Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 湖底に射す陽の光 

 第11話 


 湖底都市ヴィンダーフィル。女王の玉座は、その中央に存在した。そこは、都市の最深部にある湖底神殿の真上にあたった。その玉座に座し、湖底神殿から溢れる力を制御して絶大なる力でヴィンダーフィルを守る、それが女王の役目だった。そうして、その玉座の後ろを流れる滝はヴィンダーフィルの天井から湖底神殿まで続く巨大な滝であり、その中にある長い階段を下れば、湖底神殿に辿り着くことが出来た。
「はぁ……っ」
 その滝から姿を現した青年は、そのままその場にがくり、と崩れ落ちた。ラスクである。
(不完全な、出来損ない……)
 幼い頃から何度も言われてきた言葉を思い出し、ラスクは唇を噛み締めた。
 湖底神殿には女王と神官しか生きては辿り着けない。だが、ラスクは、湖底人の中でも最も高貴な神官の血筋であるにも関らず、どうしても湖底神殿まで辿り着くことが出来なかった。
「我が君……」
 大切なその存在を想い、ラスクはもう1度立ち上がった。

 尊い神官の血を引きながら、陸で呼吸できる出来損ない――、それがラスクだった。それ故、親に疎まれ、兄に軽蔑されて、育った。それでも、そのことに何か意味があるとそう思いたくて、幼いラスクは精一杯生きていた。そんなラスクに大役が与えられた。それが、『セラティンを葬る役』だった。
 あの日、赤子のセラティンを抱いて、ラスクは陸を目指した。湖底人たちの上位種族である女王は、湖底人たちよりもずっと水底に近い種族である。湖面に近付き、陽の光が見えてくる、ただそれだけで、ラスクの腕の中のセラティンは苦痛の泣き声を上げた。小さな手をぎゅっと握り締めた赤子のセラティンは、大きな翡翠色の瞳から大粒の涙を流した。
『女王になれぬ出来損ないが――』
 大人たちが口々にそう吐き捨てていたことを思い出すと、ラスクの胸は痛んだ。
 陸に着いた。湖面から上がると、セラティンは泣き声を喉に張り付かせた。呼吸できていないのは明らかだった。幾ばくもせず、この命は奪われる、そうして、初めて頂いた大役を無事終えることが出来る、そう思うラスクの瞳に、見開かれたセラティンの大きな瞳が映った。それは、頭上にある陽の光を浴びた若葉と同じ色をしていた。
(この子に、大気を吸わせてやりたい――)
 そう思った瞬間、躊躇うことなく、ラスクは自らの手首を掻き切っていた。そうして、出来損ないと言われた自分の血が起こす奇跡を、ラスクは目の当たりにした。ラスクの目の前で、セラティンは大きく大気を吸い込んだ。そうして、新たな産声を上げ、ラスクを見上げて、セラティンは笑顔を浮かべた。その笑顔は、ラスクにとって生涯忘れられないものになった。
 その後、セラティンの中にある湖底人としての力を奪うために、ラスクは、セラティンの手甲を裂き、幾らかの血を流させた。
 あの日、ラスクは、生まれて初めて、出来損ないの血に感謝した。そうして、血の海の中、それでも輝くその生命を、心から愛しいとそう強く感じた。

「……何故、行けない……ッ!」
 そして今、ラスクは出来損ないの血を心底呪った。
 兄の中の狂気には、ラスクも気付いていた。ソウガはこの美しい湖底都市を守るためならきっと何だってするだろう。必要であれば、主である筈のセラティンの生命すら奪いかねない。
「兄上……、」
 流れていく水を見下ろしながら、ラスクは悲痛の声を上げた。ただ、幸いなことに湖底神殿から、セラティンの気配だけは感じ取ることが出来た。
(生きてらっしゃる……)
 そう思うと同時に、今セラティンが強いられていること、その胸のうちを思うと、ラスクはもどかしさにどうにかなりそうだった。
(何故、こんなことになってしまったのだろう……)
 今更考えても仕方ないのに、ラスクはどうしてもそう思わずにはいられなかった。
 あの夜、『セラティンを見つけた』とそう告げた兄の言葉に、ラスクは森を駆けた。一目セラティンの無事を確認したくて、セラティンの家を目指した。だが、辿り着いたその場所に、セラティンの姿はなかった。何故か、それは程なく判った。セラティンの身体を金で売った。セラティンの身体を楽しんだ。囁かれる人間たちの言葉に、ラスクの世界は暗転した。微かな気配を辿ってセラティンを見つけた時、セラティンは湖の傍で放心していた。その姿に、一瞬声が掛けられなかった。その一瞬が手遅れに繋がった。
(あの時、湖に触れる前に、何とか出来ていれば……)
 あるいは兄から逃れられていたかも知れない、僅かな望みではあったが、ラスクはセラティンを連れて逃げるつもりだった。これまでずっと、セラティンが湖に近付かないように細心の注意を払っていた。ただ一度湖から目を離したその瞬間に、恐れていたことが起こったのだ。湖に触れた瞬間、セラティンの中で眠っていた湖底人としての血が目覚めた。その瞬間、ラスクは苦渋の選択をした。一刻も早く変化させ、セラティンを王として迎える、そうして兄に手出しさせない、そう決意した。
「我が君……」
 セラティンが、木漏れ陽の中を駆けることは、2度とない。大気を吸い込んで、その瞳を陽光に輝かせることも、2度とないのだ。
「そうさせたのは、この私だ……」
 小さくそう声にして、ラスクは1人玉座の傍で瞳を伏せた。




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