はじめに
Welcome to the KOJIKI world.
原文にはない補助情報は(注* )として加筆しました。読み方や漢字の別表記、短い注釈は「注*」を書かずに( )の中に入れました。
古事記・日本書紀を読み始めたときに次々と出てくる日本語として聞きなれない神の名前にうんざりして読むのをやめてしまう人が多いのではないでしょうか。それに神様なんているわけがないじゃないか、そんな幼児が読むようなおとぎ話など時間の無駄、などと思っている人もいるのではないでしょうか。
1度しか出てこないような神様の名前はできるかぎり省略しようとしました。ですが固有名詞を省略しすぎると読みやすくはなりますが以前に出てきた神の名がまた出てきたときに、あのときのあの神様だと気づきにくくなるのでかえって面白みが減ります。
そこで固有名詞の省略は最小限にとどめて注釈をたくさん加えたバージョンと小中学生でも読みやすくしたバージョンを作ろうと思います。これは注釈バージョンです。
およそ1万年以上続いた縄文時代からわずか数百年の間に急激に文明が発展した不思議。世界に視点を広げると民族によって太陽、龍、ヘビ、牛を神の化身として信仰していること、日本語らしからぬ神の名前、外国でたくさんの国が興り滅びるたびにその民族は新地を求めて流浪する、同じ神様の別名がいくつもあること、といったことをつなぎ合わせて考えると、古代日本には外国から様々な民族がたどりつき覇権争いをして、日本在来の縄文人を駆逐していったと考えるのが自然でしょう。
その覇権争いの勝者である天皇の系譜を神物語として書いたのが古事記、日本書紀という歴史書なのでしょう。
そうして縄文人と多種の外国人が入り交じり現代の日本人になったのではないか。中国人、朝鮮人だけでなく、特に古代ユダヤ人はかなり早い時期から相当の数が入ってきたように思えます。
というのは神社の様式がユダヤ教のそれと酷似していること、修行する山ぶし(天狗)の容姿、天狗の持っているトラの巻き(ユダヤ教のトーラーロール=旧約聖書)、古事記・日本書紀の冒頭に出てくるこの世の始まりの話は旧約聖書の天地創造の話とそっくりだからです。
こういう視点で古事記を読むといっそう楽しくなるのではないかと思います。カナ文字が作られたのは平安時代ですから奈良時代の712年に完成した古事記は漢字ばかりの漢文です。そこに日本語を継ぎ足した書き下し文、そこから現代文にする過程で余分な言葉をたくさん継ぎ足すと読みやすい面白い文章ができるのですが、それはできるだけ少なくして原文に忠実な現代文になるよう心がけました。古事記のお話を読んだ小中学生が高校生、大学生になったときに他の古典を読んでみたいとか古代史を研究したいとかいうきっかけとなり、心豊かな人生となることを願います。
Welcome to the KOJIKI world.
古事記はほんとにおもしろい!
原文にはない補助情報は(注* )として加筆しました。読み方や漢字の別表記、短い注釈は「注*」を書かずに( )の中に入れました。
古事記・日本書紀を読み始めたときに次々と出てくる日本語として聞きなれない神の名前にうんざりして読むのをやめてしまう人が多いのではないでしょうか。それに神様なんているわけがないじゃないか、そんな幼児が読むようなおとぎ話など時間の無駄、などと思っている人もいるのではないでしょうか。
1度しか出てこないような神様の名前はできるかぎり省略しようとしました。ですが固有名詞を省略しすぎると読みやすくはなりますが以前に出てきた神の名がまた出てきたときに、あのときのあの神様だと気づきにくくなるのでかえって面白みが減ります。
そこで固有名詞の省略は最小限にとどめて注釈をたくさん加えたバージョンと小中学生でも読みやすくしたバージョンを作ろうと思います。これは注釈バージョンです。
およそ1万年以上続いた縄文時代からわずか数百年の間に急激に文明が発展した不思議。世界に視点を広げると民族によって太陽、龍、ヘビ、牛を神の化身として信仰していること、日本語らしからぬ神の名前、外国でたくさんの国が興り滅びるたびにその民族は新地を求めて流浪する、同じ神様の別名がいくつもあること、といったことをつなぎ合わせて考えると、古代日本には外国から様々な民族がたどりつき覇権争いをして、日本在来の縄文人を駆逐していったと考えるのが自然でしょう。
その覇権争いの勝者である天皇の系譜を神物語として書いたのが古事記、日本書紀という歴史書なのでしょう。
そうして縄文人と多種の外国人が入り交じり現代の日本人になったのではないか。中国人、朝鮮人だけでなく、特に古代ユダヤ人はかなり早い時期から相当の数が入ってきたように思えます。
というのは神社の様式がユダヤ教のそれと酷似していること、修行する山ぶし(天狗)の容姿、天狗の持っているトラの巻き(ユダヤ教のトーラーロール=旧約聖書)、古事記・日本書紀の冒頭に出てくるこの世の始まりの話は旧約聖書の天地創造の話とそっくりだからです。
こういう視点で古事記を読むといっそう楽しくなるのではないかと思います。カナ文字が作られたのは平安時代ですから奈良時代の712年に完成した古事記は漢字ばかりの漢文です。そこに日本語を継ぎ足した書き下し文、そこから現代文にする過程で余分な言葉をたくさん継ぎ足すと読みやすい面白い文章ができるのですが、それはできるだけ少なくして原文に忠実な現代文になるよう心がけました。古事記のお話を読んだ小中学生が高校生、大学生になったときに他の古典を読んでみたいとか古代史を研究したいとかいうきっかけとなり、心豊かな人生となることを願います。
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- 古事記(ふることふみ)
この世の始まりのとき、混沌(こんとん)とした中からやがて何かが固まり、はじめの物ができました。姿かたちができあがってなく、名前もなく、動きもなく、だれもその形を知るものはありません。それから天と地に別れ神々が現れました。
この天地一番初めの時に高天原(たかまのはら)に現れた神様はアメノ ミナカヌシ(天之御中主)の神といいます。(注*たかまのはら=神のいる天の国)
次にタカミ ムスビの神(高御産巣日神、高皇産霊尊、高木神)、カミ ムスビの神(カンムスビ神産巣日神、神皇産霊尊)の二柱の神が表れてやがて姿をお隠しになりました。(注*「産霊」ムスビは生産・生成を意味する言葉)
これら三柱の神はお独りで現れ(注*誰かの産んだ子ではないという意味)、すべてを作り出す最初の神となりました。
(注*神様を数える単位は人ではなく柱です。神は高い木に宿ると考えられていたから。家の大黒柱にも神様が宿っていて家を守っています。)
次に国ができたてで、水に浮いた油のようにクラゲ(久羅下・海月・水月)のようにふわふわとただよっているときに、葦(あし)の芽が泥から突き出してくるような勢いでもう2柱の神が表れて姿をお隠しになりました。これらの五柱の神は特別の天の神様です。
