水中溶接 2.水中溶接切断が必要な環境

2.4 潜水病(水圧が人体に及ぼす影響)

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 水深30m程度までの短時間の潜水は、ボンベを背負ったスキューバダイビングなど一般のスポーツとしても楽しまれています。石油生産設備の溶接はもっと深い水深での作業が多く、作業時間も長くなります。このため、飽和潜水と呼ばれる特殊な潜水技術が利用され、水深300m程度までの作業が実行されています。人間の環境適応能力はすばらしく、環境条件をきちんと整えると水深1000m(100気圧)までは人体を構成する組織を破壊することなく生存できると言われています。しかし、その適応性はきわめて限られた条件でしか通用しません。人体が必要とする適正な高圧環境から外れた場合に生じる肉体的・生理的障害は、総括して潜水病と呼ばれています。
 潜水病には、(1)環境圧力と人体内部組織の圧力の不均衡により生じる障害、(2)呼吸ガスに起因するガス中毒、(3)減圧過程で体内特に血液に溶け込んだガス成分が気化して血液循環を阻害する減圧症などがあります。また、陸上とは遠く離れて密閉された危険が伴う環境で、緻密な注意力と判断力が長時間要求される作業となります。一般的には作業空間に隣接したハビタットで生活し、交代で溶接作業を実施し、作業完了後に加圧された状態で船上に移動し、作業水深と作業日数に応じた減圧工程でゆっくりと大気圧に戻ることになります。閉鎖空間内での長時間の生活環境が引き起こす精神的な問題が、作業品質に大きく影響します。作業コストや安全性から、水深が深い慣用では機械による自動作業が望まれます。
 素潜りの場合には、肺の中の圧力は大気圧のままです。深くもぐれば水圧により肺が締め付けられ小さくなります。短時間の潜水の場合には物理的な圧縮の影響だけですが、長時間の潜水では、外部のガス成分のいくらかは体内の組織に溶け込みます。錘を利用して一気に深海に潜航し所定の水深に到達した後に急浮上するフリーダイビングは、短時間潜水の代表例です。フリーダイビング初期には、水圧により肺が圧迫縮小されることによる水深限界が考えられていました。しかし実際にはその水深を大きく超えて潜水する例が急増しました。その原因を検討した結果、肺だけではなく周囲の人体組織の連動により、肺への圧迫が緩和されることが指摘されています。映画「ディープブルー」はフリーダイビングの全体像と潜水の物理的心理的側面を理解するには最適です。
 「海の極限生物(The extreme life of the sea),スティーブン・R.パルンビ, アンソニー・R.パルンビ/著, 片岡夏実 /訳, 大森信 /監修, 築地書館(2015.4)ISBN4-8067-1491-7」によると、「アザラシは深くもぐる前に息を吐く。深くもぐると息を吐いた肺はボイルの法則により縮むが、肺にはほとんど空気が無いので血液中に窒素が入る危険性が少なくなり、急浮上したときの潜水病の危険性が小さくなる。浮力が小さくなることももう一つの利点で、もぐるのに使うエネルギーは少なくなる。」とのことです。
 潜水病の有名な例として、主に和歌山県出身の潜水士がアラフラ海に出かけて行ったアワビ採取があります。事業の拡大に伴い浅海域のアワビが少なくなり、作業水深が深くなるのにつれて潜水病を発症する人が増え、その対策を検討する過程で知識が蓄積していきました。その背景は下記「ナマコの眼」で紹介されています。
 第二次世界大戦を契機に、呼吸用ガスを利用する潜水器具を用いて長時間潜水する事例が増加し、潜水と浮上過程で水圧が人体に与える影響が調査されてきました。例えば90mの水深までボンベを利用して潜水すると、大気中の10倍の密度のガスが肺に送り込まれ、主要な循環成分である血液の中に多量の酸素や窒素が取り込まれ、体内を循環し、体内に溶け込むガス量は増加します。一部はガスの形で含まれますが、大半は体液に溶け込んでいます。潜水時には肺の中の酸素濃度と体液内の酸素濃度の差は大きく、比較的速やかに体液に取り込まれます。一方、減圧過程では体液内のガス成分の濃度と対外の濃度差は比較的小さく、対外への排出には時間がかかります。このため急浮上すると、血液内には多量のガス成分が残され、急に大気圧まで減圧が行われると、ガスの形で含まれていたものは、10倍の体積に膨らみます。
 みずみずしい新生児の体の約80%が水でできていて、成人は約65%、老化に伴い水分量は減少します。20兆個以上もある人の細胞内には、水75%たんぱく質12%脂質5%核酸2%無機塩2%のどろどろとしたゼリー状の原形質が詰まっています。この細胞内の水は体重の41%になり、細胞外には、血漿(血液中の水)4%細胞間液15%細胞間通過液5%と、合計約24%が含まれています。体内を循環している血液は全身をめぐって体の細胞に必要な酸素と栄養分を供給します。肺で酸素を取り込んだ血液は肺静脈より左心房に戻り、左心房から左心室へと送られ、左心室の収縮により大動脈を通って再び全身に送り出されます。毛細血管の中で血液中の酸素や窒素の一部がガス化して膨張すると、血液が流れにくくなります。血中に溶け込んでいる気体成分の内、酸素や二酸化炭素などは、呼吸により比較的速やかに排泄されます。一方、窒素はすぐには排泄されないために減圧症の主な原因となります。
 右の写真は国際会議のついでに訪れた博物館で展示されていた潜水服を撮影したものです。左の2着は普通の潜水服ですが、右奥の1気圧潜水服は陸上では吊りあげていてもらわないと足を骨折するのではと不安に思った記憶があります。
 人体への負担を少なくするための、潜航速度や水中滞在時間と浮上速度の関係については、初期は海軍主導の研究が進められ、1960年代後半からの海底石油生産の大水深化により民間ベースの研究も進み、飽和潜水技術として進展しています。海底石油生産施設の建造時には、作業効率を高くするために、船上に加圧室を設置し、潜航浮上に用いる加圧チャンバで水中と船上を往復し、潜水作業士は作業に従事している期間中は作業水深の圧力で生活します。所定の作業終了後に船上のチャンバ内で時間をかけて減圧して大気環境へと順応します。また、潜水病対策として、特定の医療機関に加圧チャンバを設置し、潜水病を発症した人を加圧チャンバに緊急搬送し、加圧により体内で気化したガスを一旦体液に溶解させ、その後ゆっくりと減圧して治療するシステムが充実してきています。潜水病に関係した書籍として、下記がお勧めです。
・潜水医学入門/安全に潜るために, 池田知純, 大修館書店(1995.8) ISBN 978-4-469-26312-1
・潜水の世界/人はどこまで潜れるか, 池田知純, 大修館書店(2002.10) ISBN 4-469-26505-5
・ダイバー列伝(Stars beneath the sea)/ 海底の英雄たち, トレヴァー・ノートン, 関口篤/訳, 青土社 ISBN 4-7917-5822-6
・シャドウ・ダイバー(Shadow divers)/深海に眠るUボートの謎を解き明かした男たち, ロバート・カーソン, 上野元美/訳, 早川書房 ISBN 4-15-208648-3
・ナマコを歩く / 現場から考える生物多様性と文化多様性, 赤嶺淳, 新泉社(2010.10)ISBN978-4-7877-0915-8
・ナマコの眼, 鶴見良行, 筑摩書房(1990.1 ISBN4-480-85522-X
・ペンギンが教えてくれた物理のはなし, 渡辺佑基, 河出書房新社(2014.4 ISBN 978-4-309-62470-9)

