Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 湖底に射す陽の光 

 第7話 


 陽の光すら届かない、深い湖の底――。
 そこに、湖底都市ヴィンダーフィルは存在した。青白い光に包まれた石造りの都市は、細微に至るまで見事な装飾が施され、幻想的な美しさを演出していた。それでいて何処か哀しい印象を抱かずにはいられないのは、この都市が『死んでいる』からだ。
 千年を超える歴史を、ただ女王が持つ巨大な力の恩恵に甘え続けてきたこの都市は、最後の女王を失ったその日から滅びへの道を歩き始めた。ヴィンダーフィルを包んでいた眩いほどの輝きは全て失われ、都市は完全なる暗闇に支配された。それでも、残された湖底人たちは、ヴィンダーフィルを離れて未知なる世界に旅立つことはしなかった。旅立ちへの恐怖からではない。この湖底都市ヴィンダーフィルへの強い思慕を断ち切れなかったのだ。
 何とかしてこの美しい都市を維持できないものかと、幾度となく話し合いが行われた。方法がなくはなかった。女王が存在しない今、代わりの誰かが都市に力を与える。湖底人たちは、1つの決断を迫られた。
 都市を維持するために、人柱を立てる――。
 しばらくして、当時の神官長を含めた3人の若い湖底人が、その役目を担うべく志願した。そうして、彼らは、下へ下へと続く長い階段を渡り、最深部に存在する『湖底神殿』に、その身を沈めた。もっとも、女王と神官しか入ることを許されない『湖底神殿』まで生きて辿り着けたのは、神官長ただ1人で、他の2人は途中で息絶えた。そうして、彼らの遺志を継いで彼らの遺体を神殿まで運び、そこで神官長の死を見届けたのが、神官長の長男であるソウガだった。
 あれから十数年、彼らの犠牲によって灯された光は、月光にも及ばないほど微かなものではあったが、彼らの都市ヴィンダーフィルを青白く包んでいた。だが、その光も確実に翳りを見せ始めていた。湖底に棲む誰もが、着実に近付いてくる滅びへの足音を感じ取っていた。

 そんなとき、突然、湖底都市ヴィンダーフィルは眩しい光に包まれた。

「え……?」
 眩いばかりのその光に、その湖底人は驚きの声を上げた。彼だけではない。誰もがその変化に驚き、立ち尽くした。
「女王、さま……?」
 突然ヴィンダーフィルを包んだその光は、紛うことなく女王が玉座にいた頃と同じものだった。
 だが、そんなはずはなかった。最後の女王サラフィが子を残すことなく亡くなられた日、女王の血脈は永遠に失われたのだから。
 湖底人たちの蒼い瞳に、驚愕と動揺が浮かんだ。だが、僅かばかりの期待は、その後急速に薄れていく光とともに、再び失われていった。
 再び湖底人たちの前に訪れた青白い世界は、滅びの色を増したようにさえ思えた。それでも離れがたい想いを断ち切れず、湖底人たちはまた寄り添うようにヴィンダーフィルに身を委ねた。

 彼らは知らなかった。
 男児であったが故に、生まれ落ちてすぐ抹消された、最後の女王の血が存在することを――。
 そうして、その彼が、『湖底神殿』で、今まさに変化しようとしていることを――。


「……ここ、は……?」
 7つの巨大な柱に囲まれた円形の空間、それがヴィンダーフィルの最深部に存在する『湖底神殿』であった。微かな青白い光が、神殿を支える柱をぼうっと照らし出していた。そうして、白く無機質な床には、ゆらゆらと揺らめく波模様が描かれていた。
(水……?)
 はっきりしない思考の中、セラティンは開いたままの瞳にその光景を映していた。何処か幻想的なその光景は、セラティンに不思議な既視感を与えていた。
(ここは、水の中だ……)
 改めてそう理解しても、セラティンにあまり驚きはなかった。それよりも、揺り篭の中にいるような安堵感が込み上げて来るのを、セラティンは確かに感じていた。
(水に、触れたい……)
 内側から沸き起こる渇望に突き動かされるままに、セラティンは柱の向こうへと腕を伸ばした。だが次の瞬間、セラティンは視界に入った光景に目を見張った。
「何……、これ」
 開いた指と指の間には、明らかな水かきがあった。伸ばした腕からは、ひらひらと漂う薄い膜が存在していた。視界に入る全てが、自分が人間でないものに変化したという現実を、セラティンに突きつけていた。
「あ、あ……、」
 その現実に、セラティンは言葉を失った。だが同時に、これが自分の真の姿だ、と、セラティンの中の何かがそう告げていた。
「…………僕は、人ですらない、ということか。……は、はは……っ、は、」
 長い沈黙の後、セラティンは乾いた笑い声を零した。そんな変わり果てたセラティンの姿を、巨大な柱の間で揺らめく水面が映し出していた。
「……何故……? どうして……」
 溢れそうな涙を堪えて、セラティンは瞳をきゅっと閉ざした。
 ただ、
『あなたが、大切だからです……』
 その言葉に縋りつくように、セラティンは自らの両肩を抱き締めた。




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