Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Spirit Stones 

 第6章 闇と光と 
第4話 Dark and Light−闇と光と−


 両腕でフォードを抱き締め、壁を背にした格好で、ハサードは目の前の状況を見つめていた。
 ハサードの目の前、二人を庇うように闇の住人たちを斬り伏せていくアルフの姿が映る。そうして、その向こう、拡がる闇の中心で、微笑むロイの姿が見えた。

「……ロイフィールド」
 届くことはないと知りながらも、ハサードはその名を呼ばずにはいられなかった。
 同じ想いなのか、剣を振りながらアルフも何度もロイの名を呼んでいた。

「ロイ! ロイっ!!」
 アルフの悲痛な声が、神殿内に響く。
 それでも、アルフの声にロイが応えることはなかった。口元に薄笑いを浮かべたままのロイがゆっくりと歩を進める。整いすぎるほどに整ったその容貌はロイそのものであるのに、鬱蒼と細められる青灰色の瞳が、冷笑に歪む薄い唇が、ロイではないことを物語っていた。
 そのまま数歩を歩いて、ロイは立ち止まった。足元を流れるヴァイラスの血液を片手で掬って、妖艶な笑みを浮かべてみせる。何かを確かめるかのように何度か細い指先を動かし、掬った血液を啜るように唇を寄せて、ロイは視線を上げた。


 光を失くした青灰色の瞳が其処にあった。


「……勝手はさせねぇ」
 血の気を失くすほど強く大剣を握り締めて、ジークがロイの前に立ち塞がる。
 漆黒の瞳にロイの姿をしっかりと映したまま、ジークは握り締めていた大剣を鞘に納めた。一つ息を吐いて、そうして意を決したように腰に提げた細身の剣(レイピア)を手に取る。それは、アルフから受け取ったロイの剣であった。
 カルハドールに向かう決意をした夜、ロイはこの剣を置いていったのだと言う。この剣が、セレン王国に伝わる『聖剣』の一つであることは、アルフから説明を受けるまでもなく、ジークも聞いたことがあった。

『俺が俺でなくなっても?』
 初めて肌を合わせた雷鳴の夜、ロイは確かにそう言葉にした。この日が来ることを予感していたかのように――。そうして、自分のことに関しては滅多に口にしないロイが、この『聖剣』の由来については雄弁に語っていた。
 その昔、魔王を封じた剣――、悪しきものを地に帰す剣だ、と。
 何故ロイが、『聖剣』について話したのか、考えなくともジークにも分かっていた。

 ロイがロイでなくなった時、そして、この『聖剣』がロイの身体を貫かなくてはならなくなった時、それを行うのは自分であることを――。

「覚悟を決めやがれ、ロイ」
 低い声でそう告げ、ジークは胸の前でロイのレイピアを半回転させた。剣先を地面に向けたまま、柄を握る右手を左胸に当てる。それは、ラストア王国騎士隊における戦い前の礼を表す動作であった。そして、ジークがその格好を取るのは、随分と久しぶりのことであった。
 遠い昔、そう『生きる意味』が分からなかった頃のジークにとっては、この動作は『戦う理由』を確認するために必要な儀式だった。

 その儀式が不要になったのは、いつの頃からだったか――。

 そう、生きる意味を見つけたからだ。

 心の中でだけそう想い、ジークは真っ直ぐにロイを見つめた。

 ロイに出会った。そして、ロイという人間を知った。そのロイに惹かれた。
 ロイが抱える光も闇も、それが何か分からなかった時も、そして分かった後も、傍にいたい、その想いだけが強くなっていった――。気付かないうちに、ジークにとってロイという存在が『生きる意味』になっていた。そうして、ロイが『生きるための理由』になりたかった。

 そのロイの命を絶てるのか――。

 ロイを見据えるジークの額を冷たい汗が流れ落ちる。その様子を光を失くした青灰色の瞳に映し、ロイが喉の奥でくっくと哂った。心の奥の動揺を見透かされたような気がして、ジークが小さく舌打ちをする。

