3.12 気体と液体の界面で作用する表面張力
液体は分子が凝集した状態なので、それらの分子は互いに引き合っています。この引力が熱的な揺らぎよりも優勢なときには、液体から気体へ飛び出す分子より、気体から液体へ飛び込む分子の数の方が多くなります。マクロ的に平たく言うと気体が液体に変化します。しかし、実際には蒸発と凝縮とが同時に生起していて、液体の温度が気体より高いときには、蒸発する量の方が多く、その逆の状態では凝縮の方が多くなります。液中では分子には全ての方向から凝集力(引力)が作用しています。気体との界面では液体側の半分からしか凝集力相互作用が働きません。結果的にこれらの相互引力により、液体は形を調節して露出する表面を最小にしようとします。
ここで、凝集力(引力)と書きましたが、力の実態については今一つ理解できていません。自然界には四つの力が確認されており、その内の二つの力が粒子間に働く(1)電磁力と(2)重力で、何故それらの力が働くのは理解できていませんが、実際に相互作用が存在することは実感しています。アーク溶接現象に密接に作用するのは、主に(1)電磁力で、(2)重力も無視できません。残る二つの力は中性子、陽子、電子その他の素粒子間に働いている、(3)強い相互作用と(4)弱い相互作用です。この二つの力については用語を知っているだけで、物理学で研究されていて、力の作用範囲が 10^-5nm以下であることしか理解できていませんが、アーク溶接現象に直接には影響しません。
液体は流動し、平衡状態ではもっとも安定な形(露出表面が最小な形状)に落ち着きます。その結果、水の中の油滴やシャボン玉は球形になります。その表面は原子のスケールで見ても滑らかで、金属表面の凸凹面とは対照的になっています。液体の表面は張り詰めた膜のようになっていて、その状況を主に支配する因子が表面張力です。
アーク溶接現象においては、溶融池や溶接ワイヤの溶融部には表面張力が作用し、右高速度写真に示すように、様々な面白い現象が生じています。また、表面張力は溶接ビード形状にも大きく影響し、溶接金属の機械的性質にも影響が生じます。
右図の上方にある溶接ワイヤには、内部を流れる電流(約290A)によるジュール加熱が作用し、同時に電子やイオンを含む周囲の高温プラズマ粒子がワイヤ表面に衝突して物理化学的作用により加熱されます。溶接ワイヤの中には鉄の他に炭素などの気化しやすい成分が存在し、一旦溶滴内部で気化するとその体積の増加により風船のように膨張し、内部圧力が表面張力より大きい場合には上図に示すように急速に膨張して破裂します。破裂(分裂)した粒子成分は表面張力により小さくまとまります。上図に示した現象は溶滴の離脱・飛行現象を観察するためのもので、アーク長が実際の溶接よりかなり高め(約25mm)に設定されて、撮影速度は毎秒5千フレームです。
水道の蛇口から流れ出る水は、蛇口近くでは細長い柱のようになっていますが、途中から括れが出来、下の方では小さなばらばらな塊に分裂します。このような現象は表面張力の説明に良く使われますが、アーク現象でも時たま見かけることがあります。上図の下半分(b1,b2,b3)にその状態が存在しています。ワイヤ形状を保って分離した溶融ワイヤが、落下中に表面張力により小さな溶滴に分離している状況が撮影できています。(b2)では大きな溶滴の間に微小な液滴が見えています。この小さな溶滴は最初にこの現象を注意深く研究したプラトーの名前を用いて、プラトーのビーズと呼ばれています。
水滴の場合には温度が一定で重力と表面張力とが主要な因子です。アーク溶接の場合には、通電過熱による温度上昇や電磁気力が作用している複雑な過渡現象となります。特に液滴が離脱する瞬間には、液滴を保持している上部の細いワイヤを流れる大電流密度によるジュール加熱が存在しています。下図にスプレー移行における、液滴が溶接ワイヤ先端から離脱するときにプラトーのビーズが観察された高速度写真の典型的な例を示します。
上図(1)から(9)までがワイヤ先端部の溶滴が成長する期間、(10)の瞬間に溶滴がワイヤ先端部から離脱し、溶融池に落下していきます。水道口の液滴の場合には重力による自由落下ですが、溶滴には電磁気力も作用します。高速度映像は950nm近辺の近赤外領域の光のみを透過させる干渉フィルタを用いて撮影(2kframe/sec)しているので、一種の熱画像で白く撮影されている領域の温度は暗い領域より高いことになります。
