コールサイン:JR5HJJ
開局:1984年 春
アマチュア無線の存在は中学の時に知ったが
アマチュア無線のことがわかる人やアマチュア無線を開局している人が近くにいなかったし
国家試験の受け方がわからず、CB無線を開局することで妥協し
親にCB無線機を買ってもらってCB無線局とくしまMW70を開局した。
徳島県立徳島東工業工業高校に入学し、無線部に入部。免許の取り方や開局方法を知った。
高校1年の時に電話級無線通信士(今の第4級海上無線通信士かな?)を取得。
こづかいを貯めて144MHzのFMハンディ機C110を購入。
アマチュア無線局JR5HJJを開局。
高校時代は放課後に校舎の屋上から144MHzFMで電波を出すことが多く
交信相手は年上のおじさんたちが多かった。
当時144MHz FMのチャンネル争いはけっこうひどかった。
HFの運用については興味が無かったし、周囲にHF運用している人もいなかったので
144MHzFMだけで運用していた。
その後430MHz、1200MHzでパケット通信にハマり
パケット通信のブームが去るとともに、だんだん無線から遠くなり、およそ15年間、交信無し。
さらにその後、HFの無線機を購入し、JARLにも加入し
ちゃんと免許も更新していたが、交信は無し。
2002年(だと思う)ころ、趣味として陶芸を始めた。
陶芸にハマって、いっそう無線から遠ざかった。(笑)
2007年1月、陶芸教室の先生が亡くなり、違う趣味を探していたところ
アマチュア無線の再開を考えるようになり、電信符号も忘れてしまっているにもかかわらず
電信で通信を楽しんでいるクラブ、A1クラブに入会。
2007年秋、自宅では逆Lワイヤーアンテナを設置、カプラーも購入して
HFで電波が出せるようになった。
HFアンテナのノウハウが無かったので使えるようになるまでは調整に苦労した。
(最初は接地がこんなに大事だと思わなかったし、アンテナカプラを使うことも考えなかった)
このころ、144MHzでの運用が多くなってきた。
2008年9月、コンテストに初参加(AWA9コンテスト)。
初めてのコンテストで、他のOMさんに教えてもらいながらの参加となった。
2008年11月、月見ケ丘海浜公園で開かれたハムの集いで
高校の時に無線部で一緒に活動していたJR5PVCと十数年ぶりに再会。
手元にあるJARL徳島県支部役員会の資料は2009年から整理されているので
この頃からJARL徳島県支部役員会などに呼んでいただいて、お邪魔するようになったような気がする。
2009年3月、3mHの逆Lアンテナと24MHz10WSSBで
サイパンで運用していた日本の方と交信。
これが外国との初QSOになった。
2009年4月、徳島ふれあい健康館で開かれたパソコン利用で楽しいCW入門ビギナー講習会に参加。
2009年5月、これをきっかけにUSBIF4CW(キット)を購入。
組み立ててパソコンによる電信の運用を試そうとしたが
パソコンでの受信解読がうまく行かず、すぐ飽きた。(苦笑)
このころ、開局の時購入したC110の調子が悪くなり修理に出したが
古くて部品が無かったので修理不能。
2009年5月、JR5PVCの勧めでARDFの練習会へ参加した後
2009年6月、ARDF本番に初参加(四国地方ARDF競技大会)。
50MHzのDSBトランシーバ(ポケロク基板キット)を購入、製作に入る。
2009年9月、ポケロクが完成。
しかし、どうも調整がうまくいかない。
この時、オシロスコープがほしいと思った。
香川県の綾歌町で開かれた製作技術講習会で初めてアストラルプレーンアンテナを製作。
スリムジムアンテナの信者であったが、この時アストラルプレーンアンテナにも興味を持った。
2009年11月JARLのARDF審判員(B級)資格取得
モールス信号での通信をパソコンでできるかいろいろ試していたが困難と判断し
2009年11月、鰍fDHキーのピコモールスを使って受信練習を始めた。
Yahooオークションで落札したオシロスコープDSO−5200で
50MHzDSBトランシーバの調整に調整を重ね何とか使えると確信し
2010年4月、ついに眉山からポケロクで初QSOに成功。
出力15mW、高さ3mのダイポール、相手は神山町、距離にして20km弱と思う。感動した。
しかし感度が低いし、大声でしゃべらないと相手に聞こえないようだった。
ポケロクの受信音量はボリューム最大で音量がちょうど良いくらいだったので
ありあわせの部品で受信アンプを追加してみた。
2010年5月、さらにスピーカーマイクの中にマイクアンプを追加して
大声でしゃべらなくても、電波が出るようになったポケロク。
2010年の夏はポケロクでの運用に期待が高まる。
CQ ham radio編集部から