 ――覚悟はしていた、はずだった。

「……行くぜ」
 そう唸り、ロイに切っ先を向けて、ジークはレイピアを構えた。息を吸い込んで、そうしてだんっと片足を踏み込む。
「ジーークっ!」
 アルフの悲痛な叫び声が、遠くで聞こえたようなそんな気がした。


 ロイの周りに竜巻が起こる。踏み込んだジークの剣先が触れる直前に起こったその竜巻は、大きな渦を描いてジークを弾き飛ばした。
「……ぐっ、……う」
 壁に背中を打ち付けたジークが苦痛の声を上げる。そのジークの姿を、ロイが冷たい視線で見下ろしていた。
『……お前には、ロイを傷つけることなど出来はしない、とそう踏んでいたが、』
「ぐ……っ、……つ、ぅ……」
 ロイが手を翳す。ただそれだけの動作で、崩れ落ちそうになっていたジークの身体が再び壁に打ち付けられた。圧倒的な力で壁に押さえ付けられたジークの身体から、骨がきしむ音が聞こえる。
『いや、元より人間は、愛しい者の命すら奪える、争いが好きな生き物であったな』
 そう呟き、ロイが喉の奥で笑った。
『ならば、好きなだけ争い、殺し合い、滅ぶが良い』
 笑い声と共に、ロイが両手を高く上げてみせる。渦巻く風が闇と調和し、闇が急速に拡がっていく。

「誰にもやらねぇ!」
 勢いを増した闇の住人たちを瞳に映し、口端を流れる血を拭いながら、ジークがそう叫ぶ。
「ロイは誰にもやらねぇ。そう決めた。……そう、あいつと約束した」
 そう言葉にして、漆黒の瞳をぎらりと光らせ、ジークは立ち上がった。

『……愚か者が』
 細められた青灰色の瞳が、忌々しげにジークを映す。そのまま片方の手掌をジークに向け、軽く手首をしならせると、巨大な風の刃がジークの頭上に振り落とされた。
「うおぉぉ――っ!」
 声を上げて、ジークがレイピアを構える。ジークの声に呼応するようにレイピアが光を放ち、風の刃が姿を消した。
「……決めたって言ったろ。たとえ誰が相手だろうがな」
 そう言って、再びレイピアを構える。

 ジークの漆黒の瞳に、風に舞うロイの黒髪が映った。その瞳の中で、一際大きく風が舞い上がる。
 次の瞬間、ジークに襲い掛かるはずの風が、ぱたりと姿を消した。
 その一瞬を逃さず、ジークが一気に踏み込む。

「まだだ、ジークディード!」
 ヴァイラスの声が響く。その言葉の意味は、踏み込んだ直後に、ジークにも分かった。

 ジークの漆黒の瞳に映る、ロイの青灰色の瞳。
 それは、紛れもなく、ロイ自身のものだったのだから――。

「……ちっ!」
 鋭い突きは最早止めることは出来ない。かろうじて身体を捻らせ、ジークは剣の軌跡をずらした。
 レイピアがロイの首筋を掠めて、一条の血液が流れる。

「……ロイ、」
 間近で見る、ロイの瞳。
 その中に微かに宿る光を確認し、ジークはロイの名を呼んだ。ロイがふ、と笑みを落とす。
 その直後に瞳を硬く閉ざし、ロイは何度か小さく首を振った。
『我に逆らうのか、ロイフィールド』
 ロイの意志に反して、形の良い唇から少し低い声が零れる。これまでと違い、怒りを露にした声だった。その声が持つ響きに、ジークの背中を冷たいものが流れ落ちる。

