Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 湖底に射す陽の光 

 第13話 


 半年が流れた。
(よく持った方だ……)
 そう思って、セラティンは口元に笑みを浮かべた。限界が近いことはよく判っていた。
 それでもこの半年という月日は、セラティンにとっては幸せな時間だった。
 あの日を境に、セラティンはソウガに肌を許すことはなかった。だからといって、ラスクに抱かれることもなかった。ラスクはというと、従者として献身的にセラティンに尽くしていた。その瞳から哀しみの色が消えることはなかったが、それでもふとした瞬間に浮かぶセラティンの微笑を、ラスクは優しげな瞳で見つめた。それが嬉しくて、セラティンは気付かない振りをしながら、時折笑顔を零した。
(もうすぐラスクがやってくる時間だ……)
 そう思うと、セラティンは胸が躍るのを感じた。だが同時に、あと何回、こうやってラスクが来るのを待っていられるだろうか、そう思うと、胸の奥がきりりと痛んだ。
 だが、その時はあまりに突然にセラティンを襲った。
「うッ、――……ッ」
 小さく呻いて、セラティンは胸を抑えた。生命の火が急速に消えていくのを感じ、セラティンは初めて、ぞくり、と恐怖を覚えた。
「い、行かなきゃ……、」
 自分の時間とともに、このヴィンダーフィルの刻(とき)も止めなくてはならない――、そう覚悟して、セラティンは自分の身体を叱責した。そうして、ゆっくりと立ち上がると、玉座の背後にある滝へと歩を進めた。
(もう一度だけ、会いたかった……)
 一度だけ、セラティンは扉を振り返った。その時、扉が開かれた。
「我が君……ッ!」
 一瞬で事態を把握したのか、ラスクはセラティンの下へと駆け寄った。だが、セラティンに触れようとしたその瞬間、セラティンの手がラスクの動きを制した。
「――ラスク」
 この時、セラティンは初めてラスクの名前を声にした。その瞬間、鼓動がとくん、と跳ねるのをセラティンは感じた。
「お別れだ」
 そう声にして、セラティンはラスクを真っ直ぐに見つめた。
「永く持たないことは判っていた」
 ラスクを落ち着かせようとそう説明し、セラティンは笑顔を浮かべた。そうして、少し考えて、セラティンはずっと尋ねたかったことを声にした。
「……何故、僕を抱かなかった?」
「あなたが、大切だからです」
 返されたその言葉に、あの時と変わらないその瞳に、セラティンは何かが胸に込み上げて来るのを感じた。セラティンの瞳から、涙が一筋零れる。
「我が君、」
「ラスク、……あなたに会えて、最後の時を一緒に過ごせて、僕は幸せだった」
 そう言葉にして、セラティンは笑った。翳りを見せていくヴィンダーフィルにおいて、射すことのない陽の光が降り注いだ、そんな錯覚を覚える笑顔だった。
「この都市の人たちを外へ」
 短くそう告げて、セラティンはくるりと踵を返した。
「我が君――……ッ」
 そうして、セラティンの姿は滝の向こうへと消えた。
「――何事だッ?」
 異変に気付いたソウガが飛び込んで来たのは、セラティンが姿を消した直後だった。
「王は……? セラティンさまは何処に行かれた?」
 空になった玉座を見つめ、ソウガは声を荒げた。
「……永くは持たない、と。神殿に向かわれた」
 滝を見つめたまま、ラスクはそう答えた。だが、そう告げたところで、ソウガがセラティンを救出しに向かってくれないことは、ラスクにもよく判っていた。
「所詮は出来損ないということか。だが殊勝なことよ。自ら人柱になりに赴くとはな」
 セラティンの行動の意味を考え、ソウガはくすくすと笑った。
「お前の代わりに、見届けてきてやる」
 神殿へと向かうことも出来ない不出来な弟を見下ろし、ソウガは楽しげに笑った。
 その時だった。
 どん、という大きな衝撃とともに、湖底都市ヴィンダーフィルが震えた。
「――何だ?」
 動揺の声を上げるソウガの瞳に、ヴィンダーフィルを覆う天蓋が剥がれていく光景が見えた。
「……やはり」
 ソウガの隣でその光景を見上げ、ラスクはそう呟いた。
「ヴィンダーフィルを、終わらせる、か」
 その呟きに、ソウガは瞳を吊り上げた。

 神殿の奥にあるその扉を、セラティンは両手で開いた。そこはかつての女王たちが眠る霊廟だった。入ってすぐの場所に、3人の湖底人の亡骸があった。人柱として犠牲になった湖底人たちの亡骸だった。
「……つらい思いをさせて、ごめんなさい」
 その柩の前で足を止め、片手を胸に置いて、セラティンはそう謝罪した。
「――え?」
 次の瞬間、その隣の柩に引き寄せられるような錯覚を覚え、セラティンはその中を覗き込んだ。
「……母さま……」
 気が付けば、セラティンはそう口にしていた。そこには、静かに眠る女王サラフィの姿があった。その姿を見た瞬間、セラティンは彼女の腕の中でその顔を見上げたことを思い出していた。
『セラ、セラ、私のセラティン……』
 優しい声が、セラティンの名前を呼ぶ。
『あなたが男の子で、本当に良かった。あなたをここから解放してあげる理由が出来たもの』
 そう言葉にして、サラフィは少女のような笑顔を浮かべた。
(そうだ……。あの日、母さまにキスしてもらった。そうして、誰かの手に託された……。苦しくて苦しくて……、突然視界が真っ赤に染まったんだ。そうして、澄んだ大気が胸に拡がった……。陽の光が暖かかった……。あの時、にこやかな笑顔を浮かべて、僕を見ていたのは、誰だ……?)
『あなたは、陽の光が似合う……』
 そう告げたその少年の姿が、ラスクと重なる。
「ラスク……?」
 まるで、ラスクの想いがセラティンの中に流れ込んでくるかのようだった。その想いの大きさに気付いたとき、セラティンは凍て付いていた何かが完全に溶けて消えていくのを感じた。
 大切にされていた、愛されていた、ずっと見守ってくれていた――。
「……母さま、生んでくれてありがとう」
 この世に生を受けて、本当に幸せだったと、この瞬間、セラティンは強くそう思った。そして、自分の生を意味あるものにしなくてはならないと、そう決意した。
「終わりにするね」
 笑顔でサラフィにそう告げる。セラティンの目には、サラフィが笑ってくれたような、そんな気がした。
「――何をなさるおつもりか」
 割って入ったその声に、セラティンは顔を上げた。
 そうして、厳しい眼差しのソウガに対峙した。




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