(太安万侶(おおのやすまろ・古事記を編纂した人物)の注(序章より):
最古の時代は暗く闇のはるか向こうのことですけれど、前々からのおしえによって国土を生みなした時のことを知り、先の世の物知り人によって神を生み、人ができた世のことを知ることができるのです。)
(注*旧約聖書の影響がみられます)
それから次々に神様が10柱現れ、それからイザナ岐(ギ)の男神とイザナ美(ミ)の女神が現れました。
そこで天の神様方はイザナギの命(みこと)、イザナ美(ミ)の命(みこと)に、この漂っている国を整えてしっかりと作り固めよ、と命じて玉のついた立派な矛(ほこ・天の沼矛)をお授けになりました。
イザナギの命とイザナミの命は天の浮橋に立ってその矛を下ろし、海をコウロコウロと音を立ててかき回し、引き上げたときに矛の先からしたたり落ちた潮が積もって島になりました。これがオノゴロ島(自ずから凝り固まった島という意味)です。そしてその島に天下って大きな柱を立て大きな御殿をお建てになりました。
イザナギの命がイザナミの命(女)にたずねました。
「あなたの体はどのようにできていますか」
イザナミの命は答えました。
「私の体はポコ〇ンがありません」
イザナギの命は
「私の体にはポコチ〇があります。だから結婚して国を生みましょう。」
と言うとイザナミの命(女)は「喜んで。」とお答えになりました。
そこでイザナギの命が、それではこの太い柱をあなたは右から、私は左からまわってめぐり会いましょう。と約束して柱を周り、出会うと、イザナミの命(女)が先に「なんとまあ、りっぱな男性ですこと」と言い、そのあとでイザナギの命が「なんとまあ、美しい乙女だことよ」と言いました。
(注*これが結婚式のはじまりでしょうか。)
こうして結婚して御子の水蛭子(ヒルコ)(ヒルのようなやわらかい子、手足が不完全な不具の子)を生みましたがアシの葉船に乗せて流してしまいました。(注*摂津の国に流れ着いて恵比寿様になったという話も残っている。蛭子と書いてエビスとも読む)
蛭子(ヒルコ)の次に淡島(アワシマ・吾恥(あわじ=私は恥ずかしい)島、今の淡路島のことではない)を生みましたがこれも御子の数に入れられていません。
(注*ヒルコとアワシマ・・・人の姿をしていないので胎盤のことと考える学者もいる。だから子の数に入れない。あるいは流産とも考えられる)
私たちに良い子が産まれてきません。天の神様に相談しましょう。といって天に上ると天の神様は鹿の肩の骨を焼く占いをして仰いました。「それは女のほうが先にものを言ったのでよくなかったのです。帰ってやり直しなさい。」とおっしゃいました。
そういうわけでもどってまたあの柱をまわりました。今度はイザナギの命(男)が先に「なんとまあ美しい女性ですね」と言い、それからイザナミの命(女)が「なんとまあ立派な男性ですね」と唱え終えて結婚なさり御子の淡路島をお産みになりました。
次に伊予の二名島(フタナしま)(四国のこと)を生みました。この島は身一つに四つの顔があります。伊予の国をエ姫(愛比売)といい、讃岐(サヌキ)の国をイヒヨリ彦といい、粟(阿波・アワ)の国をオホ(オ)ケツ姫といい、土佐の国をタケヨリワケと言います。
次に隠岐(オキ)の三つ子の島(島根県隠岐の島・因幡の白兎に出てくるウサギがいた島)を生み、次に筑紫(ツクシ)の島(九州のこと)を生みました。やはり身一つに四つの顔があります。筑紫の国、別名シラヒワケ(福岡あたり)、豊(トヨ)の国、別名トヨヒワケ(大分県あたり)、肥(ひ・火)の国、別名タケヒムカイ(建日向・長崎から熊本にかけての地方)、熊襲(くまそ)別名タケヒワケ(建日別・鹿児島東部大隅半島あたりを中心とする)の国です。
(注*ワケ(別・和気)は初め皇族の子孫、とりわけ軍事的指導者で、地方に領地を得た者の称号として用いられた。後に氏姓制度の姓(かばね)となったが、ワケは廃止され、代わりにキミ(君、公および王)やオミ(臣)が用いられるようになった)
次に壱岐(いき)の島(長崎沖、対馬の南)、対馬(つしま、九州の北部、韓国との間にある島)、佐渡の島(新潟県)を生み、そして大倭豊秋津島(オオヤマトとよあきずシマ・本州のこと)を生みました。この8つの島がまず生まれたので大八島国(おおやしまのくに・日本のこと)と言うのです。
それから吉備(キビ)の児島(岡山県児島半島・江戸時代初めに干拓により陸続きの半島になり、明治以降も干拓が進んだ。現在瀬戸大橋がかかっている)、アヅキ島(香川県沖小豆島ショウドシマ)、大島(山口県沖の周防大島すおうおおしま・屋代島やしろじま)、姫島(大分県国東くにさき半島沖)、ちかの島(五島列島・長崎県西の沖)、ふたご島(男女群島・長崎県沖、五島列島の南)のあわせて6島をお産みになりました。
(注*この時代は北海道は認識されていない)
このようにして国をお産みになられたので次は神をお産みになった。
海の神、山の神、港の神、風の神、など十神です(注*神の名前は省略する)。
さらに野の神、川の海など八神、風の神、木の神、山の神、野の神の四神お産みになり、また八神、さらに船の神、穀物の神(オホゲツ姫の神・*徳島の別名のオホゲツ姫と同一かどうかは不明)の二柱、最後に火の神のヒノカグツチの神を生んだ時にやけどをおってイザナミの命(ミコト)は病気になりました。
イザナミの命の嘔吐(オウト、ゲロ、ヘド)から二神、糞(くそ)から二神、小便から二神生まれました。その小便から生まれた神(ワクムスビの神)の子が豊受姫(とようけひめ)の神と言います。(注*伊勢神宮の外宮に祀られている)
(注*京都丹波地方に元伊勢と呼ばれている神社がある。大江町大江山近くの元伊勢外宮、豊受大神社と元伊勢内宮、天照大神社です。名前の受(うけ)とは食物のことで、豊かな食べ物の姫神という意味になり、食物・穀物を司る女神さまです。伊勢神宮によると雄略天皇の夢枕に天照大神が現れて「丹波国の豊受神を呼び寄せて私の食事の世話をさせなさい。」と言われたので外宮に祀るようなったということです。)
それからイザナミの命は火の神を生んだことによりお亡くなりになった。
このようにしてイザナギの命とイザナミの命の二神が生んだ島の数は14島,神は35神です。オノコロ島、水蛭子(ひるこ)、アワ島は数に入れません。
イザナギの命は嘆(なげ)き悲しみ枕(まくら)のほうから足元まで腹ばいになってお泣きになられた。その涙から香久山(かぐやま・奈良県天の香久山)のふもとにおられる泣澤女(なきさわめ)の神(注*天の香久山のふもとの泣沢という井戸の神様)が生まれました。(注*天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国(愛媛県)「天山(あめやま)」となり1つが大和国「天加具山」になったと『伊予国風土記』に記されている。火山の大噴火があったのでしょうか?)
