Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Spirit Stones 

 第6章 闇と光と 
第3話 Truth−真実−


「……はぁ、……っ!」
 苦しげな声とともに、ロイは瞳を開いた。次の瞬間、ロイの全身に耐え難い激痛が襲い掛かる。
「うぁっ……、っ、」
 激痛に一瞬息を詰め、無意識に腕の中の精霊石を強く抱き締める。そうして、苦しい息の下、ロイは途切れがちに幾つかの言葉を紡いだ。その言葉に呼応するように精霊石が徐々に光を増していく。
「……はぁっ、」
 青灰色の瞳に精霊石の光が映る。そうして軽い脱力感とともに激痛が幾らか治まるのを感じて、ロイは荒い息を吐いた。


 精霊石の光に包まれながら、ロイは空中に浮かんでいた。ふわりと舞う蒼い黒髪に、月光が降り注ぐ。
 一つ息を吐いて、そうして意を決したようにロイは頭上へと視線を上げた。ロイの青灰色の瞳に、丸い窓に掛かる月の姿が映る。既に正円に近い形となったその月は、後僅かで全ての形を現そうとしていた。
 
「二つの、月……」
 しばしの間、頭上の月を見つめ、そうして足元へと視線を送って、ロイは息を呑んだ。見開かれた青灰色の瞳に、魔法陣の中心に開かれた闇の中に浮かぶもう一つの月の姿が映る。
「……あぅ……、っ!」
 次の瞬間、何か強大な力に引き摺られそうになり、ロイは苦痛の声を上げた。精霊石を抱き締める腕ががくがくと震える。意思に反して震え続ける全身に鞭を打ち、左右に大きく首を振って、ロイは足元に拡がる闇の空間を見据えた。

『ロイフィールド……』
 その声に、ぞくりとした恐怖感がロイを襲う。

『ロイフィールド……』
 闇の中から何かがロイの名を喚(よ)んでいた。待ち切れないといった様子で伸ばされてくる手が、ロイの足先に微かに触れる。ただそれだけで全身が凍りつくのを感じ、ロイはもう一度大きく首を振った。

「まだ、だ……っ!」
 振り切るようにそう声にして、精霊石と同じ光を宿すその瞳で闇の中を見つめる。
「まだ、堕ちてやるわけには、いかない」
 ともすれば震えそうになる声で、それでいて何処か凛とした響きを持ってそう言い放ち、ロイは闇の中の確かな存在に対峙した。
「力の限り、抗ってやるさ」
 そう宣言し、口元にだけ笑みを浮かべてみせる。
 ロイの耳には、ジークの大剣が繰り出す音が届いていた。そうして、剣戟に交じる、声――。

「俺は、一人ではないのだから」
 そう呟くロイの腕の中で、精霊石がそれまで以上に眩い光を放った。



「……ロイ?」
 頭上からの眩い光に、ジークは視線を上げた。その瞳に、精霊石を手に足元の闇と対峙しているロイの姿が映る。
 二つの月の光を浴びながら、輝く精霊石の光に包まれたロイの黒髪が風に舞う。足元から伸びてくる闇の触手を、光を集めた青灰色の双眸が制していた。

「……くっ、くっ、くっ」
 ヴァイラスの哂(わら)い声が響き渡る。
「何処までも可愛らしいお方だ、贄の君は。抗って、苦しんで、絶望して……、私を存分に楽しませてくれる」
「可愛らしいだと?」
 ヴァイラスの台詞に、ジークが失笑する。
「何度も言うが、あいつはそんなタマじゃねぇよ」
 そう告げて、ジークが一歩踏み込む。次の瞬間、ジークの大剣が閃き、交わし切れなかったヴァイラスの胸元を霞めた。ヴァイラスの白い神官衣の胸元が肌蹴ける。
「……ようやく、本気を出したか。ジークディード」
「俺もあいつに応えてやらねぇとな」
 口元にだけにやりと笑みを浮かべて、ジークはヴァイラスを見据えた。
「そして、ライカ姉さんのためにも」
 そう付け加えて一つ息を吸い込む。素早い動作で繰り出されるジークの剣を空中で交わして、ヴァイラスは後ろに飛んだ。そのヴァイラスの手から炎が上がり、ジークに襲い掛かってくる。
 一瞬の間を置いて、気合いとともに振り下ろされた大剣によって、ヴァイラスの炎は姿を消した。二人の間に蒸気が舞い上がる。
「……ヴァイラス。邪神を蘇らせて、魔界との扉を開いて、そうして何になる?」
 白い蒸気の中に、ジークの低い声だけが響く。
「お前のことだ、姉さんを蘇らせたいってぇわけじゃねぇんだろう?」
 ほんの少しだけ哀しげな声色で、ジークはそう問い掛けた。

 邪神ザイラール。――死を司る神。

 それは、ジークの姉ライカの命が失われ、哀しみとともにヴァイラスが姿を消した時、ジークの脳裏に浮かんだ名前でもあった。
 何処まで真実だが判らないが、この邪神と契約することで不死になれるだとか、死者を蘇らせることができるだとか、そんな話はジークも聞いたことがあった。もっとも邪神ザイラールに対する畏怖の念と契約に対する代償を考えれば、普通ならば関わりたい相手ではないし、仮に契約をしたいと望んだとしても普通の人間に出来うることではない。

