Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Spirit Stones 

 第4章 宿命 
第3話 Anxiety−不安−


 ロイの手の中で、レイピアが舞う。
 流れるような動作で砂トカゲの急所を一撃し、そのまま身体を反転させて、ロイは振り返った。
 ジークの大剣が最後の一撃を与えるのを、そうして砂トカゲが地面へ倒れていくのを、青灰色の瞳に映して――。

 ――俺は、この男を知っている。

 それは確信だった。

 初めて見た瞬間から、心の何処かで感じていた。そうして、ともに剣を手にする毎に、それは確信へと変わっていった。遠過ぎず近過ぎず、一定の距離を保ちながら、絶妙の間で繰り出されるジークの剣。そうして、それに呼応するようにロイの剣も舞った。
 とても長い時間を、一緒に戦っていなければ得られないであろうその感覚。

 それなのに、
『初めまして』と、そう告げたジークの真意は何処にあるのか。

 シーランスを出発して、オドレス砂漠をカルハドールへ向けて旅し始めて数日。
 考えなくてはならないことはたくさんあった。
 カルハドールのこと。
 邪神ザイラールのこと。
 そして、ヴァイラスのこと。
 ヴァイラスが動きを見せたということは、そして自分を迎えに遣したということは、既に邪神を復活させる手立てが整ったと見ていいのだろう。そうして、贄―すなわちロイ自身は、4つの精霊石を併せ持つ唯一の精霊石を既に手にしてしまっている。つまり、器として必要な条件は揃っているのである。
 次にすべきことは、贄であるロイを封印の場所まで連れて行き、儀式を遂行すること。
 邪神を復活させる目的。
 カルハドール国王自身の目的はおそらく、自国を強くすること、世界を手に入れること。
 そうして、ヴァイラス自身の目的は、おそらく――。

 ――世界の滅亡。

 以前、紅の湖でヴァイラスに抱かれた時、そう感じた。
 この世界のあらゆるものが、ヴァイラスにとって意味のないものであることを。そうして、そうさせてしまったこの世界に絶望し、憎悪し、ただ全てを闇に帰そうとしていることを。
 ヴァイラスという人物が持つ闇。それは生まれて初めてロイが感じた恐怖でもあった。
 同時に、自分の中にも何処か似た感覚があることも知っていた。
 それでも、
 自分は、世界の全てを賭けても、守りたいものがあった。

 アルフ。
 そして――、
 おそらくは、あの男、ジーク。

 自分の中から、何かが失われていることは感じていた。アルフの話から推測するに、おそらく自分はジークという男に関する記憶を失くしてしまっているのだろう。幽鬼(レイス)から受けた毒のせいか、あるいはオルトと名乗る少年の仕業か。
 いずれにせよ、敵の目的が、この自分の精神を衰弱させようということであるならば、それは十分に果たされていると言えるのだろう。
 常時感じ続けている、耐え難い喪失感。
 ほんの一瞬でも気を抜くと、足元に開いた小さな暗闇が、瞬く間に大きくなって、自分自身を闇に攫って行ってしまう、そんな感覚がロイを支配していた。

 そんな危うい均衡の上に、ロイはいた。


 細くなった月が、古い遺跡を微かに照らしていた。出来るだけ先を急ぎたいという気持ちはあったが、幽鬼(レイス)や小鬼(オーク)たちと違い、夜目の効かない身では夜の旅は一つ間違えれば死に繋がる。結局、砂漠の中の古い遺跡で一時の休息を取ることにして、夜を迎えた。
 中庭では、寝ずの番の一番手を買って出たフォードが、焚いた火の傍に腰を下ろし、何やら古い手紙を読んでいた。東に並んだ部屋では、既にハサード、オルト、ジークが眠っている。
 そして、南の角の部屋。
 ロイの外套の端を握り締めたまま寝息を立てているアルフの髪をそっと撫でながら、ロイは月を見上げていた。少し長くなった黒髪が、さらさら音を立ててロイの肩を流れる。一つ吐息を落として、そうして意を決したように青灰色の瞳を見開く。そのまま、外套をアルフに掛けてやって、ロイは音もなく立ち上がった。
 壊れた壁の隙間から、中庭のフォードを確認し、静かな東の部屋をちらりと見て、そうして最後にもう一度アルフを振り返って、ロイは窓から部屋を後にした。

「……何処へ行くつもりだ」
 突如背後から声がして、驚いてロイが振り返る。
 そこには、古い遺跡の壁にもたれ腕組みしたジークが立っていた。真っ直ぐに見据える漆黒の双眸と視線がぶつかる。その姿に何処か既視感を覚え、ロイは瞳を見開いた。
「……ジーク」
「何処に行くつもりだって、尋ねたところで答えるわけねぇか……」
 大きく溜め息を吐いて、ジークが続ける。
「どうしても行きてぇってんなら、力ずくで来い。命懸けで止めてやるぜ?」
「……」
「よく考えろ。アルフにすら気付かれちまう程不安定な状態で、あいつに対峙して勝てるわけねぇだろうが」
「……分かっている」
「分かってねぇ」
「……分かっている」
「分かってねぇよ」
「……ならば、」
 月明かりの下、一つ息を吸って、一瞬だけ間を置いて、

