7.人の目と機械の目の違い

人の目と機械の目の違い

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 溶接現象の物理的把握を主眼にすると、光波長特性など取り扱う色と強度に対して正確に計測して定量化することが重要となります。技能の可視化など熟練者の技を初心者に分かり易い形で表現することも重要です。いずれにしろ、人の目の役割と仕組みに対して機械の目の役割と仕組みがどう違うのかを理解することは大切です。人の目だから経験する現象やできることに対して機械には難しくてできないこと、あるいは、人の目には通用すること(=だませること)としないことなどなどに対する知識が必要となります。
 人は生きてきた状況・環境で得た知識と興味により強い思い込みを持ちます。一卵性双生児であっても、一緒に暮らしている家族が見ると、微妙な表情変化や挙措の違いにより両者を明らかに識別できます。日常的に見慣れている人々を判別することはそう難しいことではありませんが、突然見知らぬ外国にいった場合、目にする人々の顔が殆ど同じに見えてしまいます。
 人は挨拶での応答・声の抑揚や服装などで、相手の感情や興味の対象について思いを巡らし、認識すべき対象を焦点化して最適な応答を自然に試みます。一方、機械の目にそれらの情報を与えて、適切に認識させるためには、多大な準備が必要となります。最初に溶接現象を研究し始めた時代は、高速度現象を撮影するためには16mmフィルムを用いることしか方法はなく、撮影可能な対象も厳選するしかない状況でした。デジタル撮影が可能になった時点でも、データ量や解析手法に限界がありました。幸い、現在では高速度ビデオカメラの能力は非常に高度化されており、現象の解析手段も豊富に存在しています。それでも、基礎的な事象を理解しておくことは必要です。
 人は「光」の「明るさ」と3種の錐体による「光」の「色」(=光の3原色)を感じていること、そしてそれらはすべて脳の中で経験と学習により判断していることが分かっています。明るさに関する刺激の変化量ΔIは刺激の強さIに比例します。

ΔI = k I (Weber-Fechnerの法則)

 この式から簡単に類推されるように、知覚される明るさの感覚量Eと刺激の強さIは対数に比例することなどが知られています。

E = K log I + C

 人は赤や黄色を見ると暖かさを感じ、青や青緑を見ると冷たく感じます。このように温かさを感じる色を暖色、冷たく感じる色を寒色と言います。更に同じ大きさの四角でも、黒のほうを小さく感じ、白のほうを大きく感じます。このように、色には膨れて見える色と収縮して小さく見える色があります。明るくて暖色系の色相の色を使用しているほうが膨張して見え、暗く寒色系を使用している場合は収縮して感じられます。距離感や大きさを比較する場合には、この感覚の違いを意識しておく必要があります。カメラにも類似の現象はあります。明るい球を撮影した場合などに、実際の境界より膨張した映像が得られ、処理を上手にしないと実際の面積より大きくなってしまうことが良くあります。
 一方、ヒトの眼には大きさのみでなく立体感を感じる能力もあります。黒を小さく感じるだけでなく、中央が暗いとその映像は中心部が堀り下がった底の方と感じ、明るいと上に出っ張っていると感じます。このような認識は自然環境ではぐくまれてきた知識により生じています。実際には、DNAの中に蓄積されている本能的な領域と、生まれて成人するまでの間に刷り込まれる知識の領域との関連は今でよく分からない領域だと私は思っています。錯視現象はこれらを解明する上で非常に興味深い領域です。本章では、錯視現象と呼ばれる人の感覚に関する現象を示します。
 色の好みは、年齢、性別、個性、職業、社会環境、民族により違います。性別や年齢によって好まれる色調が異なり、男性は濃い色や暗い色を、女性はデリケートな色味、明るい色、淡い色を好む傾向があるといわれています。夏の暑い季節には寒色が好ましいし、冬の寒い季節や寒冷地では暖色が好まれる傾向があります。また食品に多い色相である暖色や緑色は食欲を増す傾向があり、寒色や紫色は食欲を減退させる傾向があります。このように食欲感は好みの食物との色彩連想と関係があります。匂いの方が脳により強い相関があるとの意見もありますが、最近の意識と脳とに関する研究の進展には目覚ましいものがあります。色覚聴覚触覚などは、体で覚えている部分が多く、言語で表しにくい領域が多く含まれています。しかし、学習により他者と感覚を共有するためには、言語と標準となる参照物が必要となります。交通信号の青は実際には緑色ですが、交通標識として他者と情報を共通する場合には、日本人は社会慣習として青として表現します。科学は言語の定義が明確でないと成り立ちませんが、分野あるいは対象が異なると同じ言語でも異なる意味を有します。異分野の人々が討論する場合に、この意味の食い違いにより対話が成り立たない場合が多くあります。特に意識と言語に関する研究分野に、食い違いが目立つようです。
奇想天外な目と光のはなし, 入倉隆, 雷鳥社(202203)がお勧めです。目についての包括的な理解が出来ます。色と光の科学, 小島憲道,末元徹(講談社202310)もお勧めです。物理的な知識だけでなく、生物学或いは化学に関する知識も勉強すべきことが痛感できます。

次ページ   2014.10.10作成 2024.2.18改定

小川技研サイト
ヒトの目と進化

 マーク・チャンギージーによる"ヒトの目、驚異の進化 /視覚革命が文明を生んだ" はじっくり読むべき書籍です。通常の理工系の人はまず読まないジャンル=進化神経生物学の本です。進化の観点から知覚理論を体系的に整理し、運動(変化する現象)を効率的に空間認知する上で錯視がどのように作動するのかについて新しい情報を得ることができます。
 クオリアはどこからくるのか?(土谷尚嗣)は、最近の意識研究の内容が分かりやすく解説されておりお勧めです。意識不明の脳損傷患者の中に、見舞いの人の言葉を理解している人がある程度いるとの俗説が科学的に立証されていることも書かれています。

身ぶりと言葉

 この書籍("身ぶりと言葉"アンドレ・ルロワ=グーラン/著,荒木亨/訳, 新潮社)は題名とは裏腹に、人類の進化をどのように解析してきているのかを 体系的・網羅的に取り扱い、最近の人類学関係の書物では理解できなかった事(少数の発掘骨格から何故断定的な判断が出来るのか、統計的な誤差をどのように解釈しているのか)が理解できました。
 最近の解析技術(DNA関連)進化のはるか前の書籍であり現在の知識からは少しどうかと思われる記述もありますが、非常に幅広い見地で論述されており、著者のそのほかの著作が日本ではほとんど紹介されていないのは非常に残念です。
 道具と言語活動との結びつきに関しては、「人間はその思考を実現することができるようにつくられている」と喝破し、言語を「思いを実現するための技術」ととらえ、その周辺で線的な刻印技術や絵画表現が如何に隣接して発展したのか考える視点が印象的です。 "深海学"ヘレン・スケールズ/著,林裕美子/訳,築地書館は最近の解析技術の知見も豊富です。