 しかし――、
 邪神を喚び出すだけの傑出した『能力』と、それを行使するに足る『理由』。

 ヴァイラスはその両方を兼ね備えていた。

「……姉さんは、」
 言い掛けて、ジークは一つ息を吐いた。
 『こんなことを望んじゃいねぇ』と口にしたところで、ヴァイラスも十分に判っていることだろう。

 ライカは邪神と契約してまでも生き返りたいと望む人間ではない。例えそれが理不尽に奪われた生だとしても。
 ヴァイラスもそれは承知している。ならば、ヴァイラスの目的は――。

「姉さんは、お前が闇に染まることも、世界が滅ぶことも、望んじゃいねぇ」
 想いを込めて呟くジークの声が響いた。立ち込めていた蒸気が晴れていき、互いの姿が瞳に映る。
 ジークの漆黒の瞳が、宙に浮かんだままのヴァイラスの姿を見据える。そうして、ヴァイラスの凍てついた瞳が、ジークを見下ろしていた。

「ジークディード」
 静かなその声で、ヴァイラスはジークの名を呼んだ。
「……『生きる意味』とやらは見つかったのか?」
 ジークを見下ろしたまま、そう問い掛ける。

 生きる意味。  それは、遠い昔、ジークが拘り続けていたことであった。
 正妻の子ではないにしろ、騎士の国ラストアの騎士隊長の家系に生まれ、十分な資質を持ち、機会にも恵まれ、ラストア史上最年少でジークは近衛隊入隊を成し遂げた。周囲から見れば、恵まれた環境と言っても良いのだろう。それでもあの頃、ジーク自身は自分の生の意味が判らず、自問自答を繰り返していた。そんなジークを憎らしく思う気持ちと同じくらいの大きさでも好ましくも思っていたことを思い出し、ヴァイラスは苦笑した。

「私の生に意味があるとしたら、それはこの世界を滅ぼすことかも知れない」
 昔と同じ台詞を口にする。その度に困った表情を浮かべていたジークの顔を思い出しながら。

「……生きる意味ってぇのはな、てめぇで見つけるもんだぜ、ヴァイラス。他人がどう言おうがな」
 いつも困った顔を浮かべていた少年は青年へと成長を遂げ、意志を持った漆黒の瞳がヴァイラスを見据える。

「私は、世界を滅ぼす者、そう予言され、似合いもしない神官衣を着せられ、神殿に閉じ込められて育った」
「……知っている。それでもお前は、」
 この世界を愛していたはず。
「そう、太陽の光、小鳥の囀り、木々の囁き……、その全てを守りたいとそう願っていた。そのために生きるのならそれもいいと思っていた。それなのに、最も守りたいものすら守ることも出来なかった」
 凍りついたような声でそう告げ、ヴァイラスが片手を翳す。その手の中に闇が渦巻いていくのがジークの瞳にも映った。ヴァイラスが闇の呪文を詠唱し始める。
 ごくりと唾を呑んで、ジークは汗が滲むその手で大剣を握り直した。

 片手を翳したまま、ヴァイラスがふと呪文を止める。
「……私がいなければ、ライカは死なずに済んだ、そう思ったことはないか? ジークディード」
「ヴァイラス……」
「ライカの死の原因が私にあるならば、それでもライカの生、私の生に意味があるというのならば、」
 ヴァイラスの手の中で渦巻く闇が、鋭い矢へと姿を変えていく。
「私は、この世界を滅ぼそう」
 最後にそう告げて、ヴァイラスは掲げた手を振り下ろした。振り下ろした手から、無数の闇の矢が降り注ぐ。
 それはまるで、この世界のもの全てを消し去りたいとそう願うヴァイラスの叫びのようで――。
「……くっ、」
 避け切れない矢を大剣で弾きながら、それでもジークの視線はヴァイラスから外れることはなかった。ヴァイラスの動き一つ一つを焼き付けるかのように、漆黒の双眸に映し取る。

 止められない想い、というものがある。
 お前自身に出来ないというのならば――、

「――俺が、止めてやる」
 そう叫び、意を決したように大剣を大きく一文字に振り下ろす。その動きに合わせて風が起こり、ジークの周囲から闇の矢が消え去った。一つ息を吐いて、そうして大剣の柄を握り直す。
 漆黒の瞳にヴァイラスの姿を映して、そして、

「あああああ―――っ!!」
 ジークの大剣がヴァイラス目掛けて、真っ直ぐに軌跡を描いた。


 その瞬間だった。

「アルフ!」
 ロイの声が届く。
「……ロイっ!!」
 次いでアルフの叫び声。

 振り向いたジークの視界に映ったのは、闇の矢を吸収して一回り以上大きくなったオルトの姿と、アルフを守ろうと伸ばされた光の束。そして、その光の束を導き出したロイが、闇の触手に捕らわれようとしている姿だった。そのまま瞬く間に、ロイの姿が闇に覆われていく。

