Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Spirit Stones 

 第3章 再会 
第1話 Precious−かけがえのないもの−


 何ものにも執着は持つまい、と、
 そう心に決めていた。
 あの頃の自分は、一つの存在――アルフ――を守るだけで精一杯だったのだから。

 それなのに。
 左腕に光る、銀の腕輪。
 それは、忌まわしい記憶でしかなかった筈の自分の『誕生日』に、ジークから贈られたもの。

 それだけは、失くしたくない、と、
 そう思っている自分に気付いた。


『……何だ、足掻いてみるか? ロイフィールド』
 シーランス特有の濃い霧雨の中、左腕にある銀の腕輪を握り締めるようにして足を止めたロイの唇から低い声が漏れる。
 その声は、何かを楽しむようなくぐもった低音で――。
 いつもの、ほんの少し高くよく通るロイの声とは明らかに異なっていた。
『……抗っても無駄なこと』
 そう呟くと、ロイの意志とは無関係に片方の唇が持ち上がり、ロイが妖艶に微笑む。
『お前には、闇の色がよく似合う』
 その楽しげな低音の響きに、暗闇から光を掬うように銀の腕輪を見つめていたロイの焦点が再びぼやけ始める。そうして、美しい青灰色の瞳に再び影を落とし、霧雨にしっとりと濡れた艶やかな黒髪を掻き上げて、『ロイ』はゆっくりと振り返った。
 ロイの後をつけて来ている数人の男たちを、濁った青灰色の瞳に映して。
『この身体に、分からせてやろう。ロイフィールド』
 そう楽しげに告げて、『ロイ』は男たちを誘うように青灰色の瞳を細めた。

 裏通りに存在する、一つの宿。
 男たちに促されるままに辿り着いたその宿の薄暗い一室で、『ロイ』は複数の男にその身を任せていた。
 揺らめく燭台の炎が、ロイの白い肢体を艶めかしく浮かび上がらせる。
「……はぁ……んっ……。あっ……っ、」
 男たちの動きに合わせて、形の良い唇から誘うような甘い吐息が零れ、美しい青灰色の双眸がうっとりと細められる。その美しい様にごくりと息を呑み、抑え切れない様子で、次の男がロイのしなやかな両下肢の間に割って侵入してくる。
「……い、や……っ、……あっ……、」
 ほんの一瞬だけ、開かれた青灰色の瞳と掠れた声が抵抗を試みるが、その微かな抵抗は返って男たちの残虐心を煽るだけの結果に終わる。そうして、次々と狂ったようにむしゃぶりついてくる男たちを受け入れながら、『ロイ』は楽しげに笑みを浮かべた。

「……ハサード様、こちらです」
 そう促されて、ハサードは静かに扉を開いた。色違いの瞳に、男たちにその身を委ねて妖艶に笑みを浮かべるロイの白い肌が映る。
「……ロイフィールド」
 その声に気付いたのか、潤んだ青灰色の瞳がハサードに向けられ、そうしてほんの一瞬だけ像を結んだように思えた。ゆっくりとした動作でロイの右手がハサードへと伸ばされる。救いを求めるかのように伸ばされたその手を取ろうと、知らず踏み出したハサードを金髪の少年が制した。ハサードの瞳に、力なく落ちていくロイの白い手が映る。
「あの手を取って、どうなさるおつもりですか? ハサード様」
 そう告げる金髪の青年に視線を戻し、ハサードは息を一つ吐いた。
「……オルトか」
 オルトと呼ばれた小柄な青年は、淡い金髪に碧の双眸で、目深に外套を羽織ったまま、ハサードを見上げていた。手にした杖が、彼が魔法使いと呼ばれる存在であることを物語る。
「まさか、あなたともあろうお方が、あのような者に惑わされたとでも?」
 嘲るように細められたオルトの双眸は、そのまま寝台で乱れるロイに向けられる。
「……忌々しい、呪われた存在」
 吐き捨てるようにそう付け足し、再び冷たい碧の双眸がハサードを見つめた。
「もう後には戻れないのですよ、ハサード様」
「……分かってる。あいつを国に、ヴァイラスの許に連れて行く。あいつには邪神とやらの生贄になってもらう。他に道はない。ただ……」
「ただ?」
 言い掛けた台詞を飲み込んだ色違いの瞳が、ロイの姿を映して揺らめく。
「……いや、もう言うまい。このまま闇に堕ちてしまえば、ロイフィールドももう苦しむこともない……」
 誰に告げるともなく漏らしたハサードの台詞に、隣に立つオルトがぞっとするような視線を向けてくる。
「このまま? ……私は、そう簡単に楽にさせるつもりはありませんけど」
 そう言い放ち、口元に薄笑いを浮かべて、オルトが静かに闇の言葉を紡いでいく。
 その冷たい視線に、ロイの左腕に光る銀の腕輪を捉えて。
「なるほど。それがあなたを繋ぎ止めているものですか」
「……オルト?」
「ハサード様。面白いものをご覧に入れましょう。」
 碧の双眸を細めたオルトが右手にした杖を翳すと同時に、寝台の方から悲鳴に近い声が聞こえてくる。振り返ったハサードの瞳に映ったのは、宙に浮かぶ、銀の腕輪。そうして、先程までとは明らかに違う色を浮かべた、青灰色の瞳。
「……嫌、だっ……」
 ほんの少し前まで、男たちの成すがままに揺れていた瞳が、しっかりと銀の腕輪の姿を捉え、
「これだけは……っ。……渡さ、ないっ」
 ほんの少し前まで、力なく落ちていた白い腕が、懸命にその腕輪へと伸ばされる。そうして、大切なものを抱えるように、ロイはその腕輪を掴み、自らの胸元に抱き寄せた。