イザナミの命は出雲(いずも)の国と伯耆(ほうき)の国(鳥取県あたり)のとの境になる比婆(ひば)の山(島根県安来市伯太町の比婆山)に葬(ほうむ)られました。
(注* 伯耆国風土記によると稲田姫を八岐大蛇が喰らおうとしたため、山へ逃げ込んだ。その時母が遅れてきたので姫が「母来ませ母来ませ」と言ったことから母来(ははき・妣木)の国と名付けられ、後に音がなまって伯耆国となったという。)
ここでイザナギの命はトツカの長い剣を抜いて御子の火のカグツチの神の首を切り、殺しました。剣の先から飛び散った血から三神、剣の元から三神(注*このうちの一柱は後の国譲りの章で出てくる建御雷男神たけみかづちのおがみ)、指の間からこぼれ落ちた血から二神、あわせて八神現れました。殺されたヒノカグツチの神の頭から、胸から、腹から、股から、両手、両足から山の神など、合わせて八神現れました。(*神名は省略)
その後イザナギの命は亡くなったイザナミの命にもう一度会いたいと思って、黄泉の国(よみのくに・よもつくに)に行きました。(注*黄泉の国はこの世に生きているものは入ることを禁じられている。)
御殿の入口の戸の向こうに出迎えたイザナミの命に向かって「最愛の私の妻よ、あなたといっしょに作った国はまだ作り終えていないので帰ってきてください。」と言うと、
「もっと早くお迎(むか)えにいらっしゃらなかったのが残念です。私は黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。しかしせっかくお迎えに来てくれたので私も帰りたいと思います。だから帰れるよう黄泉の国の神にお願いしてまいりましょう。その間どうぞここでお待ちになって、けっして私を見ないでください。」と言って御殿に戻って行きました。
あまりに長く待たされたので、待ちかねてしまいイザナミの命は入り口を開き、左頭の櫛(くし)の歯を1本折り取って火をともして暗闇の中に入って行くと、イザナミの命の体にはウジがわいてごろごろ鳴っていて、頭には大きな雷神が、胸には火の雷神が、腹には黒い雷神が、股には血気盛んな雷神が、左手には若い雷神が、右手には土の雷神が、左足には雷鳴とどろかす雷神が、右足には寝ている雷神がいて、あわせて八の雷神がおりました。(このようなことから闇夜に1本火を灯(とも)すのは縁起(えんぎ)の悪いこととなったのです。)
それを見たイザナギの命は驚きおそれて逃げ帰ろうとすると、イザナミの命は「私に恥をかかせましたね」と言って、黄泉の国の鬼女(醜女シコメ:みにくい女の鬼)に追わせました。イザナギの命は逃げながら、髪につけていた木のカズラ(つる)の輪をとって投げると、野ブドウが生えてきて、それを鬼女たちが取って食べている間に逃げましたが、また追いついてきたので今度は右の清らかな櫛(くし)の歯を折ってお投げになるとタケノコが生えてきました。それを抜いて食べている間にお逃げになりました。
次にあの八つの雷神が黄泉の国の1500の大軍をしたがえて追いかけてきました。イザナギの命は腰の長い剣を抜いて後ろに振り振りしながら逃げました。なお逃げて、この世と黄泉の国の境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)の下まで来た時にそこにあった桃の実(注*桃は不老不死の神聖な果実と考えられていた。のちに徳川家康が関ヶ原の戦いのときに家臣たちに桃を配って士気を高めたという話が残っている)を3つとって投げて打ちつけますと皆逃げていきました。
そして助けてくれた桃にオオカムズミの命という名前を与えた(注*後に桃太郎になったという話がある)。
最後にイザナミの命自身が追いかけてきたので、千人引きの大きな岩で黄泉比良坂(黄泉平坂よもつひらさか)をふさいだ。(*千人がかりでないと動かせない大岩と言う意味)
イザナミの命が「あなたがこんなことをするなら私はあなたの国の人間を1日に千人殺します。」と言うと、イザナギの命は「それなら私は1日に千五百人産んでやろう。」とおっしゃられました。こういう次第でそれからは1日に必ず千人死に、1500人生まれるようになったのです。
こうした次第でイザナミの命は黄泉津大神(よもつおおかみ)と呼ばれています。また、ふさいだ岩は黄泉戸(よみど)大神と言い、黄泉の国の入り口の大岩がある黄泉比良坂(よもつひらさか)というのは今の出雲の国のイブヤ坂という坂です。
イザナギの命はいやな汚(けが)れた国に行ったので禊(みそぎ・罪やけがれを落とし自らを清らかにするために水浴をする、神道における行為)をしようと思い、筑紫の国(今の九州)の日向(ひむか・ひゅうが、宮崎県)のアハギ原においでになって禊(みそぎ)をすることにしました。
脱ぎ捨てた衣、帯、袴(はかま)、冠、杖、袋、腕巻きなどから次々と十二神が現れました。そして川中に下りて身をお洗いになったときに汚れから二神が、さらに次々と十の神々があらわれ、このうちのワタツミノ神(水神)は安曇(アズミ)氏の祖先神です。
住吉神社に祀られている三神も現れ、そしてイザナギの命が黄泉の国を見た左目を洗ったときに現れた神が天照大神(あまてらすおおみかみ)、右目を洗ったときに現れた神が月読(ツクヨミ)の命、黄泉の国のにおいをかいだ鼻を洗ったときに現れた神がタケハヤスサノオの命(ハヤスサノオの命・スサノオの命)でした。
イザナギの命は最後にすばらしい子たちが産まれた、とこの三貴神をたいへんお喜びになられて、自分の首の玉かざりを取って天照大神(アマテラスオオミカミ)にゆずり、天(高天原たかまのはら)を治めなさいとおっしゃいました。それから月読(ツクヨミ)の神に夜の国を治めなさいと、スサノオの命には海原を治めなさいとおっしゃいました。
(注*ここまでイザナギの命とイザナミの命が産んだ神々は81柱となり、高天の原の神から命じられた国造りは完成したのでした。こときから昼と夜に分かれたそうです。)
しかしスサノオの命だけは命じられた国を治めずに長いひげが胸に垂れ下がる年になってもただ泣きわめいておりました。その鳴き声は青い山を枯らすほどで、海や川は水が枯れてしまうほど泣きわめくのであった。この暴れ騒ぐ音は夏のハエが騒ぐようにいっぱいになり、あらゆる災い(わざわい)がことごとく起こりました。
イザナギの命はスサノオの命に言いました。「お前はどうして命じた国を治めずにそんなに泣き騒いでいるのだ。」
スサノオの命はイザナギの命に言いました、「私(*原文では僕)は母のおいでになる根之堅洲国(ねのかたすくに)(*黄泉の国と同一?)に行きたいので泣いているのです。」と言うと、イザナギの命はたいへんお怒りになって「それならお前はこの国に住んではならない」と言ってから追放しました。
(*注:原文の妣國(ははのくに)根之堅洲國(ねのかたすくに)を黄泉の国と同一と解釈するかは意見の違いがある)
それからはそのイザナギの命は淡路の多賀の社(たがのやしろ)(*兵庫県淡路氏多賀(淡路島)いざなぎ神宮)にいらっしゃいます。
