Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Spirit Stones 

 第4章 宿命 
第2話 Beginning−旅立ち−


「行く」
 と、そう決意したロイを止めることは、もはや不可能であろう。

 そう、例え、あいつでも――。

 ――もっとも、止めてくれる気はないみたいだけどな。

 声には出さず、心の中でだけそうぼやいて、アルフは寝台の方に視線を送った。アルフの視線の先の人物―ジークは、先程から寝台の傍に腰を下ろしたまま、ただ静かに剣の手入れをしている。一瞬だけ、ちらりとアルフに視線を向けたが、一言も発することはなく、再び黙々と作業を続けていた。
 最後までロイの同行に反対してくれていたフォードとかいう栗色の髪の男も、遂にロイの決意を翻すことは出来ず、ジークの耳元で二、三何かを囁くと、先刻この宿を後にしていた。気に入らない瞳をしたハサードとかいう男も、自分のことを『炎の君』と呼んだオルトと名乗る少年も、明朝共に出発することを決め、既に自分たちの宿に帰っている。

 狭いこの部屋に残されたのは、自分とジーク、そうして、もう一人。

 アルフが視線を巡らせた先に、窓辺に腰を下ろしたまま、蒼い月を見上げるロイの姿があった。
 アルフの位置からはロイの表情は分からなかったが、ただ時折心配げに蒼い黒髪を駆け抜けていく風たちの気持ちだけは良く分かった。アルフの胸に、もどかしい想いが込み上げてくる。
 いっそのこと、このまま奪い去るように祖国に連れ帰り、そうしてこの世のあらゆるものから遠ざけることが出来たら、と心の底からそう想う。ロイがそれを望んでいないことはよく分かってはいるのだけれども。

「……アルフ、少し、いいか」
 遠い記憶に想いを馳せていると、いつの間に近付いたのか、すぐ傍にロイの声があった。
「あ、うん」
 反射的に顔を上げ、アルフが頷く。そのまま外に向かっていくロイを追い掛けようと、慌てて長剣を掴んで立ち上がると、不意に深緑色の外套に視界を奪われた。長剣を握ったままの手でその外套を掴み、ジークの方を振り返る。
「…風邪ひかせるなよ」
 こちらに視線を向けることなく告げられたジークの言葉に小さく頷き、アルフは扉の向こうに姿を消した。

「…で、何? ロイ」
 宿のすぐ傍にある広場。その中心にある噴水の辺で月を見上げるロイの痩身に、先程ジークから受け取った深緑色の外套を掛けてやりながら、アルフは声を掛けた。蒼褪めた月に映し出されるロイの姿は、今までになく危うく見え、ともすればこのまま消えてしまいそうな印象を受ける。
 「行く」とロイが決意したことと関係があるのか、昨日まで跋扈していた亡霊や小鬼たちもなりを潜め、不気味な静けさだけが街を支配していた。

「アルフ、お前、何故国を離れた?」
 月から視線を外し、綺麗な青灰色の瞳にアルフの姿を映して、ロイはようやく口を開いた。
「……それは……、」
 言いかけてアルフが口篭る。ほんの少し俯き加減で、それでいてロイの視線から目を逸らすことなく―。
 幼い頃と寸分違わないその仕草に、ロイがふわりと笑みを浮かべる。そうして、一瞬だけ躊躇した後、そっと手を伸ばし、ロイはアルフの薄茶色の髪に触れた。遠い記憶になった幼い日を懐かしむかのように。
「大体の予想はついている……」
 静かな、それでいてよく通る声でそう告げ、柔らかい薄茶色の髪から日に焼けた頬へと手を滑らせる。
「……すべての始まりは『カルハドール』、か」
 独り言のようにそう呟き、名残惜しむかのようにアルフに触れていた指を下ろし、ロイはアルフから離れた。数歩歩いて、端正な顔でもう一度蒼褪めた月を見上げる。

 少し冷たい風がロイの周りをふわりと舞った。
 月の光を浴びて蒼みを帯びて見えるロイの黒髪を揺らせて。

 その様子を、赤褐色の双眸にしっかりと映したまま、アルフはロイの次の台詞を待った。ロイの仕草の一つ一つを、そうして其処に隠されたロイの想いの一つ一つを見逃さまいと、心に誓いながら―。

