高気圧アークの諸現象

5.6 高気圧アークの諸現象(まとめ)

前ページ

 アーク溶接に及ぼす雰囲気圧力の影響を調べる最初の方法は、電極−母材間距離を一定にしてアーク電圧を調べることです。アーク電圧に影響する因子は、(1)プラズマ空間の電圧降下と(2)電極−プラズマ界面の電圧降下及び(3)プラズマ−母材間の電圧降下になります。通常は、陰極降下と陽極降下は定数のように取り扱いますが、現実には両者の界面では非常に複雑な物理化学反応が生じており、実際にどのような反応が生じているのかを明らかにするのは非常に困難です。
 右図に示しているのは、電極−母材間距離(アーク長)が一定とみなせる3種類のアーク溶接・切断法における雰囲気圧力とアーク電圧との関係です。この図では、両方の軸とも対数で表示しています。GMA溶接(四角印)は、300Aアルゴンシールドでアーク長5mmと10mmの場合について表示しています。両者ともほぼ直線関係が成立し、アーク長が長いほうがアーク電圧が高いという分かりやすい結果が得られています。
 酸素アーク切断(菱形印)では、電極−母材間のフラックスにより、常に電極と母材との距離は同じとみなせます。アークは切断溝内部に伸びているため、厳密には雰囲気圧力が変化するとアーク長も変化はしています。アーク電圧自体はGMA溶接とほぼ同じ傾向を示しています。切断電極をマイナス(黒四角)にした場合には、プラス(灰色四角)にした場合よりアーク電圧は高くなっており、陰極降下と陽極降下とで違いが存在することが示唆されています。雰囲気圧力が増加するのに伴いアーク電圧が増加する傾向は共に同じで、電圧増加の傾きはGMA溶接とほぼ同じになっています。
 アルゴンシールドのGTA溶接(丸印)は、トリア2%入りのタングステン電極を用い軟鋼材を溶接した場合の2種類の電極−母材間距離(3mm=青色, 1.5mm=空色)のアーク電圧を測定した結果です。こちらはどちらも若干右肩上がりの傾向を示しています。このシリーズは1970年代後半に測定した結果で、アーク領域の映像記録は取得していないため、溶融池の状態も判然とはせず、詳しい解釈は不可能ですが、プラズマの緊縮の他に陰極領域と陽極領域の圧力による影響を強く受けています。赤色破線は図の対角線を結んだ線で、この傾きがアーク電圧が雰囲気圧力の平方根で増加した場合の傾きです。実測された電圧の増加傾向は雰囲気圧力の1/2乗ではなく、概ね1/4乗であり、陰極及び陽極降下にも雰囲気圧力が大きく影響していることがわかります。
 圧力が1気圧より低い条件でのGTA溶接では、圧力が低下するとアーク電圧は変動しないかあるいが増加する傾向を示します。低気圧溶接では、チャンバ内を真空にした後所定圧力のシールドガスを封入し、アーク発生中はシールドガスを流さない条件で実験を行っています。大気圧でシールドガスを流す場合と流さない場合とを比較すると、シールドガスを流さない方がアーク電圧が高くなる傾向を示しています。
 大気圧以上の高圧環境では、電極素材の違いがアーク電圧に与える影響はほとんど無いように思われます。しかし、1気圧より低い雰囲気圧力では素材によりかなり異なった結果が得られました。
 雰囲気圧力が高い場合には、陰極点はアーク先端部に集中し、電極素材が異なってもアーク形状は比較的同じ形状となります。このため、アーク電圧には電極−母材間距離が大きく影響します。一方、低気圧雰囲気で、電極−母材間距離が短い場合には、プラズマから影響される電極温度分布とその温度分布による電極の電子放出特性に、アーク電圧は大きく影響されます。右図に示されているように電極−母材間距離が3mm以下の場合には、アーク電圧はほぼ同じ値を示しており、電位の変化は電極部近傍のプラズマによる影響が大きいことを示しています。
 右図はGTA溶接においてシールドガス流速とアーク電圧との関係が電極素材によりどのように異なるのかを示しています。アルゴンガス流量が10L/minから30L/minまでのデータは、電極−水冷銅板距離を3mmとし、圧力チャンバを開放した状態で100Aのアークを上に発生させて測定し、流量0の場合には高圧(真空)チャンバ内をアルゴンガスで置換してシールドガスは流さずに測定した結果です。高圧溶接とは異なる目的で実験したシリーズで、電極先端角度は30度と非常に尖った状態にした測定結果であるため、シールドガスが流れていない場合にはアーク電圧が高く測定され、トリア入りとセリア入りとでアーク電圧はかなり異なった結果となります。シールドガスが流れている場合には、電極とプラズマの双方が冷却されており、素材やガス流量の違いは少なく、流量が大きすぎるとアーク電圧は若干増加する傾向を示しています。
 右図はGMA溶接とGTA溶接で発生するヒューム量が、水深でどのように変化するのかを両軸ともデカルト座標で示しています。GTA溶接ではアルゴンよりヘリウムの場合に発生するヒューム量は多く、この図では電極−母材間距離3mm電流300Aのヘリウムシールドの結果を示しています。GTA溶接で発生するヒューム量は水深に比例して増加しています。
 低電圧小電流(21V150A)のショートアーク溶接では、水深に関わらず発生するヒューム量はほぼ同一となる傾向を示しています。また、各水深で電流(300A)と電圧(31V)を一定値に保った場合にも、発生するヒューム量は水深による影響をほとんど受けていません。アーク長(6mm)を一定にした場合には電極がプラスとマイナスとで大きく異なる傾向を示しました。電極がプラスの場合には水深が増加すると発生するヒューム量は増加し、逆に電極がマイナスの場合には発生するヒューム量は減少します。
 右図は酸素アーク切断で水深が増加すると各種の切断指標がどのように変化するのかを示した結果です。限界切断速度、電極消耗速度、アーク電圧及び切断酸素流量の各指標はそれぞれ水深30cmのときの値を1として、各水深での値を水深1mのときの値の比で示しています。電極消耗速度とアーク電圧及び切断酸素流量は水深が深くなり雰囲気圧力が増加すると右肩上がりで増加しています。限界切断速度は最初は右肩上がりで増加しますが、水深100m程度で増加率は減少し。水深200mでは低下する傾向を示しています。切断電極先端部は、切断電極のフラックスと切断材とで囲まれた坩堝の中に存在する状態で、電極先端部の酸素圧力はほぼ雰囲気圧力に等しくなっているため、一定電流値で比較すると切断電極の消耗速度は水深に応じて増加します。切断速度については、切断酸素を水深相当圧+1MPaにしているため、酸素流速が水深圧力の増加と共に減少します。特定の水深まで到達すると、切断酸素流の溶融させた金属を除去する能力が減少し、限界切断速度が低下していく傾向を示します。
 以上示してきたように、アークプラズマは雰囲気圧力の影響を強く受けます。特に切断の場合には用いる流体の流速に切断能力が依存する場合が多くあります。

