高気圧アークの諸現象

5.1 高気圧アークの基礎

 水中溶接では、接合する金属は高温に熱せられて溶融しているため、溶接している最中に、接している気相から多くの成分が溶融金属の中に吸収されます。水深に応じて雰囲気圧力は高くなり、その圧力に応じて溶融金属中に吸収される量は多くなります。
 大気中の溶接中では、溶接対象構造物と周囲の空気との熱交換はさほど密接ではなく、溶接部近傍は高温度になります。一方、水中溶接では対象の構造物は水中に存在しているために、周囲の水との熱交換は密接であり、溶接部から少しはなれた領域では、構造物は水温と同じ温度に保たれる傾向があります。溶接中には、周囲の水により溶接構造物は強制的に冷却され、熱影響部などは大気中に比べて硬くなります。
 溶接を実施する部位の環境圧力は、水深が10m深くなるごとに1気圧増加し、気体粒子相互が衝突する頻度は高くなり、気体同士及び気体と固体との熱交換は頻繁になります。気体成分同士の衝突確率の増加は、成分が電離する状況にも大きく影響します。その結果、高気圧下でのアーク現象は大気中の場合とは相当異なり、雰囲気圧力に応じた適正な作業条件を設定するために、多くの知識が必要となります。水中で適用される溶接・切断作業には多種類の方法があり、雰囲気圧力の影響の現れ方はそれぞれ異なります。この章では、典型的な水中溶接・切断法において観測される雰囲気圧力の諸現象について紹介します。
 GTA溶接は、アークの安定性が良いことや自動化が容易なことなどから、高気圧溶接に多く利用されてきました。従来は手溶接が主流であったことから、潜水作業士に麻酔作用を及ぼす恐れのあるアルゴンガス(以後Arと表記)をシールドガスとして用いることは敬遠され、ヘリウムガス(以後Heと表記)がシールドガスとして用いられる傾向がありました。しかし、高気圧環境でHeをシールドガスとして用いると、アーク起動が困難になることや、アーク電圧の増大、電極消耗量の増大、ヒューム量の増加など多くの問題が生じます。Arでも同様な問題は生じますが、その影響はHeに比較して小さく、Arを用いた自動溶接技術が積極的に研究されました。特に厚板の開先溶接の初層溶接では、GTA溶接が必須な溶接技術でした。しかし、最近では水深圧力が溶接施工に及ぼす影響の比較的小さいレーザ溶接技術の発展、特にレーザを併用したハイブリッド溶接の急速な進展により、GTA溶接はほぼその役割を終焉しています。
 高気圧中でのGMA溶接では、アーク内の電位傾度は高く、溶融池の振動などによる僅かなアーク長の変動でアーク電圧は大きく変動します。水深30mを超えた高圧力環境では、アークは不安定になりやすく、雰囲気中に放射される熱エネルギも非常に大きくなります。GMA溶接は大量の溶接金属を溶接部に供給できる効率的な溶接法で、特に厚板の開先溶接では重要な技術です。こちらもレーザと併用したハイブリッド溶接技術の進展により、狭開先高効率化が進展し、GMA単独で用いられることは半自動溶接に限定される傾向があります。また、水深が500mを超える大水深石油・ガス生産が普通になった現在では、アーク溶接は敬遠される傾向にあり、人手を用いない機械的な接合を実施することが増えてきました。
 溶接では、アーク放電を安定に持続させることと、高温の溶融金属へのガス成分の過剰な浸入を防止するために、溶接部近傍を不活性ガスでシールドします。切断では、溶融した金属を吹き飛ばして分離させるため、溶接に比較すると周辺のガス成分が溶融金属に浸入する事態はあまり問題とはなりません。逆に酸化反応を利用した切断法では、酸素分圧の増加は切断効率向上の一因ともなります。同時に、周囲の水による強制冷却は、熱源緊縮による高エネルギ密度化とともに熱変形の防止にも役立ちます。これらのことから、積極的に水中に没した状態でアークを利用する切断法が多くあります。
 水中切断では、切断手法(原理)に応じて水深圧力の効果が異なるため、溶接とは異なる現象が生じます。溶極式ウォータジェット切断法は、消耗電極と被切断材との間にアークを発生させ、同時にアーク領域に高速度で水を噴出させることによりアークの緊縮高密度化と溶融した金属粉を吹き飛ばす効果を利用した、典型的な水中切断法です。電極と母材間のアーク長は高速度のジェット水の影響でかなり短くなっており、水深の影響は受けにくい切断法の代表です。この切断手法において観測された雰囲気圧力の諸現象について紹介します。
 ガス切断は母材である鉄の酸化燃焼反応を利用するため、酸素分圧の影響を強く受けます。しかし、酸化反応を維持・保護するための予熱炎の燃料ガスが高圧では不安定となり爆発する危険性、あるいは液体状態になりガス化しない、などの問題点が多くあり、ガス切断単体を高水深で利用することはありません。酸素アーク切断ではアークによる熱と酸化反応を利用するために、切断性能は雰囲気圧力に大きく影響されます。ウォータジェット切断は高圧力で水を噴出させると同時に鉄粉あるいはガーネットなどの切断補助材を併用して、その機械的エネルギを利用して鋼材を切断します。ジェット水の流出には元圧と環境圧との関係が重要で水深によりその切断性能は影響を受けます。水深圧力がこれら各種切断手法の切断現象にどのような影響を及ぼすかについて紹介します。

次ページ(5.2 GTA溶接)   2013.12.20作成 2020.1.26改訂

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溶接基礎目次
手法の名称
 日本では溶接法の名称を伝統的にティグ(TIG)溶接、ミグ(MIG)溶接、CO2溶接と表現されています。現在は、さまざまなシールドガスが用いられるようになり、従来のシールドガスの種類で分類する呼び方では、混乱が起きることがありますので、ここではシールドガスに関係ない呼び方である、GTA溶接、GMA溶接を用いることにしています。
水深圧力・浮力
 気体は圧力が増加すると収縮します。一般に液体中には多くの気体成分が溶け込み、圧力の増加により液体中に含まれる気体成分は増加します。減圧過程が急激であると、過剰に含まれている気体成分が気化し、生体の循環器系に悪影響を及ぼすことがあります。
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