Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 湖底に射す陽の光 

 第12話 


 それから数日後、湖底都市ヴィンダーフィルは突然、眩いばかりの光に包まれた。
 その変化に、そうして、そのことが意味する『若い王の帰還』に、ラスクは玉座があるその場所へと全力で駆けた。
「……ラスク」
 背後から冷たい声に名を呼ばれ、ラスクは後ろを振り返った。
「兄上!」
 視線の先に兄ソウガの姿を確認して、ラスクは怒声を上げた。
「セラティンさまはッ!? 我が君は!?」
 切羽詰るようなラスクの声が響く。そんな弟の様子さえ何処か楽しそうに見つめながら、ソウガは扉を指差した。その先は、ヴィンダーフィルの中心、玉座がある部屋であった。
「目覚められたぞ」
 口元に笑みを浮かべたまま、ソウガはそう宣言した。その笑顔にぞっと背筋が凍りつくような感覚を覚え、ラスクは息を呑んだ。
 同じ神官の血を持つ兄弟だというのに、2人の力の差は歴然としていた。『神童』と『出来損ない』――、幼い頃の呼び名がそれを如実に物語っていた。幼い頃から、ラスクはそんな兄を敬愛するとともに畏れていた。圧倒的な存在感とともに見下されると、思わずその場にひれ伏してしまいそうになる。
「我が王のご誕生だ」
 ソウガの声に、ラスクは顔を上げた。
(――兄上に、感謝すべきなのかも知れない……)
 そう思いながらも、ラスクの表情に笑みはなかった。

 扉の向こうに、セラティンの姿があった。
 巨大な玉座に斜めに腰掛け、しなやかな白い脚を高く組んだ格好で、セラティンは片肘をついていた。細い指先が、艶やかな黒髪を弄ぶ。生気を失くした白い頬、対照的に紅く鮮やかな口元は、凍て付いた笑みを零したままだ。そうして、目尻の流れた綺麗な瞳が、まっすぐにラスクを映していた。陽光に透ける若葉のようだったその瞳は、今や凍て付いた湖面のような印象を与えた。
「…………」
 変わり果てたセラティンの姿を瞳に映し、ラスクは言葉を失った。
 そこにいたのは紛うことなき、『王』であった。ラスクの瞳にも、溢れんばかりの王の力が玉座を満たしているのは見て取れた。これが、本来のセラティンの姿なのだ、そう思おうとしても、ラスクの胸はちりちりと痛んだ。
「…………」
 黙ったまま、セラティンは頬杖をついていた手を、ラスクの方に伸ばした。
「王に忠誠を」
 ソウガの声が、ラスクを促す。だが、ラスクはどうしてもその手を取ることが出来なかった。
 2秒、3秒……。セラティンとラスクにとっては、それはとてつもなく長い時間に思えた。
「は、ははは……っ」
 耐え切れず、乾いた笑い声を上げたのは、セラティンだった。
「ははは、そんなもの、要らないよ」
 感情を感じさせない声で、セラティンはそう告げた。そうして、凍て付いた湖面の瞳で、じっとラスクを見つめた。セラティンとラスクの視線が絡まる。静寂が、重苦しくその場を支配した。
 しばらくして、セラティンは、ふふふ、と笑みを零した。そうして、長い沈黙を破って、ラスクに命令を下した。
「…………僕を、抱けよ」
「出来ません」
 真っ直ぐにセラティンを見つめたまま、ラスクが答える。その声に、セラティンはほんの一瞬だけ、その瞳を揺らめかせた。
「……役立たず」
 拳をぎゅっと握り締めて、セラティンは息を吐いた。
「ソウガ」
「御心のままに」
 セラティンに名を呼ばれ、ソウガがくすり、と笑う。そうしてセラティンの足元に近寄り、ソウガは高く組んだままのセラティンの内腿へと手を滑らせた。
「……下がれ」
 ラスクから視線を外し、セラティンはラスクにそう命じた。
「……あ、」
 セラティンの喉から、上ずった声が漏れる。
「あ、あ……」
 一礼して去っていくラスクの気配を感じながら、セラティンは瞳を閉ざした
(ラスク……)
 ただ心の中でだけ、セラティンは呼んではならないその名前を呼んだ。

「あ、あ……ッ、」
 玉座の上、ソウガに抱かれ、嬌声を上げながら、セラティンは別のことを考えていた。
(やはり、永くは、持たない……)
 ソウガは気付いていなかったが、玉座についたその瞬間から、セラティンは指先から少しずつ力が抜けていくのを感じていた。
(所詮は出来損ない。『女王』にはなれない、ということか……)
 湖底神殿で何度も抱かれながら、セラティンはソウガに全てを聞かされていた。
 湖底都市ヴィンダーフィルを支える女王のこと、そうして、セラティンは女王の血筋でありながら男の身体に生まれた出来損ないで、それ故に生まれ落ちたその日のうちに、陸へと捨てられたこと。
 湖底人たちは、体液を介して力を分け与えることができる。だから、女王が崩御した今、出来損ないのセラティンを『王』にするためにセラティンを抱くのだと、セラティンを犯しながら、ソウガはそう言い切った。
(『王』になれないのなら、『人柱』としてヴィンダーフィルを守る、か……)
 3人の湖底人が人柱に立ち、ヴィンダーフィルを支えていた。それも永く持たないと知り、ソウガは次の人柱を探していた。
(……冗談じゃない)
 心の中でそう吐き捨て、セラティンは、声を上げていた唇をきゅっと閉ざした。
(僕が死んだら……? この都市は、次の犠牲を求めるのだろう。そんな都市……)
 瞳を見開いて、天を見上げる。眩い光が、湖底都市ヴィンダーフィルを覆っていた。
(――滅ぶべきだ)
 セラティンは、そう思った。それなのに、開いたままのセラティンの瞳からは、涙が零れた。それが、住んだこともないこのヴィンダーフィルに対する郷愁なのだとそう理解したとき、セラティンはもう一度泣いた。
「……どうなさいました?」
 声を抑えて涙を零すセラティンに、ソウガが声を掛ける。小さく首を振って、セラティンは瞳を閉ざした。
(僕で終わりにする。この都市は、滅ぶ――)
 だが、それは同時にセラティンにとっては死を意味していた。変わり過ぎたセラティンの身体は、最早この都市以外では生きてはいけなかった。大気を吸うことも、それどころか陽の光さえも肌に突き刺さるだろう、セラティンは本能でそう悟っていた。だが、不思議と死を怖いとは思わなかった。
(ただ、愛されていないと判っていても、最後にもう一度会いたかった……)
 閉ざしたセラティンの瞳に、ラスクの姿が浮かんだ。愛されていないまでも、ラスクは『王』の姿を望んでくれている、セラティンはそう思っていた。ラスクがセラティンを抱いた理由に愛情がなくても、『王』への変化をもたらそうとしてくれたことだけは真実だったから。
(……哀しそうな瞳だったな)
 再会した時、『王』となった自分を見つめたラスクの瞳には、隠し切れない哀しみの色が浮かんでいた。そんなラスクの瞳を見たとき、セラティンは昔のように微笑むことは出来なかった。変わってしまった自分はそうしてはならない、そんな気がしたからだった。ましてや、「抱いて欲しい」などと口にすることは出来なかった。「抱け」とそう命令するのが、セラティンには精一杯だった。
「……王?」
 ソウガに声を掛けられ、セラティンは涙が止まらなくなっていることに気付いた。
「……もっと、強く……」
 そう声にして、セラティンは腰を揺らめかせた。
 ほんの一時だけ、全てを忘れたい、セラティンはそう願った。




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