「……力の限り抗ってやる、そう言って置いたはずだ」
 少し高く何処か澄んだ声で、ロイがそう告げる。そして、ジークの目の前で青灰色の瞳が開かれた。
「……ジーク」
 その声がジークの名を呼ぶ。満足に動かせないのだろう、ぎこちない動作でロイはジークに手を伸ばしてきた。
「ロイ」
「……大丈夫だ」
 レイピアを握り締めるジークの右手に手を添えながら、ロイはそう答えた。そうして、口元にふわりと笑みを浮かべてみせる。
「大丈夫。そう信じている」
 そう言葉にして、次の瞬間、ロイはジークの手ごとレイピアを掴んで、自らの胸を貫いた。

 一瞬の間を置いて、貫いたその場所から淡い光が零れ出す。それは次第に眩しさを増し、幾筋もの光となって闇を切り裂いた。
   ほんの少し息を詰めて、ロイが背中をしならせる。と同時に爆発的な光が拡がった。その光を浴びた闇の住人たちが、悲鳴に近い声を上げて次々と消失していく。そして、『邪神』も――。
『……何を……っ!』
 憎しみを込めた声とともに、形になりきらない霧状の闇がロイから離れた。それが『邪神ザイラール』と呼ばれるものであろうことは、その場にいた誰もが感じ取れた。形を成さない存在(もの)でありながら、圧倒的な存在感を持つもの――。

「……はぁ……っ」
 荒い息を落として、ロイが膝を付く。そのロイの瞳に光を放ち続ける白い精霊石の姿が映った。そうして、その傍にありながら、尚も黒く漂い続ける霧状の闇がロイに語りかけてくる。
『我を封じたつもりか、ロイフィールド』
 形を成さない暗闇が、くっくと哂った。
『生憎とそなたは光で形成されし者ではない、そのことを思い知らせてやろう』
 その瞬間、ロイの眼前が暗闇に覆われる。

「……あ……っ!」
 びくんっとロイが身体を震わせる。振り切るように大きく首を振り、自らの両腕で肩を強く抱き締めて、ロイは荒い息を落とした。その腕ががくがくと震える。
「はぁ……っ、あ、あ、……くっ!」
 何か生温かいものが全身を這いずり回る、そんな感覚の中にロイはいた。そして、その感覚には覚えがあった。
 自分を犯す者たちの、指先や舌――。
 元より敏感であったロイの身体は、ここに来てからというもの怖いくらいに感じやすくなったことを、ロイ自身も気が付いていた。肌にもたらされる刺激一つ一つを、研ぎ澄まされた感覚が確実に快感へと変化させていく。
「あ、あっ、……あ、」
 ロイの意思に関係なく、無理矢理高みへと追い詰められる。ロイの口から抑え切れない吐息が零れ落ちた。
『数え切れないほどの欲望を、その身体に受けてきた。その代償を思い知るが良い』
 楽しげなその声が頭に響く。次の瞬間、後ろを貫かれる感覚に、ロイは身体を強張らせた。
 ロイの中で何かが蠢く。内壁を擦り上げ、感じる場所を突き上げられる感覚――。
「……い、や……っ、あ、あ、」
 痛みを感じるはずその行為にすら、ぞくりと快感を掬い上げていく。そんな身体を否定するかのように、ロイは大きく首を振った。
『そなたは、穢された存在……』
 頭に響く声とともに、光が失われていくのを感じる。

「ロイ」
 腕を掴まれ、引き寄せられる感覚に、ロイは我に返った。開かれた青灰色の瞳に、ロイを気遣うジークの姿が映る。
「……大丈夫」
 そう答えたものの、ロイは胸の奥がずきんと痛むのを感じていた。その痛みは、自分の中にある闇が『聖剣』に耐えられなかったのか、それとも――。

『最早、光を導くことなど出来はすまい』
 邪神の声がそう告げる。

「大丈夫。お前は、お前だ」
 ジークの声がそう告げた。

 ロイが小さく頷く。そのロイの手の中で、精霊石が再び淡い光を放ち始めた。
 ゆっくりと立ち上がり、ロイが邪神に対峙する。そのロイの後ろで、ロイの肩に手を置いたジークの瞳も邪神を見据えていた。

