Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 湖底に射す陽の光 

 第15話 


『ほら見て、ソウガ。綺麗なおめめでしょう?』
 赤子のセラティンを抱いて、サラフィがそう告げた。
『誰かを犠牲にしなきゃならないのなら、こんな都市滅んじゃえばいいのに。そう思ってしまう私は悪い女王かしら? ……こんなにもヴィンダーフィルが愛しいのにね』
 そう言って、少しだけ哀しそうにサラフィは笑った。誰よりもヴィンダーフィルを愛した女王のその言葉に、ソウガはただ俯くことしか出来なかった。

「――誰かを犠牲にしなきゃならないのなら、誰も出来ないというのなら、僕が終わらせてやる。このヴィンダーフィルを、僕が滅ぼしてみせる!」
 ソウガの目の前で、セラティンがそう告げた。その姿が、ソウガの中でサラフィと重なった。
「…………」
 ソウガが瞳を伏せる。そうして、しばし天を仰ぎ、1つ息を落としてから、ソウガは再び瞳を開いた。ソウガの瞳に崩れていくヴィンダーフィルの姿が見えた。そうして、美しい玉座で、女王サラフィが微笑んでいるのが見えたような気がした。その少女のような微笑は、ほんの少し哀しそうで、それでいて何処か満足そうに思えた。
(――これが、あなたの望みか)
 心の中でそう呟き、そうしてソウガはセラティンに視線を向けた。
「…………行け」
 顎をしゃくり、ソウガはそう告げた。そして両手を大きく広げた。辺りに広がっていた血がソウガのもとへと集まっていく。
「出来損ないたちに、私のヴィンダーフィルの供は出来まい。全て私が引き受ける。陸へ行け。そうして、2度とここへは帰ってくるな」
「……兄上、お供します」
 最早誰の目にも、ヴィンダーフィルの崩壊は明らかだった。ソウガの意図に気付き、ラスクが口を挟む。
「要らぬ。早く行け。その代わり、お前たちの力、全て貰い受ける」
 そう言って、ソウガは冷たい眼差しで、2人を見つめた。
「……ソウガ従兄(にい)さま。ネストは要りませぬか?」
 突然、やわらかなその声が、飛び込んで来た。3人の視線の先、微笑を浮かべるネストの姿があった。
「万が一要らぬと、そうおっしゃるなら、ネストは今ここで自害いたしますよ?」
 そう付け足して、ネストはソウガを見つめた。
「――来い」
 少し考えて、ソウガはネストに手を伸ばした。その手を取って、ネストは嬉しそうに笑った。
「では、セラティンさま。ラスク従兄(にい)さまも。……御機嫌よう」
 ネストが笑う。ネストを腕に抱き、ソウガもまた口元に笑みを浮かべた。
「あ……、」
 ほとんど同時に、セラティンとネストが声を上げた。ラスクとソウガも視線を上げた。
 きらきらきら……。
 視線の先、湖底都市ヴィンダーフィルの天蓋が消失した。そして、陽の光が、降り注いだ。
「これは、何……?」
 ネストがそう尋ねる。
「陽の光……。もう2度と見ることはないと思っていた。僕の、大好きな……」
 そう声にして、セラティンは自然と涙が溢れてくるのを感じた。同時に、やわらかいはずのその光でさえ肌に突き刺さるのを自覚していた。
「僕は、変わり過ぎた……」
 そう呟いて、セラティンは視線を落とした。
「まだだ」
 短くそう告げると、ソウガはラスクの腕を取った。そうして、ラスクの傷ついた掌をセラティンの肩の傷へと押し付けた。
「……つぅ、」
 ラスクが苦痛の声を上げる。構うことなく、ぐぐっと押し付けて、ソウガはにっと笑った。
「出来損ないの血、大したものよ。もっとも、上まで辿り着けるかどうかは、運次第だがな」
 ソウガの声に、セラティンは突き刺すような痛みが引いていくことに気付いた。瞳を開いて、ラスクを見上げる。
「……参りましょう。我が君」
 見上げてくるセラティンを慈愛の瞳で見つめ、そうして一度だけ兄ソウガの姿を瞳に納めて、ラスクは重い口を開いた。笑顔とともに、セラティンに手を差し出す。
 こくり、と頷き、セラティンはラスクの手を取った。そうして、一度だけ振り返り、ソウガとネストの姿、崩れ行く湖底都市ヴィンダーフィルの姿を、翡翠色の瞳に焼き付けた。




Back      Index      Next