 月を見上げたまましばし考えを巡らせ、一呼吸置いてロイはアルフに視線を戻した。
 綺麗な、決意を翻さない青灰色のその瞳にアルフの姿を映して、静かな、反論を許さないその声色が告げる。
「セレンに帰れ、アルフ」
「嫌だ」
 間髪入れず、アルフは答えた。まるでそう告げられることを予想していたかのように。
「……アルフ、」
「ロイの言いたいことは分かる。でも、俺は帰らない」
 一歩も退くわけにはいかなかった。何があっても一緒について行くとそう決めたから。
 ロイが全身全霊を賭けて止めようとすることは予想できたけど。
「帰らない」
 もう一度、自分に言い聞かせるかのようにきっぱりとそう告げ、アルフは赤褐色のきつい双眸にロイの姿を映した。その瞳の中で、ロイが大きく一つ溜め息を吐く。そうして、諭すような静かな声でロイが続ける。
「……ラストアが陥落した以上、お前が此処にいる理由はない筈だろう?」
 ロイの言うとおりだった。幼い頃からそうであったように、聡明なロイの頭脳は限られた情報から的確な答えを弾き出しているのだろう。
 セレン王国と国交を持つ国は少ない。カルハドールを敵に回す以上、選択肢は限られていた。ロイの読みどおり、セレン王国を守るため、アルフは『ラストア王国』に向かうつもりだった。出来うる限り最小の犠牲で最大の効果を得るためにアルフが選んだ方法、それが単身でラストアに出向き国王に会見することであった。
「アルフ、ラストアと同盟を結ぶというお前の判断は的確だ。いや、だったというべきか。最早ラストアという国はないのだから」
 不安を微塵も感じさせない声で、ロイはそう続けた。
 そのロイの周囲を心配げに舞う風たちの姿が、アルフの赤褐色の双眸に映る。
「カルハドールにはヴァイラスがいる。国王と手を組み、邪神を復活させ、この世界を闇で支配しようとしている。セレンでの一件は、そのための下準備だったと考えていいのだろうな……」
「……どういうことだ?」
「簡単なことだ、アルフ。邪神を受け入れる“器”をより完全なものにする、そのために必要だったのが――、」
「……精霊石か」
 ロイの手の中に見た、透明な美しい球体のことを思い出し、アルフは小さく舌打ちした。
 セレン王国開国以来、初めて揃った4つの精霊石。その所有者の一人として、セレンを、世界を魔獣ザィアから守るために、ロイはその身の内に精霊石の力を解放した。
 そうして、精霊石に選ばれた――。
 今、ロイの中には、4つの精霊石の力を併せ持つ、一つの美しい精霊石が存在する。
「ディーンの血を継ぐ者として、精霊石を手にすることを許された者の一人として、そうしてセレン王国の現国王として、お前には果たさなくてはならない責務がある。それは、」
 ロイが告げる。
 感情を読ませない綺麗な青灰色の瞳と、抑揚のない静かな声で。
「今すぐ国に帰り、セレンを守り、全てを見届けることだ、アルフ」
 反論を許さず、きっぱりとそう言い放って、ロイは口を閉ざした。

 ロイの周囲を風が舞う。
 押し隠された不安を少しでも和らげようとするかのように。
 アルフにもその気持ちが痛い程よく分かった。
 だから、今度は、一歩も退くわけにはいかなかった。

「絶対に帰らない」
「アルフ、」
「今のロイを一人には出来ないから」
「アル、」
 突然抱き締められ、ロイは息を飲んだ。
 いつの間にか逞しくなったアルフの両腕の中で、一回り大きくなった肩に顔を埋めるような格好で。
「……だって、ロイ、こんなにも辛そうじゃないか」
 小さく呟くアルフの声がロイの耳に届く。
「俺が……?」
 心の内を隠すかのように努めて冷静な声でそう呟き、ロイはやんわりとアルフの腕を解こうとした。解かれまいと、アルフの腕が更に強くロイの肩を抱き締めてくる。その腕の中で小さく苦笑し、そうして自らに言い聞かせるかのようにロイは呟いた。
「確かに辛いのかも知れないな、邪神の贄にされるのは。だから、阻止するためにカルハドールに行くことにしたんじゃないか……」
「違う。」
「……何が?」
「違う、ロイ。邪神の贄だろうが、精霊石に選ばれようが、関係ない。今のロイを追い込んでいるのは――、」
 抱き締める腕に力を込めて、一つ深呼吸して、

「ジークのことだ」

 アルフは遂にジークの名前を口にした。腕の中でロイがぴくんと反応する。
 そのまま硬直してしまったその痩身を支えるように抱き締めながら、そうして、胸の中に閉まっておけなかった質問をぶつける。

「何があったんだ、ロイ。ロイにとって、ジークは、絶対に、絶対に失くしちゃいけない存在(もの)じゃないか……」


 ――ジーク……。

 唇でだけ、その名前を唱えてみる。
 たったそれだけのことで、凍えた胸の奥が暖かくなるようなそんな錯覚を覚え、ロイは片手で胸元を握り締めた。同時に抗い難い喪失感が湧き上がってくる。

