Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Spirit Stones 

 第4章 宿命 
第4話 Remenber−追憶−


 重たい瞼を開くと、窓から差し込む薄明るい光が見えた。
 息を吸い込もうとして、指を動かそうとして、何一つままならないことを知る。

 苦しい――。

 それでも、この苦しみに身を任せておけば楽になれる、そんな気がして――。


「ロイ?」
 アルフの声が聞こえる。
 幼い頃から、一度たりとも聞き間違えたことのないその声。
「ロイ……? ロイ! ロイっ!!」
 その声が、次第に遠ざかって、そうして悲鳴へと変わっていく。

 『――ロイフィールド……』

 自分の中の何かがそう喚(よ)ぶ。その声に身を任そうとしたその時――。

 何かに抑え付けられ、口移しに無理矢理空気を送り込まれる。
 2度、3度――。
 有無を言わさず、肺一杯に空気を押し込まれ、ロイは瞳を開いた。
「……息しろ、ロイ」
 開かれた青灰色の瞳に映ったのは、フォードの険しい表情。
 この男のこんな表情は、今まで見たことはなかった。
 そして、フォードに促されるように視線を巡らせると、ロイの痩身を抱き締め、泣きじゃくるアルフの姿があった。

 青灰色の瞳を伏せ、大きく一つ深呼吸をする。そして、ゆっくりと動かした細い指は、かろうじてアルフの髪に辿り着いた。
 ロイの指が触れた瞬間、反射的にアルフが顔を上げる。
 真っ赤に泣き腫らしたその顔――。
「……心配を掛けた」
 少し掠れた声でそう告げると、アルフがぶんぶんと首を振った。
「ロイ、俺、俺……」
 言葉に出来ないアルフをそっと胸に抱き寄せる。

 アルフの言いたいことは、分かっていた。


 視線を巡らせてみても、そこにジークの姿はないのだから――。


「……ジークは、……見つからなかった」
 問い掛けることも答えることも出来ないままの時間に割って入ったのは、フォードの声だった。それは、伝えなくてはならないけれど、告げたくない事実。
 相変わらず、損な役回りを引き受ける男だ……。
 心の何処かでそう思いながら、ロイはフォードへ視線を移した。フォードの茶色の瞳が、ロイをじっと見つめる。その瞳に、自分の奥まで見透かされそうな、そんな気がして、ロイは瞳を伏せた。
「……そうか」
 とだけ、静かに答えて。

「……少しだけ、一人にしてくれ」
 かろうじて、そう言葉にする。
 そんなロイの様子をしばしの間観察してから、小さく頷いてフォードはアルフを連れて部屋を後にした。


 2人の後ろ姿を見送った後、ロイは崩れるように寝台に身体を沈めた。枕に顔を埋めたまま、両手で寝布をきつく握り締める。

 一つ息を吸い込んで、硬く閉ざした青灰色の瞳の奥に、
 これまでのが、次々と鮮やかに浮かび上がる――。
 消そうとして、尚鮮やかに――。

 深い漆黒の瞳。
 片方だけ持ち上げて笑う口元。
 耳に心地よく響く低音の声。
 鍛えられた両腕に、豪快な剣さばき。
 そして――、

「……ジーク……」
 名を呼ぶと、胸が軋んだ。
 込み上げる想いに、瞳が熱くなっていくのを感じる。
 片方の手で寝布を握り締めたまま、もう片方の手で胸元を硬く握り閉めて、ロイは何度か首を振った。

 何故、お前を忘れることが出来たんだ――。
 ジーク……。

 今、
 お前がいないことが、
 こんなにも、

 苦しい――。



 崩れた壁に腰掛けながら、フォードはアルフを見上げた。そのアルフは、背筋を伸ばして立ったまま、先程までいた部屋の扉を真っ直ぐに見つめている。まるで、意志の強い赤褐色のその瞳で、全てのものからロイを守ろうとするかのように。
「……どう思う? アルフ」
「ロイのこと?」
 フォードの問いに、視線を外さないまま、アルフが答える。
「そ。……あいつ、ジークのこと……、」
「思い出してるよ。絶対に」
 間髪入れずそう答えるアルフに、自分の考えが間違っていないことを確信して、フォードは頭を抱えた。

