Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Spirit Stones 

 第6章 闇と光と 
第1話 Ritual−儀式−


「ちっ、」
 と小さく舌打ちして、ジークは忌々しげに自分の手首を動かした。
 その動きに合わせて、がちゃりという重い鉄の音が響き渡る。
「……ったく、いい趣味してやがるぜ」
 小さくそうぼやいて、ジークはもう一度舌打ちをした。

 牢獄には入ったことはなかったが、おそらくこんな感じなのだろう。
 光が差し込むことのない、狭く閉ざされた空間。冷たい岩肌。
 ただ、両側の壁には異様な程に紅い炎だけが暗く揺らめき、微かな明かりを与えている。
 その一方の壁に打ち込まれた鎖によって両手首を戒められ、冷たい石畳に膝を付いた格好で、ジークは囚われていた。

 ヴァイラスによって飛ばされたその場所。
 ただ、遠くに、あるいは近くに、確かな気配を感じていた。

 先日、暗闇の中で目覚めた時、揺らめく炎の向こうにいた存在(もの)――。

 おそらくは、あの場所が、ロイを生贄に捧げる『祭壇』なのであろう。

 息を潜めて、その『時』を待つ存在(もの)の気配。

「……残念だが、ロイはやらねぇぜ?」
 怯むことのない漆黒の双眸で前方を睨み据えたまま、そう告げる。低いその声は暗い空間に木霊し、そうして暗闇に吸い込まれていった。

 再び静まり返った空間で、一つ息を吐き、ジークは戒められた両腕に力を込めた。  手首を戒める枷と、それから壁に繋がる鉄の鎖が、重い金属音を響かせる。
 何とかしようと腕に力を入れてみるものの、何かに吸い取られるように込めた力が抜けていくのを感じて、ジークはもう何度目になるか分からない舌打ちをした。
 魔法というものには疎いジークであったが、その鎖に何かの力が作用していることだけは何となく分かっていた。そうして、扉一つない閉ざされたこの空間そのものにも、何かの力を感じる――。

「こういうのは、ロイの担当だからな……」
 これまで依頼で古代遺跡や神殿に足を踏み入れたことは何度かあった。封印の魔法とかいうものにもお目に掛かったことはあったが、大抵はロイが何とかしていた。
「ロイ……」
 もう一度その名を口にして、ジークは唇を噛み締めた。


 脳裏に浮かび上がる、映像――。

 ハサードの腕の中、
 固く閉ざされた、美しすぎる青灰色の瞳と、
 流れ落ちていく、一条の涙。

 想うだけで、胸は引き裂かれそうで――、
 息を吸い込もうとして上手くいかず、ジークは苦しげな息を吐いた。
「…くそっ、」
 言い捨てて、何度か首を振る。


『気の毒だが、ジークディード。お前の愛した“ロイ”はもういない』

 脳裏に響く、ヴァイラスの声。

「……あいつは、そんなタマじゃねぇよ」
 ふっと、口元に不敵な笑みを乗せ、そう呟いてみせる。

 そう、  ほんの一瞬ではあったけど、
 確かに合った視線――。

 ロイはまだ、戦っている――。

「……ロイ、」
 名を呼んで、其処にある確かな想いを感じ取る。


 おそらくは、『一瞬』。
 ロイならば、必ず行動を起こすだろう。
 ロイが命懸けで作るだろう、その『一瞬』を、決して逃しはしない――。

 そう決意して、ジークは漆黒の瞳で薄暗い空間を睨み据えた。



 陵辱され、ますます美しさを増したロイの姿を、幾分残虐さを増したヴァイラスの瞳が捉えていた。そうして尚も運命に抗おうとする先程の愚かな行動に思いを巡らせ、高笑いで答える。

「さて、王陛下。儀式を始めます。お引取り下さい」
 名残惜しそうにロイの肌の感触を味わっているカルハドール王に、ヴァイラスが冷ややかな眼で合図する。
「儀式が執り行われた後には、全ての者の上に立つ美と力を、王陛下に献上いたしましょう」
 瞳を細めてそう告げるヴァイラスの声に促され、そうしてカルハドール王はその場を後にした。

