Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Spirit Stones 

 第6章 闇と光と 
第2話 Past−過去−


「……もう遅い。無駄だ」
 そう呟くハサードの声が、長い廊下にやけに大きく聞こえたような気がした。

 そのまま踵を返して立ち去ろうとするハサードを、アルフの怒声が制する。
「どういうことだよっ!」
「……そのままの意味だ」
 振り返り、色違いの眼差しでアルフを一瞥して、そうしてハサードは続けた。
「ロイフィールドは闇の祭壇に連れて行かれた。儀式が始まる……。全てが終わる」

 ハサードの言葉に、周囲が一瞬しんと静まり返る。それを破ったのはやはりアルフの声だった。

「冗談じゃねぇっ!」
 そう怒鳴り、アルフがハサードに掴み掛かる。
 壁に身体を打ち付けられて息を詰まらせるハサードを、赤褐色の瞳で射抜いて―。
「だから諦めろと? ロイが戦ってるんだぜ!?」
 間近で見る赤褐色のきつい視線を受け止め、ハサードは息落とした。
「……抗うだけ、傷口が深くなるだけだ」

「それがどうしたっ!!」
 そう叫んで、アルフが一つ息を吸い込む。
「俺は決めたんだっ! ロイが愛したこの世界を命賭けて守ってみせるっ! ロイの手で滅ぼさせたりなんかさせやしないっ! 俺は……っ!」
 一気にそう捲し立て、そうして息を詰まらせる。そんなアルフをフォードの腕がそっと抱き寄せた。
「ま、いいじゃねぇか。人それぞれ立場と事情ってぇ面倒なものがある。……だが、出て来たってぇことは、ロイの居場所は教えてくれるんだろ?」
 そう告げて人懐こい笑顔を浮かべるフォードを色違いの瞳に映して、ハサードは黙ったまま一つの方向を指差した。

「……気が変わったら、いつでも来いよ」
 最後に呟いたフォードの言葉に、ハサードはただ首を左右に振って答えるしかなかった。



 大きな扉の前。
 一つ息を吐いて、そうしてジークは漆黒の瞳でその扉を見据えた。

 この向こうに、邪神が、ヴァイラスが、ロイがいる――。

「アルフ、行けそうか?」
「行ってみせる。」
 きっぱりと答えて、アルフが片手を翳す。そこに精霊石はないのだけれども。

「炎の使者よ、我が名に応じよ。我が名はアルフィールド=ディン=ラ=セレン」
 高らかにそう名乗りを上げて、
「お前たちの愛し子を、ロイを救いたいんだ。扉を開いてくれ!」
 そう切に願いを込める。そのアルフの額を汗が流れ落ちていった。
 次の瞬間、大きな炎が舞い上がる。
 そうして、その炎はアルフの意思に従って、3人を扉の向こうへと運んだ。



 『闇の祭壇』――。
 そうハサードが告げた場所は、まさしくその名が意味するとおりの印象を持つ場所だった。全ての空気が禍々しく、ねっとりと纏わり付く様なそんな感覚を覚える。
 その中にあって、ただ一箇所だけ、淡い光を放つ空間――。

「……ロイ。」
 名を呼び、そうしてジークは息を呑んだ。

 ロイは宙に浮かんでいた。白い神官衣を身に纏い、身体を丸くして何かを抱き締めるような格好で。
 そのロイの腕の中に、真っ白な球体――精霊石――が見える。どうやらその球体が淡い光を放ち、ロイを包み込んで宙へと浮かせているようであった。淡い光の中心で、意識を失くしたロイの蒼い黒髪だけがふわふわと舞っているのが目に入る。
 そして、ロイの真下には、描かれた巨大な魔法陣と、その中央に開かれた空間。
 その空間と対照的に高い天井の一部が開かれ、そこから差し込む月光がロイを照らし、そうして足元の空間へと影を落としていた。不思議なことにロイの足元に開かれた暗い空間からも月光と同様の光がロイを照らしているような錯覚を覚える。