 失くしていた、いやおそらくは何者かに奪われていた、“ジークの記憶”。
 ロイがそれを取り戻したことは喜ぶべきはずなのに――。

「よりによって、今思い出すかよ……」
 ――いっそのこと、忘れたままの方がましだったのかも知れない。
 そう思いながら、フォードはくせのある栗色の髪をくしゃくしゃと掻いた。そうして、ロイが次に起すであろう行動へと考えを巡らせる。

 もともとロイは、自分という存在を大切にしないところがあった。
 邪神の器になりうる身体……。
 ジークという支えを失くした今……。
 フォードの頭に、最悪の筋書きが浮かび上がる。

「まさか、ロイ……っ」
 駆け出そうとして、アルフの腕に制される。
「大丈夫だよ。……大丈夫」
 それはまるで自分自身に言い聞かせるように。
「今、ロイの中にはジークがいる。……自分で命を絶つことは、絶対ない」
 そう告げるアルフの言葉に、フォードはすとんと腰を落とした。
「……そうか。そうだよな……」
 そうあって欲しい、とそう思いながら。
 大きく一つ息を吐いたフォードの傍に、ぽたぽたと水滴が落ちてくる。見上げると、片腕でぐいっと涙を拭うアルフの噛み締めた唇が見えた。
「……ジーク。……あんた、何やってるんだよ……。……俺、言ったじゃないか……」
 途切れがちな言葉の間を、だた風が切なげに通り過ぎていった。



 砂漠の風が、砂を舞い上げる。天空には、糸のように細い月と煌く星々。その光が、ロイの姿を照らしていた。
 寝台の上、うつ伏せたまま横たわるロイの姿を―。

「……ジ、……っ、」
 もう一度、ジークの名を呼ぼうとして、声には出来ず、ロイは大きく何度か首を振った。その度に黒髪が波を描く。

「……ロイフィールド」
 不意に名を呼ばれ、ロイは動きを止めた。顔を上げると、寝台の端に腰を下ろすハサードの姿を確認できた。
 こんな傍に来られるまで気付かないとは…。
 ほんの少し苦笑混じりにそう思い、ロイは出来るだけ冷静に言葉を紡いだ。
「どうかしたか? ハサード」
 抑揚のない声で、そう答えたはずだった。
 口元には、ほんの少しだけ微笑を浮かべたはずだった。
 それなのに、
「……泣いて、いたのか……?」
 ハサードにそう告げられる。
 そのまま、起き上がろうと上体を支えていた左腕を取られ、逆に寝台に痩身を沈められた。

 すぐ目の前に、悲しげに揺れる色違いの瞳があった。

「……泣いて、いる? 俺が……?」
「……泣いているだろう」
 ロイの痩身に覆い被さるような格好で、ロイを寝台に抑え付けたまま、訝しがるロイの左手を取り、ハサードはロイの頬へと促した。
 その指先に液体の感覚を覚えても、それが自分の瞳から流れる涙とはロイには思えなかった。
 これまで、涙を流したことなど、なかった―。
 それなのに――。

「……もういい、ロイフィールド」
 ハサードの声が告げる。
「お前が意識を失くしていたこの3日間、俺なりに考えていた」
 白い項にハサードが唇を寄せてくる。ハサードの吐息を、言葉を、何処か遠くの出来事のように感じながら、ロイは瞳を伏せた。
「お前の負う宿命は、重過ぎる。……あいつに、敵うわけがない」
 肌蹴た衣服の間から覗く白い肌。
「……捕らえられ、苦しめられ、邪神の贄となって、この世界を闇に導く……。それが避けられぬ運命(さだめ)だというのなら……、」
 白い肌に歯を立てきつく吸い上げると、鮮やかな華が咲くと同時に、ロイの唇から吐息が一つ零れ落ちた。

「ならば……っ、」
 一つ息を吸って、それから意を決したように、

「ともに堕ちてやる。何処までも」
 震える声でそう告げて、ハサードはロイの痩身を壊れるほど強く掻き抱いた。
 まるでその場所だけ時間に取り残されたかのような、静まり返った時が流れる。
 風が、乾いた砂を舞い上げる音が、やけに大きく二人の耳に届いた。

「……嫌、だ」
 どのくらいの時間が経ったのだろう。十分に力が入らないその腕で、ロイがハサードを制する。
 開いた青灰色の瞳に、ハサードの色違いの瞳を映して。

「……断る。……俺は、」
「ジークは、もういない!」
 続く言葉を制するかのように、ハサードの声が告げる。
 その台詞に、ハサードの腕の中で、ロイの痩身がびくりと震えた。

