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夜の帳が降りてくる。
それは、ロイの意志とは無関係に、
禍々しい闇の気配を伴って―。
一つ息を吐いてから、青灰色の瞳を開いて、ロイは前方の扉を見据えた。
ほんの少し首を傾げ、長弓を構えて。
薄暗い部屋の中でも、ロイのその容貌は際立って見える。
真っ直ぐに向けられた、意志の強い青灰色の双眸。
線が細いながらも、しっかりと均整の取れた体格。
そして、風に舞う黒髪。
――精霊に愛されし者、か。
色違いの瞳にロイの姿を映しながら、ハサードは心の中で呟いた。
ロイフィールド=ディア=ラ=セレン。
ヴァイラスに説明を受けるまでもなく、その名は知っていた。
『父』と呼ぶのもおぞましいあの男が、珍しく楽しげにその名を口にしていたことも覚えている。
賢王と名高かった、セレン国王ミルフィールド王。その王が崩御した後、行方不明になったとされるロイフィールドが、実は北の塔に幽閉されているらしいことも聞いたことはあった。
もっとも、ダンフィールド王の慰み者にされていたという事実は、ヴァイラスに聞かされるまで知らなかったが。
実の叔父に苛まれ続け、そうして風の精霊石を手にしてセレン王国を脱出した後も、次々と男たちに抱かれ続けてきたと、ヴァイラスは楽しそうに語っていた。
そこに、どういう想いがあったのかは知らない。
いずれにせよ、再び祖国セレンに戻り、魔獣と対峙して――。
そうして――。
「……自分の宿命を、呪ったことはないのか?」
気が付けば、ハサードはロイの横顔に問い掛けていた。
その問いに、一瞬だけ、美しい青灰色の瞳が向けられる。
そして、
「……あるさ」
澄んだ声で答えるのと同時に、ロイの長弓から矢が放たれる。その矢は寸分の狂いなく、前方の古びた木の扉の隙間を貫き、屍人形(ゾンビ)の胴体に突き刺さった。続いて2度矢を放った後、扉が開かれるのを確認して、ロイはレイピアを構えた。
「俺を迎えに来たのだろうが……。残念だが、まだ行くわけにはいかない」
気迫を纏ってそう告げ、流れるような動作で、レイピアを扱う。ロイの剣技にしばし見惚れたハサードが、すぐさま曲刀(シャムシール)を振い、参戦した。そうして、独特の剣術で、次々と屍人形を斬り伏せていった。
「なあ、ロイフィールド。運命を変えられると、そう思うか?」
目の前の最後の敵を薙ぎ払った後、ハサードはロイの背中に問い掛けた。風を切る鋭い音とともに、ロイがレイピアを鞘に納めているのが視界に入る。そうして、乱れた髪をかき上げながら、ロイがゆっくりと振り返った。
「さあな。だが……、」
開いたロイの左手に風が舞い、それに呼応するかのように、銀の腕輪が光を放つ。
「……望みを捨てることは出来ない。」
青灰色の瞳に銀の腕輪を映して、ロイは静かな声で告げた。
「後悔したことは、ないのか?」
「……後悔?」
瞳を上げて、ロイが自嘲気味にくすくす笑みを零す。
「あるさ」
それでも、ジークといたいから――。
「俺は、あいつを苦しめるだけの存在だからな」
そう付け足して、ロイは美し過ぎる青灰色の瞳に、ハサードの姿を映し出した。
褐色の肌に、紅い髪。そして何よりも、色違いの瞳の片方――紅――に、強烈に視線を奪われる。
初めて見たあの夜は、あまり意識しなかったが――、
アルフの纏う色に、似過ぎている。
「……お前の名は? カルハドールの人間だろう?」
青灰色の瞳で真っ直ぐにハサードを見つめ、そうしてロイは静かな声で問い掛けた。
「カルハドールは……、あの男に、ヴァイラスに堕とされたのか?」
ロイの問いに、ハサードの色違いの双眸が見開かれる。
「……何故、そう思う?」
「あの夜、お前は『ラストアが堕ちる』と言った。それは、カルハドールが侵攻するということだろう。大国同士がぶつかれば、ただでは済むまい。そんなことを喜ぶ人間はそういない。そして、お前は俺のことを知っている。邪神とやらのことも。そこから導かれる答えは、あの男がカルハドールにいるということ。そうして、カルハドールはあの男の手に堕ちたということ」
「……堕ちた、か。その方がましかも、な」
独り言のように呟くハサードの声に、ロイが青灰色の双眸を細める。
「……王が、道を誤った、か」
静寂を破るように漏らされたロイの言葉に、ハサードが双眸を見開く。次の瞬間、乱暴に胸倉を掴み上げられ、そのまま壁に背を打ち付けられてロイは小さく咽込んだ。
