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亡霊(レイス)――。
数回の剣戟の間に、ジークの視界に入った敵の姿。
紅く冷たい光を宿すその双眸に、ジークの背中を戦慄が走る。
僅かな隙を突いて襲い来る攻撃を紙一重で交わし、ジークは亡霊たちとの間に間合いを取った。
何故、此処に、亡霊がいる――?
もう一度、心の中でそう呟き、ジークは深い霧の向こうを見据えた。
刺すような鋭い漆黒の双眸で。
亡霊どもには、通常の武器による攻撃は意味を成さない。そのことはジークも十分承知していた。
そうして、自分はその亡霊どもを倒す有効な手段、すなわち魔法(ルーン)を操る術を持たないということも。
幸い、祖国を出るときから携えているジークの愛剣には、魔法(ルーン)の加護が施されている。
幾分かは打撃を与えることが出来ると思われたが。
不気味なまでに空気が静まり返る。
ただ、石畳を歩く複数の気配と、剣鞘が立てる金属音だけが、霧雨に霞む空間を支配していた。
「……来い」
不意に湧き上がろうとする恐怖心を抑え込んで、ジークが低く唸る。
大きく一つ息を吸い込んで、ジークは大剣を構えた。
冷たい風が、薄くなり始めた霧雨の中を吹き抜け、ジークの漆黒の双眸に敵の全貌を映し出す。
闇の衣を纏い剣を携えた5人の亡霊(レイス)の姿と、その背後に従う10数人の屍人形(ゾンビ)の姿。
大剣を握り締めるジークの手が汗で滲んだ。
こいつらの目的は、何だ――?
亡霊や屍人形が意味もなくそこいらに現れるものではない。ましてや、こんな街中に。
「……ロイ、か?」
胸騒ぎが湧き上がる。
7年ぶりに再会したヴァイラスは、真っ白な神官衣を身に纏っていた。そう、邪神ザイラールの紋章を身に帯びて。
邪神ザイラール。大地母神アマリーラの弟神であり、死を司る神。
そうして、ヴァイラスはロイを『贄の君』と呼び、『我が君が降臨なさるのに相応しい』と告げた。
「てめぇらの目的は、ロイかっ!?」
最悪の事態がジークの脳裏を過ぎる。
邪神にその身を奪われたロイ。
そのロイを迎える無数の亡霊と屍人形。
楽しげに微笑むヴァイラス。
そして、闇に堕ちた世界――。
「……させるかよ」
自らに言い聞かせるように低い声で唸ると、ジークは鋭い漆黒の双眸で敵を見据え、亡霊や屍人形の行く手を遮るようにゆっくりと間合いを詰めていった。
紅く光る双眸と視線が合った瞬間、構えた大剣でその亡霊を薙ぎ払う。そのまま身体を反転させ、襲い来る次の亡霊の胸に大剣を突き刺した。甲高い呻き声とともに前に崩れる亡霊から大剣を引き抜く直前、背後の屍人形がジークに襲い掛かる。素早く左手で腰の短剣を抜き、ジークは短く息を吐いて屍人形の首を薙ぎ払った。
静かな夜の闇に、激しい剣戟の音が響き渡る。
そのとき――、
ヒュンッ。
ジークの耳に風切り音が聞こえた。
……ロイ?
