抜けていきそうになる。
「リュイ」
カイが駆けて来るのが見えた。差し出されたその手を握り締めると、恐怖が遠のいていく。
「大丈夫か?」
「……うん。大丈夫」
大きく深呼吸する。
その直後、名前を呼ばれた。どうやら、よりによって筆記試験の成績順に行うらしい。
握り締めたカイの手を、離したくはなかった。でも、一緒に飛んでもらうわけにはいかない。
大丈夫。飛んでみせる。
心の中でそう唱えて、1つ息を吸い込んでから、前に進み出た。
「大丈夫。手ぇ、握ってやるから」
離れ際、耳元でカイがそう囁いてくれた。
手を離した後も、不思議とカイが傍にいてくれているような気がした。
呪文を詠唱すると、身体がふわりと浮き始める。
怖い――!
炎に包まれる建物が脳裏に浮かんだ。
悲鳴とともに落下していく自分が、そこにいた。
「リュイ! 上を見ろ!」
カイの声が聞こえた。
反射的に、空を見上げる。
え……?
突然、満天の星空が視界に飛び込んできた。
星祭の集いで見た、あの綺麗な星空。
その星空の中に、カイの姿が浮かぶ。
『手ぇ、握ってやっから。飛べ、リュイ』
カイの声が、頭に響いた。カイの手が、差し出されるのが見える。
カイの傍に行きたい。
大丈夫。――飛べる!
一度とんっと地面を蹴る。小さく呪文を唱えると、身体が空に舞った。
ふわりと宙に浮くその感覚に、今度は不思議と恐怖はなかった。
『来い』
カイがそう呼ぶ。その手を取って、星空を駆けた。
「見事だ、リュイ。」
そう告げる教授の声に、現実へと引き戻される。見渡すと、中庭の地面に降り立っていた。
「僕……、」
見上げると、ちょうどカイが青空に身を翻すのが見えた。そのまま、カイの身体が空を駆けていく。
綺麗だ、とそう思った。
澄んだ空が、カイの瞳を思わせた。
今まで空を飛ばなかったなんて、何て勿体ないことをしたんだろう。
僕、空が好きだ。
カイの瞳と同じ色をした夏空も、初めて口付けた星空も。
そして、きっとこれから、もっともっといろんな空を好きになる。
「リュイ!」
カイが、とんっと地面に降り立った。
「上出来だ!」
そう告げるカイの嬉しそうな声とともに、その腕の中に抱き寄せられる。
「大好き」
胸が高鳴るのを抑えられなくて、カイに口付けた。
好き。好き。大好き。
「……おい、リュイ」
何度目かのキスの途中、カイがそう告げた。ふと視線を感じて、振り返る。
「おーおー、気持ち良さそうな顔して……。うん、これなら『声』も期待できるねぇ……」
すぐ間近に、ハルがいた。
いや、ハルだけではない。いつの間に飛んだのだろう、皆が中庭に揃っていた。
教授に呼ばれて、カイが駆け出す。
「……みんな、終わったの?」
「いーや、1人だけ再試。エルの奴が、飛べなかった」
ライの声に見渡すと、確かにエルの姿だけがなかった。
確かエル、飛行術、得意じゃなかったっけ……?
そう考えて、ふと思い当たる。
『やり残したことがあるから』 そう言って、今朝早くカイは部屋を出た。
この場所にこれだけ大掛かりな魔法を掛けたカイである。星空以外の何かをエルに見せていても不思議ではない。
まさか……?
「まいったね。やられたよ。まさかこの僕が飛べないなんてね」
階段から降りて来たのだろう、エルが姿を現した。
ふと視線が合う。
「認めてあげるよ、リュイ。よく飛んだね」
そのまま近付いてきて、目の前に手を差し出された。
握手……?
恐る恐るその手を取ると、エルが驚いた表情をするのが見えた。
「何だ、もうこっちも克服しちゃったの」
そう告げて、エルがくすくす笑った。
「でも、少しは警戒心を覚えるべきだね」
「……え?」
突然、握った手を引き寄せられる。エルの顔が間近に来たと思ったときには、既に口付けられていた。
次の瞬間、ぴしり、と空気が切り裂かれたような気がした。
頬から流れる血を片手で拭いながら、エルが振り返る。その視線の先、表情を変えることなく踵を返すセイの姿があった。その後ろ姿を見つめるエルの視線には、何故か胸が痛んだ。
「てめぇ、再試も受けたくねぇようだな」
カイの声が聞こえた。
「冗談だって。そう怒るなよ」
両手をひらひらさせながら、エルが数歩後退る。
「でも、こんなに可愛いリュイを放っておくカイも悪いと思うけどね」
その言葉に、カイの表情が強張るのが見て取れた。
「リュイがいまだヴァージンだってことぐらい、気付いてるよ。ねぇ?」
エルの声に、何人かが頷いている。
「リュイも早くカイに抱かれたいよねぇ?」
突然そう問い掛けられ、驚いた。
でも、自分の気持ちは決まっていたから、
「うん」
小さくそう答えると、カイに頭を思いっきり叩かれた。
卒業試験はまだ始まったばかりだ。
でも、卒業試験が終わると、すぐに卒後の進路が決まる。一緒にいられる時間はぐっと減る。
判っている。
残された時間はもう、あまりない――。