アマチュア無線にカムバックされる方を応援する企画の原稿依頼があり
2010年6月号のCQ誌に写真入で載せていただいた。
全国紙に載る機会、それも自分の好きな趣味で原稿を書かせていただける機会は
一生に一度あるかないか、だと思う。とてもうれしかった。
2010年は直流電源装置(オリジナル)と周波数カウンタ(キット)を製作
作り始めた頃は無理かも〜と思ったがなんとか動いた。
2010年末から144MHz用ARDF受信機を作ってみようと思って
局部発振器のVFOの実験を繰り返した。
方式はハートレー、コルピッツ、クラップで動作状況を確認。
トランジスタのバイアス方式もいろいろ試してみた。
2011年5月8日、大川原高原でCBトランシーバを試す。
およそ30年ぶりに持ち出したRJ−580で初めて交信らしい交信ができた。
2011年5月22日
JARL徳島県支部始めての四国地方ARDF競技大会に審判として初参加。
担当はTX3の審判。雨の中、合羽を着ながら楽しめた。
2012年5月3日
2010年から続けていたARDF受信機は
ありあわせの手持ちの部品で試作1号機が
何とか電波を受信できるところまで来た。
オリジナルの回路で、ここまで来るのは長かったように思う。
しかし、たくさんのノウハウを得たと思う。
2012年5月6日
JARL徳島県支部2回目のARDF競技大会に審判として再び参加。
前回に続き、再度雨の中、合羽を着ながら楽しめた。
2012年5月11日
ARDF受信機は2号機試作を始めた。
その後、1号機と比較しながら1号機の改良と2号機の試作を進めた。
2012年7月
ARDF受信機は試作1号機をJARL徳島県支部ハムの集いに出展
2012年8月
ARDF受信機の試作2号機が受信可能になった。
調整の後、2012年11月4日、第20回北四国ARDF競技大会に無謀にも試作2号機で参加。
試作受信機の性能を確かめながらの競技参加であったがTXを2個探索し制限時間内にゴールできた。
2012年11月
LC発振回路をVFOに使った自作の50MHz DSBトランシーバに免許が下りた。
VFOのノウハウは144MHzのARDF受信機の局部発振回路を用いた。
2013年
ARDF用試作3号機を考え始めた。
しかし、なかなか進まず、うまく行かず・・・。
2014年
JARL徳島県支部のARDF競技大会のあと
試作3号機をテストしたが期待の性能は出せず・・・。
2015年5月24日
四国地方ARDF競技大会に試作3号機で参加。
TXを2個見つけて制限時間内にゴールイン。
ある程度、納得の行く結果が出た。
2015年2月〜6月
ハンディ機につないで使うARDF用IDジェネレータを試作。
この頃からPICを工作に使い始めた。
2015年11月頃〜2017年8月頃
PICを使って音声デジピータを使った可搬型無線中継器を試作。
2019年
JARLの徳島県支部会計・庶務をすることになった。
一気に忙しくなって全く自分の無線が楽しめないが、そういうものだろう。(苦笑)
まあ、自分が何かの役に立つなら・・・。
2020年
JARLの四国地方本部社員と徳島県支部副支部長をすることになった。
あいかわらず忙しくて全く自分の無線が楽しめないが、そういうものだろう。(苦笑)
新型コロナウィルス感染拡大で対面の役員会などが不可となり
JARL徳島県支部では役員会にZoomが導入されていたが
役員以外では音声だけでも容易にWeb会議に参加できれば
対面以外のコミュニケーションもできるであろうと
パソコンにつなぐマイクなどを製作してみた。
量産しても良かったが、その後Webカメラの需要も落ち着いて
安価なWebカメラが地元でも手に入るようになったのでマイク量産の必要も無くなった。
コロナ禍が続いて対面によるハムの集いが開催できないため
Zoomウェビナーを用いたリモート開催に挑戦した。
2021年
コロナ禍が続く・・・。
JARL徳島県支部では行事の計画変更・延期・中止が続く。
手間と時間をかけて結局できない・・・orz、orz、orz・・・
2022年
新型コロナウィルスはやや弱毒化したようであるが治まっているわけではない。
JARL徳島県支部では何とか対面で行事が開催できるようになったが
消毒検温の他、参加者の緊急連絡先他各種チェックで
行事準備運営はますます忙しくマンパワーや時間が食われるようになり困難を極めた。
2023年
コロナが5類になってJARLの行事がますます活発になり
家事とJARL役員の仕事に追われていると自分の無線を楽しむ時間は無いばかりか
まともな生活が成り立たない状態が何年も続いている。
12月にJARL徳島県支部の会計を交代した。
以前から興味のあったバーコードリーダーを思い切って購入して