「……2つの月、」
 ジークの隣で同じように息を呑んでその光景を見ていたアルフが、ぼそりと呟く。
「2つの月現る時、魔界の扉開かん……」
 それはセレン王国に伝わる伝承の一つ。
 実際、双月祭と呼ばれる儀式の中で、天空に浮かぶ月と北の大海に浮かぶ月が重なる時、開かれた魔界への扉を封印するのが、セレン王の責務の一つでもあった。アルフ自身、それを目にしたこともあった――。

 アルフの瞳の中、ロイを照らす月光が強さを増していく。ロイの腕の中、精霊石が淡い光を放ってロイを守ろうとしているけれども、それも幾らも持たないだろうことを、アルフの中の何かが伝えていた。
 一つ息を吸って、そうして何かを決意したかのように駆け出す。そのアルフを制したのは、ジークの腕だった。

 ジークの視線の先、歪められていく空間。
 そうして、そこから、ヴァイラスが姿を現した。

 少しだけ宙に浮いたまま、ぞっとするような冷たい視線でジークを見下ろす。

「……来てやったぜ? ヴァイラス」
 ヴァイラスの視線を受け止め、そうして片方の口端だけを持ち上げてジークはにやりと笑みを零した。その様子を見下ろすヴァイラスがくっくと笑みを浮かべる。
「……贄の君も気の毒に。身体を張り、命を賭けて助けてやった甲斐もなし、とは……、」
「そいつは違う」
 ヴァイラスに対峙し、視線を外さないまま、
「てめぇは、ロイを分かっちゃいねぇ」
 そう告げて、アルフから受け取ったロイのレイピアを構えて、ジークはヴァイラスとの間合いを計った。
 漆黒の瞳が、ヴァイラスを射抜く。

「……終わらせてやるぜ」
 一言だけそう告げ、だんっと踏み込むと、ジークは真っ直ぐにヴァイラス目掛けて突きを繰り出す。剣先が触れる寸前で身を翻したヴァイラスが冷たい笑みを浮かべる。
「忘れたか、ジークディード」
 それは冷たい響きを持つ声。
「お前には私を止めることなど出来はしない。あの日、そうであったように」
「忘れちゃいねぇよ」
 間髪入れずにそう答え、ジークは剣を構え直した。そのジークの元に愛剣が飛んでくる。その大剣を片手で受け取って、ジークはヴァイラスを見据えた。
「では、返してやろう。何を使おうとも、結果は同じことだが」
 ヴァイラスの瞳に、大剣を構えるジークの姿が映る。
 そして、ジークの漆黒の瞳にも、ヴァイラスの姿が映った。

 その姿が、遠いあの日と重なる。

 忘れることの出来ないあの日も、感情を失くした冷たい眼で、お前は俺を見ていた――。




『……姉さんが、死んだ……?』
 あの日、国境での任務を終え、帰るや否や実家にジークは呼び出された。そこで告げられた事実を受け入れられなくて、もう一度その言葉を繰り返す。
『……姉さんが……、死んだって……?』
 そう口に出してみたものの、頭の中は真っ白だった。
 その後のことはあまり覚えていない。
 気が付けば、棺の中で花に埋もれて眠る姉の姿を、開かれることのないその瞳を、ただ呆然としたまま見下ろしていた。
 良く見ると、姉の遺体は、衣装と花で覆い隠してはいたが、体中傷だらけであった。化粧をしてもらっていたものの、顔にもひどい傷があるのが見て取れた。
 森で小鬼(オーク)たちに襲われたのだと、親戚の誰かが告げた。子供たちを庇って一人勇敢に戦ったのだとも。

 騎士の国ラストアの中でも、何度も騎士隊長を務めたことのある、由緒ある家柄。
 男女問わず、幼い頃より厳しく剣術を仕込まれるその家の中にあって、姉は「女にしておくのが惜しい」と父がぼやく程の腕前だった。
 それなのに――。
 ましてや、このラストア城下近郊に、小鬼(オーク)が出没することなど、まずありえないことだった。
 そもそも、何故子供たちを連れて森に――?