スサノオの命は「姉の天照大神にお別れのあいさつをしてから黄泉(よみ)の国(根之堅洲國(ねのかたすくに))に行くことにしよう。」と仰(おお)せになって天にお上がりになっていると、山や川が鳴り騒ぎ、国土がみな揺れ動きました。
天照大神はこれを聞いて驚かれ、「私の弟が天に上ってくる。そのわけはきっと善くない心を持って私の国を奪おうと思っているにちがいありません。」とおっしゃって、髪を解いて男髪になり、左右に分けて耳のところに巻き、左右の髪と手には大きな勾玉(まがたま)が500個ついている玉の緒をまかれ、背には矢を千本、胸にも五百本の矢をつけ、弓を振り立てて力強く地を踏み鳴らすと土煙が舞い上がりました。そして叫び声をおあげになり弟を待ち受けました。(注*1500という数も万(よろず)と同じく、非常にたくさん、無数という意味があるのでしょう。)
「スサノオよ!お前はどういうわけで天に上ってこられたのか!」
スサノオの命は「私に悪い心はございません。母上の黄泉の国に行きたいと思って泣きわめいているのです、と言うと父はお怒りになって追放されました。そういうわけで行く前にお別れのあいさつに来ました。二心はありません」と申されました。
そこで天照大神は「それならばあなたの心が清らかかどうかをどうすれば証明できるか。」とおっしゃると、スサノオの命は「占い(注*誓約うけい:あらかじめ神に誓いを立てて、その通りになるかを見て占いをすること)をして子を生んだらわかります」と申されました。
それで天の安(ヤス)の川をはさんで誓いをたてるときに天照大神はスサノオの命の長い剣を取って三つに打ち折って川の水をそそいぎ、ガリガリとかんでふーと吹き捨てると息の霧の中から三柱の女神が現れました。これらの三柱の女神(*その一人は七福神の弁天様とよばれている)は九州の宗像(ムナカタ)の沖つ宮(*沖ノ島と大島・世界遺産神宿る島宗像沖ノ島と関連遺産)においでになり、宗像の君たちが大切にお祭りする大神です。(注*君きみは氏姓制度の姓のひとつ)
次にスサノオの命は天照大神の神が身に着けていた勾玉の緒を取って水をそそいでカリカリと噛んでふーと吹きだすと、息の中から五柱の男神が現れました。(注*長男が天のオシホミミの命、次男が天のホヒの命で後の国譲り、天孫降臨の章で出てきます。)
アマテラス大神は言いました。「この五柱の男神は私の玉からうまれたものだから私の子です。三柱の女神はあなたの剣から生まれたのであなたの子です。」
そこでスサノオの命は「私の心が清らかだったので私の産んだ子がやさしい女だったのです。したがって当然私の勝ちです。」と言って、大喜びし、走って行って勝った勢いに任せて大暴れました。
天照大神の田を壊したり田の溝(みぞ)を埋めたり、食事をする御殿で糞(くそ)をあちらこちらにしまくりました。それでも大照神はお許しになりましたが、スサノオの命の行いはますますひどくなっていきました。
(注*これらの出来事はアマテラス国とスサノオ国と婚姻関係をむすび、つまり結婚して5人の男と3人の娘が産まれたと解釈できる。別資料では天テラスとスサノオは戦争し、アマテラスの夫は死んでいる。)
- 天の岩屋戸(岩戸) -
ある日、スサノオ命が機(はた)織り場(布を作るところ)の屋根に穴をあけて馬の皮をむいたのを落とし入れたので、機織り女が驚いて機織りに使う木の棒で陰所(ほと・御陰、陰部の意味)をついてしまい死んでしまいました。
(注*当時は医学知識がないので心臓や脳など生命を左右する臓器の認識がなく、陰部は動物の直感で大切なところと思われていたのではないか。卑弥呼の墓かもしれないといわれる箸墓古墳に葬られている姫神はヘビと結婚するのが嫌だと言って箸でホトをついて自害したと言われている。龍、ヘビは神の化身と考えられていた。)
これにはさすがの天照大神も嫌になられて天の岩屋戸(あめのいわやと)を開けて中にお隠れになりました。ですから天が真っ暗になり、下の世界もまっ暗になり、ずっと夜が続いたのです。たくさんの神々は驚き困って騒ぎ立て、その声は夏のハエのようにいっぱいになりました。そして闇夜のつづく世界であらゆる災いが起こりました。
八百万(やおよろず・とてもたくさんという意味)の神様たちは天のヤスの川の河原に集まって天照大神に出てきてもらう方法を相談しました。
天の香久山の榊(さかき)を根こそぎぬいて上枝には大きな勾玉(*まがたま・八尺瓊勾玉やさかにのまがたま、三種の神器の1つで皇居に祀られている)がたくさんついたひもをかけ、
中枝には大きな鏡(*八咫鏡やたのかがみ、伊勢神宮に祀られている)をかけ、(*この玉と鏡が天皇家の三種の神器のうちの2つ)
下枝には麻や楮(こうぞ)の皮にさらした長布(紙)を下げてフトダマの命がこれを持ち、アメノコヤネの命(中臣氏(後の藤原氏)の祖先)が祝詞(のりと・祭祀のさいに神に唱える言葉)を唱(とな)え、岩戸の前に桶(おけ)を伏(ふ)せてその上でアメノウズメ(女)の命がトントン踏み鳴らし踊りはじめ、だんだんと激しく神がかったようにおどったものだから胸がはだけてあらわになり、腰ひもは股にたれた。
これを見た八百万の神々は大笑いし天の世界が鳴り響きました。この声に天照大神は怪しんで天岩戸を細く開けて外の様子をご覧になり、「高天原(たかまのはら)は闇(やみ)に閉ざされているというのにどうして天のうずめが踊り、八百万(やおよろず)の神々が大笑いしているのですか。」とおっしゃられてもう少し岩戸を開きました。
すると岩戸のそばに隠れて立っていた力持ちの天のタヂカラオの神が天照大神の手をとって外に引き出された。するとフトダマの命がすぐに後ろにしめ縄を張り、ここから内におもどりなさいますな、とおっしゃった。
そして天も下の世界(葦原の中つ国)もいっせいに光を取り戻しました。
八百万(やおよろず)の神々は相談して、スサノオの命に罰として償(つぐな)いの品をうず高く差し出させ、ひげを切り手足の爪を抜いて天から追放されました。
(注*ここで八百万の神以外に名前が出ている神々は天照大神の側近たち、あるいは天照大神がイザナギの命から継承した高天原国の将軍クラスの神々であると考えられる)
天の世界を追われ下界に下ったスサノオの命はオホゲツ姫の神(穀物の神様)のもとに行き食べ物をお求めになりました。オホゲツ姫の神は鼻や口、尻からいろいろな食べ物を出して料理されました。
これをのぞいていたスサノオの命は、汚いものを食べさせるとお怒りになってオホゲツ姫を殺してしまいました。殺された姫神の頭から蚕(かいこ)ができ、目から稲ができ、耳から粟(あわ)が、鼻から小豆(あずき)が、股の間から麦が、尻から大豆ができました。これをカミムスビの神がとって種としました。これ以来、地上の国では五穀を作り食べるようになりました。
- やまたのおろち -
高天の原を追い出されたスサノオの命は次に出雲の国の川上にある鳥髪(とりかみ)という所に下りました。川から箸(はし)が流れてきたので上流には人がいるらしい、と上っておいでになった。すると老夫婦がひとりの娘を中にして泣いていた。おまえたちは誰だと尋ねると、「私はこの国の神の子でアシナズチと申します。娘はクシナダ姫と申します。」泣いているわけを尋ねると、「私たちには8人の娘がおりましたが、高志(こし)の国から毎年八岐大蛇(やまたのおろち)がやってきて一人ずつ食べていくのです。
