Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 魔法使いたちの恋 

 再会 (前編) 


 ―再会1―

 叶えたい夢がある。
 だから、一生懸命頑張ってきた。
 そしてやっと、今日という日を迎えた。

 今日、“宮廷魔法使い”たちの末席に名を連ねる。
 そう、夢への第一歩だ。

 なのに、心が晴れないのはどうしてだろう。

 カイ……。
 君に会いたい。


 ガリル王城――。
 学院から見たことはあったが、こうして目の前に立ってみると、改めてその巨大さに圧倒されそうになる。それでも、澄んだ青空にカイの瞳を重ねたくて、もう一度天を仰いでみた。
 包み込んでくれるような、空の色だ。

 カイの瞳と同じ色――。

 でも、思い切り背伸びをしてみても、力いっぱい両手を伸ばしてみても、その空に決して届くことがない。
 ずきん、と胸が痛んだ。

「……しっかりしなきゃ」
 自分に言い聞かせるようにそう言葉にしてみたものの、語尾が震えてしまう。
「情けない……」
 自分でもそう思う。苦笑せざるを得ない。
 カイがいない。それだけで、こんなにも世界が変わってしまうのだ。

 カイの姿が消えたあの日、その現実を思い知らされた。
 右を見ればいいのか、左を見ればいいのか、それすら見失ってしまう自分に気付いた。

 想像以上に、カイに頼り切っている――。
 こんなことではいけない。

 カイに相応しい自分でありたい。
 支えられた分だけ、カイを支えたい。

 そう、思っていたのに――。


「僕、頑張るからね」
 若草色の瞳に青空を映して、決意をそう声にしておく。
 伸ばした背中を、カイがぽんと押してくれたような、そんな気がした。


「……サキ=オ=リュイン?」
 空を見上げていると、低い声が聞こえた。

 え……?
 どくん、と鼓動が跳ねる。

 一瞬、カイかと思った。

 地上へと視線を戻し、近付いてくる人影を凝視してみる。

 ……違う。カイじゃない……。

 城内からの出迎えと思われるその人物の姿は、カイとは似ても似つかない。声だって、全く違う。

 でも……。

「サキ=オ=リュイン? 違うのか?」
「……あ、いえ」
 もう一度名を呼ばれ、それが忘れかけていた自分の本名であることを思い出して、慌てて返事をした。次いで礼の姿勢を取ると、ついて来るように促される。

 ドクドクと鼓動が騒がしい――。
 まるで胸の中で早馬が駆けているようだ。

 一歩前を歩くその後ろ姿が、どうしてもカイの姿と重なってしまう。
 思わず、その背中に抱きついてしまいたくなる。

 こら、リュイ。馬鹿リュイ。落ち着いて……。

 何とか深呼吸をして、心の中で何度かそう唱えた。両手をぎゅっと握り締めることで、抱きついてしまいたいその衝動を無理矢理抑え込もうと試みる。

 なのに……。

「……え?」
 相手が上げた驚きの声に、はっと我に返ったときには、既に手遅れだった。
 自分より一回り大きなその背中が、すぐ目の前にあった。固く握り締めていたはずの両手は、相手の長衣に縋り付いていた。
「あ、あ、その、ご、ごめんなさい……っ」

 何をやっているんだ、僕は……。

 羞恥に顔が火照る。
 顔を上げることが出来ずにいると、頭上からくすくすという忍び笑いが聞こえた。

「顔上げろよ、リュイ」

 そう告げる声はカイのものではない。
 肩を流れる赤茶色の髪も、白い肌も、カイではないとそう語っている。
 でも……、

「カイ……?」
 気が付けば、その名前を口にしていた。同時に何かが込み上げてくる。
「……ひ、っく……っ」
 しゃくり上げそうになる直前で、白い指が下顎に触れてきた。促されるままに顔を上げると、口付けが降ってきた。

 前髪に、目蓋に、頬に、鼻先に――。
 そして最後に、唇にそっと触れて、離れていく。

 そうして、
「あ……っ」
「んな顔すんじゃねぇよ。押し倒したくなるだろうが」
 意地悪そうな笑顔にそう告げられた瞬間、確信した。

 ――間違いない。カイだ。

 瞳の細め方、唇の上げ方、その1つ1つがとてつもなく懐かしい。

 どうしよう。どきどきが収まらない。
 嬉しくて堪らない。
 今、口を開いたら、とんでもないことを口走ってしまうそうだ。

 好き、大好き、1番好き――。

 僕、今、どんな顔をしてるんだろう……。


「……ち。まだ陽が高いな」
 小さな舌打ちとともに、カイが離れていく。
「……いや……っ」
 行かないで、と言い掛けた唇を塞がれ、伸ばした手を掴まえられる。
「……陽が沈んだら、攫いに行くから」
 耳元で囁かれる約束。
 そして、
「この間の続きすっから、逃げるなよ」
 そう、念を押された。

 続き……?