ハムの集いの受付の省力化と所要時間の短縮に使ってみたところ効果絶大だった。
この年はJARLの行事でFMラジオなどキットを組み立てた。
A1クラブの方は入会したままですが、もっぱら電信でなく電話での通信を楽しんでいます。
運用スタイルはコンテストにはほとんど参加せず
チョコチョコ交信しQSLカードを集めるタイプです。
・・・・そして現在に至る。(笑)
無線業務日誌はExcelを使って自作したものを使っています。
入力した日誌の情報からQSLカードの印刷等もできます。
最新版でなくてもいいので、とりあえずどんなのか見たい人は
下表の上3つのファイルをダウンロードして試すことができます。
ダウンロードは下表のファイル名を右クリックすればOKだと思います。
ダウンロードファイルはすべてAドライブに入れてから試してください。
(初期設定はそのようになっています)
印刷のマクロは自分が使っているプリンタに合わせています。
他のプリンタを使う場合は変更する必要があるかもしれません。
logbook.xlsm | 無線業務日誌本体でExcelのbookです。 バージョンアップまたは使っていたlogbook.xlsmが壊れた場合は このファイルだけダウンロードしてください。 |
logbook.rec | ここからダウンロードした無線業務日誌をお試しで動かす時に必要なファイルで 交信記録の最終番号が記録されているファイルです。 既に上記のlogbook.xlsmを使用されている人は不要です。 |
logbook.dat | ここからダウンロードした無線業務日誌をお試しで動かす時に必要なファイルで 交信記録の情報が入っています。中身はお試し用のサンプルデータとなっています。 拡張子はdatとしていますが中身はCSVファイルになっています。 既に上記のlogbook.xlsを使用されている人は不要です。 |
logbook.doc | 無線業務日誌の説明書です。←編集中! |
logconv.xls | logbook.datからホームページ等の公開用の情報を切り出すものを作ってみました。 |
JR5HJJの無線業務日誌(抜粋)
時々抜けているかも(笑)・・・・記録番号,交信日時,交信局,周波数,電波型式,自局の空中線電力,相手局の場所の順。
昔はきちんと日誌に書かなかったこともあるし、PACKET通信の記録は残っていません。
とくしまMW70の無線業務日誌
約30年の眠りからカムバックしました。2011年5月8日からExcelで記録しています。
☆QSLカード
交信の中でカード交換の話が無くてもノーカード指定が無ければカードを発行しています。
当局に対するカード発行は無くてもかまいませんし、忘れてしまってもかまいません。
届いたカードの写真やイラストはささやかな幸せとしてありがたく楽しませていただいております。(笑)
時代と共に電子QSLが使える機会が増えた現在
紙のカードは不要でカードの写真やイラストはどうでもよいという方はおられますが
私は人間が交信の都度マイク・電鍵・キーボード等を操作した交信については
紙のカード交換もアマチュア無線の楽しみのひとつとして残って行くことを期待しています。
QSLカードは1枚1枚何を印刷するかログを確認して考えていますが
移動運用時の時、移動先で風景の写真を撮ることが多いので
使えそうな?見栄えの良い?写真があればQSLカードに印刷しています。
カードのデザインは適当に変えているので同じ交信相手であっても
2回目、3回目・・と違うデザインのカードを発行することがあります。
(たまたま同じデザインになることもあります:笑)
もし、届いていないようでしたら連絡ください。
また、カードに記載誤りなどあって、訂正が必要な場合は
再発行しますので、連絡ください。よろしくお願いします。
カードはインクジェット用の用紙を仕入れてカラープリンタで印刷しています。
プリンタの調子によっては、どうしてもインク汚れが付着するときがあります。
ごめんね〜。
☆その他
うちは1階建て。 庭も小さく 周りは2階建ての家に 囲まれている。 しかも路地の中にある。 最悪のコンディション。 ワイヤアンテナは |
上の図のように11mの逆L型ワイヤアンテナを設置し 給電部で左の写真のようにコンデンサを入れた。 セラミックコンデンサで容量は100pF。 耐圧の表示は無いけど、たぶん50Vだろうから 送信電力を抑えないとコンデンサが壊れるかもしれない。 屋外でアンテナ単独のインピーダンスを計ったら 2009.5.5:100pFのコンデンサに33pFのコンデンサを並列につなぎ |