(*高志の国:越の国(こしのくに)は福井、富山、石川、新潟あたりの古代の呼び名。後に越前、越中、越後と別れてよばれるようになった)
今ちょうどオロチがやってくるときになりましたので泣いておりました。」
「それでヤマタノオロチとはどのような姿か?」と命がお尋ねになると
「それは目は真っ赤に血走り、頭は八つ、胴は一つ、尾は八つで体には苔やらヒノキやら杉やらが生えていて、その長さは八つの谷、八つの山にわたる大きさ、腹は一面に血でただれております。」
「よしよし、私が退治してやろう。だがお前の娘を私にくれないか。私は天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟だ。今高天の原(たかまのはら)から下ってきたところだ。」
「そうでございましたか、娘を差し上げましょう。」と言うと、スサノオの命はクシナダ姫を櫛(くし)に変えて髪にさしました。
「それではそなたたちはおいしい酒をたくさん造り、垣根のへいで囲み八つの門を作り、門ごとに酒を入れた樽(たる)を置くのだ。」
言われたままに準備して待っていると、言った通り八岐大蛇(やまたのおろち)がやってきた。八つの頭をそれぞれ門につっこみ酒を飲んだ。そして酔いつぶれて寝てしまった。スサノオの命はつかさず十拳剣(とつかのけん)を抜いて八岐大蛇をずたずたに切ってしまわれた。真ん中の尾をきるときに剣の歯が欠けたので不思議に思い尾を剣先で切り裂(さ)いてみてみると中に鋭い太刀(たち)が入っていた。スサノオの命はそれを取り上げて、不思議なものだと思い、その太刀を天照大神に献上しました。これが後の草薙の太刀である。(注*くさなぎのたち、または天叢雲剣あまのむらくものつるぎ・天皇家三種の神器の1つ、名古屋熱田宮に祀られている)
(注*八は「たくさん」を意味する言葉です。八またのオロチは川のことだという学者もいます。雨の降る季節に氾濫し人々を苦しめた。そこで神への生贄(いけにえ)として女の人を毎年1人ささげたのではないかと。また、溶岩の流れ出るさま、鉄が真っ赤に溶けたさまのことだと、また、越(こし)の国(北陸地方)からやってくる、腹が赤い、尾から剣が出てきた、ということから八またのオロチは越の国から来た高度の製鉄技術を持った集団、あるいは民族が侵略してきた。だから彼らを撃退して鉄の剣を得たとも考えら人もいる。あるいはまた、中国北部にあった王朝、遼(契丹)の古書にはヤオロチ族をスサナミコが討って族長をこらしめた。という記録もあります。出雲風土記には八岐大蛇の話が無いことからこの話は出雲の国の話ではないのかもしれません。古代はイスラエル人、中東、中国、朝鮮半島から様々な民族、部族が日本に入ってきたので、それぞれの民族の話が口伝として残りごちゃ混ぜになっているのかもしれません。みなさんもあれこれ考えてください。これが古代史のおもしろいところです。)
それからスサノオの命は出雲の国で宮殿を建てるのによい場所を探しました。ここに来るとすがすがしい気持ちになるとおっしゃられてそこに宮殿を作られた。だからその地を今でも須賀(すが)というのである。そしてクシナダ姫との間に神が生まれた。またその神がたくさんの神々を産みました。
こうして大国主神(オオクニヌシノカミ)が産まれた。大国主神はオオナムチの神、アシハラシコウの神、ヤチホコの神、ウツシクニタマの神ともいい、5つの名を持っています。
- いなばの白うさぎ -
この大国主の命の兄たちに八十神(たくさんの神と言う意味)たちがいらっしゃいましたが、みんな大国主の命に国をおゆずりになりました。(注*出雲国では家督は末子が継承する、という慣習があった。)
そのいきさつはこうです。
兄の八十神たちはみんな因幡(いなば・鳥取県)の美しいヤガミ姫を妻にしたいと思って連れ立って因幡に出かけて行ったことがある。オオナムチの神(大国主神)には大きな荷物の袋を持たせて供人として連れて行った。
兄の八十神たちは途中で、体の皮をはぎ取られて真っ赤になって寝ているウサギに出会った。兄たちは「この海の水で体を洗って高い山の上で風にあたっているがよい。」と教えた。ウサギはそれを信じて教えられたとおりにしていた。ところが体が乾くにつれ体の皮が引き裂かれるので、痛くて泣き伏せているところへ、荷物をかついで最後から来たオオナムチの神(大国主神)が通りかかった。
なぜおまえはそんなに泣いているのだ、とおたずねになった。
ウサギは「私はもともと隠岐の国(島根県の北にある隠岐の島)にいましたが、こちらの国に渡りたくて海の和邇(わに・サメ)をだまして、私の一族と君らの一族のどちらが多いかくらべっこしよう。君らの一族をみな連れてきてこの島からあちらの陸まで一列に並びなされ。私がその上を踏んで数えて走ってどちらが多いか確かめましょう。とこのように申しましてサメ(和邇わに)たちを並べさせました。
そして一つ、二つ、三つと数えながら背中をぴょんぴょん跳ねていきました。そして今陸におりようとするときに、俺にだまされやがって!と言い終わるより早く最後のサメに捕まえられて皮をはがされ、赤裸にされてしまいました。
そこで先の神々のおっしゃる通りに塩水で体を洗って風にあたっておりましたらこんな体になってしまいました。」
そう聞いてオオナムチの神はおっしゃった。
「急いで川の水で体を洗ってそれからガマの穂の花粉をとってしいてその上で転がりまわれ。そうすればもとの肌に治るであろう。」
ウサギは言うとおりにすると元の体のように治りました。
これが因幡(いなば)の白うさぎであって、今は兎神と申しております。
(注*和邇:日本にはワニはいないので似た生き物としてサメとしているが、殷の時代中国には潢耳(わに)族がいた。この潢耳(わに)族の一部が日本の出雲の一部に住みついていて、隠岐の島にいた兎族と争い兎族が負けた、という話かもしれません。原文では皮を剥がされたとは書いていなく、衣服を剥がされたと書いています。ぼこぼこにやられて身ぐるみ引っ剥がされて裸になった傷だらけの兎族の者の話かもしれません。アニメのワンピースに出てくるモンキー・D・ルフィーのDは世界的に珍しい縄文人をルーツとする日本人のD系統の遺伝子のDを参考にしているのでしょう。このD系統の遺伝子を持つ種族にチベットの先住民である羌(きょう)族という民族がいます。そう、アニメキングダムにでてくる羌瘣(きょうかい)の羌ですよね)
そしてウサギが喜んで申すには、「兄神たちはきっとヤガミ姫を手に入れることはできますまい。あなた様は袋をかついで従者のなりをしておりますが姫を得るでございましょうよ。」
ウサギの言うとおり、ヤガミ姫は兄神たちの申し出を断り、オオナムチの神様と結婚しようと思っております、とおっしゃった。
それを聞いた兄神たちはたいへんお怒りになり、オオナムチの神を殺そうと企んだ。