 きょとんと首を傾げると、いつもの大きな溜め息が落とされる。

「……相変わらずか。ま、慣れてっけどな」
 呆れ顔で、追加される溜め息――。

 たぶん僕はどうかしている。
 その溜め息さえも、嬉しくて嬉しくて堪らなかった。


 ―再会2―

「……ごめん、も、限界……」
 カイではない誰かの声がそう呟いた。
 次の瞬間、ふ、とカイの気配が遠ざかっていくのを感じた。

「……カイっ!」
 追い縋るように覗き込むと、一旦閉ざされた瞳がゆっくりと開かれた。
 その瞬間、

 カイ、じゃない――。

 そう直感した。


「……うわ、至近距離だね、リュイ」
 戸惑いがちに一歩後退り、さっきまで確かにカイであったその人が苦笑する。
 やわらかいその笑顔には、何処か見覚えがあった。
「あ、……もしかして、フィア先輩?」
 そう問い掛けると、フィアは笑顔のまま静かに頷いてくれた。

 学院に入学した頃、第1の塔の寮長を務めていたのが、フィアである。一緒に在学したのは1年だけだが、学院生活について優しく教えてくれたことを覚えている。同時に、この物静かな先輩が、『天才』の名をほしいままにしていたことも思い出した。“ガリル王国宮廷魔法使い”になっていても不思議ではない人物である。

「……会えた?」
 記憶を辿っていると、優しい声にそう問い掛けられた。
 誰に? とは聞くまでもなかった。
 “カイがこの人の姿を借りたのだ”と、そう理解した。

 でも、何故……?
 今、カイは何処にいるの?

 何が何だか判らない。
 しかし、尋ねようと口を開いたところで、その口をフィアの人差し指に制された。
「後でね」
 耳元でそう囁かれる。
 そうして、
「さ、まずは任命式だ。覚悟しておいてね」
 にっこりと笑うフィアにそう告げられた。


 長く続くその廊下を、フィアの後について歩く。
 正装、ということで、着せられたその服は裾が長くてとても歩きにくかった。ぼんやりしているとつまずいてしまいそうだ。更に付け加えるなら、子供のように小柄な体型の自分にはどうにも似合っていないような気がする。仕方がないこととはいえ、何だか少し恥ずかしい。

 それにしても……。

 フィアの背中を追い掛けながら、きょろきょろと辺りを見渡してみる。さっきから、どっちを見ても人がばたばたと行き交っていた。かなり騒然とした雰囲気だ。

 ……お城の中って、もっと厳かなものだと思っていたけど……。

「どうしたの? ……ああ、いつもはこんなことないんだけどね。第3王子さまの婚姻が急遽決まるみたいだから」
 そう説明を加えるフィアが何処か楽しそうに見えるのは、気のせいだろうか?

 ん?
 第3王子?

「第3王子さまって、いらっしゃいましたっけ?」
 素朴な疑問をぶつけると、フィアの目が丸くなるのが見て取れた。

 しまった、とそう思う。
 学院内で育ったためか、世俗に疎いことは何となく自覚していた。
 でも、自国の王子さまの数すら知らないというのは、いくら何でも常識外れなのかも知れない。
 更に付け加えるなら、自分はこれから宮廷に仕える身だったりするのだ。

 恥ずかしい……。

 慌ててもう一度、記憶を辿ってみた。
 ガリル王国の現国王であるサイガ=イ=ラウ陛下に、2人の王子さまがいらしたことは知っている。第1王子さまであるトウ王太子殿下、そうして第2王子であるティン殿下。確か28歳と26歳になられるはずだ。

 ……?

 でも、いくら考えてみても、頭の中にそれ以上の情報はなかった。

「……本当に知らないの?」
 フィアが上げた驚きの声に、羞恥に頬が染まった。
「何にも? 全く? 本当に教えてもらっていないの? リュイ」
 矢継ぎ早に質問される。

 どうしよう……。

 何と答えてよいか判らないまま、ふと見上げると、大きな扉の前だった。
 溜め息混じりに笑みを浮かべるフィアの顔が見える。

「でも、ま、僕が口出しすべきことじゃないからね。本人から教えてもらってね」

 どういう意味だろう。
 本人って……?

 情報を整理しきれないうちに、大きなその扉が開く音が聞こえた。


 ―再会3―

「サキ=オ=リュインでございます」
 頭を垂れ、膝を折った。
 一瞬だけ視界に入ったその部屋は、想像以上に広い部屋だった。荘厳、とでも言うのだろうか。重々しい空気に押し潰されそうになる。そうして、それが部屋の大きさや装飾によるものだけでないことはすぐに判った。
 足元から長く続く絨毯の先、巨大な王座に座っている人物、サイガ=イ=ラウ国王陛下。
 離れていても、圧し掛かるような威圧感が伝わってくる。

 1秒1秒がとても長く感じられた。


「面を上げよ」
 そう告げられて、1つ息を吸い込んでから、顔を上げた。
 途端、微かなざわめきの声が聞こえる。

 何か、変、かな……?