「ああ、お前の言うとおりだよっ!」
ロイを見下ろす色違いのきつい視線。
「王はヴァイラスの言いなりだ。あいつの力の、そして、邪神とやらの魅力の、な。得体の知れない力を求めて、その虜になって……。そうして、それに立ち向かえるほどの勇気は、俺には、ない……っ」
きつく噛み締めたハサードの唇から、一筋の鮮血が流れ落ちていく。その様子を、吐かれる台詞の一つ一つを、その奥のハサードの想いを、ロイはただ静かに青灰色の瞳に映した。
ロイの脳裏に、自分の歩んできた過去が、浮かんでは消えていく。
大いなる力の渦に、成す術もなく、選べる道も見出せず――、
自分に出来うる最善の道を選んできた、そう思っていた。いや、そう思おうとしてきた。
叔父の狂気を止められず、叔父に抱かれ続け――、
アルフを失うことを恐れて、精霊石を手にして、アルフを祖国に置き去りにて――、
自分が許せなくて、身体を穢し続け――。
ただ、ほんの少しだけ、先に進む勇気を、ジークが教えてくれたと、そう思う。
そのジークを追い詰めてしまったのが、他ならぬ自分で――。
どうすればいいのか、答えは見つからなくて。
自分はまた、道を見失うところだった。
ジークが、告げる。
お前が、望む道は何か、と。
『どうすればいいのか』ではなく、『どうしたいのか』と。
ロイの周囲を、やわらかい風が流れる。
色違いのきつい視線を受け止めて。
「……ロイフィールド。俺には、他に道は見つけられないんだ。俺は、お前を連れてくるように言われて、此処に来た。お前を邪神とやらの生贄に捧げるために……。だが、」
ロイを壁に押し付けていたハサードの腕の力が、不意に弱まる。
そうして、両腕を広げ、ハサードはロイの痩身をふわりと抱き寄せた。
「……初めてお前を見つけたとき、お前は闇に染まろうとしていた。そのお前を抱いて、そのまま国に連れ去ろうと、そう思っていた。それなのに、お前の危うさに、そして、お前の強さに、どうしようもなく惹かれた」
片手でロイの下顎を抑えて、ハサードがロイの薄い唇を奪う。青灰色の双眸を開いたまま、ロイはその貪るような口付けを受け入れた。長い口付けの後、色違いの瞳にロイの姿を映して、ハサードが続ける。
「……先日、数人の男たちに身を任せて、闇に堕ちていくお前を見て……、このまま、お前が気付かないまま、終わらせてやろうと、そう思った。それなのに、お前はまた前に進もうとする。そんなお前を……」
続くハサードの台詞を遮ったのは、ロイの鋭い声だった。
「伏せろっ、ハサード」
そうして、ハサードが気付いた時には、二人はもつれるように冷たい床に転がっていた。
「……くっ、……つぅ。」
見上げると、ハサードを庇うように覆い被さるロイの苦痛の表情があった。その背後に亡霊(レイス)の姿を確認して、ハサードが素早く呪文の詠唱を開始する。次の瞬間、ロイの肩越しに、ハサードの手から炎が舞い上がり、瞬く間に亡霊が炎に包まれていった。
ロイの下から滑り出し、素早い動作でハサードが亡霊に一撃を加える。呻き声を残して、亡霊が窓から落ちていくのを確認して、ハサードはロイに視線を戻した。
「おいっ、ロイフィールドっ。しっかりしろっ」
右肩を抑えながら、低く唸るロイの傍に駆け寄る。
元より抜けるように白いロイの肌は、更に血の気を失くして。
いつもは彫像のように涼やかな表情には、苦痛の表情を浮かべて。
ロイの右肩には、明らかに重傷と見てとれる刺し傷があった。
「……何故、俺を庇った……っ」
素早く布を裂いて止血しながら、ハサードが震える声で問う。その様子に気付き、ロイは硬く閉ざしていた青灰色の瞳をうっすらと開いて、左手でハサードの頬に触れた。
「……泣くな。……アルフの、泣き顔を……、思い出す……」
宥めるように、口元にかろうじて笑みを浮かべてそう告げた後、ロイの左手が床に落ちる。
「おいっ、ロイっ」
抱き起こそうとして、ふと背後に立つ気配に気付き、ハサードは視線を巡らせた。薄く笑みを浮かべているオルトの姿が視界に入る。
「おやおや、亡霊の毒が回ったようですね……」
「……オルト」
「そんなに怖い顔をなさらなくても、助けてみせますよ。私とて、こんなに簡単に終わらせるつもりはありませんしね」
そう告げて、オルトはロイに向けて、杖を翳した。
ただ、口元にだけ笑みを浮かべて。