
その2「伝わらない言葉」
湾岸署は思えば不思議な所轄だ。
通称空き地署と呼ばれるが、湾岸署だけが持つ雰囲気がある。私はココに来ると感慨深い物を感じる。私を大きく変えた場所、まるで母校に来るような・・ここに関わったのは一時の間だけだった。その間もココだけではない、他の所轄にも行っていた。なのにココだけがいつも特別だった。
今日湾岸署管内で事件が起きた。いままでとりあつかってきたどの事件よりも規模が大きくなるだろう。物々しい雰囲気があたりをつつむ、私も降り立つ。今の私は肩書きをだけを持ち歩くただの役立たずだ。権限のない人間は何も出来ない、徹底された縦社会の中で生きる宿命のような物だ・・・。
悲観している訳ではない、今の私では当然の立場だからだ。そこからのし上がっていって、始めて自分の満足のいく仕事が出来る。
だが、ここ(湾岸署)の連中はそんな目では私を見はしない。そんなしがらみを打破する為に私の存在を容認していた。そんな私がしがらみに囚われていては・・・見切られたに、違いない・・・。
背筋を伸ばして前を向いて歩く。肩に少しだけ力を込めて堂々と歩く。間違っていない、後悔はしない、あきらめていない。
上に行く為に出来る限りの最大限の努力をする。
「何をしているんだ!」
捜査会議室の入り口の辺りで黒だかりがある。
湾岸署の正義感と好奇心に溢れた若者達が会議室を覗いていたらしい。
前の方で言い争いをしている。相変わらずの彼等に少しだけ安堵はしたものの、心の底で痛いモノが走る。あの日以来だった、彼等にとって私は敵対するべき人物になっただろう。
目線、青島と目があった。お互い反らさない。
「なんで所轄に情報が降りてこないんですか!」
青島は私の顔を見ると、そのセリフが自然に出るようになっているのかもしれない・・・聞き慣れてしまった台詞。その裏に隠された意味を読み取る。期待を裏切られた事に対しての非難、困惑と疑惑と、まだわずかな望みは持っているという意味の込められた台詞。
今ここでし何一つ答えてやれない、私にはまだ力がない。
痛そうだったし、苦しそうだった。
何でもいいから一言でもいいから楽になる言葉、しゃべって欲しかった。そういう事にかぎって何も言わない。あの日以来はじめて会った。やっぱりあの日に、無理やりにでも会って話をしておけば良かった。
「室井さん、本当にかわっちゃったんですね」
真下が閉じられたドアをみつめてぼんやりという。こいつはこうみえて結構毒舌なんだ。思った事をすぐに口にする。
「そんなはずないだろ」
ちょっとムッとした。俺達が信じてあげないでどうするんだ。
「・・でも・・」
さらに何か言おうとする真下の顔をみておもいついた。
「・・真下くん」
「なんです?」
「本店の友だちいない?」
そういった俺の顔をみて、嫌そうな顔を隠さない。
「また、ですか?」
まぁまぁ
「今度 雪乃さんの歓迎会、交通課の女の子とかさそって盛大にしょうかなぁって思ってるんだけど」
「センパイ、そういうと僕が動くと思ってるでしょ?」
「あれ?ちがう?」
「ちがいませんけど・・・。」
押しに弱い真下はこちらのペースにすぐに乗せられる。いい調子だ。
「なにしてんのよ!二人とも!!早くきなさい!」
可愛い顔して怒ると恐いすみれさんが、青筋たててどなってくる。ほ〜ら こわいだろ?
「ほらほら、すみれさんの不機嫌を早く直してもらう為にもさ!」
「え、でも・・」
グスグスとしぶる真下。
「彼女恐いじゃない?僕らの平和を守るためにもさ、じゃ、頼んだよ!」
ポンと背中を叩いて走り去る。多分真下はこれで動いてくれるだろう。
本店での室井さんの情報を得るために、ここは真下の人脈を使うしか方法はなさそうだ。
残念ながらどこまで仕入れられるか判らないけど、少しでも室井さんの事知りたい。
取り残された真下は、怒ってズンズンといってしまうすみれと、その後ろを飄々と小走りいく青島の背中にひとりごちた。
・・・・センパイ・・すみれさんを余計怒らすような事になるかもしれないってのは、考えてないんですね・・。
小心者は小心者で思慮(?)があるらしい。ただしこの場合は無用な心配ではある。
相変わらず意味の判らない仕事だけは所轄に降りてくるけど、もうそれは仕方ないって思ってる。(新城管理官のおかげかな?)まだまだ長い目でみなきゃ駄目なんだろうなぁ〜って思ってる。室井さんが上に行くまでは辛抱の日々だ。
そう、判ってる。判っているけど・・・僕らがこんなにあなたに期待してるって事、あなたは判っているんだろうか?
自覚してますか?
なんだか擦れ違っているような、宙に浮いたような気持になってくる。
室井さんの事を考えている時の自分は、疑問ばかりを浮かべてるなって気がついた。
こんなのは、自分らしくないなここはひとつこっちから仕掛けないと駄目かもしれない。
この事件が解決したら話・・出来るかな?
