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Spirit Stones 
第2章 喪失 

答えは、簡単なはずだった――。
次第に自分を蝕んでいく、もう一つの『存在(もの)』。
それが、後に『邪神』と呼ばれる『存在(もの)』であることも、とうに理解していた。
抗ってはみるものの、次第に大きくなる存在に、
自分の人格が呑み込まれる日も、そう遠くない未来であることを思い知る。
そして、自分が取るべき『答え』は、実に簡単なものであるはずだった。
暮れてゆく夕陽を青灰色の双眸に映したまま、ロイは階下に降りてゆくジークの足音を聞いていた。
聡明な頭脳は、とうの昔に『答え』を出していた。
「……簡単なことだ……」
端正な横顔を、夕陽に紅く染めながら、口元に無理矢理笑みを乗せてみせる。
「なのに、何故……」
以前の自分なら、躊躇うことはなかっただろう。
自分に出来る最善の方法を選ぶだけのこと。
もとよりこの呪われた『生』に何の執着もなかった。
ディーンの血を継ぎながら、世界の行く末を考えたことすらない。
ただ、大切な者を守る、そのために出来うる最善の行動を取る。
それが、大切な者を傷つけることになろうとも。
それが、自分であるはずだった。
それなのに――。
「……どうしてくれる? お前が、俺を変えてしまった……」
一瞬でも長く、傍にいたい。
そうして、そのことがお前を苦しめた。
そう、お前に、あんな行動を取らせる程に。
「……ジーク、」
瞳を伏せると、あの夜のことが鮮やかに蘇る。
あの夜。
『お前と共に生きたい。そう思ってるのは俺だけか……?』
そう言葉にしながら、ジークはほとんど無理矢理にロイの身体を開かせた。
夕陽が落ち、辺りに闇が訪れても、窓辺に腰を下ろしたまま、両膝に顔を埋めるようにして、ロイが動くことはなかった。
そして、暗闇が舞い降りてくる。
『……ロイフィールド=ディア=ラ=セレン』
低く響く声が告げる。形の良い唇から零れるその声は、確かにロイのものでありながら、いつもの心地よく響くほんの少し高いロイの声とは明らかに異なっていた。そうして、強い存在感、いや威圧感といった方が良いのかも知れないが、とともに圧倒的な力が持つ確かな『恐怖』を覚えさせた。意志の弱い者であれば、その声の響きを聞くだけで、恐怖に支配されてしまうであろう、そんな印象を持つ声。
――もはやこれ以上、抑えられないかも知れない。
声が持つ確かな響きに、ロイは自分の中にある『存在』が確実な力を掴みつつあるのを感じた。細剣を握り締める手に冷汗が流れる。
――そう、選ぶべき『答え』は決まっている。
体の自由が奪われる前に、呪われた生を終わらせてしまえばいい。
『……そなたは精霊石に選ばれし者。そのことを忘れたか』
「覚えているさ。……だが、この剣ならばどうだ」
ロイの手の中で、刀身がルーン文字を浮かべていく。
『……くっく。……もはや遅い。遠く西の国で、闇の扉は完成しつつある。我らの肉体が消滅したところで、何も変わりはしない。この世界は闇に落ちる。そうして、そなたの守りたいものも、すべては闇に落ちる』
「……違う!」
何かを振り払うようにロイは大きく首を振った。
次の瞬間、何か大きな手に掴まれる、そんな感覚を覚えて――。
「……ジーク、」
一度だけ、その名を呼んで、そうして、ロイはその場に崩れ落ちた。
少しの間を置いて、『ロイ』が頭を持ち上げる。
綺麗に微笑んでみせる、美しい青灰色の瞳。
その微笑みは、いつものロイではなくて――。
そのまま華麗な動作で立ち上がり、『ロイ』が部屋を後にする。
そうして、階下の酒場に姿を現すと、静まり返る店内を一瞥し、そのまま夜の街へと姿を消した。
「おいっ、ロイっ」
ジークが駆けて来て、薄暗い石畳の上を歩くロイの腕を掴む。
振り返ったロイが浮かべる妖艶な笑顔に、ジークは目の前のロイがもう一人の『ロイ』であることを確信した。
ロイの腕を握り締めたジークの手に力がこもる。