「俺を抱け、ジーク」
 静まり返った砂漠の夜に、ロイの声が響いた。
 
 真っ直ぐに見つめる青灰色の瞳が、ジークを捉える。
 微かな月明かりに照らされるロイの痩身は、以前よりまた一回り痩せたような気がして、ジークは少し眉を顰めた。
 そのジークの瞳に、冷たい風に舞う蒼みがかった黒髪が映る。
 そして、
 躊躇いがちに伸ばされるロイの腕、柔らかい唇。

 次の瞬間、
「馬鹿野郎」
 低く唸るようなジークの声がロイの耳に届いた時、ロイはジークの力強い腕に引き寄せられていた。重心を崩したロイの身体を壁に押し付け、そのまま唇を奪う。

 長い長い口付け。
 それは、身体ごと持っていかれる、そんな口付けで。

「……は……ぁ、……っ。」
 やっと開放された時、ロイは膝から崩れ落ちそうなるのを支えるので精一杯だった。悔しいことに、しっかりと筋肉をのせたジークの逞しい腕が、そんなロイの痩身をさり気なく支えている。何とか息を整え、かろうじて瞳を開いて見上げてみると、にやりと笑みを浮かべるジークの口元が視界に入った。
「俺に抱かれてみろ、お前、明日は動けねぇぜ?」
 そう告げるジークを、きつい青灰色の双眸が睨む。
 それは先程までの、何処か不安げな色ではなくて。
「目ぇ、覚めたか?」
 口元に笑みを浮かべたジークがそう付け足す。
 その笑顔にやはり既視感を覚えて、そうしてロイはくすくす笑った。
「つまり、お前と俺は、こういう関係にあった。違うか? ジーク」
 ロイらしいその調子に、今度はジークがくすりと笑みを零した。

「で、『初めまして』とは、どういうつもりだ?」
 きつい青灰色の瞳が、真っ直ぐにジークを見据える。
「……そのままの意味だ。お前は俺のことを忘れているのだろう?」
「…………」
 そのとおり、だった。
 低く響く声。漆黒の瞳。力強い腕。
 そして、触れ合った口唇。
 その一つ一つに覚えがあるのに、全てに靄が掛かっているかのようにはっきりしない。

 焦燥感。

 ふと思い当たり、ロイは心の中で苦笑した。
 そう、自分は焦っているのだ。
 らしくない、と我ながらそう思う。
 耐え難い喪失感を何とかしたい、というのではない。

 目の前にいるこの男を、悲しませたくないのだ。

 本当に、らしくない。
 自分にとって、余程大切な存在であるらしい。

「……アルフだけで、手一杯だったはずだがな」
 ぼそりと呟くロイを、ジークが抱き寄せる。
「いいか、ロイ」
「……?」
「今は、知らなくていい。思い出さなくていい。俺のことで、お前が不安がることは何もない」
「……しかし、」
「構わねぇ。何があったかは知らねぇが、そうさせちまった一端は俺にある。俺がしちまった行為に対する罰だとそう受け止めている」
「……ジーク?」
 一回り細くなったロイの身体を抱き締める。大切なものを扱うようにそっと、それから壊れるほどにきつく。
 背中に回された腕からジークの想いが溢れ出してくるようで、ロイは肩に埋まる深い褐色の短髪をそっと撫でた。
 そのまま、一つ息を吸って、静かな声で告げる。
「ジークディード=フォン=アウエンバッハ。ラストア出身の元騎士で、王直属の近衛隊にも所属。そして、ヴァイラスの幼馴染でもある。……フォードから訊いた」
「……そうだ。そして、ヴァイラスの狂気を止めてやることが俺の使命だと思っている。だから、」
 抱き締めていた腕を緩め、ロイの顔を正面から見つめる。
「遠慮はいらねぇ。目的は一緒だ。まずはやらなきゃいけねぇことを、ちゃっちゃと片付けちまおうぜ」
 そう告げて、にっと口元に笑みを浮かべる。その声に何処か安堵を覚え、ロイはジークの肩に顔を埋めた。

