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庄松ありのままの記4


その算用より急ぐ算用は・・


◆庄松さんが富田村のおよしさんと相談して、横田というところに庵(説教所)を建てました。しかし、世話方とおよしさんの間で算用の食い違いが出てしまい、およしさんが腹を立てて、もう一度算用し直せと世話方に問い詰めると、そばにいた庄松さんが、「やめとけやめとけ、その算用より急ぐ算用は如来様への御報謝が不足していることじゃ」と言われ、一同恐れ入って、信心を喜んだそうです。

◇お金の争いというものはみにくいものです。世間の損得勘定には皆、眼を輝かして口から泡を飛ばす程に関心があります。せっかくご法義相続のために建てられたありがたい庵がお金のことでもめてしまって、その算用ばかりに目がとられている同行の方々にお金の不足より御報謝の不足をいましめた庄松さんでした。


 寒さがつよいと酔いがまわらぬ

◆ある同行さんが庄松さんに向かって「私はどうしても信心が喜べん、どうすればよかろうかの」と言うと庄松さんが「飯を食わずに腹が膨(ふく)れるか、酒を飲まずに酔うことができるか」と言い、「信心も頂かずして有り難くなれんだろう」と答え、続けて「でもあまり寒いと酔いも回らんわい」と言われたそうです。

◇歎異抄の中で親鸞聖人も弟子の唯円(ゆいえん)に同じような質問を受け、親鸞聖人ご自身も同じ思いであることを告白しています。そして、人は煩悩を持った凡夫であると示され、それ故に阿弥陀仏の本願にかなう身であることを説かれています。庄松さんもたとえ話を持って信心の頂き方を話していますが、ふと我にかえって「あまり寒いと酔いも回らんわい」と言い放ち、お互いに有り難い教えを頂いても素直に喜べない、煩悩の強い身であることを述べられたことと思います。
 


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