Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Spirit Stones 

 第4章 宿命 
第1話 Destination−宿命−


 『自分』という存在が、中から侵食されていく感覚に、
 抑え込み続けていたロイの『恐怖心』が顔を上げ始める。
 薄れていく自分の輪郭を取り戻そうと足掻いてはみるものの、
 失われたものは大きすぎて――。

 どうすればいいのかなんて、分からなかった。

 ただ、自分らしくもない焦燥感を抑え切れなくて。

 気が付けば、制止するハサードの手を振り切って、『ここ』に向かっていた。

 『ここ』に答えがある、と、何故だかそう確信していたから。

 一瞬でも早く、その場所に辿り着きたくて、ロイは石畳の上を全力で駆け抜けた。
 右肩がずきんと痛んだが、それが却って薄れていきそうになる意識を辛うじて繋ぎ止めていた。


「……アルフ」

 辿り着いた場所に、アルフの姿を確認して、ロイは安堵の息を漏らした。
 耐え難い焦燥感の理由を見つけたことに。
 心の何処かで湧き上がる違和感を、無理矢理に抑え込んで。

 そう、『ここ』に辿り着いた瞬間から、ロイの視線を奪い続ける存在があることを、懸命に否定しながら。

 その存在は、一見冒険者か賞金稼ぎのような風体で、使い古された堅い皮鎧の上に深緑色の外套を纏い、大剣を手にしていた。
 重そうな大剣を軽々と扱うその様は、豪快でそれでいて何処か洗練された印象を受ける。
 動きに合わせて舞う、短い褐色の髪。
 そうして、深い漆黒の双眸が、ロイを捉えた。

 ――どくんっ。

 心臓を鷲掴みされたかのように、鼓動が高鳴る。
 形容し難い感覚に、ロイは小さく何度か首を振った。
 アルフの姿すら霞めてしまう、目の前の存在を否定するかのように。
 それでいて、どうしても視線を外すことは出来なかった。

「……ロイ?」
 自分の腕の中から聞こえるアルフの声に、辛うじて自分を取り戻す。

 そうして、一つ息を吐いて、高鳴る鼓動を抑えるように出来るだけ冷静な声で、ロイは言葉を選んだ。

「……彼は、誰だ?」

 ロイの台詞に、漆黒の瞳が一瞬見開かれる。
 その瞳に、ロイは自分の胸がきりりと軋むのを感じた。

「……誰って……、ロイ?」」
 驚きにアルフがロイの顔を覗き込む。
 意地悪なロイの性格は十分に承知していたし、ジークとの間に何があったかも聞いている。
 それでも、決してこんな冗談を言うロイではない。

「ロイ? 何言ってるんだ? どうかしたのかよっ!」
 アルフがロイに詰め寄る。 「……よせ、アルフ」
 ロイの両肩を掴んで大きく揺さぶっていたアルフを止めたのは、他ならぬジークであった。アルフの腕を掴んでロイから引き離し、一つ息を吐く。
 そうして、
「……初めまして。俺の名はジーク」
 ジークの静かな低い声が、そう告げた。



 宿に帰るなり、アルフは不機嫌そうに、寝台に腰を下ろした。
 心配そうな赤褐色の瞳が、窓辺に腰掛けたまま、ぼんやりと月を見上げているロイの姿を映す。しばらくして、その赤褐色の瞳は今度はきつい視線となって、ジークを睨み据えた。
「……ジーク、あんた、いいのかよ」
 低く告げるアルフの声に、ジークが視線を投げ掛ける。
「ロイが、消し去りたい記憶だというのなら、それでもいい。とにかく、今のロイを追い込むのなら、例えお前でも容赦しねぇ」
 唸るような声でそう答えて、ジークが立ち上がる。
 そのまま、窓辺に腰掛けるロイに近付いていくジークの後姿を見ながら、
「あんたとの記憶を、ロイが消し去りたいわけがないだろうが」
 と吐き捨てるようにアルフは小さく声にした。

 触れようとした瞬間、びくりと反応するロイに苦笑しながら、ジークはロイの隣に腰を下ろした。
「……心配するな、肩を診るだけだ」
 ジークの言葉の意味を理解して、ロイがいぶかしげに青灰色の瞳を細める。

 完璧に隠していたつもりだった。
 気付かれていない自信があった。
 それなのに――。

「……結構。大した傷じゃ……」
 静かな声でロイがそう答え終わるか終わらないうちに、
「……嘘つけ」
 短くそう告げたジークが、素早い動作でロイの肩を抑え込む。
 肩に走る激痛に冷汗を落としながら、それでもロイは表情一つ変えようとしなかった。その視線がアルフの姿を映していることに気付いて、ジークが小さく舌打ちする。
「……あいつには、知られたくない、か……」
 ぼやくようにそう告げ、もう一度舌打ちしてから、ジークはロイの身体を開放した。