アークプラズマからの放射もかなり高く、溶滴を確実に離脱させるために離脱直前の大電流を流している期間(1−3)には、プラズマからの放射光がかなり強く溶滴の形状を見分けにくくなっています。溶滴が成長し体積が大きくなると重力が強く作用してきます。この結果、右上から左下に供給されている溶接ワイヤの送り方向ではなく、溶滴は下方向に垂れ下がる傾向を持ちます。この溶滴はワイヤ先端の細い首の部分の表面張力で支えられています。この細い首の領域に大電流が流れるとジュール加熱により温度は上昇し、輝度が上昇します。(8)の写真では溶滴との接点部分が少し下方に変形していることが見て取れます。(9)から(10)の離脱の時点で、溶滴は上端部でのワイヤからの保持力が喪失し、形状が保持されているときの下方に少し伸びた楕円球から表面張力主体の球形へと変形します。ワイヤ先端部分も支えていた溶滴が離脱したことにより、下方への引力が喪失し、自身の表面積を最小にする方向で運動を開始します。結果的に表面張力は上方へと移動する力として作用します。しかし、全体の運動モーメントは下方へと作用していたため慣性力と競合し、結果的にプラトーのビーズと呼ばれる小さい溶滴が中間部に形成されます。
溶滴移行現象にはアークと通電による電磁気力が大きく作用します。下図は私が始めて高速度ビデオカメラを使用し始めた1993年頃に撮影した映像を示します。カラー映像のように見えますが、白黒ビデオカメラに近赤外干渉フィルタを用いて撮影した映像を擬似カラー表示しています。変化の状態を直感的に理解しやすくすることを考えて、本来の輝度映像を青色で表示し、前のフレームより輝度が高くなっている画素には赤色を強調して張り込み、輝度が低くなっている画素には緑色を張り込んでいます。輝度が階段状になっている映像がありますが、当時の高速度ビデオカメラは能力が低く、複数の領域を同時に走査し最初に走査を始める領域では電荷を蓄積する時間が短いのに対して、最後に走査する領域では電荷蓄積時間が相対的に長いので多くの電荷が蓄積されているためです。
一段目の溶滴が溶融池に向けて飛行している期間では、状況は定常的です。溶滴が母材固体表面に接した瞬間、極点が母材に接触した溶滴上端に集中し、プラズマ内を流れる電流は増加しています。溶滴が母材から反発して離脱する瞬間には溶滴と母材と間にアークが発生し若干輝度が高くなると同時に、溶融池端部の酸化皮膜部へと極点が移動しその周辺輝度が高くなります。各画面の左端には反発離脱している溶滴が認められます。
溶滴が飛行している期間にはワイヤ先端では新たな溶融金属が増加を始め、ワイヤの送給により先端部は溶融池表面へと接近しています。ワイヤ先端部の溶滴はほぼワイヤ形状を保持したままです。溶滴の上端部では重力の作用により括れが発生し、この括れ部の断面積が減少することによる、電流密度の増加と抵抗の増大とによりくびれ部は集中的にジュール加熱されます。この状況が最下段の映像に示されています。重力が表面張力に打ち勝った最下段5フレーム目の映像で、溶滴はワイヤ先端部から離脱し、ワイヤ先端部と離脱した溶滴との間にアーク電流が流れます。このアークの影響で典型的なプラトーのビーズは発生せずに、非常に小さな液滴が多数発生しています。
上の映像は当時としては最高撮影速度の毎秒13,500フレームでの撮影結果です。離脱や飛行過程の詳細な状況を観察するためには、この程度の撮影速度が必要です。アーク溶接現象はユラギが多く、ある程度長時間撮影する必要もあります。このため、毎秒2000−5000フレーム程度の撮影速度が選定されます。
右図はワイヤ先端部の溶滴離脱の瞬間と飛行中の溶滴挙動の例です。ワイヤ先端の溶滴は、すでに説明したように重力により下方に引かれると同時に上端でワイヤに吊り下げられているので、下方に伸びた楕円形になっています。ワイヤも連続的に供給されていますが、離脱した直後には先端の溶融金属が表面張力で、先端領域は球状に変形し若干上方へと移動します。離脱した溶滴は重力と表面張力は存在するものの、ワイヤからの保持力を喪失し、過渡的に形状が伸びたり縮んだりと振動的に変形します。飛行中の溶滴はほぼ球形の形状で、微妙に振動しながら溶融池に向けて、ほぼ等速度で飛行しています。
下図は溶滴が溶融池に接触して吸収される過程の高速度映像の例です。プラトーのビーズもたまたま同じ期間に溶接ワイヤに吸収されています。
