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薄暗い路地裏を、ロイは歩いていた。
蒼い月が、ロイの美しい姿を照らし出す。
そして、外套で隠された胸元には、鮮やかな紅い情事の跡。
記憶のない数時間。
色違いの瞳を持つあの男に聞くまでもなく、何があったのかは明白だった。
自分は、あの男に抱かれた――。
初めてジークと肌を合わせた、雷鳴の夜を思い出す。
雷光に浮かび上がる、この穢れた身体を『綺麗だ』と言った深い漆黒の眼差し。
白い肌に紅い華を咲かせながら告げられた、押し殺した声。
『今まで、お前の肌についた跡を、俺がどんな想いで見てきたと思っている。』
それは、今まで一度たりと聞いたことのない、そんな声色だった。
穢し続けたこの身体を、自分の行ってきたことを、
初めて、深く後悔した瞬間だった。
「……俺は、またお前を傷つけるのか……?」
消え入るように呟いて、ロイは歩みを止めた。美しい青灰色の双眸に、蒼い月が映る。
そうして、ゆっくりと閉ざした瞳には、まるで走馬灯のように、今までの過去が、浮かんでは消えていった。
心の痛みが消えていくことが許せなくて、傷つけ、穢し続けたこの身体。
幾人もの男たちに抱かれながら。
傍にある漆黒の瞳を傷つけている事実からは目を逸らし続けてきた。
再び、他の男に身を任せたことを、あいつはどう思うだろう。
怒るだろうか、呆れるだろうか。
それとも――。
自分を見つけ続けてきた、深い漆黒の眼差しを思い起こす。
今はただ、
これ以上、あいつを傷つけたくはなかった――。
それでも――。
傍に、いたい――。
重い足取りで、ロイは暗い夜道を歩いた。
目的の、一軒の宿が視界に入ったところで、足を止める。
その宿の前に立つ、見知ったシルエットを青灰色の双眸に映して。
その人物は、宿の扉の横、腕を組んだまま、壁に背を預けるようにして、立っていた。
「ロイ」
低く通る声が、ロイの名を呼ぶ。
そうして、一向に動こうとしないロイに大きく一つ息を吐いて、ジークはロイの元に近付いてきた。
「……ジーク」
ロイが無意識に片手で外套の喉元を握り締める。
一瞬、ジークの漆黒の双眸が、隠した喉元を見つめたような気がして、ロイは胸が軋むのを感じた。
「……こんなに、冷たくなりやがって」
鍛えられたジークの腕が、冷たいロイの片頬にそっと触れてくる。
漆黒の瞳と、青灰色の瞳が、互いの姿を映し出していた。
しばらくの間、少し目線の高いジークの双眸を見つめた後、ロイは青灰色の双眸を閉ざし、ジークの厚い胸板に頭を預けた。
艶やかな黒髪がさらさらと音を立てて流れてくる。
「……本当は、帰ってくるつもりなどなかった……」
お前を傷つけることになるかも知れないから。
ジークの腕の中で、ロイの微かな声が、そう告げる。
「何馬鹿なこと言ってやがる」
そう呟き、ほんの少し力を込めたジークの腕に痩身を預けたまま、意を決したようにロイは口を開いた。
「ジーク……、俺は……、」
ともすれば震えそうになる声を、懸命に抑えながら、かろうじてそう口にして、ロイは小さく首を振った。
「……いや。何でもない……。何でもないさ。ジーク。」
そのまま、ジークの腕の中、ロイがくすくす笑い始める。
「ロイ?」
見下ろす漆黒の眼差しを、青灰色の瞳で受け止めて、
「……何て顔してる、ジーク」
掠め取るように口付け、ロイはジークの腕の中からするりと抜け出した。
月明かりの下、綺麗な笑みだけを浮かべて。
「……風が冷たい」
短くそう告げて、ジークに背を向けて。
「ロイ」
「…………」
「いいか、ロイ。言いたくねぇ事は言わなくていい。だが、言いたいことがあるなら言え」
全て、受け止めてやるから―。
掴まれた腕から、ジークのそんな想いが流れてくるようで、ロイはもう一度小さく首を振った。
少し冷たくなった風が、ロイのやわらかい黒髪を靡かせる。
どのくらい、沈黙が流れただろうか。
それは、一瞬でもあったし、永遠にも感じられた。
「何もないさ」
「……そうか」
ジークの低い声が答える。
「……ジーク。明日、ラストアに向かおう」
最後にそう告げて、ロイは宿の中に姿を消した。
「……馬鹿野郎」
ロイが消えた方向。
漆黒の瞳で見据えたまま、ジークが言い放つ。
蒼い月が、ジークの険しい横顔を照らしていた。