高圧トップ   2017.5.6作成 2020.1.26改訂

目 次
プラズマ物理学
 趣味の世界に耽溺し数多くの高速度写真を撮影してきましたが、思うようにはきちんとした整理が出来ていません。ハッブル宇宙望遠鏡の天体写真集などを眺めると、きちんと整理してあり、「やはり人手とお金をかけると良いものが出来るのだな!」と感じます。
 プラズマ物理の入門的教科書には分かりやすいものはほとんどありません。最近はHPが便利に使えるようになっているので、プラズマ関連教師への検索手引きに張ってあるリンクから希望する分野を探すのが便利です。
知識・暗黙知
 書籍や映像から多くの知識を得ることが出来ますが、それらは疑似体験に過ぎず、体で覚えたものと結びつかないと、きちんとした理解が難しいように感じています。同時に、異なる国の文化や意識についても、その国で1年は暮らしてみないと上っ面の理解しかできないようにも感じています。
 ラングミューアーとブロッカーによる「生命の惑星」は、物事を論理的に考える上でとても役に立つ本です。公式だけを暗記して理解したつもりにさせる日本の教育について考え直すのにも最適な書籍です。水中加工技術を専門にしてきたのでそれなりに圧力の効果について考えてきたつもりですが、まだまだ表面的にしか考えていなかったことを痛感しました。
 西村三郎による「チャレンジャー号探検/近代海洋学の幕開け」を久しぶりに読み返し、近代科学が始まる前の時点で、地道な努力がなされ、物事の本質に迫る営みを行うことの重要さを思い返しました。  溶接・切断は極めて短時間に物事が進行する過渡的な事象です。このため、反応速度に関して考えなくなるきらいが有ります。非常に狭い領域で多くの元素が反応する複雑系であることも科学的な解明が難しい理由です。「生命の惑星」で取り扱っているのは非常にゆっくりとした地球科学の物理化学的な現象の進行についてですが、ものごとを論理的に取り扱う説明は有益でした。
 BBSの探偵モノはかなり視聴していますので、本から得た歴史や産業構造・文化の知識に照らし合わせて、英国の文化に関して少しは理解を深めたのかなとは思いますが、技術関係の書籍を読んでいて思わぬ事実関係を見つけると、上っ面のエピソードしか理解出来ていないことを痛感します。