「オルト、王陛下をご案内差し上げなさい。それから、」
 ヴァイラスが片手を翳すと、操り人形のようにロイの身体が宙を舞い、片隅の泉へと運ばれていく。
「贄の君の準備を」
 泉の中にロイを沈め、そうしてヴァイラスは冷たい笑みを零した。
「……かしこまりました。ただ、」
 そう告げるオルトの声に、ヴァイラスが視線を向ける。

「……だた?」
「炎の君の方は、いかがいたしましょう?」
 その言葉に、ヴァイラスはくくっと笑みで答えた。
「……贄の君はご存知ないと思うが、ジークディードは私が作り出した空間の中にいる。飛ばされた炎の君、……ともう一人いたようですが、いずれにせよ、彼らは自ら囚われに飛んで行ったようなもの。気にする必要はないでしょう」
 ヴァイラスの笑みと説明を受けながら、オルトが碧眼を細める。
「お言葉ですが、先程風が舞った際、ほんの一瞬だけ結界が途切れた、そんな気がしたのですが……」
「……一瞬で何か出来よう? 捨て置きなさい」
「しかし、」
 食い下がるオルトを、ヴァイラスの冷たい視線が制する。
 その視線を受け、一礼をしてオルトは引き下がった。
「……ご命令を下されば、ジークディードごときいつでも引き裂いてやりますよ?」
 退室間際にオルトがそう告げる。
「もっとも、そんな命令、あなたには出来ないでしょうけど」
 そう言い捨てて、オルトは王を連れて姿を消した。

 しんと静まる空間に、くくっと言うヴァイラスの笑い声だけが響いていた。



 ――ジーク!

 自分の名を呼ぶその声を感じ、暗い空間の中、ジークは漆黒の瞳を見開いた。

「ロイっ!」
 名を叫び、そうして両腕に力を込める。
「おおぉ――――っ!!」
 鍛えた両腕に筋肉が盛り上がり、そうして切れんばかりに血管が浮かび上がる。
 戒められた手首が傷つき血が流れたが、構うことなくジークは全身の力を込めた。両足で石畳と壁の境を踏み締め、両腕を身体の内側へと力の限り引き寄せる。
 そして――、

 がしゃんっ!
 という重い音とともに鎖を引き千切って、ジークは肩で息を吐いた。

「……くそっ!」
 そのまま、漆黒の瞳に映した一点目掛けて駆け出す。
 閉ざされた壁の中、ただ一箇所だけ歪んだその場所に目掛けて――。


 どんっ!
 何かにぶつかり、床に転がって、ジークは頭を振った。
「うわっ!」
 聞き覚えのあるその声に、視線を上げる。
「……アルフ、……フォード」
 目の前の人物の名を呼んで、同時にその背景が先程までの閉ざされた空間とは異なることを確認して、ジークは安堵の息を吐いた。ジークの頭上で歪んだ空間が閉ざされていく。
「……出られたか」
 もう一度息を吐き、立ち上がろうとして、どんっとアルフに飛び掛かられる。
「ジークっ! 生きてたっ!」
 そう言ってぎゅっと抱き締めてくるアルフの腕から、さまざまな想いが伝わってくるのを感じ、ジークはふっと息を落とした。
「……心配掛けた」
 短くそう告げて、薄茶色のその髪をぽんぽんと撫でる。
 その様子を見つめながら、傍に立つフォードも笑みを浮かべていた。そのフォードの瞳に、ジークの腕から続く鎖が目に入る。
「もしかして、それ、引き千切ったてぇわけ?」
「あ? ああ、まあな。」
 そう告げるジークに、
「……信じらんねぇ……」
 と呆れ声を上げてから、フォードは手首から小さな金属を取り出して器用に鎖を外していった。

 自由になった両手首を軽く振って、ジークが口元に笑みを浮かべる。
「さて、長居は無用。ちゃっちゃとロイを連れ戻すか」
 そう告げるジークに、アルフが大きく頷く。
「……で? どうする?」
 フォードが口を開いたその時のことだった。
 人の気配を感じて、3人がほぼ同時に視線を巡らせる。

「……何処へ行くつもりだ?」
 突然割って入ってくる声。

「……ハサード」
 3人の視線の先、色違いの瞳が其処にあった。


 もうすぐ、
 儀式が、始まる――。




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