 アルフを置き去りにした時、大切なものは作らないと、そう決めていた。
 失う辛さには、もう耐えられそうもなかったから。

 それなのに、この想いは、何なのだろう――。


 しばらくして、アルフの腕の中で、不意にロイがくすくす笑い始める。
「……ロイ?」
 ほんの少しの違和感を覚え、アルフは腕の中のロイを覗き込んだ。
 冷たい風がロイの黒髪を舞い上がらせる。舞い踊る蒼い黒髪の下、少し細められた美しい青灰色の瞳がアルフを見上げていた。口元にうっすらと笑みを浮かべて、絡め取るようにアルフの首筋へと白い腕を伸ばしてくる。そうして、赤褐色の瞳を見開いたままのアルフに、ゆっくりと唇を寄せて――。

 唇が触れようとしたその瞬間、二人の間を割って入ったのは、鞘に納まったままのジークの大剣だった。

「勝手な真似はするんじゃねぇよ」
 低い声でそう呟き、深緑色の外套ごと細い肩を引っ掴んで、ジークはロイの身体をアルフから引き剥がした。そのまま自分の方を向かせ、漆黒の鋭い眼差しで睨み据える。
「抱かれてぇんなら、いくらでも抱いてやる。だが、こいつには手を出すな」
 苛立ちを含んだジークの低い声が響く。その姿を美しい青灰色の双眸に映して、『ロイ』は楽しげにくすりと笑みを零した。
「……今すぐ死にてぇんなら、話は別だが?」
 大剣を構え、「刺し違える覚悟は出来てるぜ?」と付け足すジークの漆黒の双眸が、『ロイ』を捉える。構えたその大剣に浮かび上がる魔法文字(ルーン)を青灰色の瞳で静かに見つめ、最後にもう一度くすりと笑みを零して、『ロイ』は瞳を伏せた。

 ゆっくりと、ロイの瞳が開かれる。その美しい青灰色は紛れもなくロイのもので――。

「……俺は、今……?」
 そう呟くロイの視線の先に、瞳を見開いたままのアルフの姿があった。定かではない記憶の中、アルフを絡め取り、口付けようとした感覚だけがぼんやりと残っている。
 そのまま立ち竦み、動けずにいるロイの耳に金属音が届く。視線を巡らせると、少し離れた位置でジークが大剣を鞘に納めているのが目に入った。
「心配するな。お前のアルフを傷つけさせたりしねぇよ」
 背を向けたまま、ジークがそう呟く。
 低く響くその声に何故だか何処か安堵感を覚え、そうしてロイは一つ息を吐いた。
 ふと夜空を見上げ、蒼褪めた月を見つめて、だた小さく「分かった」とだけ答えて。



 翌朝。
 不気味な静寂の中、血のように紅い朝陽が昇る。
 真っ直ぐに背筋を伸ばしたまま、ただ静かにロイはその光景を瞳に映していた。
 そのロイの元にアルフが駆けて来る。
「……アルフ」
「今更止めても無駄だからな、ロイ」
 そう告げるアルフの笑顔に、ロイが一つ溜め息を吐く。そうして、視界の端にジークの姿を確認して、ロイは苦笑混じりの笑みを零した。

 向かう先は、全ての元凶である『カルハドール王国』。
 ラストアが陥落し、南の街道が閉鎖されている今、シーランスから西に広がるオドレス砂漠を横切り、バージ山脈を南下する険しい行路を選択せざるを得なかった。平和な時であれば、危険ながらも一月に何隊かの隊商が通る道ではあったが、現在は小鬼(オーク)を含め亡霊(レイス)や魔物、獣が跋扈する極めて危険な道と化していた。もちろん隊商など出るわけもなく、同行するのは結局、ロイとアルフ、ジークにフォード、そしてハサードとオルト。

 視線を巡らせると、フォードが片手をひらひらさせながら、人懐っこい笑みを返してくる。
 そうして、少し離れた処から、印象的なハサードの色違いの瞳と、オルトの何処か冷たい碧眼が、ロイを見つめていた。内容までは聞き取れなかったが、何やら小声で話し合っている。

「どういうおつもりですか、ハサード様」
「…………」
「ヴァイラス様は、贄の君を連れてくるように言われた。このまま攫えば事は済む筈……。何故彼らと同行する必要があるのです?」
 冷ややかな眼差しをロイに向けたまま、オルトが小さく呟く。
「……自分のすべきことは分かってる」
 ロイから視線を外さず、自らに言い聞かせるようにハサードはそう言葉にした。


 遠くカルハドールの方角から立ち込める暗雲が、何処か禍々しい空気を運んで来ようとしていた。




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