 正装姿が似合っていないのは何となく判っていた。でも、教わったとおりに着たし、間違っていないと思う。

 何で、みんなじろじろ見るの……?

 ラウ国王の他に、何人かの魔法使い、重臣たち、そして騎士たちがその場にいた。
 みな一様に視線を送ってくる。

「なるほど。“お人形さん”か」
 ざわめく声の中、ラウ国王がぽつりとそう呟くのが聞こえた。
「やわらかい金糸の髪に、若草色の大きな瞳。透き通るような白い肌……。どうだ? 今宵、わしの寝所に来ぬか?」

 ……はい?

「そちの乱れる姿が見たい」

 乱れる……???
 どうやって……?

「……そちを抱きたいとそう言っておる」
 小首を傾げていると、ラウ国王が半ば呆れ顔でそう付け加えてくれた。

 何だ、『乱れる』って、『抱かれる』ことをいうのか……。

 ふとカイに触れられた日のことを思い出す。
 カイの指に『感じ』て、恥ずかしい『声』を上げた。

 ああ、あれが『乱れる』……。確かに……。

 顔が火照る。胸がどきどきする。


「良いのか?」
 ぼうっとしていたら、ラウ国王の声が聞こえた。

 良い……?

 これまでの台詞を思い出す。

 『そちを抱きたい』……??
 陛下が僕を……??

「や……っ」
 思わずそう声にしていた。
「あ、……嫌、です」
 慌ててそう言い換える。
 でも、言葉を正したところで、命令に背いたことには違いない。

 どうしよう……。

「冗談だ」
 青褪めていたら、頭上からそう告げられた。
 視線を上げると、意地悪そうな笑みを浮かべるラウ国王の顔があった。

 あれ……?
 何処かで、会ったこと、ある……?


「サキ=オ=リュイン、ガリル王国宮廷魔法使いに命ずる」
 ラウ国王がそう告げると、隣に控えていた初老の魔法使いが立ち上がるのが判った。そのまま耳飾を外しながら、近付いてくる。その手の中にある耳飾の色に気付いて、心底驚いた。

 真紅の宝玉だ。
 魔法使いたちの最高位とされる、“ガリル王国宮廷魔法使い”。その7人の長とも言える存在、エリル師が持つ耳飾の色だと聞いたことがあった。

「よく来てくれた」
 目の前まで来たエリル師に微笑まれた。優しげなその顔には見覚えがあった。
「あの時、の……?」
 エリル師の指が、左耳に触れた。耳飾を付け終えた後、そっと握ってくれた手が、自分の中の1番古い記憶と重なる。この手が、燃え盛る建物から落下した時に受け止めてくれた手だと、そう確信した。
「ゴウは、私の不肖の弟子は息災か?」
 そう告げられて初めて、育ててくれたあの優しい養父が『エリル師の唯1人の弟子』だということを知った。
 でも不思議とあまり驚きはなかった。
「はい。相変わらずです。僕の弟妹は、21人に増えていました」
 笑顔でそう答える。

 ガリル王国の南西地方は、いくらか収まったとはいえ、いまだ戦火の絶えない地域である。
 親を亡くした子、子を亡くした親――。親友や恋人、大切な人たちとの別れ――。数では表せない悲しみがそこにある。
 そうして、行き場を失くした子たちを引き取り、育てているのがゴウだった。

 本当に、たくさんの愛情をもらった。
 その幾らかでいい。僕に出来る恩返しがしたい――。

 それが、僕の夢だ。


「陛下」
 顔を上げる。玉座に座るラウ国王を真っ直ぐに見つめる。
「争いのない国を」
 願いを声にする。
「そのための尽力は惜しみません。ただ……、争いに魔法は使いません」
 言い切ると、周囲がしん、と静まり返った。

「12年前、同じ台詞を口にして、クビになった奴がいたな……」
 静まり返った室内に、ラウ国王の声が響く。
「だからこそ、この耳飾を託すのに、相応しい魔法使いでしょう?」
 エリル師の声がそう答えた。
 優しげなその声に、凍り付いていた空気が溶けていく。

「なかなかどうして。可愛いだけの御しやすい奴かと思えば……」
「カイ様が選ばれただけのことはありますかな?」

 突然登場したその名前に、心臓が跳ねた。

 カイ……? どうして……?

「あ……」
 ラウ国王に何処かで会ったような気がした理由が判った。
 闇色の髪、空色の瞳。そうして、意地悪そうに微笑んだ顔は、カイにそっくりだ。

 もしかして……。

 1つの答えが導かれる。

 第3王子さまって……。

 今の今まで、カイの素性を考えたことなどなかった。
 誰であろうと、カイはカイだから。何も気にしたことはなかった。

 馬鹿だ、とそう思う。

 カイが好きだ。
 カイと一緒にいたい。

 でも、たぶん、それだけじゃだめだ。
 だって、だって……。

「カイは3日後に婚姻することが決まった。そなた、どうする?」
 突然、現実を突きつけられた。

 何かが崩れる音が聞こえた。




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