Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Spirit Stones 

 第2章 喪失 
第1話 SIELANCE−自治都市シーランス−


 自治都市シーランス。
 交通の要衝に存在するこの街は、
 別名『旅人と商人の街』と呼ばれ、多くの人が行き交う活気のある街である。

 そして、4年前のあの日、
 ロイとジークが初めて出会った街でもあった。

 ヴァリエ川沿いの街道を旅し、この街シーランスに入ったのは夕暮れ時であった。
 人々でざわめく市場を横切り、一軒の宿に辿り着く。
 その間も、ロイの口が開かれることはなかった。
 そうして、美しい青灰色の双眸が、ジークの姿を映すことも――。

「ロイっ!」
 宿の2階にある一室。
 その部屋の隅で、落としたランタンの炎を見つめたまま動かないロイの様子に気付いたジークが声を掛ける。声を掛けると同時に駆け寄り、ジークはロイの足元の炎を素早い動作で踏み消した。
「大丈夫か、ロイ」
 血の気を失くした蒼白な顔で。
「……触れるな」
 一言そう告げ、ロイはジークに背を向けた。
 美しい青灰色の眼差しを、ジークに向けることなく――。

 暮れゆく夕陽が、部屋の中を赤く染め上げていく。窓辺に腰を下ろして、ロイはただ静かに夕陽を見つめた。
 しばらくの間、その端正な横顔を漆黒の瞳に映して、そうして、ジークは階下に下りていった。



 1階の酒場で、酒盃を傾けながら、ジークが一つ息を吐く。

 幸せにしたい、そう願い続けてきた。
 ずっと傍にいる、そう誓った。
 それなのに――。

「……てめぇで傷つけてちゃ、世話ぁねぇ」
 小さくぼやいて、ジークは何度か首を振った。

 この街で、初めてロイに出会った。
 あの頃のロイは、何かに憑かれたかのように、自らを傷つけたがっていた。
 その姿があまりにも痛々しくて。
 ロイの心に刻まれた見えない深い『傷跡』を、何とか癒してやろうと試みた。
 それなのに、
 そのことに気付く度に、ロイは更に深く自分を傷つけていった。
 だから、
 ロイが『傷跡』を癒そうとそう思える日まで、見守り続けることを決意した。

 そうして、
 待ち焦がれ、願い続けたロイの一歩。

 それなのに――、

 もう一人の『ロイ』が、ロイを傷つける。
 ―深く、傷ついた、青灰色の瞳。
 それは、今までずっと傍にいて一度も見たことがない色で――。

『お前の大事な君はもう帰しませんよ。闇の世界から』
 ヴァイラスの高笑いが脳裏に響く。

 それでも、ロイが綺麗な笑顔を浮かべるから。
 傷ついた瞳の奥を見せてはくれないから。
 そんなロイの想いに気付いていながら、一方で胸の奥で何かがちりりと音を立てていた。

 そして。

 あの夜、
 抱き寄せて尚も拒み続けるロイの痩身を、何かに急かされるように無理矢理に開いた。
 鮮やかに思い起こされる、
 見開かれたままの青灰色の双眸と、色を無くすほど堅く閉ざされた唇。


「てめぇは、何をやってるんだ……」
 酒盃に残った酒を一気に煽る。
「……畜生っ……」
 そう言い捨てて、ジークは唇をきつく噛み締めた。


「よう、兄さん」
 突然声を掛けられ、馴れ馴れしく伸ばされる腕。
 その腕はジークに触れる前にぴたりと動きを止めた。
 鞘に納められたままのジークの大剣が、声の主の胸元に押し付けられたから。
「おいおい、俺だよ、ジーク」
「……フォー、ド」
 振り返り、見知った人懐こい笑顔を見つけて、ジークは漆黒の双眸を見開いた。
 フォードと呼ばれた青年は笑顔のまま、ジークの前に転がる空の酒盃をちらりと見て、そうしてジークの隣の席に腰を下ろした。
「お前、いつエトゥスから?」
 フォードはエトゥス在住の情報屋であり、ジークの飲み友達でもある。
 驚くジークの質問には答えず、空になった酒盃を今度は呆れ顔で一瞥して、フォードは息を吐いた。
「随分と荒れてんなぁ。……ロイと喧嘩でもしたか?」
 そうぼやいて人懐こい笑顔を近付けてくる。
 そして、笑みを浮かべたまま、フォードはジークの耳元で囁いた。
「ついに抱いちまったとか?」
 フォードの台詞に、ジークの大剣がフォードの胸元を突き上げる。
 フォードはわざとらしく大袈裟に咽込んでみせ、そうして次の瞬間、滅多に見せることのない真剣な眼差しでジークを見つめた。
「俺は冗談で言っているつもりはねぇぜ、ジーク」
「……判ってる」
 短くそう告げて、ジークが息を吐く。
 次の台詞を述べようと口を開くとほぼ同時に、店内がしんと静まり返る。
 息を呑む声。思わず漏れる嘆息。
 そして、人々の視線の先に、階段を降りて来る『ロイ』の姿があった。

 美しすぎる青灰色の瞳を細めて、周囲を一瞥すると、
 『ロイ』は滑るような動作で、外への扉に向かった。

 その様子をきつい漆黒の双眸で見つめていたジークが小さく舌打ちをする。
「ちっ。『あいつ』、しばらく姿を見せねぇと思ってたが……」
 そう、無理矢理ジークがロイを抱いた晩からこの数日、もう一人の『ロイ』は姿を見せなくなっていた。
 まるで、ロイが苦しむ姿を、影で観察しているかのように。

「……おい、あれ、ロイ、か?」
 ジークの隣で、言葉を失くしたままロイを見ていたフォードが、やっと口を開く。
「フォード、悪いが話は後だ」
 短くそう答え、ジークは『ロイ』の後を追った。




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