振り返って閉じられたドアを見る。早く事件解決すればいいなぁ
なんだか殺人的に忙しい・・・・。
勢いとパワーと力技でもって乗り切っているようなモノだ。
警察官は考える猟犬だ。なーんて言葉があったような気がするけれど、すでに「考える」の部分が機能しなくなってるかもしれない。
人間には適度な休憩と睡眠が必要だよな・・・署内でノンキに育ってる太陽を知らない観葉植物に話しかけてみる・・・・空しい。
忙しいのは俺だけじゃないさ・・・涙を飲んで次の事件へ・・・・事件が俺を待っている〜・・誰も聞いちゃくれないか・・(涙)
被疑者を取り逃がした。
自分が思う様に出来ない。どれもこれも心のなかで「そうじゃないんだ!」って思ってるのに、口に出せない、行動がおこせない。
「決めたのは室井さんだ。」
新城の言葉が現実として立ちはだかる。力のない人間、決定権を持たない人間、実権のない人間はどんなに足掻こうと何も出来ない。生き残る道は一つしかない。夢を見たり理想を持ったりする行為自体が無駄で無謀で意味のない事だと・・・。
選ばれた人間だけが権利を掌握できる現実。
ふと、青島達の事を思い出した。彼等もこんな気持をかかえていたに違いない。
会議室に居たくなくて部屋から出た。この失敗でこのお飾りの役からも降ろされるだろう。
被害者を取り逃がした。
一瞬の隙だった。タイミングが悪かったんだ。目の前に犯人が居たのに他の事に気をとられて・・・その隙に逃げられてしまった。
なんてこった。なんだか、何もかもがうまくいかない。
休憩室に行って自販機のコーヒーを乱暴に押す。なんでもいいからこのやりきれない、憤った思いを抑えたかった。
「こんなトコロに居ていいんスか?」
「・・・・・・。」
ふりかえって・・・・・ビックリした。
『署内にある休憩室に行ったら室井さんが座っていた。』なんて・・・。署内で会わない場所、上位ランクインしそうな場所だっただけに本当にビックリした。
室井さんは俺とは顔の見えない反対側の椅子に座っている。声をかけてもふりむかない。
だけど・・・その背中が何かを伝えようとしているのが判る。言葉の少ない人、伝えようとしている意思だけが痛い程判る。
わざと隣には座らずに背中越しに座る。少し緊張したけど、それを悟られないようにトボけた調子で語りかける。
「そっちも大変みたいだけど、こっちも大変です。下は下でね・・・・あ、今のはイヤミです。」
何から話していいのか判らない、言いたい事は沢山あるのに、旨く伝えられない・・・。
ちらりと盗み見るように顔を覗いてみる。腕を組んで動かない、ずっと何かに耐えるように動かない。
「すまない・・・がんばって・上にいったのに・・・」
ポツリと言った。耳を疑った。こんな言葉が出るなんて思わなかったから「自分の・信念さえも・・・貫けない。」しぼりだすように語る室井さんの言葉に、胸をえぐられるような気分になった。
どうして、この人は!
何もかも自分の中で完結させて、一人で悩んで苦しんで、辛いなら辛いと言えばいいっ苦しいなら苦しいっていったって責めはしないのに、そうやって一人で耐えてしまう。
胸の中で何か駆け巡る。とても落ち着いてなんていられなかった。走り出してしまいたい衝動、暴走に近い気持が胸を騒がす。
すべての思考の中心が、今背中合わせに座っている彼に集中している。あなた一人に辛い思いをさせない、俺のあるだけの力で貴方を守りたい、救いたい。
こんな気持は身勝手だろうか?
動かない室井さんの気配を背中越しに感じる。
背中ごしに青島の気配を感じるだけで、気持が落ち着いた。
いつもと変わりの無い彼に、癒される思いだった。
こんな気持を彼には絶対に知られたくないけれど、やはり私は彼に頼っているのかもしれない。
どんな手段で何をどう伝えれば良いのか、ただ気持ちだけが先走る。「・・・俺が認めた男だもの」
窓から夕日が差し込む。顔がよく見えなかったけど、青島のその時の表情は目をつぶっていたって判る気がした。
きっとこの男は笑っている。瞳のおくには誰にも揺るがすことのできない強い意志をもった光を宿しているにちがいない。
それが青島という男だと・・自分を突き動かす衝動に素直な彼を羨ましいと思った事がある。憧憬を感じたこともある。嫉妬・・していた事もある。
不思議に忘れられなかったその瞳、笑顔、声、言葉、行動、姿。
差し出された缶コーヒーを握りしめてその場をたった。沸々と込み上げてくる何かに、ジッとしていられなかった。いつも心に念じていた言葉『負けてたまるか』
負けてたまるか。
・・・あ、室井さんだ・・・。
誰にも屈しないその姿勢が好きだ。どんなに困難な壁がたちはだかろうと決して負けないし、曲げないのが室井さんだった。
今、目の前に居る人が、この人が室井さんだ。
真直ぐに射ぬく視線を受け止めて見返す。
面と向かって視線を交差させるのに、こんなに緊張するのはこの人だけだ。
こんなに勇気がいるのは、この人だけ
序章
その1「わかれる道」
その2「伝わらない言葉」
その3「踊り続ける人形達」
その4「届かない」
その5 「遠いまぼろし」
その6 「虚像の願い」
その7 「背徳と事件」
その8 「夢を見るなら、良い夢を」
終章
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