 一瞬、空気がしんと静まり返る。
 その直後、一陣の風が吹き抜け、ロイの周囲を舞った。
 自分たちの王の周りから暗闇を一掃するかのように。そうして、愛しいものを守るかのように。

 風に舞った黒髪が白い肩に落ちると、一つ息を吐いて、ロイは美しい青灰色を開いた。
 その瞳に、肌蹴た衣服が掛かっただけの自分の姿と、周りに群がる男たちの姿を確認して、聡明な頭が的確に状況を把握していく。
 闇にこの身を委ねかけていたことを。
 そうして、今手の中にある腕輪が――、ジークの想いが、自分をこの世界に繋いでくれたことを。
 静かに瞳を伏せ、ロイは自らの左腕に銀の腕輪を納めた。
「一度だけ言う。今すぐ此処から出て行け」
 静かな、それでいて有無を言わせない声がそう告げる。寝布を纏っただけのロイの立ち姿は、壮絶な色香を漂わせていた。それでいて再び開かれた青灰色の瞳には、強い意志と迫力が宿っていた。その瞳に見据えられ顔色を失くした男たちの前に、ロイがゆっくりと手を翳す。
「……俺が、『風』を呼ぶ前に、去れ」
 吹き抜ける風がロイの蒼がかった髪を靡かせた瞬間、男たちは慌てて扉へと駆け出していった。男たちの気配が遠のくのを感じながら、ロイがゆっくりと手を下ろす。
「……ふふ……、風を呼ぶ力など、もうないのに……」
 そう告げて、膝から崩れた落ちたロイを、抱き止めたのはハサードであった。ロイの視界に、ハサードの紅い髪と、紅い左眼が映る。それは、夕陽を浴びた懐かしい姿によく似て――。
「……アルフ」
 一言名を呼ぶと同時に、ロイは意識を手放した。


 寝台の端に腰を下ろし、眠りにつくロイの黒髪に指を絡めながら、ハサードは色違いの双眸でロイを見つめていた。時折、白い額に浮かぶ汗をそっと拭ってやる。
「……嫌、だ……。ジーク……」
 色を失くした薄い唇から、止め処なく零れる言葉は何を意味するのか――。
「……ジー、ク、」
 銀の腕輪を強く握り締めながら、その口は唯一人の名を呼び続ける。固く閉ざした双眸から零れる一筋の涙が、血色を失くしたロイの白い頬を伝っていった。


「ここ、は?」
 美しい青灰色の双眸が開かれたのは、それから3日後のことであった。開いた双眸に、窓辺に立つハサードの後ろ姿が映る。
「……アル……、」
 呼び掛けて、アルフとは異なることに気付き、ロイは口を閉ざした。物音に気付いたハサードがゆっくりと振り返る。
「目、覚めたか」
 印象的な色違いの双眸が、ロイを見つめた。
 小ぎれいな部屋。整えられた夜着。
「……礼を言う」
 周囲の状況から、目の前で微笑む色違いの瞳を持つ男に救出されたことを推測し、短く礼を告げると、ロイは身を起こして、身支度を整え始めた。
「おい、まだ無理だ」
 止めようと伸ばされたハサードの腕を、ロイの腕が軽く弾く。
「それでも、俺は行かなくてはならない。……俺が俺である限り」
 凛とした声が、静かな部屋に響いた。青灰色の瞳に銀の腕輪を映して、ロイがゆっくりと言葉を続ける。
「……どんなことをしても、失いたくないものがある……」
 傷つけると分かっていても。傷つくと分かっていても。
「……そのために、呪われた運命に立ち向かうというのか?」
 窓から差し込む夕闇を背に、ハサードが告げる。一つ笑みを浮かべて、ロイはゆっくりと頷いた。
 レイピアを腰に、矢筒を背にして、弓に手を掛ける。
「分かった。お前の運命を、見届けてやる」
 そう告げて、ハサードは曲刀(シャムシール)を手にした。

 扉の向こうで、物音がする。それが何であるか、ロイには何となく分かっていた。
 おそらくそれは、自分を迎えに来た闇の者たち。
 自分の中で大きくなりつつある闇の存在に、呼応するかのように。

「……来い。俺の行く手を阻む者は容赦しない」
 澄んだ声で言い放ち、ロイは長弓を構えた。




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