溶滴は5フレーム目まではプラズマ内を飛行しており、6フレーム目に溶融池表面に接触します。溶融池より高温度の溶滴は速やかに溶融池に吸収されています。溶滴が速やかに溶融池に吸収される理由については、(1)プラズマ内の飛行により吸収される向きの運動モーメントを有している、(2)小さい溶滴半径なので表面張力により溶滴内部の圧力は平面である溶融池内部の圧力より高く、吸収を助長する方向に作用する。ただ、この説明と、(3)温度の低い溶融池表面の表面張力が、より高温度で表面張力の小さい溶滴を引き込み結果的に溶融池内部に吸引する。との考え方が内容的にどの程度重複しているのかについては理解できていません。
溶滴が吸い込まれる前の近傍の表面に微細な波が存在しているのに対して、吸収された後の表面は波が収まり、少し離れた表面で衝突により生じたと思われる波面が周辺へと拡大しているように見えます。
上部のプラトーのビーズもほぼ同じ時間でワイヤ先端に吸収されています。これらの挙動について1993年当時は新鮮な興味を抱き、液滴落下現象の文献を多く集め読み込みました。しかし、表面張力とそれに関係した事象をきちんと理解するのには、当時の高速度ビデオの能力が不足していたこともあり、自分自身で納得できるだけの理解は出来ませんでした。その後の研究活動で、表面張力に関係する実験は多数ありましたので、機会を捉えて趣味の映像を多く蓄積してきました。以下でこれらの結果を示していきます。
微小重力環境での表面張力
GTA溶接の章で、5.6 微小重力環境での表面張力の影響と、5.7 表面張力について取り上げています。それらの項目と重複しますが、この節で簡単にそれらの実験結果を紹介します。下図の映像をクリックすると動画が再生されます。
重力の影響が無視できる場合には、対流がなくなり拡散現象が目立つ状態になります。アルコールランプの炎の形状は1Gの重力が作用している場合には、燃えて熱せられたガスは浮力で上のほうに流れる対流が働きます。この対流で下から酸素を含んだ新しい空気が流れ込み、燃焼が持続します。装置が自由落下して微小重力状態にすると、炎には重力による熱対流は消滅し、拡散が支配要因になるため、炎は球形になります。同時に、アルコールランプの芯の部分への新しい酸素の供給も周囲からの拡散のみになり、燃焼に必要な酸素が不足し、炎は弱くなります。
Effect of gravity on flame lamp(left) and liquid meatl in water(right). | |||
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容器の中に入れた液体は、容器と液体との間の濡れ性により、容器の壁で沈み込むか上がるかします。内部の液面は、表面張力より力の大きい重力により、平たくなります。重力がなくなり、表面張力だけが働く状態では、右図に示すように液体の表面張力で球状になります。それを確かめるために、ビーカーの中に蒸留水と水銀とを入れて、水銀に働く表面張力と重力状態との関係を観察しました。ビーカーの中の水銀は水より重く、重力により下方に押し下げられほぼフラットな状態になります。自由落下を始めて、突然ビーカ内の水銀に重力が作用しなくなると、表面積を最小にする方向に表面張力が作用し、その過程で水銀の重心は上方向に移動し、上向きに運動するモーメントが発生します。一方、周囲の水は水銀の周りからビーカーの底面に向かって移動を始めます。水銀とビーカー底面との接触強度が強い場合(具体的には一晩そのままにした場合)には、上図右から2番目の動画のように水銀がビーカーから分離せず、固着したままの状態になる場合もありました。実験直前にビーカーを揺らして一旦水銀がビーカーから離れる状態にして、落下実験をした場合には上図右端の動画のように水銀は底部を離れて上昇を始めました。
撥水性と濡れ
空隙が沢山あるセラミック(溶接用の裏当材)に水をたらすと瞬時に吸収されます。逆に表面に超撥水塗料を塗布したセラミックに水滴が落下しても、給水されずに表面張力により水は塊として保持され興味深い挙動を示します。179から182の映像は、超撥水性塗料を塗布して水中に沈め、その表面に空気を吹きかけたときの映像です。空気が超撥水性塗料に保持されて空気の膜が形成される状況を見ることが出来ます。
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