 淡い月明かりが二人の姿を照らす。
 いつの間にか瞬き始めた星々が、二人の頭上に降り注いでいた。


「……ジーク」
 そう呼んでロイが顔を上げるのと、ジークがその気配に気付いたのは、ほぼ同時であった。
「ロイ、見えるか?」
 微かな月明かりの下、瞳を細めて気配のする南方を見つめる。その身体に流れる血がなせる業か、ロイの目は割と遠くまで見渡せる。
「……幽鬼(レイス)と小鬼(オーク)。……団体だ。東へ移動している」
 ロイがそう告げるのとほとんど時を同じくして、遠く北西の方向で建物が崩れる音が聞こえる。
「戻るぞ」
 ジークの声にこくりと頷き、音を立てずに遺跡の中庭へと移動する。
 中庭に着くと、異変に気付いたのだろうフォードが、両腕の武器を構えながら北西の方角を見据えているのが視界に入った。
「フォード」
「……あれ? お2人さん、起きてたの?」
 振り向き、フォードがいつもの笑顔を返してくる。
 相変わらず、この男は何を考えているのか分からない、と心の中でだけそう思いながら、ロイもフォードの見つめていた方角へ視線を巡らせた。
 薄明かりでよく分からないが、遠くの遺跡が崩れ、土煙が上がっているらしい。
「……何だ?」
「あー、どうやら砂虫(サンドワーム)じゃねぇかなぁ。あの大きさだと。でっけぇのはこの遺跡ぐれぇの大きさがあるって訊いたことあるぜ?」
 ジークの問いに視線を戻しながら、フォードが答えた。
「ロイ、アルフたちを起して来い」
 ジークが告げるのとほぼ同時に、ロイが反転し、アルフたちを起しに行く。
「……砂虫の団体さんだと勝ち目はねぇな。どうする、ジーク。一旦南に退くか?」
「いや、南は無理だ。幽鬼(レイス)や小鬼(オーク)たちが団体移動してやがる」
 「さっき、ロイと確認した」そう付け足して、ジークは首を振った。
「……シーランスか」
 フォードがそう呟く。ラストアが陥落したことは知っている。次に攻め込むのはどう考えたって交通の要衝であるシーランスだ。このところ静かになっていたのは、本隊が来るまでの静けさだったわけだ。
「助けにいかなきゃ!」
 起き出して来たアルフがそう告げ、急いで南へ向かおうとする。
「だめだ」
 その腕を掴んで制止したのは、ロイであった。
「そう、だめだ。敵はかなりの数だ。この人数で斬り込んでも無駄死にするだけだ」
 ジークの言う事は正論だ。6人、いやハサードとオルトは加勢してくれないだろうことはアルフにも分かっていた。
「……でも、」
「大丈夫。シーランスにも自警団はいるし、この地方最大の地下組織もさすがにじっとはしていねぇだろうし、ラストアの生き残りだっているだろうし、何とかなるだろ、……しばらくは」
 フォードが笑顔を向けてくる。
「……だけど、」
「アルフ、お前の言いたいことはよく分かる。が、俺たちにはしなくてはならないことがある。本当にシーランスを思うなら、今すぐカルハドールへ向かうべきだ。シーランスの守備力を考えると一刻の猶予もならない。急ぐぞ」
 諭すようにロイがそう告げる。その瞳には、決意の色が見えていた。それは、昨日までの何処か不安げなそれではなくて。
「うん」
 思わず笑顔になる。
 そうして、アルフも駆け出すロイの後を追い掛けた。

 その時だった――。

「うわあああぁ――っ!!」
「アルフっ!!!」
 ロイの瞳に映ったのは、崩れ落ちる遺跡、巨大な砂虫。
 そして、それらとともに砂に飲み込まれていく、アルフの姿。
 背に負った長弓を構えて、引き絞って――。
「……くっ……っ!」
 傷ついた右肩の激痛に堪えてかろうじて射たロイの矢は、十分な飛行距離を得ず落ちていく。
 フォードが投げた短剣とジークが射た矢が砂虫の身体を幾らか傷つけたが、致命傷に至ることはなかった。
「アルフっ!」
「ロイ!」
 流砂に飛び込もうとしたロイを止めたのは、ハサードの腕だった。
「そのまま掴まえとけ!」
 そう怒鳴りながら、ジークが流砂に飛び込む。そうして、沈んでいくアルフの腕を掴み、かろうじて引き上げた。その2人めがけて、流砂の中から砂虫の大きな口が襲い掛かってくるのがロイの瞳に映る。
「ジーークっ!!」
 ハサードの腕の中のロイが声を上げた。
 同時に空中にひらりと身を翻したフォードが、砂虫の身体に乗り移り、そのまま両手の短剣で砂虫の頭を突き刺す。呻き声とともに大きく身を仰け反らせた砂虫の急所を、アルフの剣とジークの剣が突き刺した。
 断末魔とともに砂虫が流砂に飲まれる。その寸前で、こちらに跳んできたフォードをハサードは腕を伸ばして引き寄せた。
「受け取れ、ロイ!」
 ジークの声とともに、目の前に近付いたアルフの腕を、反射的にロイが受け取る。
 そのロイの前で、
 ジークの姿は、流砂の中に飲み込まれて、消えた。

「ジーーークっ!!!」

 ロイの叫び声とともに、砂が舞い上がる。

「あああああーーーっ!!!」

 砂という砂が天まで舞い上がり、切り裂くような風が渦を巻いていく。
 ロイの手の中では、透明な球体―精霊石―が眩いほどに輝いていた。

 限界まで力を引き出して、ふ、とロイが意識を手放す。

 それでも、  巻き上げた砂の向こうに、
 ジークの姿はなかった。

 倒れ込むロイの身体を、アルフが支える。

 空から落ちてくる砂の中、
 風を失くした静かな空間に、一同は立ち竦んでいた。




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