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天空に浮かぶ月には人を惑わす何かが宿る、
と、そう聞いたことがある。
では、
月のない、こんな夜。
再び大切な人を裏切ろうとしている自分は、
何に惑わされているというのだろうか……。
それとも……。
澄んだ夜空の下、砂を舞い上げる風の音だけが耳に届く。
窓辺に腰掛け、少し長くなった黒髪を無造作に束ねながら、ロイは夜空を見上げ、静かにその時を待っていた。月のない夜空を、美しすぎる青灰色の瞳に映して。
そうして、その瞳の中の夜空を、今も鮮やかに思い出すことが出来る、『あの夜』の空と重ねながら。
アルフを置去りにした『あの夜』。
『あの夜』も澄んだ夜空に、月の姿はなかった。
そうして、今また、
月のない夜に、アルフを裏切ろうとしている。
夜空から視線を落とし、一つ小さく息を吐くと、ロイはアルフへ視線を向けた。
そのロイの青灰色の瞳の中で、
アルフが膝から崩れ落ちていく――。
「……許してくれとは言わない」
澄んだロイの声がそう告げる。
「……えっ?」
膝を突き、片手でかろうじて上体を支えるような体勢で、霞んでいく視界の中、アルフはロイを見上げた。
「……まさか、ロイ……?」
「人から差し出されたものは迂闊に口にするなと、そうアスランに教わらなかったか?」
一つ溜め息を落として、そうしてロイが一際綺麗な笑みを浮かべてみせる。
「……もし、」
言い掛けて瞳を伏せ、ロイはアルフに背を向けた。
「……お別れだ、アルフ」
最後にそう一言。
5年前と同じ言葉を残して、ロイは扉の向こうへと姿を消した。
「……ロイフィールド」
扉が開かれる微かな気配とともに現れたその姿に、ハサードは色違いの瞳を見開いた。
まだ十分には回復していないのだろう、気だるそうに扉にもたれ掛かった体勢で、青灰色の瞳がハサードを見つめてくる。
「何か用か……?」
用もなく、ロイが自分を訪ねて来るはずがないことは十分承知していた。そうして、ロイが自分を訪ね手来るその『用』には十分心当たりはあったけど…。
――それでも、
ロイがゆっくりと口を開く。
「……約束を、」
――心の何処かで、
「叶えて貰いに来た」
――叶えたくは、なかった。
幾分衰弱した痩身。
哀しげに揺れる青灰色の瞳に残る、微かな涙の跡。
「……終わりに、すると?」
ロイの姿を色違いの瞳で見つめたまま、ハサードが問い掛ける。
一瞬だけ間を置いて、ハサードの瞳の中のロイがこくりと頷いた。
『ともに堕ちてやる』と、そう言ったのは自分だった。
抗えば抗うほど傷ついていくロイの姿を、これ以上見たくはなかったから。
カルハドールの状況は、ここにいる誰よりも知っている。
だからこそ、
ロイの運命が避けられないものであることも十分知っている。
だから、
終わりにしたかった。
ロイに邪神ザイラールが降臨し、世界が闇に堕ちた後も、ロイを見守っていく覚悟は出来ている。
それでも、
本当は、闇に堕としたくはなかった――。
「……分かった」
ハサードが短くそう答えると、ふっと笑みを浮かべたロイが倒れ込んで来る。駆け寄り、その痩身を抱き止めて、ハサードは唇を噛み締めた。
そのまま、以前と比べてずっと軽くなったロイの身体を抱き上げて寝台へと歩み、その痩身を寝台へ沈めた。
「ロイフィールド」
名を呼ばれ、ハサードの下でロイが瞳を開く。
「これから行うことは、儀式の一つだと思えばいい」
紅と翡翠の双眸で、ロイを見つめたまま、
「ジークを裏切る行為じゃない」
そう告げて、ハサードはロイに口付けた。
「安心しろ、ハサード」
ハサードの腕の中、ロイがくすりと笑みを零す。
「俺の身体は、そんなに綺麗じゃないさ……」
自嘲気味にそう告げるその唇を、そうしてくすくすと笑みを零し続けるその唇を塞ぎたくて、ハサードは激しく口付けた。全てを奪うかのように、舌を絡め、きつく吸い上げる。
カルハドールで、ヴァイラスの元で、ロイが受けるであろう行為は、容易に想像がついていた。
以前オルトからも聞いたことがある。この世界の住人を闇に堕とす最短の方法は、闇の精を注ぎ込み、その身体を闇に染めることだ、と。
「ロイフィールド……」
この先、ロイが少しでも苦しむことがないように、とそう願いを込めて、ハサードはロイの痩身を掻き抱いた。
閉ざされた空間に、ロイの浅い吐息が木霊する。
その吐息の間、少し苦しげな呼吸の下、
「……すまない」
何度かそう告げる、微かな声がハサードの耳に届く。
その度に、ハサードは何度か首を振った。そうして抱き締める腕に力を込めて、抱き締めてなお冷たいロイの肌に唇を寄せた。
しなやかな大腿を拡げて、その間に身体を進めると、ロイは瞳を伏せ、ほんの少しだけ身体を強張らせながら、ハサードを受け入れた。知らず伏せた青灰色の瞳から、一条の雫が零れ落ちていく。
その雫を指でそっと拭い、もう片方の腕で大腿を抱え上げるようにして、ハサードはゆっくりとロイの最奥まで侵入していった。
「……ロイフィールド、……大丈夫、か?」
叔父であるセレン前国王ダンフィールドによって毎夜抱かれた身体。
祖国セレンを逃げ出した後も、さまざまな男たちに抱かれ続けてきた、と聞いている。
それなのに、
「……気遣う、必要は、ないさ……」