「……ジークは、もういないんだ。」
「…………ジー、……ク」
 口に出来なかったその名を、何かを確認するかのように、ゆっくりと唇に乗せる。ただ、ハサードの衣服を掴む指先だけを小刻みに震わせて。

「……ジー、ク」
 もう一度だけ、その名を呼んで、そうして、ロイは瞳を伏せた。先刻までの指先の震えが治まる。
 時を同じくして、全ての風が、動きを止めた。
 一瞬の間を置いて、高く舞った砂が、地上へと堕ちてくる。

 次の瞬間。
 しんと静まり返った空間に、荒々しい音が割って入る。
 向けられた二人の視線に、肩で息をするアルフの姿が映った。
 圧倒的な存在感。ハサードの目にもその身に纏う真紅の炎が見えたような気がした。焼き尽くされる、そんな錯覚すら覚える。
「……お前……っ!」
 唸るような声とともに一瞬で間合いを詰め、乱暴にハサードの胸倉を掴む。そのままロイから引き剥がし、床へと叩きつけて、アルフは息を吐いた。
 怒りに満ちた赤褐色の双眸が、ハサードの真紅と翡翠の瞳とぶつかる。
 互いの瞳の奥に、何処か良く似た魂の共鳴を覚えて、そのまま二人は動きを止めた。互いの鼓動と荒い呼吸音だけが空間を支配する。

「……立ち去れ」
 そう呟く声が聞こえたような気がした。
 そうして、聞き慣れぬ暗黒呪文と、空間を引き裂くような冷たい空気。
「アルフっ!」
 次の瞬間、ハサードを抑えつけていたアルフの身体が弾かれるように宙へと舞う。
 寝台の上では、かろうじて上体を起こし、何かを制するかのように左手を上げるロイの姿。そうして、きつい青灰色の瞳が映しているのは、ぞっとするような残虐な笑みをオルトの姿だった。ロイの身体から、冷たい汗が流れ落ちていく。
「……アルフ、……無事、か?」
「……うん」
 そう答えて一つ息を吸い込むと、アルフは硬く握り締めたままの拳を何かを振り切るように大きく左右へ拡げた。自由になった身体ですとんと床に降り立つアルフの姿を瞳に映して、ロイが寝台に崩れ落ちる。そのロイを守るようにオルトとの間に立ち塞がり、その赤褐色の双眸でアルフはオルトを睨み据えた。  その視線を受け止めて、オルトが哂う。
「……何が可笑しい?」
「可笑しいですよ、炎の君。たかがディーンの子孫ごときが、我が王に逆らおうというのですから」
 アルフの背後で、フォードに介抱されるロイの姿を瞳に映し、尚一層楽しげにオルトが笑みを浮かべる。
「贄の君。貴方の無駄な努力は、これまでと同じように貴方の大切な人たちを苦しめるだけに過ぎない。もういい加減、お気付きでしょう? 貴方が苦しむ姿を見ることはこの上なく私を喜ばせてくれるものではありますが。そろそろ終わりにしましょう。ハサード様すら惑わすその忌まわしい身体、さっさと明け渡すというなら、少しくらい慈悲を差し上げてもよろしいのですよ」
「オルト!」
 ハサードの声に、オルトが溜め息を零す。その表情からは、笑顔が消えていた。
「……貴方も、私を失望させないで下さいね」
 そう一言釘を刺して、
「茶番は終わりです」
 そう告げたオルトの手から暗闇が拡がってゆく。
 その闇はアルフに触れる寸前で、風に引き裂かれ、消滅した。同時にアルフの大剣が、オルト目掛けて真一文字に伸びてくる。その大剣を受け止めたのは、ハサードの曲剣だった。

「……決めるのは、お前じゃねぇっ!」
 崩れ落ちたロイの痩身を抱き止めたままのフォードが叫ぶ。閉ざされた青灰色の瞳に残る涙の跡をそっと拭ってやりながら。
「ロイの意志を無視して、無理強いしようってんなら、こっちにも考えがあるぜ?」
 狭い部屋に、ぴんと張り詰めた空気が流れる。

「……ではもう少しだけ、茶番に付き合って差し上げましょう。」
 結果は同じだと思いますが。そう付け足して、オルトは部屋を後にした。
 一際大きく舞い上がった砂が、月と星々の光を隠して、そうして風に運ばれていく。
 そんな風の音だけが、やけに大きく届いていた。




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