2008年3月1日 144MHz用のSlimJIMアンテナを自作しました。 よくJ型アンテナといわれるようですが 正確にはSlim JIMアンテナとJ型アンテナは違います。 アンテナも高くなって、今まで弱く受信できなかった電波も 強力に入るようになりました。 材料は大部分が水道管。 2日間調整しSWRは |
現在の144MHz SSBでの遠距離交信記録は 左の写真のとおり。 2009年6月28日 北海道の局の声が聞こえていたのは コンディションによればもっと延びるかな。 |
現在の50MHz DSBでの遠距離交信記録は 左の写真のとおり。 2011年5月5日 JO3TLZの声は非常に小さかったが |
現在のHFでの遠距離交信記録は 24MHzで左の写真のとおり。 2009年3月20日 相手の設備に助けられたと思いますが |
移動運用スタイルの一例。 カメラ用の三脚に5素子または10素子の 八木アンテナを取り付けて車の横に置く。 ビーム方向は当然、手で調整。 風が強いとアンテナが倒れてエレメントが 曲がったこともある。(トホホ・・) |
昔の夏場の運用スタイルの一例。 駐車中は周囲の迷惑を考えてエンジン停止。 車の窓は全開。 フロントとリアのガラスにはサンシェード。 屋根の上にも厚紙のサンシェード。 扇風機を可搬型のバッテリーでガンガン回す。 今はハイブリッド車で駐車中は 静かにエアコンが使用できる。 |
移動運用で使ってりるバッテリーは大自工業のSG−1000。 ホームセンターやネットショップで簡単に手に入る。 形状、サイズとも良くて出力が二つあって、とても使いやすい。 充電中に電圧を時々測りながらバッテリーチェックのLEDを見ると 12.71VでGOODの●LEDが点灯した。 個人の考えとしては電圧が13.8Vまで上がらないと フル充電できた気がしないので充電を続けると ●LEDが点灯してから46時間後に13.78Vになった。 LED表示を過信しないでテスタで電圧を測りながら充電した方が なんだか移動運用でも電池の持ちが良いような気がする。 ちなみに中のバッテリーは2個目。 (試す人は、あくまで個人の責任でやってください) |
アンテナ製作本のとおり作ると どうしても、SWRが高くなる。 今のところ、左の図のようなアンテナになっている。 SWRはどうしても1.7〜1.8までしか落ちない。 1000mmの部分を990mmにもしてみたが ほとんど差は無い。 園芸用の樹脂の棒に沿わしたのがまずかったかも。 それでも1/2λモービルホイップと聞き比べると Sメータの振れが3から最大6もアップする。 |
|
仕上げに給電点周辺に シリコン系コーキング材を使って 防水処理をした。これがまずかった。 防水処理のあとSWRを計ったら値が2だった。 でも、今回の場合 |
|
エレメントの上と下の端 (写真は上の端) 被覆を剥いで左右の電線をつなぐ。 |
|
左は10mmのギャップ 給電点ではギャップをカットした側に 同軸ケーブルの編み線を接続する。 外国のSlimJIMアンテナのページを見ていると |
|
給電点の組立準備。 同軸ケーブルをエレメントに直接つなぐのは困難なので 短い電線を2本用意した。長さは2〜3cm。 左の写真では1.25sqの線を使用しているが いろいろ試すと、太すぎるのも良くなかったようだ。 どうも太すぎると線間の静電容量が大きくなって 良くないようだ。あとで細い線に変更した。 0.5sqから0.75sqくらいの線を用いるのが 良いかもしれない。 線の長さも短いほど良いと思う。 |
|
用意した電線を 同軸ケーブルに接続する。 |
|
左は給電点。 電線をエレメントの給電点に接続する。 エレメントの下の端から117mmあたりが SWRが一番低かった。 |
移動用Slim JIMアンテナ製作2(2009年2月14日)
外国のアマチュア局のホームページで 300ΩTVフィーダを使わない Slim JIMアンテナの記事を見つけたので 参考にしてみた。 参考にしたのは 塩化ビニルパイプにビニル絶縁電線を沿わしたのは |
|
水道管に電線を沿わしたのでエレメントの間隔が TVフィーダの時のおよそ2倍になった。 それが良かったのか、周波数に対してSWRが 少しフラットになった。 シュペルトップバランを使ってみたのも 良かったかも。 参考にしたホームページはこちら SWRは |
|
給電部の上部と下部に分けて 電線をビニルテープで仮止めしながら パイプに沿わして行った。 写真は給電部の上部。 最終的には防水も兼ねて |
|
エレメントの下の端。 同軸ケーブルをつなぐ部分は よじってハンダめっきしておいた。 TVフィーダだと非常に加工しづらかったが |
|
上と下のエレメントのつなぎ目。 SWRを調整し終えてから給電部を 今回は防水処理後にSWRの悪化が見られなかった。 |
Slim JIMアンテナの特性はたぶんこんな感じ(2009年4月12日)