伯耆の国(ほうきのくに)の山のふもとに連れて行き、この山に赤いイノシシがいる。私たちが上から追い下ろすからお前は待ち受けて捕まえるのだぞ。もし捕まえなかったらお前を殺すぞ。
そういってイノシシに似た大石を火で真っ赤に焼いて上から転がしました。その大石につかみかかったオオナムチの神はたちまち焼け死んでしまいました。
このことを知ったオオナムチの神の母神は泣き悲しみ、高天の原(たかまのはら)に上って、カミムスビの神に生き返らせてくれるように頼みました。カミムスビの神は赤貝姫(アカガイヒメ)と蛤姫(ハマグリヒメ)をつかわせて生き返らせた。赤貝姫が汁を絞り、蛤姫がその汁を集めて母乳としてオオナムチの神に塗りました。すると火傷がなおり立派な男になって出歩くようになりました。
生き返ったオオナムチの神を見た兄の八十神たちはまた殺そうと企(たくら)みました。
オオナムチの神を山に連れていき、大木を切り倒して、その木の裂け目にくさびを打ち込み、その中に入らせたときに楔(くさび)を打ち抜きはさみ殺してしまった。
母神は泣き泣き探し回りやっと見つけ出して木を割いて大国主の命を引き出し、もう一度生き返らせてもらい、「あなたはこの国にいるとまた兄たちに殺されてしまいます。」とおっしゃって紀伊の国のオオヤ彦の神のところに逃がそうとしました。
ところが八十神たちはすぐに探し出して追いかけてきて矢で射殺そうとしましたが、大きな木の根元をすりぬけて逃げ切りました。母神は後ろから「スサノオの命のいる根之堅洲国(ネノカタスクニ・黄泉の国と同一と考えられるが、異説もある)に行きなさい。そこにいるスサノオの命(みこと)に相談なさい。きっと良い方法を考えてくださるでしょう。」とおっしゃった。
オオナムチの神はそのとおりスサノオの命のところへ行くと、その娘のスセリ姫の命が出て来て目を見合わせて夫婦の契りを結ばれた。
それからスセリ姫の命は家に入り、たいへんりっぱな神様が来られています、父上。と報告した。するとスサノオの命が出て来て「これはオオナムチの神(大国主の神)である」と言い、家の中に呼び入れた。
それからオオナムチの神をヘビの部屋で寝させた。スセリ姫の命の神はキレ(布)を渡してヘビが襲ってきたらこのキレを3回振っておはらいください。と言った。言われたようにキレを3度ふるとたくさんのヘビは静かになったので、そこで安らかにお眠りになった。
翌日はムカデと蜂の部屋に入れられたが、スセリ姫がまたキレを持ってきたので3回振って一夜を安楽に過ごすことができた。
次の日はスサノオの命が荒野に連れていき野に矢を放ち、あの矢を取ってくるよう命令された。そこで野に入って行くと野に火をつけられて焼かれた。オオナムチの神は逃げ口を失っているとそこに1匹のネズミがやってきて「内はほらほら、外はすぶすぶ」「内はほらほら、外はすぶすぶ」と言うので、そこを踏みつけるとぽんと穴が開いてそこに落ち込んだ。
(注*ほらは洞穴のほら、すぶすぶは草の焼けるときの音と考えられる)
その穴で隠れているうちに火は上を焼き進んで通り過ぎた。そして矢もネズミがくわえて持ってきてくれたが矢の羽はネズミの子がみんな食べてしまっていた。
スセリ姫は葬式の道具を持って泣きながらやってきた。スサノオの命もオオナムチの神は焼け死んだものと思っていると、矢を手に持って帰ってきたので、また家に連れ帰って大きな部屋に入れて、頭のしらみをとるように命じた。
そこで頭をみるとムカデがいっぱいおりました。するとスセリ姫がムクの木の実と赤土を持ってきてオオナムチの神に渡したので、その木の実をカチッとかみ割り赤土を口に入れて吐き出しました。それを見たスサノオの命はムカデをかみ殺して吐き出していると思って感心して寝てしまいました。
そのすきにスサノオの命の長い髪を部屋の柱すべてに結び付け、入り口の戸には五百人引きの大きな岩でふさぎ、スサノオの命の太刀、弓矢、琴を持ってスセリ姫を背負って逃げました。
逃げる途中でその琴が樹にさわって大きな音をたて大地が鳴り動きました。それを聞いたスサノオの命は驚いて目を覚まして部屋を引き倒したが、柱に結ばれた髪をほどく間に二柱の神は遠くに逃げてしまわれた。
そして黄泉比良坂(黄泉の国の入り口があるところ)まで追いかけてきたが、はるか遠くのオオナムチの神に向かって「お前が持っているその太刀と弓矢を使って兄たちを坂の上に追い払い、川の瀬に追い払え。そして大國の主の神となり、私の娘のスセリ姫を正妻にしてウカの山すそに太い柱を地下深く立て、天にとどくほど高いところに宮殿を建てて住めよ、こやつめ!」と叫ばれた。
そうして言われたように兄の八十神たちをその太刀と弓矢で追い払い、国づくりを始めました。
(注*「大国主の命」(この国の支配者と言う意味)は個人名ではなく、征夷大将軍のような役職名と考えられます。スサノオの命の末娘のスセリ姫の婿養子として適切かどうかを試す試練を与え、オオナムチの神はみごと合格し、スサノオの後継者として下界・出雲の国をまかされた。という話であろう。)
さて、(因幡の白兎の話で出てきた)因幡のヤガミ姫を約束通り出雲の国に連れて来て妻にしたが、ヤガミ姫は正妻のスセリ姫を恐れて産んだ子を木の又にさしはさんで因幡の国にお帰りになりました。だからそのお子を木の又の神と申します。
大国主の神(オオナムチの神)は越の国のヌナカハ姫と結婚しようとおいでになり、求婚の歌をうたって結婚しました。
(注*オオナムチの神の求愛の章は省略します。次々と他国の姫と婚姻を結び、支配下の国を広げていったものと思われます。)
この大国主神(おおくにぬしのかみ)は宗像(むなかた)の沖つ宮においでになる三柱の姫の命(天で天照大神と誓約をして生まれたスサノオの娘)と結婚して神々が産まれ、その神がまた結婚して神が産まれ、鴨の大御神などの十七代(十七世)の神々が生まれました。
あるとき大国主の神が出雲の三穂の埼(みほのみさき)においでになったとき、カガイモを割った船(天のかがみ船)に乗り蛾の皮をはいで着物にしてやってくる小さな神様がいました。名前をききましたが答えません。大国主の神のお供の神々にお尋ねになられたけれど誰も知りませんでした。
しかしヒキガエルが「クエ彦ならきっと知っているでしょう。」と言ったので、クエ彦を呼んでお尋ねになると「この方はカミムスビの神の御子でスクナ彦ナ(ビコナ)の神です」と答えました。
そこでカミムスビの神にお尋ねになると「たしかに私の子だ。私の手の指の股からこぼれ落ちた子供です。あなた、大国主の神と兄弟になってこの国を作り固めなさい。」とおっしゃりました。
それでそれからは2柱いっしょになってこの国を作り固めたのです。
その後スクナビコナの神は海のあちらの常世(とこよ)の国(永久に変わらない神の国、死後の世界)へ渡って行ってしまいました。(注*死んでしまったのか、出身国へ帰ったのか)
このクエ彦(崩れ彦、体が崩れた男という意味)というのは今で言う、山田の案山子(やまだのそおど・かかし/山と田の神様・学問、知恵の神様、そおど、とはかかしの昔の呼び方)のことです。この神は歩きませんが天下のことをなんでも知っている神様です。