「慣れている」とそう付け足すロイの言葉と正反対に、初めて身体を開かせるようなそんな錯覚すら覚える。
伝説のセレン王国。その中で、ディーンの直系といえる血筋に生まれ、本来ならばこんな行為とは無関係の人生を送ったはずの人間。おそらく肌を合わせるどころか、見ることすら叶わぬ存在であったはず。
何処で、歯車が狂ってしまったのか。
いや、それがロイの背負った運命なのか。
自らの想いを打ち消すように何度か首を振って、そうして意を決したようにハサードは動きを再開した。
「……あ、っ……!」
激しく突き上げると、ロイの口から隠すことのない嬌声が上がる。
その声に後押しされるかのように、そうして何かを振り切るかのように、ハサードは何度も何度もロイの身体に打ち付けた。
「……ロイ……、ロイ」
ただ、何度もその名を呼びながら。
ロイの最奥に精を放ち、ハサードが大きく息を吐く。
その下で、一つ大きく息を吸い込んで、ロイが瞳を開いた。
ほんの一瞬だけ、
ハサードの肩越しにある、
その一点を、青灰色の瞳で捉えて、
そうして、再び瞳を伏せる。
「……ロイフィールド?」
ロイの身体を気遣うハサードの声に、ロイはただ小さく首を振った。
そうして、乱れた着衣を整え、
「行こうか」
とだけ短く答えた。
「……では、参りましょう。」
突然姿を見せたオルトに、ロイが青灰色の瞳を細める。
そのロイの表情に満足げな薄笑いを返して、オルトは続けた。
「ご安心なさい、贄の君。後の2人には眠っていただいているだけ。『約束』どおり、危害は加えませんよ」
今は信じるしかないその言葉に一つ安堵の息を落として、そうしてロイは乱れた黒髪を首の後ろできつく縛り上げた。そのまま重い身体に鞭打って立ち上がる。
「どういうことだ?」
訝しがるハサードを片手で制し、ロイは左手に意識を集中させた。その手の中で風が舞い、空気が渦を巻いていく。
「……場所は?」
「誘導いたしましょう。」
オルトがそう答えるとほぼ同時に、闇が拡がり空間を支配した。
そうして、その場所に再び光が戻った時、そこに3人の姿はなかった。
何処か遠くで、名前を呼ばれたような、そんな気がした。
その声に答えなくてはならないのに、思うように声にはならなくて。
泣いている、
そう感じて、必死に伸ばした手の先が暗闇へと変化していく。
「……ロ、イ……」
擦れる声でその名を呼んで、ジークは漆黒の瞳を開いた。
同時に背筋にぞわりとした恐怖感を覚える。無意識に腰の大剣へと手を伸ばすが、そこに愛剣はなかった。次第に慣れてきた目で周囲を見渡し、そうして今の状況を考えようとするが、何もかもがぼんやりとしてはっきりとしない。唯一つだけ、脳裏に浮かんだ泣いているロイの姿を除いては。
「……ロイ」
もう一度そう声にして、自分の身体が思うように動かないことにジークは心の中で舌打ちをした。何とか起き上がろうと試みたが、それは横たわっていた低い台から転がり落ちるという結果に終わった。そうして金属音とともに手首に痛みを感じ、自分が鎖で繋がれていることを知る。
「目が覚めたか、ジークディード。」
暗い空間の中、自分を見下ろす冷たい眼。
「………ヴァイラス」
名を呼ぶと、ヴァイラスが喉の奥でくっくと笑った。
そのヴァイラスの向こうで、何かが蠢いているのを感じる。
「…………」
「ふふ。我が君は、贄の君の到着が待ち切れぬと見える」
揺らめく炎の向こうに、実体のない存在(もの)の気配。
その気配に、全身から冷たい汗が噴き出すのを感じて、ジークは息を呑んだ。
――『邪神ザイラール』が、其処にいた。
「だが、それも遠くないこと」
瞳を細めて、ヴァイラスが手を空に翳す。
「…遠くないこと、だと?」
「そう。贄の君も、遂に闇に堕ちる決意をなさったようだし」
「…それは残念だな、ヴァイラス。ロイは、お前が思っているほど、弱い人間じゃねぇ」
そう言い放つジークの台詞に、ヴァイラスが高笑いで答える。
「弱い人間ではない? お前がどう思っているかは知らないが、」
翳した手を翻すと、何もない空間にロイの姿が浮かび上がって、
「これが事実」
ヴァイラスが高らかにそう告げた。
ジークの漆黒の瞳に、ロイの姿が映る。
ハサードの腕の中、
しなやかな大腿を折れるほど屈曲させて、
流れる黒髪を十分に乱れさせ、
浅い吐息を落として、
ハサードを受け入れていく。
そうして、
堅く閉ざされた青灰色の瞳から零れ落ちる、一条の涙。
噛み締めたジークの口端から、赤い血が流れる。
唇を寄せ、その血を舐め取って、ヴァイラスが一際高らかに笑った。
「気の毒だが、ジークディード。お前の愛した“ロイ”はもういない」
冷たい声がそう告げ、氷のような視線がジークを射抜く。
次の瞬間――。
それはほんの一瞬のことだった。
それでも、確かに、
ロイと視線が合ったと、
そう、ジークは感じた。
ジークがくくっと笑みを零す。
「愛しい者の裏切りに、精神が壊れたか、ジークディード」
「いや、」
短く否定し、鋭い漆黒の双眸でヴァイラスの氷の視線を受け止めた。
「…相変わらず、生意気な眼だ」
吐き捨てるようにそう告げ、ヴァイラスが噛み付くように口付けてくる。
その二人の頭上で、ヴァイラスが空間に描いた映像の中、
ロイが風を呼び、オルトの闇に導かれていくのが、映し出されていた。