「ロイっ!!」
 名を叫んだジークの全身から冷たい汗が噴き出す。

 一瞬、世界中の全ての物音が消え去った、そんな感覚を覚えた。
 次の瞬間、ロイを覆った闇が一点へと収束を始める。

 そして――、

 大きな衝撃が神殿全体を襲った。
 その場にいた全てのものが、目に見えない力に弾き飛ばされるように宙を舞う。

 片膝を付き、ジークはその衝撃に耐えた。漆黒の双眸で、ロイがいたはずの場所を見据える。


『――契約は成された』

 闇の中心から、低い声が響く。
 それは、ロイの声であり、ロイではないものの声だった。


『我、契約に従い、扉を開かん』

 宣言する声と同時に、全てを喰らい尽くすかのように闇が急速に拡がり始める。そうして、闇の底から人ではない存在(もの)たちが次々と姿を現した。


「……ジークディード」
 急所は外れたものの、深々と肩に突き刺さったジークの大剣を両手で抜き去り、そうしてヴァイラスはジークを見つめた。
「贄の君は堕ちた」
 一言そう告げて抜き去った大剣を投げると、ヴァイラスの肩から鮮血が舞う。
 そして、その鮮血が流れる先に、
「……ロイ……、」
 『ロイ』が立っていた。

 ロイの周りで、風がぴしりぴしりと弾け散るのを感じる。
 美しすぎる青灰色の瞳を細めて、妖艶な笑みを浮かべながら、一歩一歩ロイは歩を進めた。



「扉は開かれた!!」
 禍々しい空気の中、オルトの歓喜の声が神殿に響く。
「……残るディーンの血は、貴方一人」
 ぞっとするような笑みを浮かべて、オルトはアルフを視界に捉えた。既に満身創痍の状態でありながら、それでも長剣を構え、戦う意志を失わないアルフの赤褐色の瞳を忌々しげに見つめる。
「止めを刺して差し上げましょう」
 冷たい声でそう告げ、アルフに掌を向ける。次の瞬間、どんっという音とともにアルフの身体が後ろへ吹き飛ばされた。
「……ぐ、あ……っ!」
 壁に背中を打ち付けられて、アルフが苦しげな声を洩らす。その様子を見つめながら、オルトが堪らないといった表情で舌なめずりをした。
「最期の血の一滴までも、許しはしませんよ」
 オルトの手の中に現れた大きな闇の刃が、アルフに向かって振り下ろされる。長剣を頭上に構えて、アルフは来る衝撃に備えた。
 しかし、その闇の刃は振り下ろされることなく、姿を消した。
「……我が君」
 オルトの瞳に、アルフの前に立つハサードの姿が映る。
「……何をなさってらっしゃる?」
 細められたオルトの紅い瞳に、怒りの色が拡がっていく。しばしの間、ハサードの真紅の瞳を見つめ、そうして、翡翠色のもう一つの瞳に視線を向け、オルトは堪え切れない怒りの声を上げた。
「たかが人間と戯れるなんて、二度とあってはならないこと!」
 オルトの脳裏には、数千年前の出来事が浮かんでいた。
 慕わずにはおれない真紅の瞳と、その心を奪い去った翡翠の瞳。
 それが同じ刻(とき)を生きるなんて、許すことは出来なかった。
 それでも魔力を封じられた身では、真紅の瞳を取り戻すことも、翡翠の瞳を葬ることも叶わなかった。だから刻(とき)を待った。魔界の扉を開くことが出来る者の誕生と、その機会を待った。

 そうして今、魔界の扉は開かれた――。

「二度と私を失望させるなと、そう言ったはず!」
 鋭い鉤爪を持つオルトの腕が、ハサードの元へと伸ばされる。避けようとしてあまりに速いその動きに反応しきれず、ハサードは覚悟を決めた。そのハサードの目の前で、鮮血が舞う。
 見開かれた色違いの瞳に、オルトの腕に胸を貫かれて身体をしならせるフォードの姿が映っていた。
「……何故……?」
 問い掛けるハサードの前で、笑みを浮かべるフォードの口から血が溢れる。
「……さあな」
 血液が零れる口元に笑みを浮かべたまま、フォードはこう答え、自らを貫くオルトの腕を掴まえた。
「……行、け」
 苦しい息の下告げられるフォードの言葉に、反射的にアルフが立ち上がる。そうして、気合いの声とともに出された鋭い突きが、オルトの心臓を捉えた。
「……たかが、人間が……っ!」
「言ったろ。魔族討伐は得意な家系だって」
 そう告げて、アルフは長剣を握る手に込めた。そのまま自らの名前を宣言し、長剣の封印を解く。
「ゆっくり休みな」
 アルフの声に呼応して、長剣が光を放ち、オルトを呑み込んでいった。
 断末魔の声とともにオルトの姿が消え去るのを確認して、アルフがその場に崩れ落ちる。

 そして、二つの蒼い月以外、全ての光が消え去った。

 力を得た異形の者たちが、獲物を求めて、咆哮を上げていた。




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