「行け、ロイ」
 ロイの耳元に、ジークの声が届く。その声に後押しされるように、ロイは精霊石を掲げた。
「我が名はロイフィールド=ディア=ラ=セレン。精霊石よ、今こそその光を放たん」
 それは祈るような静かな声だった。精霊石が光を増していく。

『……たかが石ごとき』
 精霊石が放つ光を嘲笑うかのように、霧状の闇が大きさを増す。
 
「そう、たかが石だが、」
 そう答えるロイの瞳に、光を放つアルフの姿が映っていた。
「ロイっ!」
 アルフがロイの名を呼ぶ。
「ディーンよ、偉大なる我が祖先よ。俺の中にも貴方の血が流れているというのなら、今この瞬間だけでいい、力を貸してくれ! ロイを、世界を守らせてくれ!」
 そう叫ぶアルフの声とともに、アルフの想いと光が精霊石に流れ込んでくる。

「たかが石だが、この世界を想う者たちの願いが込められている」
 肩を抱くジークの想いを感じながら、ロイはそう付け加えた。

「願い……」
 ハサードの色違いの瞳に、精霊石の光が映る。そのハサードの腕の中で、血だらけのフォードがぴくんと動いた。ハサードが視線を送る。
「……お前も、願いを、……込めて、みたら……?」
 苦しい息の中、途切れがちの声で、フォードがそう告げる。そうして、指を一つ立てて、フォードはハサードの胸をとんっと突付いた。
「……ちゃんと、あるみてぇだぜ? ……てめぇの、中にも、な」
 フォードが示した先、胸の奥に光が集まるのを感じて、ハサードは瞳を見開いた。
「足掻いて、みろよ」
「……あんたもな」
 死なないでくれ、と消え入るような声でそう付け加え、ハサードは光を放った。

 ロイの手の中、精霊石が輝きを増していく――。

 光の渦の中で、霧状の闇は、次第に大きさを失っていった。
 それでも、その闇を消し去ることは叶わなかった。拳ほどの大きさになって尚、その中の闇は深さを増していくようなそんな錯覚すら覚える。

「……は、…ぁっ」
 精霊石に光を注ぎ込み、意識を失くしかけたロイの身体をジークの腕が支える。

「……生きる意味、か」
 そう呟くヴァイラスの声が聞こえたような気がした。
 ジークが振り返ると、邪神を見つめ、片手を翳して呪文を詠唱するヴァイラスの姿があった。
「ヴァイラス、」
 ジークがヴァイラスの名を呼ぶ。その声が届いたのか最後にふと口元に笑みを浮かべて、ヴァイラスは邪神を捉えた。
「深淵の闇にお供致しましょう」
 そう告げて、魔法陣に足を踏み入れる。
「さらばだ、ジークディード」
 次の瞬間、ヴァイラスは邪神とともに、魔法陣の中心にある深い闇へと身を投じた。


 邪神が深淵の闇へと還っていく。
 闇へと堕ちながら、ヴァイラスは何処か安堵した気持ちを感じていた。

 ――あなたは、世界を滅ぼしたりしないわ。
 そう告げたライカの声を思い出す。

 ――だって、こんなにもこの世界を愛しているもの。
 そう言ってライカは微笑んだ。


 闇に包まれる直前で、ヴァイラスの落下が止まる。
「……贄の君」
 見上げるヴァイラスの瞳に、ヴァイラスの腕を掴むロイの姿が映った。そして、そのロイのもう一つの腕をジークがしっかりと掴んでいた。
「手を離しなさい、ロイフィールド」
 静かな声で、ヴァイラスがそう告げる。
「……離さない」
 ヴァイラスを見つめるロイの声がそう答えた。
「奇遇だな。俺も離しゃしねぇぜ?」
 ジークの声がそう付け足す。流れる汗が、震える腕が、長く持ちそうにないことを物語る。
 それでも、
「諦められない想い、があるから」
 そう告げて、ロイはふわりと微笑んだ。
 精霊石が一際眩しい光を放つ。
 そうして、その光で3人を包み込んで、精霊石は砕け散った――。




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