Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Spirit Stones 

 第3章 再会 
第4話 Beside−お前の傍に−


 ジークの耳に、きりりという弦の音が聞こえる。
 開いた漆黒の瞳に、弓を構えて真っ直ぐに立つアルフの姿が映った。

 しっかりと背筋を伸ばして、ほんの少し首を傾げて、アルフが構える弓の先は、寸分違わずジークの眉間に向けられていた。

 赤褐色の瞳が、怒りを帯びて炎の色に染まって見える。

「俺には、あんたを恨む権利がある」
 ――あんたが、何より大切なロイを傷つけたというのなら。

「あんただから、俺はロイを止めなかったんだ」
 ――あんたしか、ロイを幸せには出来ないとそう分かってしまったから。

「……なのに、何であんたなんだ。何であんたがロイを……っ」

 懸命に堪えたはずの涙が、赤褐色の瞳に溢れる。
 感情を抑えたはずの声が、微かに震えるのを止めることはもはや出来なかった。

 涙で歪む視界に、ジークの姿が映る。

 ジークは、広場の端にある噴水に腰を下ろしたまま、開いた両足の間に立てかけた大剣に左手をかけてその身を預けるようにしながら、ほんの少しだけ顔を上げ、深い漆黒の双眸で真っ直ぐにアルフを見つめていた。
 噛み締めていた唇をほんの少し開いて、ただ静かに一つ息を吐いて。

 そう、まるで静止画であるかのように。

 ただ、きつく握り締める両手だけを微かに震えさせて。


 アルフが再会した日も、ジークはこの場所にいた。
 翌日も、その翌日も。陽が落ち、暗闇とともに街中に亡霊(レイス)や屍人形(ゾンビ)が跋扈するようになっても、ジークは決してこの場所を動こうとはしなかった。
 日ごとに危険になるこの場所から。

 『……ロイと約束した場所だ』

 ある日、動こうとしない理由を問い詰めると、ジークは短くそう告げた。


 静かに伏せる瞳の奥に、握り締める拳の中に、この男は一体、どれほどの想いを抱えているのだろう。

 ――おそらく、この俺には決して見せることはないのだろうけど。

 ロイもそうだった。
 「つらい」と一言も漏らしたことはなかった。
 あんな目にあった時でさえ。

 ロイに『守られる』立場ではなくて、ロイを『守る』立場になりたかったのに。

 それなのに――。

 アルフの胸にさまざまな想いが込み上げてくる。
 構えた弓を下ろし、片手でぐいっと涙を拭き取って、アルフは唇を噛み締めた。
 限界だった。
 堪えきれない涙が、ぽたぽたと石畳の上に地図を作っていく。

 しばらくして、ふわりと包み込むように抱き寄せられ、アルフは顔を上げた。
 それがジークの腕の中だと気付いたときには、暖かいその感触に縋りつくようにジークの外套を握り締めていた。張り詰めていた糸が切れるように、ジークの胸元に顔を埋めて、そうしてアルフは声をしゃくりを上げて泣き出した。

「……俺、ロイを、幸せにしたい……っ」
 かろうじて、そう告げる。
「大丈夫だ、大丈夫。必ず見つけ出してやる。お前のロイを不幸にはしない。何があっても、必ずだ」
 アルフの頭の上で、そう約束する低い声が聞こえた。
「……すまねぇ。二度とあいつの手を離したりしねぇ。この俺の、全てを懸けても」
 無骨な指で薄茶色の短髪を撫でてやりながら、ジークは何度も何度もそう囁き続けた。

「……ロイ?」
 不意にアルフが顔を上げる。そうして、しばらく瞳を伏せ、風を感じた後、もう一度口を開いた。
「ロイだ、ロイが近くにいる」
 そう告げるか否か、ぱっと顔を輝かせてアルフは駆け出していた。
 ジークも気を巡らせてみる。アルフのように風の精霊の声を聞くことは出来ないけれど、吹き抜ける風の中に微かにロイの気配を感じることは出来た。
 ただ、その気配にほんの少しだけ違和感を覚えて、ジークは眉を顰めた。

 次の瞬間。
「うわぁあっ!!」
 アルフの悲鳴を耳にして、ジークが顔を上げる。視線の先には、炎に包まれるアルフの姿があった。
「アルフっ!」
 叫ぶように名を呼び、大剣を手に石畳を駆ける。
 ほんの一瞬、気配に気を奪われ油断してしまったことを悔いながら。