そこで大国主の命(神)は「私一人でどうやってこの国を作っていったらよいものか。」となげいておっしゃると、このとき海の上を明るく照らして寄ってくる神様がいました。
その神がおっしゃるには「私をよく崇めお祭りするならば、私がいっしょになって国造りをしましょう。」とおっしゃりました。
そこで大国主の命は「それではどうやってお祭りすればよろしいのでしょう。」とおっしゃると「私を大和(ヤマト)の国の青々と木の茂っている東の山の上にお祭りしなさい。」とおっしゃりました。これは三諸(みもろ)の山(奈良県桜井市の三輪山のこと)においでになる神様です(大物主の神 おおものぬしのかみ)。
(注*賀茂建角身 命(かも たけつぬみ のみこと、別名、八咫烏ヤタガタス)の娘の勢夜陀多良 比売(せやだたらひめ・別名玉櫛姫、初代皇后の母)という美人を気に入った大物主神(おおものぬしのかみ)は、赤い丹(に)塗りの矢(神社などの塗装につかった朱色の塗料)に姿を変え、勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)が用を足しに来る頃を見計らって川の上流から流れて行き、彼女のまたの下を流れていくときに、ほと(陰所)を突いた。彼女は驚き走り回ったあと、その矢を自分の部屋の床に置くと、麗しい男の姿に戻った。こうして二人は結ばれて、生まれた子が富登多多良伊須須岐 比売命(ほとたたらいすすきひめみこ)であり、後に「ほと」を嫌い比売多多良伊須気余理 比売(ひめたたらいすけよりひめ)と名を変え、神武天皇の后となった。)
(注*八咫烏(やたがらす):3本の足をもつカラスで、神の使いをする鳥とされる。外国でも3本足のカラス信仰があり、太陽の化身とされ、そのお供をするのが鴨とされている。日本でもスサノオノ命の末裔の鴨氏、賀茂氏は神官となって太陽の神、天照大神(あまてらすおおみかみ)に仕えているのは興味深い)
- 国譲り -
天照大神のお言葉で、「豊葦原(とよあしはら)の千五百(ちいお)秋之瑞穂(あきのみずほ)の国(日本のこと)はもともとわが子の国である。」とおっしゃられて御子のオシホミミの命(天照大神の長男)を天から使いに出しました。
ホシホミミの命は天の浮橋(あまのうきはし)に立って下界をのぞき「豊葦原の瑞穂の国はとても騒がしい」とおっしゃって、天にもどり天照大神に報告しました。
そこでタカミムスビの神と天照大神の命令で天のヤスの河原に八百万(やおよろず)の(たくさんの意味)神々が集められました。
(注*豊葦原の千五百秋の瑞穂の国:葦が生い茂って、千年も万年も穀物が豊かにみのる国という意味。千五百秋(ちいおあき)1500年穀物の実る秋、スサノオの命が高天原に上ってきたとき天照大神は1500本の矢を持って待ち受けましたね。1500という数は万(よろず)と同じようにたいへん多い、無限という意味あいがあるのでしょう)
天照大神はおっしゃいました。「この葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)(*天の世界に対して地上の世界のこと)は我が子の治めるべき国である。それなのに葦原の中つ国には暴れまわっている国神らがたくさんいる。どの神を遣(つか)わしてこれを平定しようか。」
八百万(やおよろず)の神たちは協議して言いました。「天の菩比(あめのほひ)の神(天照大神の次男)を遣わすのがよろしいかと思います。」
それでアメノホヒの神を遣わしたところ、大国主神にこびへつらって三年たってももどってこなかった。
このようなことで、タカミムスビの神と天照大神はまた神々を集めておっしゃった。
「葦原の中つ国に遣わした天のほひの神がしばらく帰ってこない。次にどの神を遣わすのがよいだろうか。」
そこで思金(おもいがね)の神(知恵の神様)が答えて言うには、「天若日子(あめわかひこ)を使いにやるのがよろしいでしょう。」
そこであめわかひこは、「天のまかこ弓」と「天のはは矢」という立派な弓矢を賜(たまわ)った。
そして天若日子(あめわかひこ)は下界に降りたが、大国主のむすめ(下照姫したてるひめ)を妻にして、あわよくば国を奪おうと思い八年たっても帰ってこなかった。
そこでタカミムスビの神と天照大神はまた神々を集めておっしゃった。「天若日子(あめわかひこ)が長らく返事をしてこないが、どの神を遣わして天若日子が返ってこない理由を聞いて来させようか。」
思金(おもいがね)の神やほかの神々は「雉名の鳴女(きじのななきめ)を遣わしましょう。」と言った。
そして雉名の鳴女(きじのななきめ)に「お前を葦原(あしはら)の中つ国に遣わしたのはその国で暴れている神たちを平定するためだ。なぜ八年たっても連絡がないのだ。」と天若日子に理由を聞いてきなさい、とおっしゃった。
(注*津(つ)は現代語の助詞「の」という意味。中津国は高天原と黄泉の国の中間の国という意味)
こうして雉名の鳴女(キジ)は天から降り、天若日子の門にある桂の木の上にとまり、天の神のおっしゃったとおりに伝えました。
そこに「天のさぐめ」とういう女がいて、「この鳥は鳴き声が悪い。弓で射(い)て殺してください。」と言った。天若日子(あまわかひこ)は天の神からいただいた弓矢でそのキジを射ました。
ところがその矢はキジの胸を貫通し天まで飛んでいき天のヤスの河原においでになった天照大神と高木(タカギ)の神(タカミムスビの神の別名)のところまで届きました。
タカミムスビの神がその矢を取って見るとその矢の羽に血がついていました。
タカミムスビの神は「この矢は天若日子に与えた矢である。」と言って神々にその矢を見せて「もし天若日子が命令通りに下の国の神々を従えるために射た矢が飛んできたのであれば、この矢よ、当たるな。もし天若日子に邪心があるならこの矢が当たって死ね。」とおっしゃって矢を手に取り、その矢が飛んできたときに空いた穴から下界に投げおろしました。
その矢は朝に寝床で寝ている天若日子の胸に当たって死んでしまいました。
また、雉(キジ)名の鳴女も帰ってこないので、今ことわざで「キジのひた使い」というようになったのです。(注*行ったきりで帰ってこない使者という意味)
そうして天若日子(あめのわかひこ)の妻(大国主の娘、下照姫)の泣き声は風に乗って天まで届いた。天にいた天若日子の父と子らがその声を聞いて下界に降りて来て泣き悲しんだ。そしてそこに葬式のための家(喪屋)を作って遺体を納め、雁(がん)を死人の食べ物を持つ役にし、鷺(さぎ)をほうきを持つ役にし、カワセミを料理人にし、雀(すずめ)をうすをつく女の役とし、キジを泣き役の女の役にして八日間夜昼弔(とむら)い(原文は遊び)ました。