続いて二度、風切り音が響き、矢を受けた屍人形がジークの足元に転がる。振り向くジークの視界に、飛んでくる次の矢の姿が映り、ほんの少し首を傾けてジークはその矢を交わした。
視界の端に、弓を構えた人物を捕らえ、その人物がロイではないことを確認する。もっとも足元に転がった屍人形を見たとき既に、矢を射た人物がロイでないことは予想がついていたが。ロイの矢が敵の急所を外れたのは見たことがなかったし、それより何よりどんな混戦中でも自分に目掛けて飛んでくることはなかったから。
「悪い、手元が狂った」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、弓を射た人物が長剣を手に駆けて来る。
「やっぱ、ロイのようにはいかないな」
そう付け足して。
「アルフ」
駆けて来た人物の名を呼ぶと、意志の強そうな赤褐色の眼差しが向けられた。
形の良い唇が即座に問い掛ける。
「……ロイは?」
その問いには答えず、無言のままジークは襲い掛かる屍人形を次々と斬り伏せていった。
全ての敵を斬り伏せた後、再び降り始めた霧雨の中で、鮮やかな『紅』が振り返る。
圧倒的な存在感を纏って。
そうして、斬り伏せた亡霊と屍人形を赤褐色の双眸で一瞥した後、長剣を一払いして、アルフはジークを見据えた。
「……で、ロイは? ……答えろよ、ジーク」
苛立った声が尋ねる。
ロイが愛したきつい赤褐色の双眸がジークを真っ直ぐに見据える。
「……あいつを一人で行かせたりはしねぇ。俺が必ず見つけてみせる」
誰に告げるともなくそう告げて、ジークは大剣を鞘に納めた。
「……どういうことだ?」
ジークの台詞の意味を図りかねて、訝しげに細められた赤褐色の瞳がほんの少し目線の高いジークの横顔を覗き込んでくる。
その直後。
「避けろっ! アルフっ。」
ジークの怒鳴り声が耳に届いた時には、アルフはバランスを崩して石畳に膝をついていた。見上げると、アルフを背に庇うようにしながら正面を見据えるジークの姿が視界に入る。
次の瞬間、闇の呪文(ルーン)とともに襲い掛かる閃光を、ジークが左手で斬り伏せた。
「……出て来いよ、ヴァイラス」
立ち込めるジークの気迫に、周囲の霧雨が蒸発していくかように見える。そうして、ジークとアルフの視界に、その人物が姿を現した。
真っ白な神官衣を纏って、
腰まで届く見事な銀髪を揺らせて、
冷たい笑みを浮かべて。
「久しいな、ジークディード」
笑みを浮かべたまま、ゆっくりとヴァイラスが近付いてくる。ジークの後ろにアルフの姿を確認して、ヴァイラスはぞっとするような残虐な笑みを浮かべた。
「さて、ジークディード、その腕に贄の君を抱いた感想は?」
ヴァイラスの台詞に、ジークの背後でアルフがぴくりと反応する。
「想像通り、お前の手で無理矢理身体を開かれていく姿が、これまでで一番美しかった………」
「無理にだと?」
何かを思い出すかのようにうっとりと瞳を細めるヴァイラスの台詞に、ジークを押し退けるようにして口を挟んだのはアルフだった。
「どういうことだ!?」
「言葉のとおりですよ、炎の君。贄の君が此処におられないことが何よりの証拠でしょう?」
くすくすと楽しげに笑みを零すヴァイラスに、アルフのきつい双眸が紅く染まっていく。
「いい加減なことをっ」
真一文字に閃くアルフの長剣を難なく交わして、ヴァイラスは涼しげな笑みを浮かべたまま、片手を翳した。
「無駄なこと。精霊石も力も失くしたあなたに何が出来るというのです?」
ヴァイラスの手の中に集束していく光の塊。その光の束がアルフを襲う直前、鈍い金属音とともにジークの大剣がその光を弾き返した。ほんの一瞬、ヴァイラスの口元から笑みが消え、双眸がすうっと細められる。
「……いいでしょう、ジークディード。今日のところは私が退いてやろう」
冷たい表情のまま両手を拡げると、深い霧雨が次第にヴァイラスの姿を覆い隠していった。
「会えると良いですねぇ……。もっとも、我が君の優秀なる下僕どもが贄の君をお連れする方が早いやも知れませんが……」
霧に向かい踏み込むジークの大剣が空を斬る。
ただ、ヴァイラスの高笑いだけが、いつまでも木霊していた。