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木漏れ陽にスイは瞳を細めた。
朝陽が柔らかな光を運んでくる。淡いその光でさえスイの身体を苦しめる。それが光の神々を裏切ったリリアン一族の代償だ。
だが、夜明けを迎えているというのに、覚悟していた激痛はない。
その理由はすぐ判った。
スイの身体を朝陽から庇うようにして、コウが座っていた。
一昨日初めて出会った時からそうだった。コウは常に光からスイを守るよう位置していた。
それが何を意味しているのか。答えは明白だった。
リリアンだということを知られている――。
本来、リリアン人は半地底都市スピルリーチから出ることはない。光に苦しめられるという理由もあるが、変わり果てた異形を晒したくないのだ。そのため、リリアン人の姿形を知る者はほとんどいない。だが、皆無というわけでもない。
そう考えると、すべての辻褄が合った。
出会ってから今までの酷い扱いも納得がいくというものだ。
「起きたか。朝議に行くぞ」
思考を巡らせていると、コウが不意に振り返った。告げられた台詞に面食らったようにスイがコウを見上げる。
朝議が行われること自体は不思議ではない。祖国リリアン王国でも行われている。もっともまともに統治などしていないのだが。
「……何故?」
奴隷が出席するなど聞いたこともない。
だが、『奴隷』ではなく、敵国の『人質』としてなら、納得できないことでもなかった。
答えてくれないコウから視線を外し、ゆっくりと立ち上がる。
木々を渡る風が、スイの頬を撫でた。
「……大丈夫」
短くそう答え、スイは日差しから自分を守るコウの後をついて行った。
「西のナドゥ国が焼失しました」
「アルウェス川の氾濫は予想以上です。死傷者も多数、疫病の発生も見られます」
「あの治水では無理からぬもの。あまりに酷すぎる」
査察の報告がなされていく。小さな広場に集まったのは僅か7人。中央に置かれた小さな円卓を囲み、その上には細かく書き込まれた地図が拡げられていた。その地図を見つめたまま、コウはその報告に耳を傾けていた。しばらくして何か気付いたことがあるのか、そのまま熟考し始める。
その様子を一瞥し、末席からシャオが立ち上がった。一礼し、1つ深呼吸する。
「――では、闇市の報告をいたします」
その言葉に、スイは膝に置いた手を静かに握り締めた。
決意は出来ていた。どう転んでも未来を守る。それでも握り締めた指が小さく震えた。
「――で? そちらにいるのが?」
一同の視線がスイに向けられる。その視線を受け止めて、スイはすっと立ち上がった。
スイの動作に合わせて、長い白金の髪が流れる。そして、目尻の流れる美しい瞳を伏せ気味にしたまま、スイは小さく一礼した。その容貌にはまだ何処か幼さが見え隠れしている。が、洗練された物腰と、際立ったその美貌が、スイを年齢よりずっと年長に見せていた。静寂を纏うその立ち姿はぴんと張り詰めた糸を思わせる。緊張感に、その場にいた数名が息を呑んだ。
「ええ、新しい仲間です」
張り詰めた空気を和らげたのは、シャオの穏やかな声だった。
だが、一瞬和らいだその空気は、スイの一言で凍りついた。
「――スイレン=カフィリア=リィ=リアンです」
瞬き3つ分の時間を置いて、ざわめきが起こった。シャオの鳶色の瞳が見開かれ、スイを見つめる。
「…………だからか、」
誰かがぽつりとそう呟いた。
「昨夜のらしからぬ非道ななさりよう……、リリアンの……、イルリアン王の弟御か、」
コウらしからぬ非道な行為――。
誰もそれ以上口にしなかったが、それが何を指すのかは明白だった。近くに住まいを構える彼らにはすべて筒抜けだったのだろう。
スイの隣で、シャオが長い吐息を落とした。ちらりとコウに視線を送るが、当のコウはといえば、こちらの騒ぎとは無関係な様子で腕組みしたまま地図を睨んでいる。
「――――先程申し上げた通り、」
もう一度溜め息を落としてから、シャオは1つ咳払いした。
「我らは闇市で彼を買ってきました。これがどういうことを意味するか……」
リリアンの純血種とされる僅かな人々は、スピルリーチから外に出ることはない。ましてや前王と王妃が相次いで急死した後、残る王族は現王であるイルリアン王とその弟スイレンだけなのだ。万に一つも奴隷市に立たされる筈などない。
「……あの愚王、弟を切り捨てたのか」
自らの権力を脅かす唯一の存在。イルリアン王ならやりかねない。
これまで散々イルリアン王の凶行を見てきた一同が、その結論に辿り着くのにあまり時間は必要なかった。
兄に切り捨てられた――。
その言葉が、スイの胸を抉る。
「そう。それもただ追い出されたわけじゃない。御丁寧に奴隷商人に売り飛ばした、というおまけつきです。2度と王城には戻れないようにね。ま、これだけの容姿ですから、かなりの大金になるでしょうし」
淡々と告げるシャオの声が、スイの脳裏に封印した兄の姿を思い起こさせた。
別れ際、スイを見下ろしたイルリアン王は口許に笑みを浮かべていた。その姿がスイに絶望をもたらした。
伏せていたスイの瞳から、ぽろぽろと涙が零れた。感情などないと思っていた自分にこれ程の涙があるとは、スイ自身信じられなかった。
初めてコウの声を聞いたあの瞬間、何かが変わった。不思議とそう思えて、スイは片手を瞳に当てた。尚も零れる涙が、白いその指を伝って落ちていく。
「で、そんな彼を見つけて、買い出し、弄んだ、というわけです」
最後の台詞に明らかな棘を含ませ、シャオはそう締め括った。
一同から非難の視線がコウに注がれる。それを受け止めて、コウはにっと笑った。
「ああ、悪い。あまりに別嬪さんなんで泣かせてみたくなった。判るだろ?」
小さく首を竦めてコウが詫びる。屈託のないその笑顔に、一同が溜め息を落とした。
「少しは自制という言葉を覚えて下さいね」
シャオがすかさずそう釘を刺す。そして、シャオは改めてスイに視線を戻した。
「ユェン=レン=シャオと申します。あなたを歓迎します。御安心下さい。もう無茶な真似はさせませんから」
小柄なその身体を少し折り、シャオがにっこりと挨拶する。それを皮切りに一同が次々に歓迎の意を示した。
視線を上げたスイの瞳に、未来が映った。
コウと彼らが築き上げる未来。
大地に光が溢れ出すのを感じる。
それと表裏一体で視える光景。
崩れ落ちる故郷スピルリーチと、血溜まりに膝を落とす兄イルリアン。
時代が動き出そうとしていた――。