次ページ 2016.3.12作成 2019.2.17改訂

全体目次
水中溶接目次
潜水病
・必要に迫られ、潜水医学入門と潜水の世界をざっと読み返してみました。ダイバー列伝で読んだダイバーたちの医学的な業績が簡潔にまとめられているのを再発見しました。
・いろいろな本を読んでいるときに、なんとなく既視感を覚える事がありますが、どの本で知った知識か思い出せないことが多く、また別の用件で異なるジャンルの本を読んで思い出すことも多くあり、分野の異なる本を積極的に読書する必要性を強く感じます。
・ネットでエッセンスだけを調べて理解することは、非常に効率的です。しかし、きちんと本を読み、背景を理解しておくと、世界が豊かになります。現在、非効率、無駄と切り捨てられている事柄には、人生を豊かにする上で必要なことが多く含まれていると、強く感じています。
・若い人たちには、紙の本の読書をお勧めします。行間を読むことが重要と昔から言われています。次の行に移るときには、その行で書かれていることを理解し、次の行の先頭の言葉を頭の中で類推しているので、速読しているときに、次の行の先頭がどこかを容易に探し当てることができると考えています。
・最近は生物系の書籍を読むことが多く、30年くらい以前に何度か学会の合間に大学の先生たちから聞いた話を読書中に"ああ、そうだったのか"と思い出すことが多くあります。右に最後に示した書籍は、内容に当時を思い出すエピソードが多く、専門外には知られていない知識満載でお勧めです。