 ――無事でいてくれ。
 そう心の中で切に願って。

「精霊石を失ったからといって、舐めるなっ!」
 アルフの声とともに、ジークの前に一際激しく炎が舞い上がったかと思うと、次の瞬間アルフを包む炎は姿を消した。アルフの左手の中にだけ、小さな真紅の炎を残して。

「アルフっ。無事かっ」
「この俺が、炎にやられるわけないだろう」
 駆け寄ったジークに、アルフが答える。そうして、少し離れた処に浮かぶ、黒い霧のようなものを指差して、付け足した。
「……精霊が、正気を失くしている……。炎の精霊だけじゃない。あの霧ん中には、大地の精霊も、水の精霊も、風の精霊も封じられている……。歪んだ形で……。一体誰が……?」
 炎を手の中に納め、長剣を握り締めるアルフの手に汗が滲む。
「アルフ、来い」
 低い声でそう告げ、ジークはアルフを背に回しながら黒い霧と対峙しようとした。
「……あんた、何考えてるんだ……」
「お前に何かあったら、俺はロイに殺される」
 口元に笑みを浮かべて見せながら、ジークが答える。そのジークの背に向けて、アルフは息を一つ吐いた。
「あんたに何かあったら、ロイはこの世からいなくなる」
 そうぼやいて。

 そうこうしていると、黒い霧から幾筋もの鋭い水の槍が飛んでくる。
 その槍を交わしながら、ジークとアルフは一瞬で間合いを詰めた。

 2人が剣を閃かせた瞬間、2人の間を疾風が駆け抜ける。

 それは一瞬の出来事で、次の瞬間には黒い霧は消滅していた。

 そうして、
 開けた視界に映ったのは、風を纏い、歩いてくるロイの姿。

 ロイの周囲には、柔らかい風が舞い、ロイの蒼い黒髪を靡かせていた。
 吸い込まれるように綺麗な青灰色の瞳が見つめる先は、ロイの白い手の中にある1つの透明な球体。

「……あれ、は……」
 その球体に、アルフの視線が釘付けされる。

「くすくすくす。確認させていただきましたよ……、贄の君。」
 その時、不意に頭上から声が響いた。
「ヴァイラスっ!」
 大剣を構えて、鋭い眼光で宙を睨みつけるジークに、ヴァイラスの笑い声が更に高くなる。
「やはり、あなたは手にしていたのですねぇ、その“石”を。なかなか見せて下さらないから、持ってらっしゃらないのかと疑ってしまいましたよ」
 宙に浮いたまま、瞳を細めて舐めるようにロイの姿を見下ろす。そうしてジークに視線を戻して、ヴァイラスはぞっとするような微笑を浮かべた。
「良かったですねぇ。ジークディード。お前の大切な君は、精霊石に選ばれた。これで選ばれしその肉体は、決して消滅させることは出来ない。そう、贄の君が望むにしろ望まないにしろ……。そうしてその選ばれし肉体に我が君が降臨なさるのもそう先の話ではない。それまで、せいぜい陵辱するがいい。どんなに傷つけても肉体を消滅させることは出来ないのだから。はははっ」
「何だとっ!」
 ジークの大剣がヴァイラス目掛けて閃く。剣が届く直前で、ヴァイラスは姿を消した。
「……次に会える日を楽しみにしてますよ」
 そう高らかな笑い声を残して

「ロイっ」
 透明に輝くその球体を手の中に納め、ロイは駆け寄るアルフを両腕で受け止めた。
「アルフ……。何があった? 何故お前がここにいる?」
 透き通るような声がアルフに問い掛ける。そうしてぎゅっと抱きついて離れようとしないアルフに、一つ溜め息を漏らして、ロイは柔らかい薄茶色の髪をそっと撫でた。

 ふと、少し離れた位置で、自分たちを見つめる漆黒の瞳と視線がぶつかる。

「…………?」
「ロイ?」
 アルフの髪に手を添えたまま動かなくなったロイに、アルフが心配そうな視線を投げかける。美しいロイの青灰色の瞳は、真っ直ぐにジークの姿を映していた。
 視線を外す方法すら忘れたかのように。
 そうして、名を呼ばれてやっとアルフに視線を戻したロイの口から出た台詞は、次の言葉だった。

「……彼は、誰だ?」




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