そのジークの表情を楽しむかのように薄笑いを浮かべたまま、『ロイ』がその端正な顔を近づけてくる。形の良いその唇が触れる寸前で、ジークはロイの痩身を引き離した。
「……ロイはどうした?」
『くくっ、知りたいか?』
答える低音の声に、これまで感じたことのない恐怖を覚え、ジークの背中をぞくりと冷汗が流れる。それでも
次の瞬間。
体中を襲う激痛に、ジークは片膝を落とした。
漆黒の眼に映ったのは、
旋風を纏い、綺麗に微笑むロイの姿。
「……ロイ」
その瞬間、悪い予感がしてジークはロイに腕を伸ばした。伸ばされた腕が、ロイに触れる寸前で、空を切る。
そして、風に攫われるかのように、ジークの目の前で、ロイは姿を消した。
「お、ジーク。どうしたんだ、その怪我……。ロイは?」
宿に帰ったジークは、1階の酒場に入るなり、フォードに声を掛けられた。
「……見失った」
短く答え、息を吐く。
フォードの台詞に、ジークは自分の身体につけられた無数の切り傷から血が流れていることを思い出したが、それよりも何よりも胸の奥でざわめき続ける何かが気掛かりだった。
胸の奥がざわめき続ける。
何かが告げる、今、ロイの手を離してはならない、と。
「おい、ジーク?」
とりあえず手当てをしようとしていたフォードの手を跳ね除けて、ジークが急に立ち上がる。
小さく舌打ちして、外套と大剣を手に再び駆け出そうとするジークに、フォードが慌てて声を掛けた。
「おい、待てよ」
「嫌な予感がする。あいつを一人には出来ない」
いつにない様子のジークに、フォードの顔が真剣になる。
「……何が、あった?」
「大方、あのべっぴんさんに無理強いして、嫌われたんじゃないの?」
後方から掛けられた声に、ジークの鋭い眼光が向けられる。
酒盃を傾けながら、ジークの視線に怯むことなく、その男は立ち上がって近付いてきた。
明らかに異国の者と思われる、紅い髪と褐色の肌。
そうして、強烈な印象の、『紅』と『翠』の双眸。
その男が纏う色は、ジークに、今は此処にいない、誰かを思い起こさせた。
「……何だと?」
「あ、もしかして図星?」
くすくす笑う男の顔が近付いてくる
そして、耳元で囁かれる台詞。
「あいつのイク時の表情(かお)、堪らないよな。」
その台詞に、ジークの表情が一瞬険しくなる。
くすりと笑って男は身を翻し、ジークとの間に距離を取った。
「あんた、ジークってんだろ。」
「……」
「あいつ、あんたの名を呼んでたぜ。辛そうな眼、してさ」
口元に笑みを浮かべたまま、男が続ける。
「俺が貰ってやるよ。俺ならあんな眼はさせない。あいつを手に入れたら、誰にも触れさせず、大切にしてやるさ」
印象的な色違いの眼を細めて、男が告げた。
深い漆黒の双眸で男を見据えた後、立ち上がり、ジークは外套を翻して男に背を向けた。
「おい、逃げるのかよ」
男の台詞に、扉の前でジークが一度振り返る。
「……お前に、ロイを幸せにすることは出来ねぇ」
一言そう言い残して、ジークは扉の向こうに消えた。
「言ってくれるねぇ……」
「てめぇ、どういうつもりだ?」
ジークが消えた扉を見据えながら楽しげに呟く男のテーブルを、フォードが強く叩き付ける。
「その肌と髪の色……。てめぇ、カルハドールの人間だろう。何を考えている? 突然ラストアへ侵攻を始めたのは何故だ?」
「……それを知ってるってことは、あんた、唯の街人じゃないね。警告しておいてやるよ。その件には首を突っ込まないだ。命が惜しければね」
フォードの台詞に、色違いの双眸をすぅーっと細めて男が答える。そうして、くすりと笑みを浮かべた後、不意に何かに気付いた様子で顔を上げた。
「どうやら、網に掛かったようだ。残念だったね」
「……網? おい、待てよ」
荷物を手に立ち去ろうとする男の背にフォードが声を掛ける。
「俺の名は、ハサード。あんたのためには、もう会えないことを祈ってるけどね」
もう一度、口元に笑みを乗せて、男は扉から出て行った。
「……ハサードだと?」
栗色の髪をかき上げながら呟くフォードの声は、人々のざわめきに掻き消されていった。