「ロイ? 大丈夫か?」
 駆け寄るアルフに、ロイが笑みを浮かべる。
「ああ。心配いらない。簡単には死ぬことすら許されない身だからな」
 自嘲気味にそう答えるロイに、アルフの顔から表情が消え、少し離れた位置でジークが漆黒の瞳を細めた。
 アルフがロイの左腕を掴む。
 今は手の中に納められているであろう透明な石のことを思いながら。
「ロイ。……やっぱり、『あれ』は、精霊石なのか。」
「何だ、アルフ。少しは勉強したか。」
 くすくす笑うロイの黒髪がふわりと風に舞う。
「隠していても仕方ない。うすうすは感じていたが、どうやら精霊石に選ばれてしまったらしい。死という誘惑に負けそうになることもあったが、結局、自由に死ぬことも許されない身になるとはな。初代王ディーンがそうであったようにいずれはこの命、精霊石に吸収されるのだろうが、どうやらそれまでは死ねないらしい。さて、それまでの間に、邪神とやらが降臨してしまっては厄介だな。何たって、精霊石の力は使い放題。身体は簡単には死なないときてる」

 いつもと異なる饒舌なロイを、少し離れた位置で、ジークの漆黒の瞳が見据える。

 ロイが持って生まれた宿命は、常人には重過ぎる。
 それでも、これまでその全てを自分の内に抱え込んで生きてきたロイである。
 意味もなく、こんなことを口にするとは考えられない。
 ましてや、ロイが唯一大事にして止まないアルフを相手に、である。

 ロイ、お前、何を考えている――?

 口にはせず、ジークはロイの次の行動を静かに見守った。
 次に告げられるであろう言葉を、何処か予想しながら。

 案の定、自嘲気味にくすくす笑っていたロイが、腰に提げた細身の剣(レイピア)をアルフに差し出す。
 そうして――。

「アルフ。お前、俺の命を絶てるか?」
 そう切り出したロイの表情は、いつもの涼しげなままで。

「…………俺が? ロイを……?」
 少しの間を置いて、赤褐色の瞳を見開いたままアルフが、かろうじてそう言葉を返す。そんなアルフの様子を青灰色の瞳に納めたまま、ロイは言葉を続けた。
「ああ。この剣には魔法(ルーン)が施されている。この剣の由来はお前も少しぐらい知っているだろう」
 大して表情を変えることなく、淡々と紡がれていく台詞。そうして、目の前に差し出される剣。その剣を受け取ることがどうしても出来なくて。
「……」
 そんなアルフの様子を青灰色の瞳に映して、一つ息を吐いて、ロイは瞳を伏せた。


「心配するな。その命、俺が絶ってやる。……誰にもやらねぇ。」
 後ろから聞こえる低い声に、ロイが青灰色の瞳を開く。そうして振り返った視線の先には、瞳を伏せて腕組みしたままのジークの姿があった。
 その声の響きに安堵するかのように、ロイがくすりと笑みを浮かべる。


 次の瞬間。
 ジークが短剣を投げたのと、ロイたちが扉の向こうの気配に気付いたのはほぼ同時であった。
「一つだけ、方法がなくもないんだけど」
 短剣を片手で受け止めながらそう告げ、扉の向こうから現れた姿に、ロイが声を上げる。
「ハサード……、」
 名を呼ばれ、ロイに笑みを一つ送ってから、両手を挙げて戦意がないことを示し、ハサードは部屋に入ってきた。
「……カルハドール。全ての始まりはあの国の北西、大絶壁にある。そこに存在する邪神の魂を封印すればいい。そう、あいつが蘇る前に、ね」

「罠だっ!」
 ハサードの提案にそう答えたのは、ジークでもアルフでもロイでもなかった。
 ハサードの背後から短剣を差し出して首元に突きつけながら、フォードが顔を出す。
「……おいおい、兄さん、忠告しておいたはずだけど?」
 口元に笑みを浮かべながら、ハサードが色違いの瞳を細めた。
「生憎と、忠告なんてぇものは、聞いたことねぇんでな。首と胴体が生き別れになりたくなけりゃ、静かにしてな」
「……はいはい」
 手をひらひらさせるハサードを一睨みして、フォードがジークに視線を向ける。
「わりぃ、ジーク。遅くなっちまって。で、確かな情報。その1、ラストアは堕ちた。カルハドールの手でな。その2、カルハドールの軍隊はほとんどが闇の住人だってぇ話。その3、こいつはカルハドールの第9皇子。つまりだ。俺たちを、いや、ロイをカルハドールに連れて行くのが、お前の役目だろう? ハサード」
「……ご明察」
 ハサードの答えと同時に、フォードの短剣が宙に舞った。そうして、フォードの足元の床に突き刺さる。
「盗人ごときが、余計な口は挟まぬことですよ」
 一片の気配もなく現れた金髪碧眼の少年に、息を呑んだのはフォードだけではなかった。

「カルハドールだとっ!?」
 アルフの声が割って入る。
「ええ、カルハドールですよ。貴方も来られますか? 歓迎しますよ、『炎の君』」
 薄笑いを浮かべながらそう告げるオルトの表情に、アルフは背筋が冷たくなるのを感じた。
「……へぇ。俺のことをそう呼ぶ奴がもう一人いたな。つまりだ、あいつもそこにいるってわけだ」
 長剣を握り締めてアルフが低く唸り、周囲の空気がぴんと張り詰める。

 一触即発の雰囲気を破ったのは、静かなロイの声だった。
「行く」
 真っ直ぐに背筋を伸ばした姿勢で、ロイは窓際に立っていた。
 月明かりがロイの姿を蒼く染め上げる。
 そうして、窓から流れる風が、静かにロイの黒髪を揺らしていた。




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