 少し冷静さを取り戻した頭に、次々と疑問が湧いてくる。
 その疑問を煽るかのように、親戚たちの根も葉もない噂話が飛び交っていた。

 正妻の腹でもない弟が、跡継ぎである兄の才能を上回ることに気付いた時、この家が下した結論は弟であるジークを家から遠ざけることだった。以来、剣の師匠の下で生活し、実家には年に数えるほどしか帰っていない。そんなジークにも、姉は優しかった。周囲の目を笑い飛ばして、ジークの剣の腕前を心から褒めてくれた。最年少で騎士叙勲を受けたときも、一番に喜んでくれたのは姉であったことを記憶している。
 そして――、

 周囲の噂話が、ジーク自身の話から別の人物へと移り、ジークは舌打ちをした。

『やはり、あのような忌むべき者に関わったりするから――、』

 ――忌むべき者。

 それが誰を意味するのか、知らない者はこのラストア城下に一人もいなかった――。

 ――ヴァイラス。

 心の中でだけそう名を呼び、そうして噂話を続ける親戚たちを一睨みして、ジークは家を後にした。



 翌朝。
 ラストア城下の街の外れで、ジークはヴァイラスを見た。
 若草色の神官衣を脱ぎ捨て、感情を失くした冷たい眼が、一度だけジークを振り返った。

「ジークディード」
 名を呼び、そうして真っ直ぐに見つめたまま、
「私を止めたいなら、腰に提げたその剣で、今すぐこの胸を」
 片手で自分の胸を押さえながら、ヴァイラスはそう告げた。
 それは、ヴァイラスの願いでもあるように思われた。
 それでも、手にした剣を、ヴァイラスの胸に突き刺すことはどうしても出来なかった。

 そうして、
「……出来ないのなら、私はこの世界を滅ぼそう」
 ぞっとするような冷たい視線で、
「それが、貴方たちの望みなのでしょう……?」
 ふと空を見上げ、独り言のようにそう呟いて、ヴァイラスは姿を消した。




「……あの日、お前を止めてやるべきだった」
 冷笑を浮かべたままのヴァイラスを、漆黒の瞳にしっかりと捉える。
「お前を追い掛け、ラストアを出た後も、俺は本当はお前を見つけたくなかったのかも知れねぇ」
 ザイラールの紋章がある白い神官衣を纏ったその姿を、心の何処かで想像しながらも――。
「……そのせいで、長い間、悪夢を見せちまった。すまねぇ」
 低い声でそう告げて、大剣を構えて、
「終わらせてやる。今度こそ」
 そう決意を言葉にして、ジークはヴァイラスとの間合いを一気に詰めた。


「貴方の相手はこちらですよ。炎の君」
 気配なく現れたその声に、アルフはジークからその声の主へと視線を巡らせた。
 オルトの視線を受け止め、背筋にざわざわと悪寒が走る。
「アルフ、気をつけろ、」
 そう告げるフォードの声が途中で途切れる。ちらりと視線を送ると、フォードの前にハサードが立ち塞がっていた。
「……どうしても?」
「他に選択肢は思いつかないからな」
 フォードの問いに、ハサードがそう呟くのが耳に届く。
 次の瞬間、
「他人を気にする余裕がおありですか…?」
 そう告げるオルトの声とともに、胸部にどんっという衝撃を覚え、アルフは片膝をついた。何度か咳き込むと口腔内に鉄の味が拡がる。
「……へぇ、チビの割に、案外とやるようだな」
 口端から流れる血を片手で拭い、そうしてきつい赤褐色の瞳でオルトを見据えて、アルフは長剣を握り締めた。
「くす。この日を長い間夢見て来ましたからね。……ディーンの最後の血、それを浴びることは至上の喜びですよ」
 楽しそうにそう告げるオルトの碧眼が、薄い紅色へと変化していく――。
 明らかにヒトとは異なるモノへと変化していくその様子を、アルフの赤褐色の瞳が見据える。
「へぇ、魔族ってわけか。生憎だったな。魔族討伐は得意な家系なんだ」
 そう告げて、長剣に唇を寄せ、封印解除の言葉を囁く。アルフの声に呼応して、アルフの長剣から眩い光が溢れ出していった。


 月の光が力を増していく――。
 何かが自分を喚ぶ声が、次第に大きくなるのを、ロイは感じていた。
 そうして伸ばされてくる、大きな冷たい手。
 懸命に振り切ろうともがいてみるものの、後僅かでその手が自分に触れようとしていた――。




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