(注*和語「あそび」の語源について、大喪儀の際などに殯(もがり)の神事に従事することを職とした品部である「遊部(あそびべ、あそべ)」が古代に存在したことなどを論拠に、その本義を神道の神事に関わるものとする説がある)(*殯(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬送儀礼。死者を埋葬するまでの長い期間、遺体を納棺して仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。)
このとき、アジシキタカヒコネの神(妻の下照姫の兄)が弔問にやって来た。それを見た天若日子の父は泣きながら言いました。「私の子は死んでいなかった。」とアジシキタカヒコネの神の手足に取りすがって泣き悲しみました。このように見間違えた訳はこの二柱の神がとても似ていたからです。
このことにアジシキタカヒコネの神はたいへんお怒りになって言われました。
「私は親しい友だからこそ弔いにやってきただけだ。どうして私を汚らわしい死人と間違えるのか。」と言って腰の剣を抜いて喪屋を切り倒し足で蹴り飛ばしました。
それは遠くに飛んで行って、美濃の国(今の岐阜県)の藍見川(あいみがわ・今の長良川)の上流にある喪山という山になりました。そして切り倒した大刀の名はオオバカリ(大量)といい、またの名を神度(かむど)の剣とも言います。
(注*神の気に障ることをすると恐ろしいことが起こるという戒めでしょうか)
それからアジシキタカヒコネの神が飛び去ったとき、その妹の下照姫の命(大国主の娘で天若日子の妻)は兄の名前(アジシキタカヒコネの神)をあかす歌をうたいました。(注*夷振ひなぶりの歌は省略する)
こうして天照大神はおっしゃった。「またどの神を遣わすのがよいだろうか。」
思い金の神やほかの神々は言いました。「天の安の川の上流にある天の岩屋にいる、イツノオハバリの神を遣わすのがよろしいでしょう。もしこの神でなければその子の建(たけ)御雷(みかづち)の男神(おがみ)を遣(つか)わすのがよろしいでしょう。(注*スサノオの命が子の火の神を切ったときにその血からあらわれた神)
またそのオハバリの神は安の川の水をせき止めて道をふさいでいるので他の神では行くことができないでしょう。天のカクの神をオハバリの神に遣わすのがよろしいでしょう。」
こうして天のカクの神を遣わしてオハバリの神に返事を問うたときに「恐れ多いことでございます。しかしながらこの道には我が子の建御雷(たけみかずち)の神を遣わしましょう。」とおっしゃりました。
そこで天の鳥船(あめのとりふね)の神を建御雷の神のおともに添えて遣わしました。
そうしてこの二神は出雲の国のイザサの小浜に降り下り、とつかの剣(長い剣)(*注 とつか十束は刀の固有名詞ではなく、拳10個分の単位を表す言葉)を抜いて波の上に逆さに突き立てて、その剣の先にあぐらをかいて座って大国主の神に尋ねた。
「天照大神、タカミムスビの神の命令で伺いに参った。お前の葦原の中つ国(下界)は天照大神の御子の治めるべき国であるとおっしゃりました。お前はどうお考えるか。」と問われました。
大国主神は答えました。「私はお答えできません。私の子の八重(やえの)言代主(ことしろぬし・事代主)の神がお返事するべきです。しかし鳥や魚をとりにミホの埼に行っていてまだ帰っていません。」
そこで天の鳥船(あめのとりふね)の神を遣わして事代主(ことしろぬし)の神を呼び戻して問われた。
そして「恐れかしこし。この国は天照大神の御子に献上なさりませ。」と父の大国主の命に言いました。そしてすぐに船を踏んで傾けて、天の逆手を打って(*注 まじない、妖術のようなもの)船を青々した柴垣の「神の宿る依り代」に変えてその中にお隠れになりました。
そこで大国主の命にお尋ねになったのは、「今お前の子の事代主の神はこのように申したが、まだ他にもの申す子がおるか。」とおっしゃりました。
大国主の命は答えました。「私の子は他に建御名方(たけみなかた)の神がおります。これを除いて他にはおりません。」と言ったときに、建御名方(たけみなかた)の神が千人引きの大きな岩を頭の上に持ち上げてやってきて「私の国に来てひそひそ話をしているのは誰だ。力くらべをしようぞ。私が先にそのお手をつかむぞ。と言って、建御雷(たけみかずち)の神の手を取ると、氷を握っているようでまた剣の刃を握っているかのようでした。すると建御名方(たけみなかた)の神は恐れて後ろに退きました。
次は建御雷(たけみかずち)の神が建御名方(たけみなかた)の神の手を取るぞと言って手を取ると、若い葦(あし)を手に取るかのように軽々とつかみ放り投げました。そして建御名方(たけみなかた)の神はすぐに逃げ去りました。
(注*建御名方の神は長野県の諏訪大社に祀られています。)
建御雷(たけみかずち)の神はそれを追いかけて信濃の国(今の長野)の諏訪の湖まで追いつめて殺そうとしたとき、建御名方(たけみなかた)の神がこう言いました。
「恐ろしく存じます。私を殺さないでください。この地以外の土地には出ていきませんし、また我が父、大国主の命の言うことに逆らいません。兄の事代主(ことしろぬし)の神の言うことにも逆らいません。この葦原の中つ国(下界)は天照大神の御子の神に献上(けんじょう)いたします。」と言いました。
こうして建御雷(たけみかずち)の神は戻ってきて大国主の命に「お前の二人の子は天照大神の御子の言うままに逆らわないと誓った。お前はどうだ。」と問われました。
そして大国主の命はこう答えました。「私の二人の子の申した通りに私も逆らいません。この葦原の中つ国は天照大神の命令のまま献上いたします。」
それから「ただ私の住む家を、天照大神の御子の宮殿のように地深く岩盤に太い柱を立て、天高くに棟木をあげた屋根で宮殿を建ててくださるならば、私はそこに隠れて隠居しましょう。
また我が子の事代主の神を先導の神として仕えさせれば私の他の子供のたくさんの神々で逆らうものはいないでしょう。」
(注*この宮殿が今の出雲大社です。)
そうして大国主の命は、建御雷(たけみかずち)の神を迎えるために、出雲の国の「たぎしの小浜」に宮殿を作り、水戸(みなと)の神の子孫の櫛八玉(くしやたま)の神が料理人となりご馳走をさし上げたとき、呪文を唱えて櫛八玉(くしやたま)の神が鶏になって海底にもぐって底の粘土をくわえて上がってきて、それで沢山の神聖なお皿を作り、また海草の幹を刈り取ってきて火打ち臼(うす)と火打ち杵(きね)を作り、これを擦って(こすって)火をおこし、大国主の命は「私のおこした火は高天原(たかあまはら)にいらっしゃるカミムスビの神の富栄える新しい宮殿のすすが長く垂れ下がるように燃え上がり、地の下は地底の岩を硬く焼き固まらせ、楮(こうぞ)の長い縄を延ばし釣りをする海人(あま)の釣りあげた大きな鱸(すずき)の魚をさわさわと引き寄せて、さお竹のたわわにたわむほど、すばらしい魚料理を献上いたしましょう。」とこう誓いました。
こうして建御雷(たけみかづち)の神は天に戻って、葦原の中つ国を平定したいきさつを報告申し上げました。
つづく
(注* この国譲りのお話はスサノオの命亡き後のスサノオ一族とアマテラス一族の戦争物語で、結果、大国主の命のスサノオ一族は敗退しアマテラスの軍門に下ったと解釈するのが自然でしょう。)