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「ラスク従兄(にい)さま」
その声に、ラスクは滝を見つめていたその視線を上げた。その視線の先に、息を切らせたネストの姿があった。
「従兄(にい)さま、これは……?」
「ヴィンダーフィルは滅ぶ。お前も他の者たちとともに、ここを離れろ」
瞳を見開いてその事実を受け止め、ネストはぐらり、と倒れそうになった。その肩を支えてやりながら、ラスクは説明を続けた。
「セラティンさまの選ばれた道だ。私はお供をする」
「……ソウガ従兄(にい)さまは?」
ソウガがその決断を受け入れるはずがないことは、ネストにもよく判っていた。問い掛ける声が震える。
「兄上は、セラティンさまを追い掛けて下に行かれた。おそらくは……、」
「セラティンさまを阻止するため? そのためなら、ソウガ従兄(にい)さまは、セラティンさまをも手に掛けようとなさるかも知れない……ッ!」
それが単なる可能性でないことは、2人にもよく判っていた。ソウガの中の狂気、ヴィンダーフィルに対する異常なまでの執着は、ソウガを恐ろしいほどに冷酷にさせる。
「兄上では、今のセラティンさまは止められない。私は全てを見届ける義務がある」
まるで自分を言い聞かせるかのように、ラスクはそう言葉にした。だがその一方で、たとえ命を失うことになろうとも今すぐセラティンの傍に行きたい、そんな衝動がラスクを支配しようとしていた。
「従兄(にい)さま」
ネストの声が響いた。その瞬間、真っ赤な血がラスクを覆った。ラスクの血ではなかった。目を見張るラスクの前、手首を掻っ切って微笑むネストの姿があった。
「私は、ソウガ従兄(にい)さまを縛りつけ、苦しませ続けるヴィンダーフィルなんて滅べばいいと、ずっとそう願っていました」
唇を震わせながら、ネストは言葉を続けた。
「でも、そう願いながらも、ソウガ従兄(にい)さまがこんなにも愛しているこの都市を、滅ぼすなんて出来ないのです。ソウガ従兄(にい)さまを止めて差し上げることが、出来ないのです……。だから、だから、」
ネスとの悲痛な声が響いた。ネストの血を浴び、ラスクはその場に膝をついた。そうして、血を流し続けるネストの手に手を添えて、ラスクはその血を止めた。
「ラスク従兄(にい)さま……ッ!」
願いを拒絶されたと思い、ネストの声は一層悲痛なものへと変化した。だが、続くラスクの言葉に、安堵の息を落とした。
「……判っている。……兄上を止めてみせる。ここから解放してみせる」
「で、でも……、」
ネストが与えた血は十分ではなかった。このままでは神殿までは到底辿り着けない、それは明白だった。だが、これ以上の流血はネストの生命を脅かす。ネストはそれでもいいと思っていたが、ラスクは従弟の生命を奪うつもりはなかった。
次の瞬間、ぱっと鮮血が流れた。
「この中にも少しばかりの神官の血は流れている。足りない分はこうすれば賄えるだろう」
自らの肩に短剣を突き立て、ラスクはそう告げた。
そうして、ラスクはそれまでじっと見つめていた滝に、その身を投じた。
「――終わらせてみせる。この都市も、お前と僕の運命も」
真っ直ぐにソウガを見据え、セラティンはそう宣言した。
「させはしない。どうしてもとそうおっしゃるのなら、今ここでそのお命を頂く」
ぞっとするような声色で告げると、ソウガは躊躇うことなく手にした銛をセラティンの方に向けた。
「まだ、死ねないよ」
口元に笑みを浮かべて、セラティンは少し距離を取った。だが、正直なところ、状況はセラティンには少し不利であった。限界まで耐えたセラティンの身体は、湖底神殿まで辿り着いた時点で歩くのがやっとの状態だった。だが、セラティンの思惑通り、神殿に辿り着いたセラティンが『都市の崩壊』を望んだその瞬間から、湖底都市ヴィンダーフィルの崩壊は始まっていた。あと幾ばくかもしないうちに、後戻りできないところまで崩壊するのは明白だった。つまり、セラティンにとっては、その幾ばくかの時間を稼げばそれで良かった。
「何があっても、終わらせてみせる」
セラティンは、もう一度決意を声にした。
「出来損ないごときが。この美しい都市を、私のヴィンダーフィルを滅ぼせるとでも言うのか」
銛を握る手に力を込め、ソウガはセラティンを見据えた。
「笑止な」
次の瞬間、ソウガはセラティンの喉元を銛で突いた。すんでのところで交わしたセラティンの頬から真っ赤な鮮血が流れる。
「まだだッ」
一瞬反応が遅れたセラティンの視界に、伸びて来るソウガの銛が見えた。かろうじて身を捩ったセラティンの肩を痛みが走る。
「――え……?」
その瞬間、セラティンの前を鮮血が覆った。ソウガの銛は、セラティンに触れるその直前で、伸ばされた掌に阻止された。そうして、それを突き刺し、セラティンの肩にかすり傷だけを負わせた。
「ラスクッ!」
セラティンの叫び声が響いた。セラティンの目の前、姿を見せたラスクはあちこちから血を流していた。かろうじて生きている、まさにそんな状態であるのが誰の目にも明らかだった。
「……己の血で膜を作り、ここまで来たか。私には出来ない愚かな所業だな」
ラスクの姿を見下しながら、ソウガはそう言い放った。
「そんな状態で、一体何をするつもりだ? 愚か者め」
「――ラスクは僕が守る」
くっくと笑うソウガの前に立ちはだかり、セラティンは真っ直ぐにソウガを見据えた。強い意思に輝く翡翠色の瞳がそこにあった。